磐船研究所へようこそ

私達神職は常日ごろ、神様に御奉仕すると共に、神様のことや神道全般に渡る知識を磨き、さらにはその神社なり、神職個人なりの見識を深め、崇敬者や参拝者の疑問に答えうるべく致しております。ここでは少し磐船神社のこと、饒速日尊の事を少し深く知っていただくため、「磐船研究所」なるものを開設し、公開いたします。


磐船研究所研究内容

史料編

「先代旧辞本紀」

 「先代旧辞本紀」について

 先代旧辞本紀は神代より推古天皇の御代までを編年体にて記し、国造本紀等をつけた史書である。序文に「大臣蘇我馬子宿禰等奉勅修撰」とあり、推古天皇二十八(六二○)年に編纂された書物であると記されており、平安時代以降我が国最古の史書として尊重されてきたが、近世に入り、その記述内容の研究により、時代的矛盾点、「日本書紀」からの引用などが指摘され、後世の偽書とされた。しかし、本居宣長の研究により、「天神本紀」「天孫本紀」「国造本紀」などの内容は、他書に見えないものであり、古書に基づいた価値ある古伝と論じた。  

 現在では「先代旧辞本紀」は前述の馬子撰修は事実ではなく、内容的にも日本書紀からの引用が多数認められるが、宣長の指摘するように「天神本紀」「天孫本紀」「国造本紀」には独特の記述があり、特に物部氏の伝承について、詳細に記述されており、おそらく物部氏に伝わる古伝(記紀編纂時に各氏族より提出されたもの?)をもとにしたもので、古伝を伝える貴重な古典であり、「先代旧辞本紀」全体としては、平安時代に物部氏の一族の者によって編纂されたものとされている。なおよく「先代旧辞本紀大成経」と混同されるがこれらは全く別の書物である。

 「先代旧辞本紀」と饒速日尊

 前述のように「先代旧辞本紀」は「記紀」に比べて、物部氏の祖神である饒速日尊に関して、質的にも量的にも多くを割いている。饒速日尊の系譜について「記紀」においては天神(あまつかみ)ではあるがその詳細は記されていない。それに対して「旧辞本紀」では尊を天照大神の御子正哉吾勝々速日天押穂耳尊と高皇産霊神の児萬幡豊秋津師姫栲幡千々姫命との間に産まれた子であり、瓊々杵尊の兄としている。また、饒速日尊が天の磐船にのって降臨されたことについては「日本書紀」には大和に降臨されたという記述があり、「古事記」には神武天皇を追って降臨したとのみ記されているが、「旧辞本紀」では瓊々杵尊に先立つ降臨であること、多数の従属の者を従えての降臨であること、河内國河上哮ヶ峯に降臨されたこと、等が記されている。また尊が降臨に際して天祖神より「瑞宝十種」を授けられた事も記され、饒速日尊の御事跡を知るうえでまず第一の古典と言えるであろう。(文責:西角明彦)

「先代旧辞本紀巻第三天神本紀」を見る

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