「僕たち」のなかの「わたくし」

武富純一

歌のなかに作中主体が表記される場合、最も一般的なのは「我(われ)」だ。
それが「私」「僕」「吾」となっても基本的には一人称単数形、つまり英語の「I」であることに変わりはない。

だがここに私が気になる人称がある。それは「僕たち」だ。

短歌は基本「われ」の文芸とされているが、「我」という一人称の複数形「僕たち」というのは、考えてみればどこか不思議な人称である。私性の視点から、この「僕たち」がどのような働きをもつか、そしてそこにある「わたくし」の在り様を考察してみたい。

まず、一人称としての「僕」を見てみよう。「僕」は明治以降に登場した男性の自称代名詞である。「我」「私」等と比べると軽快で柔らかく、どこかしゃれたモダンな感じがする。短歌に登場するのは戦後になってからだ。

 するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら
村木道彦『天唇』

 きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
                        永田和宏『メビウスの地平』

村木は六十年代、永田は七〇年代、ともに二十代の頃の歌だ。ひらがなの「ぼく」はこのあたりが発祥だろう。六〇年代、政治的な時代に抗うように登場した「ぼく」のやわらかな感性は、やがて一九九〇年代のライトバースの系譜へと繋がってゆく。「僕たち」が多く登場し始めるのはその九〇年代前後からである。

「僕たち」のさまざまな意味

「僕」が「僕たち」となるとき、歌はどう変容するだろう。ひとくちに「僕たち」といってもその意味するものや機能、色合いは様々だ。「僕たち」の歌をあげつつ、まずは歌意を分類してみよう。一番分かりやすいのは相聞である。

 ひとしきりノルゥェーの樹の香りあれべッドに足を垂れて ぼくたち
                     加藤治郎『サニー・サイド・アップ』

 腕組みをして僕たちは見守った暴れまわる朝の脱水機を
     穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

 僕らお互い孤独を愛しあふれ出る喉のひかりは手で隠し合う
                 堂園昌彦『やがて秋茄子へと至る』

一番多用されている「僕たち」は相聞である。恋人であれ夫婦であれ、この「僕たち」はともかく男女のペアである。「僕」の複数形とはいえ、この場での「僕たち」はその最低限の単位としてのワンセットだから、「我」に極めて近い「僕たち」と言える。 

次に「世代」を示す「僕たち」だ。同年代の同じ嗜好を持つ特定の仲間集団としての「僕たち」である。

 ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら
                   加藤治郎『サニー・サイド・アップ』

「ぼくたち」は柔らかな同世代感覚を含んでいる。「制服にセメントの粉すりつけながら」という、なんでもないような共通の世代体験を感覚的に軽やかにうたい、都会に住む十代の有りようをうまくすくい取っている。ささやかな思いを、気負わず、まるで口から自然に漏れ出たように紡がれた言葉たちの響きが心地よい。

 休憩用ホテルはつぶれ僕たちの基地もヒーローたちも消された
                千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』

 僕たちは生きる、わらう、たべる、ねむる、へんにあかるい共同墓地で
                     岸原さや『声、あるいは音のような』

 あたしたち何にもできないだからこそ何でもできるそんな気がする
                   加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』

 手を出せば水の出てくる水道に僕らは何を失うだろう
                       松村正直『駅へ』

その「仲間感覚」は一首目のような幼い時代の遊び仲間だったり、二首めのような二十代をイメージさせる若者の世代感覚のにおいだったりする。三首目もそれに近い感覚だ。同族・同世代の仲間意識としての「僕ら」がそこにある。

四首目は括りがずっと広い。この歌ができた平成元年前後はまだ珍しかったが今では広く普及した、センサーで水が出るツマミのない蛇口への皮肉と不安感は、仲間というよりも先端テクノロジーに囲まれた現代を生きるすべての日本人を含んだ「僕たち」である。「僕たち」は「その時代と切り結ぶ」という強い力を持っている。

そして、更に大きく広がった世界を見せる「僕たち」がある。人類としての、あるいは生物としての「僕たち」だ。

 星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ
                   杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

 秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
                 堂園昌彦『やがて秋茄子へと至る』

 今朝われら羽を持たざるもののごと清々しただ水溜まりを越ゆ
                          永田 淳『1/125秒』

 われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる
                          水原紫苑 『びあんか』

一首目、美しい星空と生き物としてのぼくたちの命の有限さの悲しみ。二首目、たくさんの秋ナスを得た嬉しさとそれを受容する自分たちの命のはかなさとの極端な対比にはっとさせられる。 

三・四首目は「われら」だが、ここでは「僕たち」と同義としてとらえてみた。三首目は作中主体が人類を代表して水たまりを越えているように思える。四首目も同様にそのスケールが最大級に大きい「僕ら」だ。ヒト、そしてその遠き先祖にまで遡っての広大な「僕ら」。遺伝子レベルで我々の体内に織り込まれた太古の記憶を彷彿とさせる。いずれも、「我」を含めた生き物すべての意味での「僕たち」である。

山田航の「僕たち」

「僕たち」をよく使う歌人を探ってみよう。近年の歌集で「僕たち」が目立つのは山田航だ。山田は一九八三年生まれ。二〇〇九年に角川短歌賞と現代短歌評論賞をダブル受賞して話題となった。その第一歌集『さよなら・バグチルドレン』から引く。

 たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく

短歌誌等にかなり取りあげられた一首だ。先述の「世代」を示す「僕たち」である。八〇年代、バブル経済が崩壊する前のあの華やいだムード(奇しくも先に取り上げた加藤治郎の「僕たち」登場の頃だ。)と比べ、この先もうあのような繁栄は二度とないと思えるほど行き場のない低迷に満ちた今の絶望感が心に響いてくる。これほど今を生きる若い世代の思いを代弁した「僕たち」はないだろう。

これがもし「僕」であってもこの歌は充分に読むことができよう。だが、「僕」に「たち」がついて、「僕を含む数多くの人」という複数になったことで、個人の小さな呟きはより結束されて大きな力となり、社会と切り結び、現代を生きる若者たちを象徴する時代の声となったのだ。

 山田の他の「僕たち」もみてみよう。(明らかな相聞あるいはそのように読める歌は外した)。

 僕らには未だ見えざる五つ目の季節が窓の向こうに揺れる

 鳥なんて何も知らない生き物さゆふぐれだけがぼくらの世界

 僕たちの祖国はいつも塔がある。それは高くて、ときに黒くて

 粉と化す硝子ぼくらを傷つけるものが光を持つといふこと

 世界といふ巨鳥の嘴(はし)を恐れつつぼくらは蜜をすつては笑ふ

 曇天の夕映えが照らす僕たちが暮らしたかつた小さな街を

窓の向こうの五つ目の季節、自分たちに残されたゆうぐれ世界、祖国の塔の高さ、輝くものさえ凶器となる事、蜜という刹那的な甘さへの逃避…。最後の歌はかつての希望が叶わなかった悲しみに満ちている。未完、力不足、あきらめ、届かない、かなわない…どの歌にもそんな感覚が満ち満ちている。「僕たち」の感じる、社会や見えない明日への不安、人とのつながりへの慢性的な渇望感は、同世代の「僕たち」の共通感覚としてそこに示されている。「僕たち」はいわば、「弱き者たち助け合い協同組合」として今を背負う力となったのだ。

水滴が集まって「水」といわれるものになるとき、その一滴の存在は限りなく希釈される。それと同じ事が一般的には「僕」と「僕たち」の間にも言える。「僕たち」のなかの「僕」は限りなく希釈された点にしかすぎないし、「個」としてのか弱さを内包する。しかし、一方でそれは点描画の点の集まりの様にも作用し、社会や時代性と結びつくことで単数の「僕」よりもはるかに広く強力なもの言いが可能となるのだ。

山田消児の「僕たち」

もうひとり、「僕たち」を多く用いる歌人をあげる。
山田消児、一九五九生まれ。先の山田航よりはひと世代上の世代にあたる。一九九九年発刊の第二歌集『アンドロイドK』にある「僕たち」を引く。

 いまはただ見てるだけ 皆と一緒には生きられなかった僕たちだから

 潔い手つきにいつも手を引いて僕たちは誰も裏切らなかった

 信ずれば救わるる神の御言葉を聴くとき僕ら瞼をふさぎ

 身も心も醜き者ら窓に来て僕たちも人間になりたいと言う

 恥ずかしがらず真直ぐに見てやらなくちゃ あんなにも僕らとちがうのだから

先の山田航の「僕たち」と比べ、かなり難解である。「僕たち」とは何者なのか?。タイトルや前後の歌から想像するに、未来世界でのアンドロイド達による戦争世界を描いているようだ。アンドロイドとはつまり人型のロボット。硬質で機械的なロボットではなく人間の姿に近いロボットである。山田の描く世界はそんな彼らに成り代わっての「僕たち」なのだ。

見てるだけの僕たち、潔く手を引く僕たち、神の言葉を聞く僕たち、人間になりたいと言う僕たち、人間への同情を言う僕たち…。いずれも空想世界の完全なるフィクションとしてアンドロイドたちの思考や悩みをうたっている。先述の山田航で挙げた「僕を含む仲間」「世代として、生物としての僕ら」等とは全く異質で、この「僕たち」は「我」を含まないどころか「人間」でも「生き物」でもないのである。ここに「わたくし」は皆無なように見える。「我」から一番遠いところにある、完全なる虚構世界の「機械」の「僕たち」である。

こんな「僕たち」をどのように読み解けばよいのだろう。東郷雄二は自己の短歌評論ウェブで山田消児の「僕たち」を取り上げ、下記のようにいう。

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寺山修司が短歌に大胆に虚構を導入して私性の拡張を図ったとき、リアリズム陣営からは非難の大合唱が起きたが、虚構された〈私〉は現実の寺山の内部にあった欲求や抑圧を投影したものであり、その意味においては寺山の〈ほんとうの私〉と無縁なものではなかったと言える。少なくとも虚構された〈私〉は現実の〈私〉と同位の階層に属している。しかし山田が試みた偽装の「僕たち」は、一首を屹立させる〈私〉の代替物として短歌の核に成りうるものだろうか。仮構された「僕たち」の内面性は〈私〉の切実さとして引き受けられるものだろうか。そこにはどうしても限界があると考えざるをえない。

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東郷の疑問は、「私」とは全く無縁な「僕たち」の持つ力への問いかけである。寺山修司に限らず、かつて前衛といわれた歌人たちも、虚構のわれのなかに自己意識の投影がときに淡くときに強烈に込められていた。そういう意図を込めない「僕たち」(ましてそれは人ではない)を東郷は偽装ではないかと疑い、その力には限界があるのではないかと問う。

もちろん山田はそんな点は承知の上の試みなのは明らかだ。山田には『短歌が人を騙すとき』という評論の著書もあり、その帯には「見てもいない風景、体験してもいない事象を詠む歌…読者をいかに引き寄せ、動揺させ、翻弄するか。そこにこそ短歌創作の基本がある。最後に命を吹き込むのは作者だ!」「単に自分の体験や心情を詠めば、短歌の価値は高まるのか?」とあり、その視点から穂村弘や平井弘等の虚構性を論じている。そんな歌人だからこそ、従来にない「僕たち」を表出させてみようという野心的な姿勢で自らの歌をこのように虚構の最上部に置いてうたうのだろう。東郷は続けてこのように述べ、稿を終えている。

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それはまた読者の立場からするならば、短歌的言語空間に展開された言葉の河を遡り、韻律の波に揺られて喩の橋を渡り、最終的にどのような源に到達したときに、一首の意味の輪が閉じられたと判定するかという受容の問題でもあるのだ。

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いささか回りくどい感があるが、つまりこのあまりにも遠い「わたくし」にどう対峙し受け入れてゆくかということだ。柔軟に解釈すれば山田の「僕たち」には「虚構世界のアンドロイドたちの気持ちを代弁したい」という作者としての「われ」の意志が強く込められているわけで、そこに「わたくし」を見るならば、「非生物」という点以外は現代短歌の「私性」の定義としてはいささかもずれてはいない。

「我」から「僕たち」という複数のなかの「わたくし」へ、そして「完全な虚構世界の非生物の僕たち」の「わたくし」へ…。現代短歌の私性はとうとうこんなに遠いところまで歩んできたのだ。

山田の「虚構の僕たち」は、いまの見地からすればやはり弱いと私も思うし切実さを感じないと言わざるを得ないだろう。しかしながら、この違和感を、これから育ってくる未来の歌人たちも同様に持つと思い込んではいけない。現代短歌がまだとらえきれていない「私性」の新しい到達点への糸口を山田は見いだしたのかもしれず、その事実に多くの人がまだ理解できてないだけなのかもしれないからだ。

始めに述べた通り、「僕たち」は九十年代の登場からまだ数十年そこそこの若い人称である。そのため歌の数もそれほど多くはないし論もまだ少ない。「わたくし」を内在させ、ついに無生物さえも含みはじめた「僕たち」の歴史はやっと始まったばかりなのだ。

(2014現代短歌評論賞候補作)

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