日本とチモール、その知られざる現代史
独立を勝ち取った東チモールと日本の責任を問う!




===このページは、私の古くからの友人でもある森林ジャーナリスト、フリーライター田中淳夫氏の著作を紹介するページです。===
田中淳夫氏の活動について、詳しくは彼の個人ホームページ「安楽椅子探検家のバーチャル書斎」をご覧ください。最新刊をはじめとする新情報は、そちらで紹介されています。



田中淳夫・著書紹介

チモール 知られざる虐殺の島(増補版)








 *****************************
  著者   田中 淳夫
  出版元  彩流社 (03-3234-5931)
  定価   本体2000円+税
  発売日 1999年10月10日
  ISBN4-88202-423-3
 *****************************


日本とチモール、その知られざる現代史
独立を勝ち取った東チモールと日本の責任を問う!


 この本の初版は、1988年1月である。すでに絶版になっていた。それを11年
もの間を空けて再版するのは、もちろん舞台となった東チモールで、99年夏に独立
を問う住民投票を実施されて独立を決めたからだ。その前後、マスコミは競うように
報道を繰り広げ、これまで顧みられることの少なかった東チモール(報道ではティ
モールと表記する)の名は、かなり知られるようになった。そこで11年間の動きを
増補し、また内容も一部改訂しつつ、今回改めて世に問うことにした。
 少し、前回の出版までの事情を説明しよう。まずきっかけとなるのは、1986年
3月の旅だった。私は、それまで勤めていた会社を辞め、チモール島に向けて出発し
た。会社を辞めると海外に行きたくなるのは以前からの癖だが、その目的地にチモー
ルという地名を頭に浮かべた理由は、さらに数年遡る。たまたま目に止まった新聞の
コラムに「カンボジア難民が問題となっているが、もっと大規模でもっとひどい難民
が出ている島に出ている」という意味のことが書いてあったのだ。それが東チモール
だった。同じアジアでそんなことが起きているのなら、なぜ報道しないのか。コラム
でお茶を濁すのか、と反発を覚えた記憶がある。そして私は、チモール島と東チモー
ル問題の存在を脳裏に残した。
 また会社を辞める数カ月前に、東チモール難民が窮状を訴えるため来日した。そこ
で旅の目的に東チモール潜入を掲げたのである。なにしろ当時は、外国人入域禁止
だっただけに、結構悲壮観が漂った出発だった。
 その旅の顛末は、拙著にも記してあるが、帰国後、その体験を元に本格的にチモー
ルについて調べ始めた。単なる興味の対象から、もっと身近な存在になっていたから
だ。なんとしても、東チモールで起きている事態を世間に知らしめたかった。
 だが執筆の際に悩んだのは、その当時チモールがあまりにも日本では知られていな
い点である。東チモール問題はおろか、チモール島という名やある場所も、ほとんど
の人が知らなかった。アジアの島であることさえわからない。そのうえ現地の情報が
極端に少なかった。そんな状態で、いくらここで繰り広げられている独立戦争につい
て説明しても、読者に伝わるだろうかと心配したのだ。
 そこで、まずチモールという島に興味を持ってもらうことを最優先に考えた。その
ために日本とチモールの歴史的な関係に焦点を当てることにした。すると意外なほど
関わりがあることがわかり、私自身驚いたほどだ。太平洋戦争では日本がどのように
行動したか、戦後はどうだったのか。そして今は。それらを追うことによって、現在
この地で起きていることを、日本人にも肌として感じてもらいたいと考えたのであ
る。
 拙著の出版後、西チモールに派遣される青年海外協力隊の隊員から手紙が来た。派
遣先が決まった際には、そんな辺境の島はいやだと断りかけたが、拙著を読んで日本
とつながりの深い島だと知って決心をしたと書かれてあり、ちょっとうれしかったの
を覚えている。また私の大学の後輩も西チモールに出かけて山に入り、村に長期滞在
している。少しずつチモールという地名と問題の存在が知られるようになってきたよ
うだ。
 正直いって、旧版を記したとき、私は東チモールが独立を達成できるかどうか懐疑
的だった。スハルト政権が倒れる可能性は早くから感じていたが、その後を継ぐのが
ジャワ人政権である限り、東チモールを手放すようには思えなかったからである。ス
ハルト政権に反対する勢力でさえ、東チモール問題には興味を示さず、基本的にイン
ドネシアの一部と認識していた。
 だが、意外な“追い風”が吹いた。経済危機である。その結果スハルト政権が倒
れ、後を継いだハビビ大統領は、金食い虫の東チモールを維持する気負いを失った。
あっという間に住民投票が実施され、結果は出た。東チモールの独立は、東チモール
の住民が自らの意思として独立を選び取ったのだ。おそらく数々の困難が待ち受け、
今後も紆余曲折はあるだろうが、この動きは止まるまい。いまや私は、楽観論者に転
向している。
 今後独立へ向けて日本の支援は重要度を増すだろう。それは、日本が国際社会に自
らのスタンスを発信する場である。いわば外交が試されている。なにしろ東チモール
は、世界史上初めて、住民投票で独立を勝ち取った国なのだ。それに対して日本はど
んな態度で臨むのか。またしてもインドネシアに気兼ねするのか、それとも人権と民
主という国際的な正義の旗を振るのか。
 それを考えるためにも、日本人はチモールという人と風土を肌で感じてほしい。拙
著がその一助になれば幸いである。



目次

まえがき


西チモールの旅


旧日本軍の足跡

1.豪州最前線
 オーストラリア侵攻 夢の島チモール チモール先住民 チモール生まれの日本人
 ポルトガル領東チモール 落下傘部隊による西チモールの占領
 日本軍の中立国東チモール占領 ポートダーウィン空襲  幻のチモール反攻作戦

2.南の涯の最前線
 特務工作・富機関 チモール人への宣撫工作 東チモール・タタマイラウ山の戦い
 ゲリラ討伐 チモールの民間人 オーストラリアの逆無線作戦
 東チモール・ダラバイ工作 第一次豪州特務工作班 オーストラリア上陸
 南の涯の戦場

3.生と死の最前線
 ダンス・パーティ 慰安所と半日チモール人 道路師団長というニックネーム
 真の敵は飢餓 道路師団長から百姓師団長へ 二万人の島流し ジャワ転進
 チモールの終戦 残された傷痕



東チモールの旅


知られざる虐殺の島

1.植民地最前線
 ラモス・ホルタは訴える インドネシアの独立 アジア最後の植民地

2.知られざる最前線
 ポルトガル政変 東チモールの独立 フレテリンとスロジャ作戦 東チモール併合
 難民タリーとビーの証言 インドネシアを支持する日本 反撃に転じたフレテリン
 人肉事件 東チモール問題を考える会 「論壇」の波紋 正義と公正による平和 最前線の国
 
3.東チモールの独立を訴える集会

日本・チモール関係小史
主な参考文献
あとがき

補遺・東チモール人の選択

増補版あとがき




著者略歴 田中淳夫(たなかあつお)

1959年大阪生まれ。静岡大学農学部林学科卒業。出版社、新聞社勤務を経て、
現在フリージャーナリスト。主にアウトドアや自然科学、農林業や山村問題に関
する記事を執筆しており、東南アジアや南太平洋の島々を好んで訪れる。著書に
「不思議の国のメラネシア」(彩流社刊)、「「森を守れ」が森を殺す!」
「伐って燃やせば「森は守れる」」「山は学校だった」<本書のみ、著者・辻谷達雄 
構成・田中淳夫)>(共に洋泉社刊)など多数。
QZB00524@nifty.ne.jp


田中淳夫のホームページができました。
「安楽椅子探検家のバーチャル書斎」



「森を守れ」が森を殺す!山は学校だった伐って燃やせば「森は守れる」

大阪立ち飲みページ