二丁目と三丁目を行き来する人
藤島秀憲/第一歌集『二丁目通信』

武富純一

二年前に、私は義母を亡くした。いろいろと故あってずっと同居していたのだが、ある日突然、足腰が立たなくなり、一年半の入退院を繰り返した後、ある初夏の早朝、我が家の一室で遂に帰らぬ人となった。

教師である妻は日々通勤で、満足な介護はできない。私は比較的自由になる仕事であるものの、何をどうしてよいのか全くわけが解らないまま、介護保険を最大限に利用して毎日の世話はすべてヘルパーさんにお願いした。

この間、私は冷暖房の温度を見たり、たまに声を掛けたりしただけで、下の世話も食事の世話もせず、終始、ただおろおろウロウロしていただけのような気がする。それでも現場に至近距離で触れたことで、介護する側とされる側の現実を知った。何とも薄っぺらではあるが。

さて、歌集「二丁目通信」の作者、藤島秀憲はそんな私とは違い、介護を真正面から受け止めてきた人である。正確には母を最後まで介護し終え、現在、父を介護している。本歌集には、父母の介護の歌を核に、作者の暮らしの日常と思いが随所に散りばめられている。

藤島は1960年生まれ。2005年「二丁目通信」のタイトルで短歌研究新人賞候補、2007年に第25回現代短歌評論賞を受賞している。その後、2010年、歌集「二丁目通信」で、さいたま文芸賞短歌部門準賞、現代歌人協会賞、さらに、ながらみ書房出版賞を立て続けに受賞した。こうした、正に水紋が広がるような勢いの華々しい連続受賞の情報と評判は、短歌界の隅っこにいる私のような者にも、多方面からズンズンと強く伝わってきた。

 介護用トイレに母の残しいし尿を捨てたり葬儀の後を

 何百回夢に訪れくる母か納豆に醤油をかけすぎと言う

 じゅうたんのふちに躓き転ぶ父 われの五ミリは父の五センチ

 おもらしの後は黙祷するように壁に向かいてうなだれる父

 乱暴に、たとえば土管を持ち上げるように庭から父を抱き上ぐ

 風呂場にて裏返して洗うなり父の下着という現実を

 スイッチの場所を忘れている父が黒い画面を見ながら笑う

 母さんは幸せだったかとわれに問う父に本当のことは言えない

介護…現代社会においてこの言葉に含まれる意味は限りなく濃く、そして深い。新聞歌壇を見ても介護の歌は非常に多く、「介護詠」というジャンルも定着して久しい。上記のような歌のひとつひとつのリアルなシーンを想像する時、作者の生の苦悩と苦労が深く重く偲ばれる。

しかし、もしそうした苦悩に救いがあるとすれば、明るいユーモア的な歌だろう。明るい事を明るく歌うのは比較的簡単だ。しかし、暗い事を明るく歌おうと思えば、その変換機能はよほどの鍛錬と年月を積まないことにはうまくは使えない。

 われからの電話に父が「留守番でわかりません」と答えて切りぬ

 仏壇に苺六粒供えしが一時間後は三粒になりぬ

 縁側の日差しの中に椎茸と父仰向けに乾きつつあり

こうしたユーモアを含ませた歌は、読む者にとってひとつの救いであり、深刻で暗い介護の日常を支える作者自身の背骨にもなっていることだろう。逆に言えばペーソスとして、こうでも歌って笑わないことにはやってられない、ということでもあるのだろうが。

二首め、何が起きたのかは一目瞭然。仏壇のイチゴを食べてしまった父の行状は確かに悲しいけれど、このドラマ仕立ての構成を思うと、やっぱりクスリと笑ってしまう。認知症も進んでいるのだろう。それは確かに悲しい現実だけど、ここまでユーモラスに歌われてしまうと、細かな事はもういいやという気にもなってしまう。

三首めなどは、一部の真面目な年配層から「年寄りと椎茸を並べて干すとは何事か」いう声もあったというが、これももちろん氏特有のユーモアであり、それをまともに解釈してどうするのだと言いたくもなる。

だが、そうした笑いもしばし吹っ飛び、暗澹とした気持ちにさせられたのは、第一部の最後に配置された「母という文字」と題された散文である。

寝たきりになってしまったのに「家で死にたい」と入院を強く拒む母に、藤島は一人で介護と向き合うことを決意する。そして五年間もの間、黙々と介護を続けた六年目の冬のこと。介護疲れで体重は激減し、心身ともに疲れ果てた氏は、太く長い紐を自分と母のために二本用意し、無理心中を決意する。しかしこの後、母は病院に運ばれ、間もなく死去する。

「母は私を憎んでいたに違いない。私が母を憎んだように」
「母は自らの食事を減らしていった。それを黙って私は見ていた。私は母を見殺しにした」
母の容体を見た医師に「虐待だ」となじられ、怒鳴られ、何も答えることができなかった藤島…。
文字数にして七百字に足らぬ短い散文だが、軽く読み飛ばせないほどに壮絶、凄惨なまでの描写である。

 六年間母の一部となりていし脚の肉腫も湯灌をされつ

小説家、開高健はベトナム戦争取材で突然のゲリラ戦に巻き込まれ、死を覚悟したのち奇蹟的に救出され生還した。そしてこの後、「彼の文体は明らかに変わった」とある評論家は言った。
これとはもちろん状況は全く違うのだけれど、あの“死の決意”を境に、氏の精神構造は明らかに変化したのではないか。現在の藤島の穏やかで柔和な物腰と言動には、こうした生死の間をさ迷った辛い経験からきているものかもしれない。

そして、第一部は

 うすべにのじゅうにひとえよ 無理心中用の太紐我が家にありき

で終わっている。本歌集の最初の方に出てくる歌が、

 花の名をじゅうにひとえと知りてより咲けば近づく十二単に

である。一見、万人に愛されそうなこんな歌を初めに持ってきて、その花の名を、最後にこうして謎解きのように重々しく使ってしまう構成力は、なかなかに油断ならないのである。

あと、隠し味のように効いているなと感じさせられたのが、随所に散りばめられた固有名詞の数々である。

 伊右衛門のペットボトルとともに浮く鴨の三羽と白鷺の二羽

 ライオンズマンション脇の舗装路の止まれの<まれ>に雪凍てており

 踏切に出前のバイクすれ違う藪のホンダと砂場のスズキ

 オロナミンCの宣伝しつづける大村崑さん錆浮いており

 ああ行ってしまったバスに揺れていんマルヤマ人形店の広告

 お祭りの日だけ近所の人になる二軒となりの大泉さん

他にも「大木肉屋」「かどや純正ごま油の壜」「朝日湯跡」とかも出てくる。ご存知のように、短歌で固有名詞をうまく使うとリアル感が出る。作者はもちろんそれを承知で最大限にこれを活用することで、二丁目という町の姿と住人の日々の暮らしを生き生きと映し出すことに成功している。

また、数字もよく出てくる。

 駐車場まで四十七歩なり五十二キロの父を背負えば

 銀行の二十五日の列の中十秒ごとに二歩ずつ進む

 一日の三分の二を父といて日に日にわれも頑なになる

こうした数字もまた現実感を増させる。藤島は当用日記を休まず書いているらしく、正確さを思わせる数字の裏には、かなり几帳面な性格が見え隠れする。そこに関連しているかもしれないちょっとアイロニーをまぶされた歌も紹介しておこう。

 一善もなさざるままに日の暮れて水を薬缶の内側に張る

 額縁の右に傾く傾きを正せば戻る<努力>の威厳

 お年始の山本山が義理堅い人とわたしの評価を上げる

 蓋つきの湯呑みでお茶を出されたりわれにではなくわれの会社に

 王様が裸であると気づいても裸であると言えないわれも

「自分は実はこんなに狡い奴なんだ」のような、斜めに構えたひねくれ者的な側面が見えはしないか?。強い意志表示に見えるものの、その裏で「ちと無理してませんかぁ?」とも私は思ってしまう。
その証拠に、

 色欲の盛りを過ぎし藤島氏今川焼の列に加わる

 昼寝から覚めて昼寝をしておれば嗚呼ズッキーニ生えているなり

 あおむけの蝉のごとくにもがきおり今宵のわれはこむらがえりに

と、ちと格好悪い自分をさらけ出してこっそり笑う、こうした歌も結構あるからである。
ひと言で言えば「とほほ」である。大阪弁で言えば「エエかっこせぇへん」のである。

 十本の指では足りぬ職歴を五本に絞って履歴書に書く

これも「エエかっこしぃ」にはとても書けない歌だ。

詳しいことはよく知らないが、小説を書いていた時代もあったようだ。そのためだと私は思っているのだが、この歌集は全体が一本のストーリーとしてかなり綿密に構成されている。相当な文章修行を重ね続けてきた人なのだろう。

どうやら、氏はかなりの苦難を経ていまにたどりついたようだ。少なく見ても本歌集は数年間のことではなく、十年間くらいの凝縮ではないのかと思う。なかでも「ん?」と気になってしまったのは下記のような一連である。

 窓を開けふたたび寝込む夏の朝妻が出てゆく正夢を見る

 馬鈴薯は水から煮ろのわが言(いい)が事の発端 女は去りにき

 ピータンの好きな女になっていた 前妻もいる赤い円卓

 横棒の一本足りぬ「様」の文字 ひとりになって三度目の秋

 配偶者欄は空欄 庭隅で行者にんにく育てるわれは

 枕に顔をうずめて咳こめり誰の父でも無いわたし

氏にはどうも離婚歴があるらしい。なぜ離婚したのか、そしていまどんな気持ちを引き摺っているのか…。ストーリーテラーとしての藤島の面目躍如、どれもドラマを想像させる意味深長な歌ばかりではないか。

さて、最後に、私が「やるなぁ!」と感心させられた事を書く。
藤島は後書きにこう記している。

“私は三丁目に住んでいます、でも「二丁目通信」。二丁目に住んでる<われ>は、三丁目の私にそっくりです。”

一読して「うまいやり方だなぁ」とニンマリさせられた。こうした仕掛けの歌集は決して目新しくはないのだが、土台にとにかくこう明記しておけば、現実から飛躍したことや想像をいくら入れても構わないし、何でも歌にすることが可能になるからだ。もし何か人に聞かれても「私は三丁目の住人でして、あれはぜんぶ二丁目の出来事だから」と、堂々と誤魔化せる(?)のである。

だから、そうした目で先述の離婚にまつわる歌を読むこともできるし、仮にそれがある程度の事実だとしても、どこまで“二丁目化”されているかは、本人以外、誰も解らないのだ。

本書の中にも出てくるが、結社誌「心の花」や短歌雑誌に最近発表された藤島の歌には、なにやら年上の女性と恋をしているらしい歌も混じっているのだが、あれこれ詮索するのは野暮というものだろう。“二丁目の住人の出来事”としてさりげなく読んであげるのが粋な大人の気遣いなのかもしれない。もっとも今後、急速に“三丁目化”する可能性も多分にあると私は想像しているのであるが。

藤島はもともと評論賞でデビューしただけにその論客ぶりは強い。「短歌研究」の時評欄や短歌年鑑の「歌集歌書展望」等も執筆している。歌壇界で何かとタブー視されがちな「歌会始」への鋭い言及もある。最近ではNHK歌壇にゲスト歌人で登場し、品の良い牧師さんのような穏やかな容姿を私たちに見せてくれた。

短歌と評論の両輪で華々しいデビューを果たしたいま、二丁目と三丁目世界を自由に行き来しつつ、これから何を書き、どんな歌を私たちに見せてくれるのだろう。


『二丁目通信』
2009年9月28日発行
ながらみ書房
2500円(税別)


2010-12-15


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