晋樹隆彦『浸蝕』
― 心やさしき無頼派の酒と煙草と嘆きと挽歌 ―

晋樹隆彦の第四歌集である。晋樹の職業は編集者であり、月刊誌「短歌往来」や多くの歌集を発刊している「ながらみ書房」の社長でもある。

さて、短歌をやる人ならすんなりと理解できると思うが「ナース」と「看護師」は違う。「ケータイ」と「携帯」も、違う。もちろん字義的には同じであるが、歌人はこれらをしっかり分けて使う。その意味で「編集者」と「エディター」も決して同じではない。

「エディター」といえば、明るく小ぎれいな部屋でパソコンを前に編集ソフトで割り付け編集をスマートにこなしているイメージがある。

対して「編集者」は、本と紙に埋もれた西日の射す部屋で、タバコくわえて原稿用紙を前に赤鉛筆でもって「トルツメ」やら「13Q1行19字」「平1ツメウチ」やら「イキ」やら書き込みつつ、いつもしんどそうな顔して、何やらうなったりブツブツ呟いたり、「あ、オレ昼飯まだ食ってねぇよ!」とか突然に気がついて叫んだりしている感じがする。
この意味で、晋樹はどこまでも「編集者」なのだと思う。そんな歌から見てみよう。

 滋味うすき歌稿いちまい受け取りぬ編集者われのなにかな悲し

 冷静になれよと目覚む印刷所の社長を殺めし悪しき夢見て

 肩をまるめ編集に賭けて半世紀 首筋の凝りも小さき勲章

 四十年かかわりてこし編集に如何(どう)ともしがたき視力の衰え

 遊びにん然れども仕事にんげんのわれを立たしめよ編集の神

 突き合わせのみに事足りぬ原則を幾そたび省き冒しきぬミス

一首目。「短歌往来」の原稿だろうか。たとえいまいちな歌であっても商売だから白紙の頁を出すわけにはいかない。二首目、スケジュールの遅れは最終工程である印刷にしわ寄せがいく。だいたい予定というのはズレるようにできているから、そんな慢性的な苛立ちがこんな恐ろしい夢を見させるのだろう。

三、四首目は職業病への誇りと嘆きだ。五首目にも、なかなかはかどらない予定や企画案が浮かばない苦悩などの思いがありありと出ている。
六首目、校正ミスは印刷後に発覚するというのがこの世界の皮肉な法則である。そのショックと落胆、そして悔いは幾度体験しても耐性は付かない。

知る人には蛇足だろうが、知らない人に編集者の仕事を軽く解説すれば(私も昔、この世界の片隅にいた)、つまり原稿を整理して本にする仕事である。
原稿を校正し、字体を選び、章立てやタイトル、小見出し等を考えるのも普通、編集者の仕事だ。例えばページの行頭に「…なのである。」と一行だけあって後は白紙という本が皆無なのは編集者のおかげだ。編集者はこういう不細工なことにならぬよう、文字数を計算し、原稿をきちんと割り付けしデザインする。著者はただ「書く」だけでこんな想定などしない。

私たちがいつも本を快適に読めるのは編集者が裏でいい仕事をしているからである。しかしそれなのに、苦労して本を作り上げても日が当たるのは著者であり、編集者の名はあとがきに謝辞としてポツンと出てくるほどのことで、どこまでも縁の下の力持ち的な地味な仕事なのである。

ふるさと「九十九里浜」荒廃への嘆き

さて、そんな晋樹が強く伝えたかったことのひとつは、故郷である「九十九里浜」の自然の変容だ。

 むかし砂山なりしところまで牙をむく浸蝕にたじろぐ旅びと五人

   浸蝕はいつの頃よりか
 かつてわが浜に寝ころびいしところ無情の波の押し寄せきたり

 地球的規模の気候の変にやあらむ人為的ならむや 海は応えず

 六十数キロの長浜をおもい浸蝕をおもい蓮沼(はすぬま)を過ぎ茫茫たりし

   いつたい、県や行政は何を考えてきたのか
 防波堤造成工事のずさんなる行政に声荒げつつ怒るカメラマン

 九十九里の素朴を破壊せし者ら酒呑めばなお怒りはつのる

小題は「九十九里の浸蝕」。「民俗学者谷川健一氏やカメラマン、女性編集者とともに九十九里浜へ向かう」という詞書で一連の歌が始まる。

一行がそこで見たものは、長年の浸蝕により容赦なく無惨に削られ、ヘッドランドやテトラポッドの人工物を組み込まれた荒涼たる瀕死の浜であった。

かつて広がりし浜を思い、何が浜をこうさせたかを考え、怒りは行政に向き、呑むほどにまたそれは増長する。先の大震災で「短歌の持つ記録的側面」が多く言われたが、これは破壊された自然の現状告発のルポタージュともとれる連作である。晋樹の怒りと嘆き、哀しみはときに諦め感をも伴いつつ、その茫茫たる心の状態は並大抵ではない。

 浸蝕のただならぬこの海といえヘッドランドはおばけのようだ

 波濤ふせぐためといえども四つ足の死骸のごときテトラポッドは

 朝を夜をまことひたひた迫りくる君たち浸蝕を見たことあるか

 脚で捕るハマグリ鍬で掘る蟹も消えて半世紀 浜ぼうふうも見ず

 人類は地球の癌とおもえかしエコをしきりに叫ぶ時代に

後半にもこうした一連の歌が出てくる。
ちなみに社名「ながらみ書房」の「ながらみ」は古里の九十九里浜でかつてたくさん捕れた巻き貝のことだ。

 年齢(とし)を忘れ食らいつきたるながらみを浜の小店に十五つぶほど

 つぶらなるキサゴ科の貝 社名にもしたる学名はダンペイキサゴ

 荒れ果てし望郷の海 ながらみも浜防風も獲りつくされて

そして、晋樹のこうした「浸蝕」は、浜のみならず、活版印刷や口語短歌へと広がってゆく。

 ふるさとの砂丘が今や浸蝕に消えゆくころぞ活版活字も

 活版に親しみ慣れて四十余年 この号をもて終焉になりぬ

 活版こそ文化のパイロットと教えられ固く信じて来し今日までを

 どの誌面も口語のうたのはびこりぬこれも浸蝕のことばの時代

 塚本邦雄存命ならば何と言わむ口語・パソコン・メール短歌を

いまや印刷の主流はオフセットである。そして現代は印刷を飛び越えてインターネットや紙とインキ不要の電子書籍が出版界を席巻している。古くなり消えゆくものへの哀惜、新しい時代へついて行かない意地とその反面の焦り、そしてそれらを含めた晋樹の「嘆き節」は同世代の人たちの本音を強く代弁しているのだろう。

多くの挽歌に思うこと

本書には亡き人への挽歌が数多く収められている。

 春日井健、山本友一 天才と古武士の逝きし夏の雨の日

 もういちど呑んで夜明かししたき友 年々に逝きまた一人逝く

 高橋くん小笠原くん小林くん わが朋友は先に逝きたり

 菱川善夫存命ならば断をくだす論の向こうの徳利ゆれて

 塚本邦雄、菱川善夫も今は亡く美を求むるうたびとと批評家少な

 小野茂樹さんの倍も生きちゃってなんとせむ川はとうとうとながれやまずも

この他、登場する人物を挙げてみよう。
島田修二、藤田世津子、冨士田元彦、中井英夫、小田切先生、山口瞳、竹山広、吉本憲三 石黒清介、若松孝二、芥正彦…。

仕事柄、歌人や作家、学者等、多くの文化人と長きにわたる交流が培われてきたのは容易に想像がつく。人は長生きするほどに、より多く人の死に出会うことになる。そして生きるほどに死者たちとの時間的な距離も日々遠のいてゆく。

亡くなった人が増えれば自然、その回想も増える道理であろう。晋樹の頭の中にはきっとたくさんの故人の記憶が詰まっていて、彼らがまるで生きているように折に触れ回想され続けているのだろう。
「小野茂樹がいま生きていてくれたらなぁ」とは、歌人たちの間で時折出てくる話題なのだと何かの本で読んだことを思い出した。

酒、煙草の歌

酒の歌が多いのも目をひいた。歌に「飲む」ではなく「呑む」を使う歌人は要注意である。「酌む」とか使う人はさらにアブナイ。

 底無しの沼のかたえにひと夜得て底無し同士酌みかわしたり

 歩行不能の刑に伏ししが届きたる「百年の孤独」の味にも伏しぬ

 「飲みながら癒していきましょう」医師のことば天の韻きのごとく聞ゆる

 度を超えし深酒ののち秋和ビル駐車場に朝を晋樹隆彦

 昼酒のつづきに晩酌をはじめたりシャコバサボテン一夜をあかず

 呑み過ぎを悔み年ねん編集に倦みて四十年 ままよあれかし

 酒の旨き生の苦きを知るほどに解明できぬわれならなくに

 咽喉の飢え耐えがたくなり入りし店ビールの喇叭飲みは三十年ぶり

 焼酎を三杯にウーロン杯を追加せし自家製塩辛のトロの味する

 焼酎に煮込みとおでん 定番なれど屋台の味はしみじみ旨し

 休日はあさより酒を呑む慣習(ならい) 咎むるもののなく来しかたを

 散歩後は況してさわやか昼の酒ストップできぬわが癖あわれ

 昼酒をたしなむ人は短命と吉村昭の随筆に知る

もういいだろう…。そしていちいちの説明は無用だろう。これぐらい挙げれば、この方の酒への情熱(?)はしっかりご理解いただけると思う。ちなみに巻末はこう締めくくられている。

 死を数年早めようとも昼酒の旨さは森林浴に勝るとおもう

やれやれ…。
そう言うしかない。私もお酒大好き人間なので、こうした気持ちは無性によく解るのである。そして更に、タバコへの嗜好も並大抵では無い。

 喫煙を断てば十年延びるとも老いてなにほどの快楽やあらむ

 中ゆびと人差しゆびの黄にそみぬ亡父の晩年ほどではなきが

 排気ガスとたばこのけむり環境に悪しきはいずれか排気ガスだろう

 吸う人と吸わぬ人いる世のならい互いにはかなき一生なるに

禁煙なんて、もうカケラほども思わないのだと想像する。
「こういう人は健康診断だとか、まず受けないだろうなぁ」と思いつつ読んでいたら、やはりそうだった。

 健康診断受けしことなき無鉄砲 おおかた「えっ?」とか「嘘!」とか

 然り然り酒呑みヘビースモーカー老いて摂生に努めんとせず

 おそらくは心筋梗塞に臥すならむおりおり苦しき朝の痛みに

「わかっちゃいるけどやめられない」…昭和歌謡のそんな言葉が浮かぶ。体に良くないことはもちろんしっかり充分に解っておられるのだ。
害だとか、誤っているとか、体に悪いからとか、大人なのだからそんな理屈は、もうあったりまえ!に理解しているのだ。それでもやめない、やめられない…。

「よくないとわかったなら、それは素直に止めなければならないのか?」。
私自身、最近になってようやくこうした思考の深さに気づいた。この心理は子供や若者には絶対に理解できないと思う。
この「大人の美学」を理解できるまでには、人生かなり時間を要するのである。

だから、この先もし仮にお酒に同席する機会をいただいても、私は「先生、がんがん呑みましょう!」なんてことはもちろん言わないけれども、でも「先生、ほどほどに」なんて小生意気なことは、口が裂けても絶対に言わないと思う。

最後に、奥さまをうたったものを紹介しておきたい。

 還暦にしてはみじかきスカートの妻にひとこと 外出するな

 銭湯にて倒れしその後パチンコし呑屋にゆきて帰りしとう妻

 鬱を病む妻も大酒呑みなれば昼さがりコックリコックリつきあう

 躁ののちながあく鬱病やむひとなりし噴火の起きぬ日々これふしぎ

 早朝より呑みては眠る伴侶なり睡眠薬も長く使わず

 隣室の鼾をうけてわが輩もおおかた夜は眠りにつける

どうやら奥さまも、旦那さまに負けず劣らずの強者らしい。伴侶という感覚ではなく、どこまでも、共に生きる仲間、同士という感覚の見つめ方が伝わってくる。いつもぶっきらぼうな物言いをしているのが想像されるけれども、本当は奥さまにとても優しい人だと思う。

 若き日にこころやさしき無頼派と呼ばれしことも昨日のごとし

長年の編集仕事に疲れはて、故郷の浜の荒廃を嘆き、故人を回想し、大いに呑み、妻を愛する「こころやさしき無頼派」…それが晋樹隆彦である。

そして、実は私の所属する「心の花」の選者先生でもある。気のせいか私の出詠歌はとても厳しい選をされていると感じている。晋樹先生の選に当たった号はまとまった数をなかなか載せていただけないような気がしてならない。
…いえ、これは決して不服なぞではなく、厳しく鍛えていただいて心から感謝しているのである。先生、どうぞこのまま、短歌、そして世間に、辛辣な言をずっと吐き続けてくださいと心から思う。

<付記>

この原稿をアップした翌日、氏の関係者から内々に本歌集が「若山牧水賞」を受賞したとの知らせをいただいた。
喜ばしい限りである。


『浸蝕』
2013年8月29日発行
本阿弥書店
2500円(税別)
2013-10-15
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