山本枝里子/第二歌集『渦のとびら』
-四国発、葛藤と希望の渦まく日々-

 きららかに春のひかりを照りかへし内部の渦をみせぬ海峡

巻頭歌である。山本は四国に住む。これは鳴門から淡路島へ渡る大鳴門橋の情景だろう。着目は下の句である。海面の「見える」渦ではなく、海面下の「見えない」渦に目が向いている点だ。

渦とはつまり乱れである。それは自然に山本の内部の心の乱れと重なる。さまざまな感情がその内部で、まさに渦巻いてるのだと私は思う。後にぽつぽつと見え隠れする下記のような歌を重ねれば、その「内部の渦」はより確信的なものとなる。

 行きどころほかになければ家に急ぐとらへられたる螢をつれて

 愛でられるための一生を終わりたる植物園の花の散乱

 なにげなき友との会話になんとなく腹立ちやすきをけふは意識す

 抑へがたき不満たまれば土手に来て流れる水のさきを見てゐる

 空気いつぱいはらみて天井に触れてゐる風船すでに衰へのみゆ

 どの渦がわたしの進むべき道か観潮船にふらふら揺れて

 悔しさが胃に重き昼 窓からは他人の家の裏ばかり見ゆ

情感豊かな人である。心荒れる日、心折れる日…流れる日々のなかで、花、友、風船等、目に入るものにそんな思いをストレートに託してゆく。きっといつも明るく元気に見える人なのであろう。だがそれは外観のことで、その内部は常に何らかの感情の起伏にいつも耐えているのではないか。

しかし、ただ悲観に暮れているわけではない。常に光や希望を見いだしては明日への活路にしてゆく力強き面をも併せ持つ人でもある。

 ひとたびは地に落ちてゐしはなびらが風におされて舞ひのぼりゆく

 ゆく道の半分みえぬ角度まで日傘傾げてあゆむたのしさ

 ながいながい闇を通りて来しからに未知のひかりへ勢ふ噴水

 桜桃の花芽ぷりりとまるくなりもうすぐ咲いてみせるわといふ

 人憎むちからも三日過ぎたれば虫のごとくに体を離る

 文旦の大き一つを食べをへてかなしみ一つどこかへ飛んだ

一度地に落ちて再び舞い上がる花びら、わざわざ前が見えないようにして楽しむ歩み、闇を抜けて光のなかに飛び出した噴水、桜桃の芽、三日かけ、文旦をたべて憎しみも悲しみも遠くへうちやってしまう…事物にまとわせた健全で前向きな歌たちが読む者を踊らせる。
そして、そうした姿勢はまた職場でも発揮される。推測するにどうやら物品の接客販売の仕事をしているようだ。

 組織よりこぼれるわけにゆかぬなり家のローンがあと十二年

 推測が推測を呼びほんたうのことがみえない人事そのほか

 底のないコップに水を注ぐやうにいちにちが過ぎ制服を脱ぐ

 デキる上司の指示を先読みすることが悦びとなりくたくたの日日

 一カ月かけてつぎつぎ出る辞令 歓迎・送別会ばかりある

 ストレートにものいふわれが好きといふ同僚にして接客嫌ひ

 コンコース添ひに商品移動して「わたしの売り場」作りはじめつ

 うやむやとならば本部へ直訴する心づもりに雨降りしきる

なんだかかなりしんどそうな仕事の様子ではあるが、芯はどこまでも折れてはいない。それどころか職場の問題を本部へ直訴して勝負するくらいの度量を備えている。

 五十歳すぎれば何でもありといふ友と見上ぐるひかる大空

 こぼれ落ちし雫が雨と気づくまで空の青さを信じてゐたり

 あなたなら出来るはずだと友に言ひ戻りきたりてみづからに言ふ

 散る花を盛りと言ひて中年のひとみに桜ともして帰る

 落ち込みのはげしいわたし立ち直りのはやいわたくし 二階へ上がる

 もう耐へるだけの女じゃないことを知つてほしいよ俄雨ふる

こうした歌にも「希望」が見え隠れする。「この先、私はどこまでかんばれるのか…」、そんな不安を常に引きづりつつ、ある部分ではもう完全に開き直った強さを感じる。

最後に四国をうたったものをまとめてみた。

 四国とは詩国すなはち志国なり誰もだれも死国といふな

 ふみ子も詠みし美しき島四国なりわれは死ぬまでここに住むなり

 山脈のむかうに山のつらなれるここ四国とは山深き島

 一メートル以上の落差眼前のがつぷり四つの波の渦巻

 海と押し合ふ水の流れの妥協点みえるはずない四国三郎

「詩国」「志国」、ひと目で気に入ってしまった字面である。「死国」は私は初めて聞いたが、調べてみるとこういうタイトルの小説があるようだ。

二首目は中城ふみ子の「出奔せし夫が住むといふ四国目とずれば不思議に美しき島よ」をふまえている。対して山本は四国を愛し、四国のなかで一生を終えたいと願う。

五首目、四国三郎とは吉野川の別称。高低差があまりない地域を流れる緩やかな大河であるから、海へ流れ出た水は境目などどこにもなく、まさにこんな感じなのだろう。

山本とは今年、神戸で開催された「心の花」の全国大会で知り合った。私はこの大会の運営側メンバーのひとりだったので、最後までバタバタでほんの少しの会話しかできなかった。この11月に開催される本歌集の出版記念パーティに呼んでいただいたので、どんな方なのだろうと今から楽しみにしている。


『渦のとびら』
2013年7月3日発行
ながらみ書房
2500円(税別)
2013-10-02

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