中国のクリスチャン・ライフ


聖書を読む会の仲間と
(2004年イースター・パーティーで)

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このページの内容:

中国では、「中国人に外国人が宗教を教えてはいけない。」、「中国の法律で認められている仏教・道教・イスラム教・基督教(プロテスタント)・天主教(カトリック)の5大宗教以外を持ち込んではいけない。」(5大宗教の新宗派もいけない)、「礼拝は公開の場で。」という基本を守っていれば(結構制限がありますね!)、宗教活動は比較的自由です。中国ではキリスト教が迫害されているという、間違ったニュースが海外で広く流布されています。外国人が指導する宗教活動に中国人は参加できないとする中国の法律に違反すると確かにそういうことがいえる半面、外国人同士の宗教活動は比較的自由で、中国人が指導する宗教活動に外国人が参加するのも自由です。

外国人の集会、中国人の集会、洗礼、結婚のお祝い

私は日曜日はスイスホテルで行なわれている外国人用の教会に行っています。韓国系米国人のテレーザとジェームス(Teresa & James Jin)がやっているもので、式はテレーザが英語で話し、夫のジェームズが韓国語に訳す形で行なわれています。あらゆる国の英語族が集まり、韓国人の会衆も半分を占めています。新しい歌を電子オルガンを伴奏に歌う、福音派・聖霊派の教会といったらいいでしょうか。英語・韓国語・日本語のセル・グループがあり、各グループは週一回集まり、聖書を読んだり、お互いに助け合ったり、また中国の教会とも交流をしています。
合歓の木の並木(北京街)
2004年前半には、韓国人の1人(Yoo Sungwoo劉 誠祐(石)さん)が4月のイースターに一家で洗礼を受けたのでその週にパーティーを行ないました(一番上の写真)。(聖書を読む会には参加していないが、礼拝で時々お会いする仕事上の友人が、奥さんはクリスチャンと聞いていますが、5月の連休に日本で洗礼を受けました。)また、6月には日本人の1人が韓国人と学生結婚しました(Yuko(西森有子)さんとJin(Yoon Fujin尹厚実)くん)。結婚式は教会の仲間が労働公園でお祝いする形で行なわれ、日本人グループは聖歌(賛美歌)2曲と、私が作った次の詩を日本語・英語・韓国語で手分けして詠みました:

合歓の木が花咲く時

合歓(ねむ)の木が花咲く時、
私たちは集まりました、
  この中国大連に。

  ここで知り合った二人が
  いつも助け合って暮らすことを
    願って。

朝からの霧が晴れ上がる中、
私たちはお祝いします、
  ここ労働公園で。

  困難な時にも、神様がいつも、
  あなた方を見守り、幸せに、
    清く生きるように祈って。

注:
(韓国語ではハブホァンモックまたはザクィーナム
中国語では合歓樹、中国北方の人は芙蓉樹、
この詩を4カ国語で)

When the Mimosa Trees Come into Bloom

When the mimosa trees come into bloom,
We've got together here
In Dalian, China,

    Wishing you two
    Who got to know each other here
    To help each other in their life.

As the morning mist clears up,
We celebrate here
In Dalian Labor Park,

    Praying that God will protect you two
    At difficult times, letting you live
    Happily and honestly.

Note:
(Hab-huan-mok or Za-kui-namu in Korean
Hehuan Shu or Furong Shu in Chinese
This poem in four languages)

(後日談ですが、Jinくんは日本へ帰ったYukoさんをその後も時々訪ねていて、この都市のクリスマスの翌日子供が生まれたと報告がありました!)(2004.12.29.)

大連にはこれとは別に日本人の方がやっている日本語の集会もあり、こちらへは年に2回ほど行っています。大連へ来た当初はこちらの礼拝の方が日本で私が経験してきたのに近いのですが、日曜の礼拝以外に活動がなく、中国の教会との交流もないので、上に述べた英語集会の方に行っている訳です。(2004.06.26.)

大連へ来て4年目の冬から、中国人の教会(大連市・玉光街礼拝堂)へ行っています。中国でもクリスマスとイースターに洗礼を受ける方々が多く、今年のクリスマスには私のもと日本語の教え子の1人が12月12日(日)の夕方の礼拝で20人くらいの人々と一緒に洗礼を受けました。26日(日)の夕方の礼拝に北京街礼拝堂へ行ったところ、旧約の「ルツ記」のクリスマス劇をやっていて、大変な熱演で、プロの劇かと間違うほどのできでした。ルツ記は夫を亡くしたユダヤのナオミ(Naomi)が、息子2人も相次いで亡くし、未亡人になった2人の義理の娘(モアブ人)に、これから故郷のベツレヘムに帰るので、自由に自分の幸せを求めて去りなさいと言ったところ、1人は去って行ったが、もう1人のルツ(Ruth)は死ぬまでお供しますと言って、一緒にベツレヘムに帰り、他人の畑の落穂を拾うような貧しい生活を経て(ミレーの名画「落穂拾い」はこの情景を描いている)、ルツはベツレヘムのユダヤ人有力者のボアズと結婚し、幸せになり、その孫がダビデ王になるという内容で、男性中心のユダヤ社会は中国社会ともよく似ていて、その中で良妻賢母型の幸せをつかむ女性の話しは中国人の大きな共感を呼ぶようで、私もみんなと一緒に劇を見ながら泣きました。(2004.12.30.) 元日に教え子のもう1人が、玉光街礼拝堂で結婚式を行ないました。(2005.01.01.)

聖書を読む会、クリスマスパーティー2004

私は始め英語のグループの聖書を読む会へ参加したりしていましたが(今も時々参加する)、大連へ来て3年目の11月から日本語セルグループの集まりを組織して、毎週火曜日は会社からさっさと家へ帰り、夕食後に自宅で聖書を読む会をやっています。韓国人で日本語が話せる人たちも、2〜3人が参加しています。始め雑談をして、いろいろな情報交換、助け合いをして、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」(ルカの第2の書)を6月までに読み、あとは旧約聖書を拾い読みして、留学生で来た人たちが7月に日本へ帰るときには「大連では中国語と中国文化を学んだだけでなく、キリスト教の基本も学んだ。」といえるようにしたいと思ってやっています。クリスマスとイースターの時期には、1品持ち寄りのパーティーを自宅で開いて、クリスマスパーティーでは恒例のクリスマス劇をやっています。

最近、井田三朗さんが聖歌が大好きなのを発見し、聖歌も歌いたいと思っています。また、岸川博さんが個人的な希望、悩みをお互いに祈りあうという形式を始めてくれたので、これも取り入れたいと思います。(2004.06.26.) 25日クリスマスの日(土曜日)には、夕方合計8人でクリスマスパーティーをやりました。恒例の餃子の皮をみんなで作り、私は焼き餃子、水餃子、味噌汁、白玉汁粉を作り、ご馳走しました。(恒例のクリスマス劇は今年はやらなかった。)(2004.12.25.)

この年の12月には、東軟情報大学(信息学院)で中国語を学ぶ日本人学生、日本語を教えている日本人先生を対象に、4回で新約聖書を読む会を行ないました。1回目はイエスの誕生、2回目はイエスの宣教、3回目はイエスの死、4回目はイエスの復活とパウロの宣教をルカ伝と使徒言行録で読んだもので、出席者4人くらいでよもやま話をしながら、新約は4回で読めるんだと感じました。(2004.12.29.)

米国の2003/2004年ベストセラー書籍「ダ・ヴィンチ・コード」について

上の娘の結婚式がハワイであった時に、下の娘が面白い、面白いと読んでいたので、日本へ帰ってからDan Brown, "The Da Vinci Code"(Doubleday, 2003, ISBN 0-385-51322-4;日本語訳はダン・ブラウン「ダ・ヴィンチ・コード」)をペーパーバックで買って、日本出張中に藤沢の自宅から東京に通う2週間、通勤電車の中で読みました。あらすじは というような展開のもので(この本はあまり時間をかけて読む必要ないので、上にあらすじを書きました)、読み終わってからの私の感想は というものです。(2004.11.27.)

日本の母教会が放火で焼ける

私の母教会がきのう放火のため(英語報道)に焼けました。大変悲しく、声も出なかったです。1945年6月25日の横浜空襲の直後と同じ状況になったと連絡をもらいました。私が4年前に始めた「英語で聖書を読む会」の親しい仲間も多く、みなさんが再建に向けて心を合わせるように祈ります。私もできるだけの協力をしたいと思います。(2005.01.05.) 旧正月休みに日本へ帰った時に母教会の礼拝へ行きましたが、聖堂の壁の一部と天井と屋根の全体が燃えただけで、大谷石作りの聖堂全体はしっかりしていて、屋根に青色のビニールシートが被さっていて、礼拝室と小礼拝室は工事中で入れませんでしたが、脇の会議室で英語集会の人々も入れて100人くらいの礼拝が行なわれているので、多少安心しました。この教会は開港碼もない1863年に外人居留地に日本で2、3番目に建てられた外国人用の教会、クライスト・チャーチ(Christ Church)で、その後1901年に今の山手に移り(ビクトリア王朝風の建物)、関東大震災で全壊したのを、1937年に再建して(現在のオールド・ノルマン風の建物)、また1945年6月の横浜大空襲で鉄骨を残してほぼ全焼したのを、戦後に日本人集会も作り、1947年にまた再建して、その後所有が日本人集会へ移ったという長い歴史は知っていましたが、この戦後の再建費用は日本の賠償金(税金)であったことを、今年になって井田三郎さんなどから聞いて始めて知りました。(2005.02.19.)

中国の灰の水曜日、レント(大斎節)の起源

カトリック教会や伝統的なプロテスタント教会(聖公会、ルーテル教会など)には、イースター(復活節)の6週間前に灰の水曜日(Ash Wednesday)という礼拝があり、これにはいらなくなった十字架などを前の日曜日に焼いてできた灰で、各礼拝参加者の額に牧師(司祭)が十字を切り、「あなたはもともと土から生まれたので、まもなく土に返る。(創世記 3:19 & コヘレト/伝道の書 3:20)だから罪を悔い改めて、イエスの教えに立ち返りなさい。」という意味のことをいう儀式があり、この後信者は額に灰の十字を付けたまま教会から出て、町を歩き、その日から40日間をレント(Lent 大斎節、カトリック教会では四旬節)といってイエスが宣教を始める前に40日間砂漠で断食をして悪魔の試練も受けたことを記念して、聖書をじっくり読むなどの敬虔な時を過ごすという習慣があります。私はこの灰の水曜日の礼拝が大好きですが、中国のプロテスタント教会ではこれを行なわないので、大連へ来て4年目の冬に、この日はくすしくも中国の旧正月(春節)でしたが、やっと大連カトリック教会で四旬節聖灰礼儀に参加できました。午後4時からのミサで、まずこの儀式を行ない、神父さんが各信者の額へ灰で十字を切り、ただ「イエスの道へ立ち返り、正しく生きなさい。」とのみ言い(「あなたはもともと土から生まれたので、まもなく土に返る。」とは言わなかった)、それが終って救恩ミサ(聖体拝領)がありました。このカトリック教会で聖書が各ベンチ席においてあるのを、はじめてみました。(2005.02,09.)

春節休暇に日本へ一時帰国した時にレント(Lent 大斎節、古ドイツ語・英語の春の季節を意味する言葉から)の起源を、藤沢市の総合市民図書館@小田急湘南台駅へ行って、主に英語の百科事典(Encyclopedia Britannica 1992とEncylcopedia Americana (Grolier Inc.) 1989)で調べる機会がありました。イエスの弟子たちの時代(紀元後1世紀)から復活祭での洗礼へ向けて新しい信者の準備をしたり、自分で敬虔な祈りの時期を過ごす習慣はあったようで、4世紀(キリスト教の公認と国教化)には復活節の行事が金・土・日の3日に拡張され、その準備期間は1日または2日または40時間であったが、4世紀終りごろには40日になった。40というのは、モーセがシナイ山へ登ったのが40日で(出エジプト記 24:18)、エリヤが旅に出たのも40日で(列王記上 19:8)、イエスが断食したのも40日で(マタイ 4:2)、一種の神秘的な数字であった。もともと大斎節第1日曜日が大斎節の初日であったが、7世紀ころ(グレゴリウス大法王の時代)に灰の水曜日(Ash Wednesday)が初日になった。5世紀ころから断食をして1日1回のみの食事(夜食)を取る習慣が広まり(肉・魚・卵・バターは食べない)、レントの期間には貧しい人々に多くを与え、祈り、アルコール類を避け、セックスも避け、こうした自己否定をする習慣は中世の前期に最高潮に達したが、その後は徐々に下火になった。(日曜日は断食日ではないので、大斎節の初日は復活節の6週間半前になる。)第2次世界大戦のころ断食の習慣はほぼなくなり、カトリックではヴァチカンUの時(1960年代)に灰の水曜日と聖金曜日のみが断食の日となった。上の項で述べたクリスマスの起源とは違って、レントの起源は非常にキリスト教的なものであったようです。(ただし、以下は除く。)注:1)灰の水曜日の前日は英語ではShrove Tuesdayと呼ばれ(Shroveは「shrive敬虔な祈りを捧げる」から)、イギリスではパンケーキを食べる習慣があり(レントの期間には卵やバターが使えない)、フランス語ではMardi Gras(Fat Tuesday)で、米国のニューオーリンズなどでは仮装行列などが盛大に行なわれ、フランス・イタリア・ブラジル(リオ・デジャネイロなど)・ドイツ南部(Faschingとよばれる)などではその1週間前からカーニバルが行なわれ、ただしドイツ中部のケルンなどのカーニバルは前年の11月11日11時11分から始まる。2)インターネットのサーチエンジンで「History of Lent」などで調べると、興味ある記事がいろいろ出てくる。(2005.02.17.)

リック・ウォレンの著書「人生を導く5つの目標」

私が普段行っている英語教会(Dalian International Christian Fellowship)の牧師が先月米国へ一時帰国して、リック・ウォレン(Rick Warren)が書いた「人生を導く5つの目的」(副題:自分らしく生きるための40章、ISBN 4-902680-00-9、原著名:The Purpose-Driven Life 0-31020-5719 (Zondervan Press, 2002))という本の日本語訳を、著者のサインをもらって、「彼は日本の人たちに関心を持っていますよ。」といって持ってきてくれました。著者は米国カリフォルニア州のLake Forest (Orange County) にあるサドルバック教会(Saddleback Church)をお一人で設立して大きくされた方で、この本は前著の「健康な教会へのかぎ」(いのちのことば社、原著名:The Purpose-Driven Church, Nelson Books, 1995)と共に、アメリカのクリスチャンの間でベストセラーなんだそうです。本の内容は、目標のない人生は空しいところから始まって、5つの目標 を設けて暮らしなさいというもので、アメリカや日本でビジネス書がはやりましたが、そういったような書き方なので、一般の人も含めて読みやすい本です。英語教会の英語グループが集会でこの本をテキストにし始めたので、我々の日本語集会でも40章のうちの5章を選択して、コピーを作って、学び始めました。精霊の働きおもむくままに書かれた本とは違うので、違和感を感じる方もいますが、おおむね好評と思います。(2005.03.05.)

「キリスト」を調べたジャーナリストの記録

Lee Strobel, "The Case for Christ" (Zondervan Press, 1998)の邦訳、リー・ストローベル著「ナザレのイエスは神の子か?「キリスト」を調べたジャーナリストの記録」(いのちのことば社、2004、4-264-02183-9)を前々回の日本出張で横浜のキリスト教書店で買ってきたのを、この土日で読んだ。もとシカゴ・トリビューン紙の腕利き事件記者である著者が、丁度米国での裁判に目撃証人、状況証拠を集め提出するように、著名なキリスト教研究家、歴史家などをインタビューし、福音書から、イエスの十字架上での死、復活までを、真実性があるものか検証し、聞くもので、大変面白かった。オハイオ州のマイアミ大学で、ハワイ生まれのエドウィン・ヤマグチ教授に福音書に書かれている内容が他の歴史書(ヨセフスの「ユダヤ古代史」、タキトゥスの「歴史」、小プリニウスの手紙など)に裏打ちされているか聞くケースもあり、またいくつかのインタビューは著者がクリスチャンになった1981年以降に行なったものもあり、またそれぞれに信仰の状況を聞くケースもあり、興味深い。(2005.03.13.)

中国の最北端、黒竜江省漠河(モーヘー)のアムール川で洗礼

流氷下るアムール川て洗礼を受けた4人
大連へ来てから4年目の5/1休暇に中国の最北端、黒竜江省漠河(Mo4-he2)へ1週間の旅行で行く機会がありました。大連外国語大学時代からの知り合いのイーノックと奥さんのローラが指導する、学生を中心とするクリスチャンのグループ(どちらかと言えば聖霊派)16人と行ったもので、7日間の旅程は
  1. (日曜日)大連のホテルで10:00に日曜礼拝。13:34発の内蒙古ジャグダチ(加格達奇)行き列車(学生たちは硬座=普通の座席へ、私は硬臥=普通寝台車へ、硬臥が199元)に乗り込む。
  2. 朝4:34の日の出を車窓に見て、5:55にチチハル(斉斉哈爾)を経て、13:05に約20分遅れで内蒙古自治区のジャグダチへ到着。(なぜか土地の人たちは皆ジャグダチは黒龍江省といっていたが、住民の大多数を占める漢族は内蒙古みたいな田舎に属したくないようだ。)駅近くの旅館(信誉旅社)で休んだ後、夕食を食べて、21:41発の漠河/古蓮行きの列車(1964に建設を始めて、文化大革命の真っ只中の1973年に完成したという単線鉄道)に乗り込む(硬座が29元)。夜中に学生たちがマットレスを貸してくれて、生まれて初めて汽車の床に寝た。
  3. 朝4:30に起きたら、大興安嶺山脈の北端の雪がまだ残る山中を走行中で、8:10に漠河へ到着(大連からの総乗車距離は1,627km、ほぼ日本の北海道から九州までの距離に相当)。S兄弟(炭鉱を経営している)が出迎えてくれて、このあとは全て彼が面倒をみてくれる。川(漠河)向こうの街中の旅館(万福楼)へ行き、ここで礼拝。昼食後、近くの西山という景色のいい高台へ登って町並みを見た。風が強い晴れた日で、きれいに澄んだ大興安嶺の空だった。夕食後は、土地の兄弟姉妹も参加して礼拝し、H姉妹が大興安嶺山脈の1987年の大火(5月6日に発生した火災で、大興安嶺の森林の1/8が焼けたという)以降に漠河へキリスト教の宣教が始まった様子、子供の礼拝中に公安が踏み込んで大変なことになり、以降若者への宣教に苦労しているなどを語ってくれた。
  4. 8:50に漠河をマイクロバスで出発して、途中で飛来松や続々と続く白樺林を見て、9:45に漠河郷へ到着(漠河から88km、北緯53度、東経122度:サハリン島のオハ・カナダのカルガリー・英国のロンドンの緯度に相当)。「神洲北極」(中国の北端)という石碑が立つ七星広場で、アムール川(黒竜江)に流氷が続々と流れるのを眺める(5月だけに見られる光景だそうです)。新村基督教会があるお宅で昼食。午後アムール川の少し下流で向かいにロシアの村が見える所(流氷が部分的に逆流している所)で、4人が洗礼を受ける。(右上の写真)私はお祝いの言葉を述べました。ホテル(明珠飯店)で夕食後、新村教会での礼拝に参加し、イーノックが偶像と祈りが主題の説教をした。ホテルへの帰りに見た北の星空は、緯度が高いので北極星の上に大熊座(北斗七星)、下にカシオペア座が同時に見え(大連や日本では一方が見える時には他方は見えない)、この町には街灯がほとんどないので抜群だった。毎年夏至(6月21日または22日)に白夜(極夜)とオーロラ(極光)を見に漠河郷へ観光客が集まるが、夏至のころの短い夜にオーロラを見るのは至難の業なので、ご注意!
  5. 9:00に漠河郷を出発し、10:30には漠河の木材加工廠の近くの漠河県基督教会福音堂へ着き、ここで昼食。少し休んだ後、餃子を作り、夕食。礼拝。17:58漠河発の列車に乗る(硬座が29元、硬臥が78元)。
  6. 6:17にジャグダチへ到着し、駅前のレストランで朝食。この町の世紀商場で大興安嶺山脈産のキノコ、お茶などのお土産を買う。(私は黄[サ氏]qi2、野刺梅、映山紅、金蓮花のバラ売りのお茶を買った。)小雨が降る寒い日で、11:20発大連行きの列車に乗るが(硬臥が199元)、車内も暖房がなくて寒い。
  7. (土曜日)11:46に大連駅へ到着。駅の出口で無事到着の感謝の祈りをして、解散。
というもので、出発前日に4食分の食物を買い込む(車内で売っている食料は高い!)など、私は学生たちと一緒に始めての貧乏旅行をし(もっとも1部を除いて、私だけ寝台車を使ったのでそうでもなかった)、また神への賛美、祈り、宣教について、私も学ぶことが多かった旅行でした。(学生たちは周りの乗客にいつも福音を伝えていた。)参加した日本語専攻の学生が「日本語の先生や日本の留学生にクリスチャンはいないので、日本人のクリスチャンに会えてよかった」といったり、理髪師さんが参加していて、教会の前で3人のご婦人にヘアーカットしてあげたりで、なかなか多彩な旅でもありました。注:漠河生まれの女性作家、遅子建に「北極村童話」(処女作)、「親親土豆」などのいい作品があるらしい。(2005.05.07.)

「最近の中国」:中国でのご奉仕を終えて帰った友人へ

以下は中国江西省南昌市の大学へ、日本キリスト教協議会・中国愛徳基金会を通して派遣され、日本語教師として5年間ご奉仕してから帰国された堀江咲夫さん(日本聖公会八王子教会信徒)の後援会ニュースレターへ送った言葉です。
2005年8月8日
(中国・大連)横浜山手聖公会信徒 三上吉彦

皆さん、暑中お見舞い申し上げます。日本キリスト教協議会(NCC)から中国江西省南昌へ日本語教師として派遣されていた堀江咲夫さんが、5年の滞在を終えて日本へ帰られたことをお聞きしました。おそらく、いろいろな経験を経て、また様々な影響を回りの方々にも与えて、すばらしいご奉仕を終えてお帰りになったと思います。

 私が定年退職した4年前はNCCの日本語教師の募集はなくて、私は友人の紹介でここ中国遼寧省大連へ日本語教師として来て、一年間、大学で教え、その後、三年間大連ソフトウェアパーク鰍ニいう中国の会社で外国企業、特に日本のソフトウェア会社の誘致をしてきました。こうした中で最近の中国での大事件はやはり、今年4月の反日デモでした。

 大連市は1980年代の改革解放の時代以来、日本の製造業がたくさん進出してきて、日本人も3、000人常駐しており、日本と経済的なつながりが多い場所で、今日まで、反日デモは一切ありませんでした。また、私自身ここで危険だと思ったこともありませんでした。4月の北京・上海などでのデモが暴走して、北京の日本大使館前での暴行映像が世界中のTVで放送されて、一番困ったのは中国政府であったと思います。この影響で日本の企業が中国投資意欲を大幅に減らし、中国一国への依存を少なくし、東南アジア各国等への投資を検討し始めました。

 中国政府の最大課題は、国民の経済力を上げることで、それには外国資本の投資を最大に利用することです。そのため、五月の連休以来、五四運動記念日にも、一切の反日デモは許可になりませんでしたし、今後もないと思います。

 私も四年前に中国へ来てから、いろいろな見方が変わりました。現在はキリスト教の精神を持って様々な方々と接すると同時に、日中の経済的な結びつきを強固にしていくことも、大切なのだな、ということを実感してきました。

 堀江さんも五年間の中国生活を経ての帰国ということで、今年は、多少の休養も必要なのではないかと想像します。どうぞお元気で、また中国での経験を日本の多くの方々へ伝えて行かれますように、心からお祈りします。 以上 (2005.08.08.)

クリスマスパーティー2005

今年は9月11日に日本語集会の三宅俊康さんが開発区で洗礼を受けるなど多彩な1年でしたが、大連へ来て5年目のクリスマスについて書きます。まず、12月6日の日本語聖書を読む会で、クリスマスツリーを男女5人で我が家に建てました。(中国の風習で、クリスマスの飾り付けは1/2月の旧正月が終るまで取り外しません。)24日AMは玉光街礼拝堂のクリスマス表演(いろいろなグループが歌、踊り、劇などを披露する)へ行こうと思っていて、ついつい旅順の老鉄山温泉へいってしまい、それをミスして、夕方はラマダ・インのディナーへいって、25日は午前中スイスホテルでDICF(外国人用)の礼拝に出て、午後はそこでみんなで歌を歌うクリスマスパーティーに出て、大外の日本人留学生などと一緒に日本の歌(きよしこの夜・たき火・お正月)を壇上で歌って披露して、夕方は北京街礼拝堂での聖劇(旧約聖書師士記の7章ギデオンに題材を取る、去年のルツ記に題材を取る聖劇についで、いい劇でした)を外人用の前の席でみたりして、かなり忙しく過ごしました。(2005.12.25.)

イースター、聖書を読む会、クリスマス2006、大連キリスト教事情2006/2007

2006年のはイースターコーヒーショップ開業準備で忙しくて、朝に英語教会(D.I.C.F.)へいった以外は、恒例の我が家のパーティーは取りやめました。毎週火曜日夕方の日本語聖書を読む会は6月から、黒石礁のコーヒーショップでやり、一応中国の方に幹事をやってもらっていて、2人の未信者の方々も参加してほぼ5人でやり、9月からルカ伝を読み、12月26日に読み終わりました。今年のクリスマス・イブは日曜日に当たり、朝に英語教会へ行って、午後はそのクリスマス・パーティーはさぼり、1と月前から韓国オンヌリ教会が始めた日本語礼拝(@海源電子城6F)に午後2時から出て、夕方はコーヒーショップでクリスマス・イブのパーティー(信者を中心に25人)をやり、電子ピアノを借りてみなさんと歌(Dona nobis pacem、テゼの歌2つ、讃美歌集から4つ、日英中韓語で)を歌ったり食事をしたり街へ繰り出してキャロリングをして過ごし、25日(月)は会社を休み、朝9時から大連カトリック教会のミサへ出て、夕方はクリスマス・パーティー(未信者を中心に15人)をやり、Mixiへ大連のクリスマスの情報を出したり(このリンクはMixi使用者のみ有効)して、神様に感謝して過ごしました。今年秋からD.I.C.F.が大連市宗教局から正式に設立が認められる話があり、また今年は玉光街礼拝堂の近くにキリスト教専門店「箴言書店」(@玉光街)ができて、最近は北京街礼拝堂が承恩教堂ともとの名前に戻り、玉光街礼拝堂で毎週金曜日に英語聖書を読む会に加えて日本語聖書を読む会が始まりなど、大連でのキリスト教礼拝に長足の進歩があった。去年5月に黒竜江へ学生たちと一緒にいったイーノックがスポンサーと多少に意見後違いで音信不通になり、神様のお守りがあるように祈っています。 (2006.12.27.)

メシアを受け入れたユダヤ人:生前のイエスは少数の例外を除いては、ユダヤ人だけに教えていましたが、その人たちはどうなったのでしょうか。2006年夏ごろから、ハワイのコナ(Kona)のキリスト教宣教団(University of the Nations)から3ヶ月おき位に10人ぐらいのグループで大連その他の中国の都市を訪れている中で、マシュウ(Matthew)というメシアニック・ラバイ(Messianic Rabbi、つまりイエスをメシアとして受け入れたユダヤ人たちMessianic Jewsの牧師さん)にお会いしました。父方も母方も5代前に米国へ来たそうで(スペイン・ポルトガル・地中海のセファルディム系)で、いまは通常英語で生活しているが、ユダヤ人としての祭りをイエスを中心に祝いながら生活している(クリスマスは祝わない)。ご自身はカリフォルニアで育ち、ラバイの神学校はないので、ハンガリーのメシアニック・ラバイに師事したそうです。世界に25万人いるということで、日本にも何人かいて、日本人とも親交を深めていて(日本メシアニック親交会(JMF)などのことだと思う)、日本人とメシアニック・ユダヤ人の考え方は似ているというのが彼らの意見で、世界的には「Messianic Times」を見るといいとうことです。(2007.01.03.)

大連にもキリスト教書店:2年前に上海へいった時にキリスト教書店があるのに気づいたが、最近大連にもキリスト教書店が2軒できた。1つは中山広場近くの箴言書店Proverbs Bookstore(8197-7150、玉光街教堂南行二十米二楼)、もう1つは海事大学近くの愛信望書屋(8466-6959、海事大学近くの欒金東街にある七院のそば)。沢山の聖書、本、用品が置いてある。(2007.03.13.)

2007年後半になって、まわりで4つのことが起こっている:

主に感謝!!!(2007.11.21.)

2008/2009年には、

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A Christian Life in China


With My Bible Study Group Friends
(At the Easter Party, 2004)

Go up to the Japanese part.

If you can stick to the basic three rules of "Foreigners cannot teach religion to the Chinese people," "Religions other than the legally authorized five major religions of Buddhism, Taoism, Islam, Protestantism and Catholicism cannot be brought into China," and "Worship can be done only in public places" (a lot of restrictions!), you as a foreigner can participate in many religious activities in China.

The Foreigners' Christian Fellowship, the Chinese Church, Baptism and Marriage

The Mimosa Trees Along Beijing St.

Dan Brown's "The Da Vinci Code," an American Best Selling Book 2004-05

The Japanese Bible Study Group and the Christmas Party 2004

My Mother Church Burned Down

Ash Wednesday in China and the Origin of Lent

Rick Warren, "The Purpose-Driven Life (Zondervan Press, 2002)

Lee Strobel, "The Case for Christ" (Zondervan Press, 1998)

Baptism on the Amur River, in Mohe, Heilongjiang Province, China's Northernmost Village

Right After Baptism on the Amur River
During the May 1st vacation in my fourth year in Dalian (2005), I had a chance to visit Mohe, Heilongjiang Province, China's Northernmost Village, on a week's trip. I accompanied 16 members of the Christian students' group that Enoch (aka Immanuel), my friend from his college days, four years ago, and Laura, his wife, take care of. Our seven-day trip went like this:
  1. Had a 10:00 Sunday worship at the hotel in Dalian. Boarded the 13:34 train for Jagdachi (Jiagedaqi in Chinese). The students sat on the "hard seats," while I used the "hard sleeper" (199 yuan).
  2. Woke up on the train and soon saw the sunrise at 4:34. The train made a stop at Chichihal (Qiqihaer in Chinese) at 5:55, and arrived at Jagdachi, Inner Mongolia, at 13:05, 20 minutes later than the scheduled time. (People there all told us that Jagdachi belongs to Heilongjiang Province, because (I suspected) the majority of the residents are of the Han nationality and do not like the idea of living in a Mongolian region, which automatically reminds them of "backwardness.") Rested at a hotel near the station (Xinyu Lueshe). After dinner, boarded a 12:41 train for Mohe/Gulian (29 yuan for hard seat). (The construction of this single-track railroad was begun in 1964 and completed in 1973, in the midst of the Great Cultural Revolution.) At midnight, the students gave me a mattress to let me lie down on the floor and sleep, my first such experience!
  3. Woke up at 4:30 to find our train running in the snow of the northern tip of the Greater Xinganling Mountains, arriving at Mohe Town, Heilongjiang Province, at 8:10. (From Dalian to Mohe, the train covered a total of 1,627 km, equivalent to the distance from the northern island of Hokkaido to the southern island of Kyushu in Japan.) Brother S., who manages a coal mine, welcomed us at the station, and thereafter took care of us. Went to the hotel (Manfu Lou) on the other side of the river. After lunch, went to West Mountain Park (Xishan) and viewed the town below and the clear "Mongolian" skies. After dinner, had a worship meeting with the local brothers' and sisters' participation. Sister H. told us the local Christian situation: how the Chritian mission reached Mohe during the re-construction after the great fire of the Greater Xinganling Mountain (the fire started on May 7, destroying 1/8 of the Great Xinganling forest), and how the childrens' worship was one day raided by the police, causing difficulties to the mission to the young.
  4. At 8:50 started an 88-km bus ride for Mohe, viewing young white birch trees on the way, and arrived at Mohe Village at 9:45 (53 degrees in the northern lattitude, and 122 degrees in the eastern longitude, equivalent to the lattitude of Oha on Sakhalin Island, Calgary in Canada, and London in Europe). Immediately went to Qixing (Seven Star) Square where a stele declaring "China's Northernmost Corner" stands, watching the ice blocks continuously float down the mighty Amur River (Heilongjiang), a phenomenon that can be seen in May only. Lunch at the house where Xincun (New Village) Christian Church is. In the afternoon, moved downstream to the riverside where a Russian village can be seen on the other side of the river, and had baptism of four students (see the photo above right). I made a blessing speech. Had dinner at the local hotel (Mingzhu Hotel), and participated in the Wednesday evening service at Xincun Church, Enoch making a sermon about the idols and prayer. The night sky that we saw on our way back to the hotel was exquisite, as there was no electricity --- we could see both the Big Dipper and Cassiopeia at the same time! (In our lower lattitudes in Dalian and in Japan, while we see the Big Dipper, we cannot see Cassiopeia.) I heard that they come there for sightseeing at summer solstice (June 20 or 21) to enjoy the "white nights" and northern lights (aurora), but please be aware, because I don't think you can really see the northern lights during such short nights!
  5. Left Mohe Village at 9:00, arriving back at Mohe Town at 10:30. After lunch and some rest, went to Mohe Town Christian Evangelical Church near the huge lumbermill. There we made Chinese dumplings by ourselves, and had dinner. Evening worship. Boarded the 17:58 train for Jagdachi (29 yuan for hard seat and 78 yuan for hard sleeper).
  6. Arrived in Jagdachi at 6:17 and had breakfast at the restaurant near the station. A cloudy day with strong cold window blowing hard. Went to Century Shopping Center, and bought for souvenir the mushrooms, flower teas, etc., of the Greater Xinganling Mountains. Boarded the 11:20 train for Dalian (199 yuan for hard sleeper). Very cold inside the train since heating is stopped as of May 1.
  7. Arrived in Dalian at 11:46, Saturday. Had a prayer at the station exhit. Dismissed.
This was my first "economy trip" in China, as we took train, not airplane, on such a long distance trip, and brought our own food and drinks to the train ride. I also learned a lot, about praise to God, prayer, and mission --- on the train the students constantly spread Good News to the train passengers. As one student who majors in Japanese said, "There are no Christians among the Japanese teachers and students, so I'm really glad to see a Japanese Christian," or there was among us a hair dresser who was kind to cut hair of the Christian ladies in front of the church in Mohe Village, etc., it was a trip full of excitement! Note: Later I found in the Internet that Chi Zijian, a female writer, born of Mohe, has written several books of her experiences in Mohe. (2005.05.07.)

To My Japanese Christian Friend Who Has Taught Japanese for Five Years and Returned to Japan

Christmas 2005 in Dalian, China

Easter, Bible Studies, Christmas 2006, and the Christian Information 2006/2007

Lushun & Jinzhou Churches in 2008/2009

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Prepared by Yoshi MIKAMI on January 15, 2005. Last update: Dec. 12, 2008.