革サドル、その後




以前、愛用の自転車に革製のサドルを取り付けた話を書いた。
そのポイントは、「革は使い込むにつれて馴染んでいく」ということ。

使い始めて一年を過ぎ、この間、我が革サドル君、毎日のようにどっしり重たきヒップにのし掛かられ、押され、擦られ、炎天に晒され、時には雨にもじっとり濡れて、今では風雪に耐えたなんともシブイ風合いをかもし出すようになってきた。

何よりお伝えしたいのは、そのフォルム。
ずっと私しかそこに乗らないわけだから、この一年で私の臀部の形状にもう完全フィット!。おかげで長時間乗っても痛みや違和感が全く無く、私だけの理想サドルへと成長したのである。

この先、もし私が自転車を買い替えたとしても、この革サドルは当然新しい自転車に取り付けられることだろう。

昔、西部のガンマンたちは乗っている馬が死ぬと、愛用の馬具を次の新しい馬に付け替えて使い続けたという。これと全く同じ思想が今、革サドルというパーツに脈々と受け継がれているわけだ。

加えて、サドルの高さやハンドル位置、グリップ等の各種位置設定はもちろん万全だから、乗り込んだとなれば、正にコックピットに収まるパイロットのように、手足胴体すべてがしっくりと理想の位置にピタリと収まる。

そして、これらが相まって快適安全な走行が約束されるのである。

「一生もの」という言葉があるが、革はその代表的な素材である。木という素材もそうした特性を持っていて、私の愛用万年筆とボールペンはイタヤカエデという木の軸製だ。ちなみに、ペンケースや財布は、やっぱり革製だ。

とことん一途に使い込み、我が手の脂を染みこませながら愛着をもってずっと使い続ける・・・こういうことが好きな男は、なんだかとっても世に多いような気がする。



エッセイINDEX
Copyright(C)SunPlus All Rights Reserved. 企画制作・著作/武富純一[メール]