岡井隆の震災詠に思う

武富純一

4月11日、日本経済新聞の文化欄に歌人、岡井隆が「大震災後に一歌人の思ったこと」として原稿を寄せている。

いうまでもなく岡井は「未来短歌会」の代表で、歌作や評論等で現代短歌界を強く牽引する歌人のひとりだ。

以下、記事を引用させていただきつつ、思った事を述べてみた。

冒頭で岡井は言う。
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 大震災以来、「言葉を失いました」とか(この惨状を前に)「言葉もありません」というのが多くの人の合言葉となった。
 だが、どのような場合にも、言葉をみつけ出してなにかを言うのが、もの書きの因果な宿命なのである。それに「機会詩。オケイジョナル・ポエム」―ゲーテによれば、目の前の現実を誘因とし材料として、つねに小さな題材ばかりを即興的に詩歌にすること―をモットーとして来たわたしは「言葉を失う」のでなくなにか、現実をあらわすのにふさわしい言葉を探して、さまよい歩いた。
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目の前の小さな題材を即興的に歌にするのが岡井のモットーなのだから、物書きの因果な宿命としてこの震災に対峙し、言葉を失うのではなく、言葉を探さねばならないと自らに課したのである。

私も歌を作る者の端くれとして、震災のことで何首か作ってみたが、しかし、どれも即物的で生々しく、とても公にできる歌ではなかった。長崎の原爆の悲惨さを歌って昨年他界した歌人、竹山広は、原爆の歌たちは何十年も過ぎてからやっと歌になったと語っている。直後はとても生々しくてととも歌にできなかったというのだ。

人は昂揚し乱れた精神がある程度まで落ち着くのに、とにかく一定の時間を必要とする。正に「時間が要る」のである。でもしかし、一方で、歌人はこのように目前の事象を歌にせずにおられない生き物なのでもあろう。

岡井は地震当日、帰宅難民になったのだという。JR中野駅近くの中野サンプラザという複合施設を臨時の避難所として一夜を過ごした。

 鮎川信夫賞選考記を書いた朝がふかい疲労の素(もと)なりしかな

これが最初に紹介された震災詠(?)である。突然、降って湧いたような震災の最初の一夜を自宅で無い想定外の場所で過ごした年輩の岡井にとって、これは精神的にも肉体的にもかなりハードだったに違いない。

そして上記の歌を「振り返れば地震後のこの深い疲労の根源は、あの原稿を書いたころに遡るのだ」と歌うのである。

この歌を岡井は「よそごとみたいな歌が残った」と言い訳的に言う。
「それにしても手前勝手な歌だ。機会詩っていったって不出来じゃ駄目だろうがと舌打ちしたくなった」とも書いている。

果たしてそうだろうか?、これは岡井独自の謙虚さであろう。この歌に、私は「この大歌人の意識は、震災を前にしても、その奥の奥にあるものにまず飛んだらしい」としばし腕組みし、「う~ん」とうなりつつ時間を過ごした。

未曾有の震災をいかにも歌人っぽくひねくれて機知に歌うこともなく、また、賢そうに斜めに構えるでもなく、自分なりに正直に突き詰めていったらこういう歌ができたということなのではないのだろうか。

そして、それは極めて素直な作歌感情だろう。 最初の歌がどこまでも即物的にならなかったというのは、なかなかに面白きことではないかと私は思った。大歌人を前に、無責任な立場から好き勝手言わせてもらって恐縮なのだけれど、これは決してかいかぶりなんかではないと思う。

そして岡井は、
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 この四週間、計画停電におびやかされながら、ひたすら本を読み、いつもより早い速度で文を書き続けた。たぶんあれは<仕事への逃避>ってヤツだろう。(略)寝つけず何時間も闇の中でものを考え、浅い眠りのあと早く覚めるという典型的なウツ状態が続いた。東京にいて、テレビ画面で被災地の映像を見つづけるだけで、そうなった。
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と静かに語り、被災について次の三首を挙げる。

 うつむいて部屋へ退いて来ただけだ魚(うを)、漁夫(いさりびと)、波が消えない

 計画停電の来ぬうち書きとめる文字は乱れて行方知れずも

 書いてゐる己を常に意識して、しかも気づかひが常に空しい

逃げても逃げても魚と漁師と津波が頭から離れない。正に「逃避的」感情の歌だ。そして自己に立ちはだかる計画停電という慣れない現実に焦り、書き留めようとした文字は乱れる。

三首目などはもうほぼ鬱状態である。このあたりは常人の普通の思考であるが、やはりこの歌人の心は乱れていないと思う。いや、心は乱れていても歌は乱れていない、というか。

そして岡井は語る。
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 言葉を探して、それを事や物にあてはめてみる。それで説得力はあるのか、疑わしい。同じことを言うのでも民衆をよりよく説得するための技術を、昔からレトリック(修辞) と言って来た。政治家や東京電力や学者たちにレトリックへの感覚が乏しいのはその通りかもしれない。しかし他人(ひと)のことを言う前に自分はどうだと問うてみる。
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かの大歌人にして、なんと柔らかなアイロニー、そして謙虚な言い方であろう。
そして、思索は次の福島第一原発の歌で深化する。

 原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた

 原子核エネルギーへの信頼はいまもゆるがぬされどされども

 原子力は魔女ではないが彼女とは疲れる(運命とたたかふみたいに)

この大惨事を前に短絡的な人は怒るかもしれないけど、実はこのように思っている人も多くいると思う。(もちろん、レベル7と評定された福島原発の責任はどこまでも重いのであるが…)。岡井はそこで「原発はむしろ被害者」と「小さな声」で言うのである。二首目は結句にどうにも割り切れない思いがべったりと残る。

そして、三首目は、岡井のかつての有名な歌

 原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは

を意識、踏襲したに違いない。

この一首に伊藤一彦は「自分を誑(たぶら)かす魔女、その魔女をまた誑かし楽しむ自分。世間者にはどんなにアナーキーに危うく見えようと、この一組の男女は生きいきと自己回復をとげている。<原子炉の火のともしごろを>というアイロニーが見事と思う」と鑑賞している。(『現代の短歌』篠 弘より)

そして、
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 わたしは旧制高校の物理学の講義できいて以来、物理核の構造をさぐりあて、そこから 巨大なエネルギーを開放するための理論と方法をあみ出した人間の英知に無限のあこがれを抱いて来た。
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と、若き日に学んだ原子力への期待と強い憧れを素直に吐露して隠さない。
その上で、

 亡ぶなら核のもとにてわれ死なむ人智はそこに暗くこごれば  (一九八三年)

という歌を出し、
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 わたしたちは原子核エネルギーを受け入れそれとうまくつき合っていく外ない道を、すでに選んでしまっている。原発は、人為的な事故をおこしたわけではなく、天災によって破壊されのたうちまわっているのである。原発事故などといって、まるで誰かの故みたいに魔女扱いするのは止めるべきではないか。これは、あくまで少数意見であろうから「小声」でいうのである。原子核エネルギーとのつき合いは、たしかに疲れる。しかしそれは人類の「運命」であり、それに耐えれば、この先に明るい光も生まれると信じたいのだ。
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と明確に言い切る。

いま(注:震災から一ヶ月後)の「反原発」世論の嵐の中で、「小声」でも、敢えてここまで言えるのは歌人しかいない・・・というより岡井隆という歌人しかいないのではないだろうか。世の中には歌人が文化欄でしか言えない大事な事というのは確かに存在するのだ。 そして、震災の前に作ったという歌を出し、
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 みぞれ混じり、悪路(あくろ)。いやいや、男から見ればさうだが女は違ふ

この「女」はひよっとすると「原子核エネルギー」の暗喩だったのかも、と思えてきた。作った歌の意味が、作ってからずっと後に作者にわかってくるということもよくあるのだ。
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と書く。

なるほど、震災とは無関係な自分の歌にもこう思ってみても別に構わないのかと、単純な私は始め、思ってしまった。興味深い自己歌への姿勢である。

最後に
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 因みにわたしは昔読んだ『プルトニュウムの恐怖』(高木仁三郎)、『放射線と人間』(館野之男)『プルトニュウム』(友清裕昭)などの啓蒙書を読み返してからこの一文を書いた。
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と結んでいる。

この間、岡井はこれらの専門書を読み返し、頭を整理し、感情を抑えたうえで思うままにこの草稿を書いたのだ。この姿勢は物理学を知り、医者であり、そして歌人である岡井の面目躍如ではあるまいか。

あまりにも被害が甚大な故に、あらゆる側面からの震災詠がこれから無数に出てくるのであろう。機会詠を作る示唆として、岡井の思いから響いてくるものがあったので、風邪をひいて熱ある頭のままに急いでまとめてみた。

2011-04-13


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