ブラームス&ドヴォルザーク

ピアノ五重奏曲 op.34ヘ短調 & ピアノ五重奏曲 op.81イ長調





ブラームス/ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲
ブラームス:
ドヴォルザーク:
op.34 ヘ短調
op.81 イ長調
ヴィルトゥオージ・ディ・プラハ

西 中  由香里(ピアノ◆ブラームス)
高 田  佐智子(ピアノ◆ドヴォルザーク)



ブラームス:ピアノ五重奏曲 op.34 ヘ短調

1) T. Allegro non troppo 14:26
2) U. Andante,un poco adagio 7:32
3) V. Scherzo.Allegro 7:10
4) W. Finale.Poco sostenuto.Allegro non tropo 10:34


ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 op.81 イ長調
5) T. Allegro,ma non tanto 10:20
6) U. Dumka.Andante con moto 13:17
7) V. Scherzo(Furiant).Molto vivace 4:11
8) W. Finale.Allegro 7:30

Total Time 75:36



ヴィルトゥオージ・ディ・プラハ

Oldrich
VLCEK

第1ヴァイオリン
Lenka
ZELBOVA

第2ヴァイオリン
Miroslav
KOSINA

ビオラ
Stepanka
KUTMANOVA

チェロ


 コンサートマスターであるオールドリッヒ・フルッチェク 0ldrich VLCEK によって1976年に設立された。1980年にチェコ初の私立アンサンブルになり、自由な演奏活動を開始する。弦楽王国チェコの伝統を継承し、メンバー全員が若手実力派で、これまでの18年間でヨーロッパのアンサンブルの頂点を極めている。演奏のジャンルは、弦楽曲から交響曲と幅広く、国際的レパートリーは勿論のこと、チェコの18世紀古典曲を多く演奏して、国民性を出している。ソリストとして、プラシド・ドミンゴ、ヴァイオリンでは、ヴァーツラフ・フデチェック、ヨゼフ・スク、ピアノではディミトリス・スグロス、ゾルタン・コジチ、ユストゥス・フランツ、フルートでは、ペーター・ルーカス・グラーフ、ゴールウェイらの世界のトップアーティストたちと共演している。ドイツ、スイス、イタリア、オーストリア、フランス、スペイン、ギリシャ、トルコ等の様々な音楽祭に招待されて好評を博している。CDも多数発売しており、とりわけビバルディ《四季》(パベル・コーガン指揮、ヴァーツラフ・フデチェック ヴァイオリン)を録音したものは、チェコのベストセラーとなっている。
 ヴィルトゥオージ・カルテットはこのヴィルトゥオージ・ディ・プラハのトップメンバーらOldrich VLCEK(第1ヴァイオリン)、Lenka ZELBOVA(第2ヴァイオリン)、Miroslav KOSINA(ビオラ)、Stepanka KUTMANOVA(チェロ)によって形成されている。



西 中  由香里(ピアノ)

 三重県伊勢市に生まれる。梅辻相子氏のもとでピアノ、声楽、ソルフェージュを学び、音楽の勉強を開始。その後、スイスのノイエンキルヒ音楽院長エーファ・タナカ・トーマン氏、京都市立芸術大学教授田隅靖子氏、ピアニストの松島恵子氏に師事。大学在学中より現在に至るまで、リスト協会スイス・日本会長のリヒャルト・フランク氏に師事。1989年同志社女子大学学芸学部音楽学科音楽学専攻卒業。主にブラームスについて研究。重量感があり、構築的な音楽の間を流れる、愛情豊かな、或いは寂りょう感のある旋律に惹かれ、壮大な音楽との対比の素晴らしさに魅了される。卒業論文は「ブラームスの器楽作品におけるKantabilitaetの持つ意味」。卒業後、関西において演奏会に多数出演し、ピアニストとしての活動を開始。ピアノソロのほか、声楽、ヴァイオリン、フルートの伴奏でも活躍。'93年、芦屋山村サロンにてデビューリサイタル開催。'89、'91年にリスト協会スイス・日本主催「リストゆかりの地を訪ねて」に参加し、ヨーロッパ各地の音楽家と交流。'91年レンク夏期国際音楽アカデミー(スイス)を受講。リヒャルト・フランク教授による「フランツ・リスト・ピアノセミナー」、ノーマ・フィッシャー教授によるピアノマスターコースの両方で学び、修了演奏会に出演、好評を博す。第1回リスト協会国際交流コンサートでは、'94年9月にチェコとルーマニアで演奏。アラット・フィルハーモニー・カルテット(ルーマニア)とブラームスピアノ五重奏曲を共演、大好評を博す。同年10月には西宮フレンテホールにおいてヴィルトゥオージ・カルテットとブラームスを共演。第2回リスト協会国際交流コンサートでは、'95年9月にリスト記念館(ハンガリー)において、高田佐智子とリストの連弾曲を初演。
 国内でも、機会のある度に、エディット・ピヒト・アクセンフェルト教授、イョルク・デームス教授、ペーター・シュマールフース教授による公開レッスンを受講し、研鑽を積んでいる。リスト協会スイス・日本会員。



高 田  佐智子(ピアノ)

 兵庫県尼崎市に生まれる。4歳よりヤマハ音楽教室に入り、ソルフェージュ、ピアノ、作曲を学ぶ。阪神ジュニア音楽コンクールにおいて、1978年、'79、'80年に金賞を受賞。'81年、尼崎市教育長賞、'82、'83年、尼崎市長賞、'85年兵庫県知事賞、'86年には特別賞を受賞。同年、兵庫県立西宮高等学校音楽科を経て、'90年、武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ専攻卒業。西宮新人演奏会に出演し、優秀賞を受賞。西宮アミティホールにおいて、第1回アミティ新人演奏会で、松尾昌美指揮、関西フィルハーモニー管弦楽団とシューマンのピアノコンチェルトを共演。同年、1月ヤマハ音楽能力検定試験演奏グレード3級、4月ヤマハ音楽能力検定試験指導グレード3級取得。アルカイックホールにおいて、「若い響きのコンサート」に出演。'93年2月新しい若い響き「FRESH,CONCERT」に出演。同年10月、東京角筈区民ホールにおいて、声楽とピアノのコンサート「Camerata」に出演。同年12月、尼崎オクトホールにおいて、イョルク・デームス教授の公開レッスンを受講。'94年6月、エル・シアターにおいて、2台ピアノによるフランス音楽のタベ「Esprit d’Ensemble」に出演。同年9月、第1回リスト協会国際交流コンサートでは、チェコとルーマニアで演奏。ルーマニアでは、アラット・フィルハーモニー・カルテットと、ドヴォルザークのピアノ五重奏曲を共演し、大好評を博す。同年10月には、西宮フレンテホールにおいて、ヴィルトゥオージ・カルテットとドヴォルザークを共演。'95年9月、ハンガリーのリスト記念館でのマティネコンサートにおいて西中由香里とリストの連弾曲を初演。現在に至るまで、本家恒雄、山口悠子、浅井芳子、富山紀美子、リヒャルト・フランクの各氏に師事。
 現在、ヤマハ特約店新響楽器ピアノ科講師、桐朋学園大学付属「子供の為の音楽教室」大阪分室講師。尼崎ピアノ音楽協会会員。リスト協会スイス・日本会員。





楽曲について


ブラームス:ピアノ五重奏曲 op.34ヘ短調

 ブラームスは、室内楽作曲家と呼ばれてもよいほど、充実した室内楽曲を数多く残しているが、この編成のものは1曲だけである。しかもこれさえもともとピアノ五重奏という形で着想されたわけではなかった。初めは2つのチェロを持つ弦楽五重奏曲として作曲され、後、2台のピアノのソナタの形を経て、1864年10月、現在のピアノ五重奏曲として完成された。その間、クララ・シューマンをはじめ、多くの人の助言を受けた。このような多くの改訂の結果、極めて入念に作曲されており、ブラームスの30歳前後を代表する傑作である。曲は、作品の規模からいって、かなり大きいものである。しかし、構成的には極めて緻密なものであり、各楽器の使用法やバランスにも綿密な注意がはらわれている。ここにはブラームス特有の重量感や諦感、北ドイツ的な渋味があり、また、彼独特のゆったりとした柔和さや落ちついた暖かみに満ちている。
西 中  由香里


ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 op.81イ長調

 この曲は、ドヴォルザークがロンドンにも出かけ、広く名声を確立していた1887年に書き上げられた。ボヘミア的な情感と地方色を豊かにもち、情熱と哀愁を兼ね備えていて、国民主義的な室内楽曲の傑作とされている。その旋律は、いかにもドヴォルザークの豊かな楽想を示すようであり、土臭いが、わかり易く親しみ易い。楽器法の巧みさに円熟した作曲家の長所が発揮され、多様な色彩をだす。構成的にも優れていて、がっちりした充実感を出している。5曲ある五重奏曲の中で、一番よく演奏される名作。第1楽章は、ソナタ形式に従っていて、明るく地方色に富み素朴である。第2楽章は、「ドゥムカ」と題されている。ドゥムカというのは、スラブ民族の哀歌で、多くの場合、悲しげな緩やかな旋律と、急速で情熱的な旋律を対立させている。第3楽章は、「フリアント」というボヘミアの舞曲の名が記されている。激しさと甘さを交互におくが、はやいテンポを主体とする。第4楽章は、ソナタ形式をとる。独特の対比のある短い序奏の後に、フガートで頂点をつくる。
高 田  佐智子





くリスト協会 スイス・日本 会員として〉

 <リスト協会 スイス・日本>は、1987年にスイスと日本で設立された。スイスと日本の両国を活動の場としてリスト作品と人間リストを国際的視野にたって研究し、芸術的な催しを行っている。設立以来、数度にわたり「リストゆかりの地を訪ねて」として、日本の会員がヨーロッパの各地を訪れ、各国のリスト協会や音楽家たちと交流を持っている。'94年、'95年には国際交流コンサートが行われ、特に東欧の音楽家たちとの親交を深めている。私は、'89、'91、'94、'95年にリスト協会主催のヨーロッパ旅行に参加させて頂いた。'89年はリストゆかりの地をたどり、リストの生きた足跡と彼の作品を照らし合わせていくという、歴史的背景を追う旅であった。スイスとスウェーデンを訪れたが、各地でリスト協会は歓迎され、リスト研究に携わる人々と直接話をすることができた。それによって私は、それまで知らなかった欧州の歴史や文化を肌で感じることができた。この旅行で言学の必要性をひしひしと感じ、現在に至るまで途切れ途切れではあるが、ドイツ語の勉強を続けている。'91年の旅行は、リスト作品をピアノで演奏するためのセミナーだった。花と緑にあふれ、澄んだ空気に満ちたスイスのレンクで、夏期国際音楽アカデミーを受講した。そこではさまざまな国から来た音楽家たちとの触れ合いがあり、彼らの演奏や音楽に対する姿勢を見ていると、自分ももっと視野を広く持って貧欲に音楽に取り組んでいかなくてはならないと痛切に感じた。その後イタリアを訪ね、リスト作品にもあるエステ荘の噴水を目の前にしたときには、あの細やかで涼しげな水の生態をそのまま表現しているピアノの音色と、実際に水しぶきを上げている見事な噴水が私の中で一体化し、19世紀から20世紀への時代の流れに深い感慨を覚えた。そして、'94年の国際交流コンサートはリスト作品にとらわれず、「ヨーロッパの音楽院 と呼ばれる音楽家の宝庫、チェコの方々をはじめとする東欧音楽家たちとの生きた音楽交流活動のスター卜だった。ここには、コスモポリタンなリストの音楽家としての幅広い活動が、リスト協会の活動の底流にあると誇りに思っている。つまり、リスト協会はリストの残した作品を作品番号順に会員が演奏会で取り上げたり、それについて研究論文を発表するという決まったスタイルをとるのではなく、リスト精神を理解して幅広い生きた音楽活動を次々と展開しているのである。それぞれが、一つずつ違った特徴を持ち、貴重な経験のできた旅行であったが、特にヴィルトゥオージ・ディ・プラハの方たちと出会えた'94年の旅行の思い出は、今でも鮮明に私の脳裏に焼きついている。この第1回国際交流コンサートは、関西新空港の開港と時を同じくして、'94年9月、日本の7名のピアニストたちがスイス航空第1便に搭乗して始まった。今まで全く足を踏み入れたことのない東欧、その中でも特に美しい街の1つと言われるプラハ...私たちは、不安と共にそれ以上の大きな期待と憧れを胸にプラハの空港に降り立った。そして、そこは期待通りの歴史の重みを感じさせる魅力的な街だった。私たちは毎日地下鉄に乗って音楽学校に行き練習を重ねた。時折、練習に疲れて窓から外を見ると、プラハの駅やオペラ劇場などが目に入り、この街で自分がピアノを弾いていることが不思議に思えたことを覚えている。そして、ヴィルトゥオージ・カルテットと来日公演のための練習。彼らの話す英語やドイツ語を全身で聴き、一生懸命弾く私に彼らはとても温かく、精神的にどれほど助けられたか分からない。練習の様子を毎回録音し、夜には楽譜と鉛筆とメトロノームを持ってウォークマンを聴き、また翌朝には地下鉄に乗って練習に行くという大変な毎日だった。しかし、ヴィルトゥオージの方たちと一緒に演奏し、それを通して多くのことを学び得たことが何よりも嬉しかった。10月にはヴィルトゥオージ・ディ・プラハ・チェンバーオーケストラが初来日し、日本公演が始まった。プラハの空気を持った彼らはステージをプラハの色に染め、聴衆はここが日本であることを忘れてしまうほど弦楽大国チェコの音色に酔いしれた。この公演で彼らと日本の音楽家たちが各地で共演し、チェコと日本の国際交流を探める演奏会として大成功を収めた。あれから1年が経過した現在、再度彼らと共演できる機会を得た。それも、今回は録音としてである。もちろん私にとって第1枚目なのだが、ピアニストとしてかけだしの私が、音楽的に熟練した素晴らしいヴィルトゥオージ・カルテットとCD制作に取りかかることになり大変幸運に思っている。このようなチャンスを与えて下さったフランク先生に心から感謝している。「音楽に国境はない。」...この言葉は私が身を持って感じた素晴らしい事実である。
西 中  由香里