聖闘士星矢
夢の二十九巻
「第九話、光を追いかけて」
「アルゴ座の……イルピトアだと……!」
オリオン座のエルドースは、目の前の男が名乗った事実を咀嚼するように繰り返した。
「我ら星闘士の司る星座は、お前たち聖闘士のそれより古いものだ。
私の星座は、聖衣では四つに分けられていたな」
さらりと、しかし星闘士の誇りを滲ませつつイルピトアは言った。
かつてアルゴ座と言われた星座は、聖闘士の聖衣としては竜骨座、帆座、船尾座、舵座の四つに分けられていて、現代の八十八星座では舵座が羅針盤座となって伝えられている。
それら四つの原型だというのだ。
無論、聖闘士や星闘士の実力は天空を覆う星座の大きさによって決定されるのではない。
しかし、守護星座を背負う以上は無視できない要素であることもまた事実なのだ。
青輝星闘士だということも、少しも不思議ではない。
そもそも、こんな奴が星闘士側にゴロゴロいてたまるものか……!
「星闘士最高幹部の一人がわざわざのおでましとはな。
早々に最終決戦をする気になったのか?」
エルドースは若干カマをかけてみた。
返答次第で、こいつがどれほどの位置にいるかわかるはず……。
「いや、ここまでの対戦成績がよろしくないので、丁度近くまで来たついでに白星の一つでももらっておこうと思ってな」
アステリオンがいれば確実に解るのだが、ひとまずエルドースの見たところではイルピトアが虚言を弄している様には見えない。
そして、功名心にはやって先走ったようにも思えない。
ここまでの戦いぶりも、実力差を見せに来たとでも評したくなるものだった。
「叱責される心配はないのか?」
「……なかなか頭が回るな。
余計なことを口走らないように気をつけるとしよう」
チッ、とはっきりイルピトアに聞こえるようにしてエルドースは舌打ちした。
もう少し色々喋らせたかったのだが、気づくのが早い。
「そう残念がるな。
私が上位か下位かは……」
イルピトアは、確認するようにゆっくりと拳を握りしめ、
「その身体で確かめればいい……!」
「!!!」
避ける暇などなかった。
視界全てを覆い尽くすような無数の光速拳がエルドースに襲いかかった。
両腕に小宇宙をみなぎらせてこらえ、なんとか致命傷となるものを食らわずに凌ぐのが精一杯だった。
「ぐおおおおおっっ!!」
いかに白銀聖衣でも、相手は黄金聖闘士とほぼ同格の攻撃を繰り出してきているのである。
聖衣の細部に細かな亀裂が入り、細くなっている先端部が削られた。
「やはりただの白銀聖闘士ではないようだな。
私自身で来て正解だったか」
再び光速拳が繰り出される。
今度は凌ぎきれない……!
「ぐおおおおっ!!」
「浅いか……」
とっさに後方へ跳躍して吹っ飛ばされつつも食らう威力を落としたエルドースの意図を、イルピトアはすぐに見抜いた。
「ブレイブス・ソード!」
大地と大気を一刀両断する小宇宙の剣。
その威力は先ほど見せつけられている。
この直撃を食らえば一撃で倒されかねない……!!
エルドースは背筋が凍り付くのを感じた。
だが、その直後にその凍結が解ける予感がした。
「させるかぁっっ!!」
若い叫びが、ブレイブス・ソードに切り裂かれる寸前の空間を薙ぎ払った。
「む……!」
エルドースという目標を失った斬撃は、そのまま遠い音を引きずっていって消えた。
「テレポーティション、か」
左前方やや離れたところに、抱えたエルドースを無造作に転がしている白銀聖衣を纏った人影を見つけて、イルピトアはつぶやいた。
「おい、てめえ……、もっと丁寧に降ろしやがれ。
年長者を敬うということを知らんのか」
「やかましい三十代、文句を言う前に体重を落とせ。重い」
「白銀聖闘士ともあろう者が、人間一人の体重で軟弱なことをぬかすな若僧。
そもそも仕事さぼってこんな所まで何しに来た」
エルドースとしては、できる限りこの男に前線に出てもらいたくはないのである。
そのために戦っていたつもりですらあるのに、当の本人が最前線に出てきては元も子もない。
だが、言われた若僧にも言い分はある。
「オレが来なければ殺されていた身分で、よくそんな大きな口が叩けるな」
「自分の立場ってものをわかってんのか、……確定者」
エルドースは、教皇選立候補、という単語をあえて言わずに言い返した。
アステリオンは自分の考えを読めるので意味は十分通じるが、言い合いでの説得力は落ちる。
しかし、ここでこの単語を出すのは危険だと思われた。
イルピトアへの注意は、怠っていない。
そのイルピトアだが、追撃を加えようと拳を握りしめたところまではよかったが、技を放つに放てなかった。
どうしても一つ、聞いておきたくなったのだ。
「……ジェミニの反逆の内紛がまだ収まってなかったのか、聖域は?」
『違うわあぁっっっ!!』
「……」
異口同音に息のあった返答が返ってきて、イルピトアはしばらく二の句が継げなかった。
二三度大きく息を吸い込み吐いて、呼吸を整えてからようやく声が出た。
「……まあ、いい。
実力差を示すには二対一の方がよかろう。
エルドース、そちらの青年を紹介してもらえるか。
聖衣を見たところでは、猟犬座のようだが……」
かなり不遜な台詞を言っているが、その知識は合っている。
実際、一対一では圧倒されたのも事実であるので、エルドースは無視するのも嫌だった。
「ご名答。
こいつは白銀聖闘士の一人、猟犬星座ハウンドのアステリオン。
俺の半分しか生きていない若僧だ」
あまりといえばあまりな紹介のされ方に、アステリオンは膝から崩れかけた。
「あ、あのなあ……。
五分の三だ。訂正しろ三十代!」
「細かいことを気にするな、少年」
少年、に力を込めてエルドースは言い返した。
ふざけているのを装いつつ、エルドースには裏に意図をもってアステリオンを二流扱いすることに徹している。
こいつに死なれては困るのだ。
聖域の、アテナの聖闘士の未来は、彼が言うこの若僧の双肩にかかっている。
実力差を示しに来たというイルピトアを相手にするのならば、目標をあくまで自分に向けておいて、何が何でもアステリオンを守らなければならなかった。
かといって、教皇選立候補確定者のレッテルを貼られたアステリオンも、エルドースの考えはこの至近距離である程度読めているが、それでも黙って引き下がるつもりはないし、黙って守られるつもりもない。
やっと巡ってきた機会なのだ。
ジェミニのサガを教皇と信じ、間接的にとは言えアテナに対して反逆した戦いから一年。
やっと、アテナの聖闘士として戦う機会が巡ってきたのだ。
教皇代理の事務仕事や、聖域周辺を回っての慈善活動ではなく、一人の聖闘士として、戦うことが出来る機会が。
自分がアテナの聖闘士であることを証明するためにも、ここは戦わねばならなかった。
エルドースを向いていた足をずらして、イルピトアに向き直る。
やれやれとエルドースがため息をつくのを無視して、
「おまえを手玉にとるとは、あいつは何者だ。
どう考えても星闘士の一人のようだが」
手玉にとる、を強調しつつアステリオンは尋ねた。
「アルゴ座のイルピトア。
星闘士も星闘士。
その中でも最強を誇る青輝星闘士サマだそうだ」
「!!」
エルドースの冗談めかした言い方が、緊張を抑えるためのものであることにアステリオンは思い至った。
ずいぶんと大物が出てきたなとアステリオンは思った。
とはいえ、過去の聖戦においても聖域に対して最強クラスの刺客が送られてきた例は少なくない。
現代においても、アスガルドとの戦いの序章にはゼータ星の双子星が、冥王との戦いでは黄金聖闘士たちが送りこまれてきた。
星闘士との戦いが本格化してきたここまで聖域で戦いが無かったことの方が不思議なくらいなのだ。
「ならば、謹んで返り討ちにさせていただくとするか」
エルドースの冗談めかした言い方に相乗りしつつ、アステリオンはイルピトアに向かって静かに構えた。
闘志を秘めた瞳とともに燃え上がるその小宇宙に、エルドースは目を見張った。
……こいつ、いつの間に……
訓練の時のそれとはほとんど別人と言ってもよい。
自分とほとんど互角、下手をすれば遅れをとるかも知れない。
それは裏返せば、イルピトアに対してはなお埋め切れぬ差があるということなのだが、ここは二対一だ。
何とかなるかも知れないと思い、エルドースもイルピトアに向き直った。
「どうやら、面白いなどとは言っていられなくなってきたか?」
「いくぞ!!」
アステリオンは地を蹴って、瞬時にイルピトアに接近した。
その瞬発力はまさしく猟犬座の聖闘士にふさわしい。
「ブルートゥース・ハウンド・クロー!!」
猟犬の爪さながらに振るわれる、拳ではなく鋭利な右手の五指を、イルピトアは左手で正面から掴みにかかった。
ガキイィッッ!!
白銀聖衣と星衣の掌底同士がぶつかる音が、二人の手に挟まれて行き場無く低く響く。
「ふむ、この程……」
「ブルートゥース・ハウンド・アタック!」
掴んだイルピトアの手を引き寄せるようにして軽く宙に浮かび上がり、イルピトアの胸部へ無数の蹴撃を叩き込もうとする。
だがその一撃目をイルピトアは右手で掴んで止めた。
単に受け止めるのではなく、連続攻撃を先んじて止めてしまった。
”今だ……!”
「これで終わりか」
「バーストストリーム!!」
捕まえたアステリオンに反撃しようとしたところ、絶妙のタイミングでアステリオンの反対方向からエルドースの拳が唸りを上げた。
このタイミングではアステリオンを振り回して盾にしようとしても間に合わない。
しかも左腕を掴まれている状態だ。
とっさに右手を離して半身を開き、その右手を開いてバーストストリームを受け止めるのが精一杯だった。
「ぐ……っ!」
さすがに聖衣を纏っていないときとでは威力が違う。
しかも攻撃範囲の広い技だ。
受け止めきれずに、背中に纏ったマントが引きちぎられる。
そこへ間髪入れずに反対方向から、
「サウザンド・ハウンド・アタック!!」
光速の動きを持つイルピトアとはいえ、この至近距離、しかも片腕を掴まれている状態ではマッハ10の数千発の蹴りはかわせなかった。
アステリオンの手を掴んでいることの不利を悟ったイルピトアは、肘から先の力だけでアステリオンをぶん投げた。
自由になった左手から、反対方向のエルドースへ光速拳を放つ。
”……!!”
「何!?」
先ほどとは別人のような動きでエルドースが光速拳をかわしたことに、イルピトアは思わず叫んでいた。
エルドースはその動きからやや間を詰めて一度軽く飛び上がり、
「アース・ダッシュ・ディスアスター!!」
その蹴りを受けて、イルピトアへ向けて地面が次々と粉々に砕け散っていく。
並の星闘士ならば瞬時に生じた奈落へ真っ逆さまだろう。
だがイルピトアは、砕け落ちる岩盤のうちまだ強固ないくつかを蹴りたどって、崩落のエリアから脱出する。
そこへ、
「……これは!?」
周囲を、無数のアステリオンが取り巻いていた。
高速移動による分身術ではない。
イルピトアは残像などに惑わされるやわな動態視力など持ってはいないのだ。
幻影だと判断し、光速拳で薙ぎ払おうとする。
しかし、その無数のアステリオンもまた、光速拳をかわした。
速い……!?いや、違う……!
「ミリオン・ゴースト・アタック!!!」
無数のアステリオンがイルピトアに殺到する。
マッハ10……いや、さらに速い蹴撃をとにかく四方八方からだ。
逃げ場は一つも残さない。
ミリオン・ゴースト・アタックはイルピトアを直撃した。
ドシャアッ
アステリオンが一人に収束するのと同時に、イルピトアは地面に倒れ込んだ。
「よし、一気に止めを……」
刺せ、と言おうとしたエルドースは、もう少し喜んでいいはずのアステリオンが冷や汗を浮かべて、倒れているイルピトアを見つめているのに気づいた。
「……まさか……」
「……!」
イルピトアからとてつもない小宇宙が発せられた。
まさしく黄金聖闘士に匹敵する……いや、黄金聖闘士でもここまでの小宇宙を持っていた者はごく僅かだろう。
「どうやら、ジェミニの反逆の影響など欠片もないらしい」
揺るぎのない声で半ば独り言のようにつぶやくと、こともなげにイルピトアは立ち上がった。
ミリオン・ゴースト・アタックの直撃を受けたというのに、その星衣にはヒビ一つ入っていない……!!
「無傷……?」
「星衣の防御力は黄金聖衣に匹敵するのか……」
「厳密に言えば少し違う。
我々星闘士の纏う星衣は、小宇宙によって無限に強化される。
ゆえに、黄金聖闘士と同等の防御力を達成することは青輝星闘士でなければ出来ん。
だが、これでも一応青輝星闘士筆頭のつもりなのでな。
聖闘士に星衣を傷つけられては沽券に関わる」
『!!』
一応とつけ加えられた前置きが、逆にその言葉の信憑性を高めていた。
何より、アステリオンにはイルピトアが本心からそれを言っていることが手に取るようにわかった。
「本来白銀聖闘士二人を相手にここまで苦戦させられるのは不本意だが、聖闘士も聖衣では計れん、か。
グランドの言う通り……」
納得したようにつぶやくと、イルピトアは視線を上げた。
「少なくともこのままでは帰れんな。
お前たち二人では私の拳をかわせないはずだ。
だがアステリオン、お前が来てから、エルドースの動きまでが良くなった」
射抜くような視線とはまさにこのことか。
圧倒し、全てを計ろうとするようなイルピトアの眼差しだった。
「アステリオン、お前は危険だ」
ゆっくりと構えもせずにイルピトアは、一歩一歩アステリオンとの距離を縮めていく。
無造作に見える動きだが、隙がない。
「お前には何かがある。
それを突き止めるか……いや、この場で倒しておかねばなるまい…!」
「いかん!アステリオン!」
「どこまでかわせるか!シャイニング・ウィーバー!!」
先ほどよりもさらに目の細かい、無数の光速拳の糸がアステリオンの周囲全てから襲いかかった。
とんでもないことに、ほぼ後方とも言える方向からも飛んでくる。
周囲の空間全てを光速拳で織り上げるように見えた。
しかしアステリオンは、それらをかわそうとしなかった。
フッとその場から姿が消える。
「!
ブレイブス・ソード!」
イルピトアは瞬時にシャイニング・ウィーバーを打ち止めて、右後方へ向けて小宇宙の剣を振るう。
そこには姿を現したばかりのアステリオンがいた。
「バーストストリーム!」
横からエルドースが拳を振るうが間に合わない……と思えたその瞬間には再びアステリオンの姿はフッと消えて、空中に無数のアステリオンが展開される。
「……良すぎるな」
アステリオンの動きを目で追うことに集中し、バーストストリームを防ぎきれなかったイルピトアは顔をかすかにしかめつつ言った。
空中に浮かぶアステリオンの姿が、陽炎のように揺らめく。
空気……ではなく空間がかすかに揺らいでいる……!!
「ビリオン・ファントム・アタック!!」
テレポーティションを使えるようになってから修練に取り組み始めた、未だ未完成の技だ。
高速移動と空気プリズムの分身体から生み出す無数の蹴撃がミリオン・ゴースト・アタックだが、そこにさらに極短距離テレポーティションを組み合わせることで高速性と分身数を高めるだけではなく、次元のゆらぎをも叩き込む!!
イルピトアは一切避けようとせずにこれを受けた。
動かずに、一人に収束するアステリオンを注視し続けた。
”……なるほど”
”!!”
イルピトアが確信を持って微笑んだ明確な意志を感じ取り、アステリオンの全身が警報を発した。
とっさに短距離テレポーティションでイルピトアとの距離をとる。
「今のはさすがに効いたぞ……。
だが、大体想像がついた」
ゾク……ッ
言いしれぬ恐怖が、二人を包んだ。
イルピトアの蒼く輝く小宇宙がさらに増大していく。
青輝星闘士筆頭という言葉を疑うのが絶対に不可能なまでに、強大。
”……!!”
次の瞬間イルピトアの視線がアステリオンを、そしてさらに次の瞬間にエルドースを射抜いた。
断じて逃がさぬというその瞳は雄弁だった。
退避行動をとろうとした二人の動きを、絶大なまでに膨れ上がったイルピトアの小宇宙が押しとどめる。
イルピトアを中心として、二人がいる領域のさらに外側が荒れ狂う大海原と化したような錯覚を覚えた。
「く……っっ!!」
この領域から逃れられぬと悟ったエルドースは、アステリオンの下へ駆け寄り、アステリオンとイルピトアの間に立った。
イルピトアに向けて小宇宙で形成した弓に、極限まで小宇宙を集中させた矢をつがえて向けた。
なんとしても、アステリオンだけは守らなければ!
「エルドース!やめろおおぉっっっ……!!!」
「伏せやがれ若僧!
これがこのエルドースの最高奥義、アルテミス・ベネディクション!!!」
「受けよ……、
アルゴス・グレイテスト・アドベンチャー!!」
イルピトアの燦然たる蒼い小宇宙が、稲妻を伴う極限の嵐となって二人に襲いかかった。
まず吹き飛ばしたかと思った次の瞬間には上空へと巻き上げられ、水よりも遙かに濃密で、そして凶暴な小宇宙の奔流が二人の全身を跡形もなく消し去ろうとする。
「ぐああああああっっっっ!!」
「があああああああっっっ!!」
しかし、吹き飛ばされながらもエルドースの放った一矢は、嵐を突き破ってイルピトアに届いた。
「何イィッ……!!!」
鋭い音を立てて、エルドースとアステリオンの二人分の小宇宙の矢が、イルピトアの胸部に突き刺さった。
さすがに突き破られるような青輝星闘士の星衣ではない。
しかしその威力は簡単に振り払えるものではなく、イルピトアも後方へと大きくはじき飛ばされた。
ズシャアッ
ドガシャアッ
ガシャアアン
イルピトアが地面に倒れたために小宇宙の嵐がようやく収束して、エルドースとアステリオンの二人も地面に叩きつけられた。
だが叩き落とされた高度にしては、音がそれほどでもない。
イルピトアは自身の星衣の胸部に微かな傷がつけられていたことを確かめると、アステリオンのところまで歩いていった。
「……まだかろうじて意識があるか、アステリオン」
「……エルドースが、かばってくれたおかげでな……」
「それにしても、テレキネシスまで使えたか。
テレポーティションが使えるとすればこれは不思議でもないが」
アステリオンは落下直前に残された気力を振り絞ってエルドースと自分が頭から落下する体勢を変え、出来うる限り減速したのだ。
イルピトアの攻撃で二人とも聖衣は大きく破損しており、普段の防御力を期待できる状態ではなかった。
なんとか意識を保っているアステリオンだが、全身を叱咤激励しても立ち上がれるような状態ではなかった。
「さて答合わせでもしようか。
まず、お前はテレパシーを使えるな。
確かテレパシーの応用としてサトリの法という特殊能力があったはずだ。
光速拳が光速になる前の私の思考の段階でその軌道を見切り、おそらくは読みとった情報を、直接エルドースにも伝えていたはず。
マッハの動きでお前たち二人が光速拳をかわせたことの答は、こうだろう?」
「……正解だ」
「結構」
星矢と戦ったときに、星矢の思考を完全に読みつつもその伝達に失敗してモーゼスを倒された経験から、アステリオンはもっと別の方法を模索していたのだ。
順番から言えば普通と逆なのだが、思考を読むというサトリの法は、本来自分の意識を伝えるテレパシー……第六感の一応用形態である。
基本に立ち返って、読みとった情報を言葉ではなく素の情報として他人に伝えることで、自分とほぼ同じ状況で仲間が戦えるようにしたのだ。
そこまでは成功した。
だが、相手が悪すぎた。
「テレポーティションにテレキネシス、テレパシーが使えて、かつ白銀聖闘士か。
エルドースがお前を重要視したわけがよく解った。
やはり、この場で倒しておくべきか……ん?」
「待て!」
イルピトアが振り返ると、そこには蛇遣い座オピュクスのシャイナを筆頭に小熊座アールサのクリュス、麒麟座キャメロディオのバルチウスの三人の白銀聖闘士、さらには訓練中の青銅聖闘士らと、さらには雑兵たちまでもが勢揃いしていた。
「その男を殺されると困るんでね。
もしその男をこの場で殺すというのなら、聖域の全力を挙げてでも、あんたを生かして帰しゃしないよ」
「よせ……シャイナ……」
イルピトアの実力は、戦ったアステリオンがよく解っている。
白銀聖闘士五人全員でかかったとしても、果たして勝てるかどうかだろう。
イルピトアにとって、この人数は脅しにもならないはずだ。
「慕われているのだな、アステリオン」
一同を見渡してみてから、イルピトアはフッと笑ってアステリオンを見下ろした。
「逆境に追い込んだ聖闘士の実力は計り知れぬそうだったな。
よかろう、この場は白星二つで退くとしよう。
我ら星闘士の力は、存分に思い知ってもらえただろう?」
「……嫌と言うくらいにね」
エルドースとアステリオンがまとめて倒れているのを見せられた後では、シャイナもそう答えるしかなかった。
「次に我らが聖域に来るときは講和はないぞ。
そのときは、我らの宿敵との決着にふさわしい戦いが出来ることを期待する。
ああ、そうだ。
せっかくだからマントの替えをもらえるか。
エルドースに破られてしまったのだからそのくらいの保証はしてもらいたい」
一転して矛先を収めたイルピトアの言葉にほっとした空気が流れた。
「……色は何色が好みだい?」
態度では呆れつつシャイナは心中でほっと胸をなで下ろしていた。
「蛇遣い座の聖闘士は話が分かるようだな。
白を所望する」
「わかった。
おい、黄金聖闘士用の最上質のマントを持ってきてやりな」
近くにいた雑兵に命じて持ってこさせ、シャイナは直接イルピトアに手渡した。
「あんたの元のマントの質がわからないんでね、これでどうだい」
「ふむ、良い品だな。申し分ない」
イルピトアは満足した表情でマントを纏い直した。
先ほどまで戦っていたとは思えない悠然たる態度である。
落ち着いて見てみれば、ギリシア神話の英雄そのもののような雰囲気を漂わせていた。
「では諸君、生きていられたらまた会おう」
のんびりと歩いて去っていく姿が見えなくなり、イルピトアが聖域の結界から出たのを確認したシャイナは、緊張が途切れて倒れ込みそうになった。
しかしそれより前に、
「すぐにエルドースとアステリオンを女神の泉に運ぶ!」
女神の泉とは聖域の中でも特殊な力を持った建物で、神話の時代より多くの聖闘士の傷を癒し続けてきた場所だ。
地上と自分のために聖闘士が傷つくことを嘆いたアテナの小宇宙が宿っているのだとも言われている。
エルドースは意識不明ながらも、女神の泉ならばなんとか一命をとりとめることは出来そうだ。
「無茶をする……。
十二宮から動くなと言ったはずだぞ、シャイナ……」
「奴の単独行動らしいと判断したんだよ。
もっとも、相手が強大だったから手数を集めないと抑えきれないと思ったんで遅くなったんだけどね」
「イルピトアが退かなければ、聖域が全滅しかねない状況だったんだぞ……」
「もう一回教皇に死なれたら聖域は終わりだよ。
いいから寝な」
「くそ……どいつもこいつも……」
文句を続けようとしたが、担架に乗せられたアステリオンは急激な眠気に襲われた。
慣れないテレパシーやテレポーティションを多用した反動だと気づくより前に眠り込んでしまった。
「アステリオン?」
「そうとう無理をしたみたいだね」
筋肉トレーニングが趣味のために健康管理はお手の物なクリュスが脈拍や呼吸の安定を確認する。
現在の女神の泉の管理責任者でもある。
「それにしても……星闘士ってのは」
「きつい戦いになりそうだね、今度も」
シャイナは、間近で感じたイルピトアの小宇宙を思い出して、かすかに震えを覚えた。
夢の二十九巻目次に戻る。
ギリシア聖域、聖闘士星矢の扉に戻る。
夢織時代の扉に戻る。