出生直後からの母子同室・同床という育児分化を有するわが国で、生まれたばかりの赤ちゃんが、母親から隔離されるようになってから、既に久しい。
そもそもことの発端は敗戦後の劣悪な生活条件下における周産期の母子の死亡率の高さであり、その対策としてGHQ公衆衛生局の指導のもとに行われた新生児室の開設と、それに基づく母子別室制の採用に始まります.当時(1940年代)の米国では既に母子の接触と母乳哺育の重要性の評価から別室制に対する批判が始まっていた(やがて同室制が勧告される)にも拘わらず、わが国では高死亡率に加えて占領下という事情もあり、十分に検討が許される事なく、一斉に別室制へと転換が行われました.
とまあこんな具合で現行のいわゆるブロイラー方式と称せられる新生児管理システムが定着しました。そして時はしばし流れました。やがて生活レベルのアップや抗生物質療法の進歩に伴って、赤ちゃんは死ななくなりました.病気に罹らなくなりました.しかし、それにもかかわらず、赤ちゃんはお母さんの懐には二度と帰ってきませんでした.その結果、曲がりなりにも母子同室を標榜する施設は、わが国ではなんと4割を切るというのが現状です.
でも何故そんなに母子別室制を嫌うのですか.別室制もアメニティー志向のご時世にあっているうえ、病院運営上の利点もあり、満更捨てたものではないですよ、という声も聞こえてきます。そこで別室制の長所とされる点について見ましょう.
このような理由が挙げられていますが、その多くは大人の論理優先の発想のようです.
一方、同室制の場合はどうでしょう.
ざっと見てこのような理由が挙げられますが、最早当然のこととして、その優劣云々の段階ではない事がお分かりのことと思います.尤もわが国にはお祝い、叉は、お見舞いと称して善意と共に、ウイルスや細菌類をご持参頂く麗しき風習がありますが、此れだけはご辞退或いは自制して頂きたいものですが。
所がこのような条件に加えて最近の乳幼児精神医学は、胎児、新生児、乳幼児.の能力と心の発達に関して、一段と飛躍した驚くべき知見を紹介しています.それによると、私達の赤ちゃんは胎児期の後期より記憶する能力をもつと共に、正確に無様式感覚(後述)を識別し、快いリズムや滑らかな刺激には体を開いて接近し、きつく緊張した刺激には身体を閉ざして避けることが知られています.つまり赤ちゃんは言葉を話すずっと以前から言葉を聞き、無様式の感覚を用いて解釈をし、周囲の世界と活発に心の交流をしていることがわかってきたのです。かくして、赤ちゃんは、身近な母親の状態に敏感である.明るい声や表情や動きには生き生きと反応し、沈んだ母親の声や暗い表情には心を閉ざしてしまうのです.このことより、特に乳幼児期においては、お母さんが常に明るく振舞い、常にハッピーな気持ちで赤ちゃんに接する事が、赤ちゃんの心身の発育に大切な事が理解されます。
この際の無様式の感覚(無様式知覚・共感覚)(amodal perception,Stern,D.1985)とは、ある一つの知覚様式で受信された情報を、何らかの形で別の知覚様式に変換する、生得的且つ普遍的な能力の事で、その結果自分の置かれている周囲の環境や母親の心理状態を刻々とモニターし、その状況に応じて個性的に反応します.このように此れまで植物人間だとか、只単に漠然とした未熟の視力や聴力を持っているに過ぎないと思われていた存在の赤ちゃんが、胎児期の終わり頃から、心理的には既に無様式の感覚といわれる様式の無い、様式を超えた感覚で、母親の心理状態や感情、家族の情緒的な雰囲気、そして周囲の環境の醸しだす空気を微妙に感じ取り、それが目で見ようと、音を聞こうと、肌で感じようと、それが如何なる知覚様式であっても、その知覚様式やチャンネルを超越して、共通した伝達の可能となる知覚を持っているのです.
例えば、弾んだ楽しそうな母親の声や動作は、赤ちゃんにうきうきとした明るい気持ちをもたらすであろうし、叉逆に、母親の沈んだ暗い精神状態は、赤ちゃんに沈うつな気持ちや生理状態を引き起こします。そして自分を取り巻く周囲の状況が、自分にとって好意的でない、全く無視されたような環境下にあると察知すれば、自分の殻の中に閉じこもってしまいます.天岩戸の赤ちゃん版です.
この無様式の感覚に関する知見は、現行の母子別室制を柱とした新生児の管理システムに改めて警鐘を発していように私は考えています。
ご承知のように、現在の私達を取り巻く社会は母性を育むには不毛の世界です.その結果多くの母性未成熟なヤンママが大量に生産されています.しかもその育児体験の乏しいヤンママと赤ちゃんを迎える医療体制自体、母と子にとってまことに不自然な受け入れ態勢です.では、このブロイラー方式といわれる母子分離を促し、母子の絆形成に不利に働く母子別室制のもと、一つの例として、今回はどのような仕組みでサイレントベビーが作られてゆくのか、上記の知見を元に考えてみましょう.
サイレントベビー・・・決して病気ではありません.叉特別の症状も示しません。しかし母と子のコミュニケイション不足がもとで、情緒面の発達が遅れたり乏しく、好奇心が全く見られません.更に、泣かない、むずがらない騒がない、更に表情に乏しく、一見おとなしく育て易いタイプのように見えますが、内に重大な問題をはらんでいます.
生まれて間もない赤ちゃんは、私達の想像していた以上の能力を持っていて、一方的に情報を受け入れるだけではありません.サイレントベビーの場合も赤ちゃんの生まれつきの素因とか性質、更には染色体上の遺伝子の問題があってサイレントベビーになったのではありません.身体的にも素因の面からも何ら原因は認められません.あくまで、赤ちゃん個人と養育環境の「関係性の傷害」(relationship disturbance ,Sameroff & Ende R ,1987)と考えられます.つまり赤ちゃんは環境と1対1の関係で、互いに影響しあいながら発育しており、好ましくない環境下では容易に環境の影響を受けてしまい、更にその後の生育過程での環境次第ではサイレントベビーへの道を辿りかねません.
具体的にそのプロセスを推理してみましょう。多くの赤ちゃんは天国のような胎内生活を経験し、次いで疾風と怒涛のひと時の試練を過ごした後、新しい生活が始まります.それまでの暖かく宇宙遊泳の世界と比べて、この未知の世界は騒がしく、眩しく、寒く、そして重力のある、不自由な世界です。しかも形ばかりの母との出会いを終えると、直ちに新生児室へと連行されます.環境の激変です。そこでは心を慰めてくれる懐かしい母の匂いも温もりも、そしてやさしい声も聞こえてはきません.不安を訴えても誰も答えてはくれません.更に空腹を訴えても決められた時間が来るまで、その欲求は満たされません。加えて新生児室では、おっぱいからの直接の授乳時のように、五官を通じて行う互いの心の交流は望むべくもなく、多くの場合一定に時間を決めて、しかも哺乳瓶による”くわえのみ”で牛のお乳が与えられます.おしっこや排便でオムツが汚れて不快を訴えても誰も答えてくれません.どんなにメッセージを送ってもお母さんは現れてくれません.誰一人として不安や不満、そして甘えを受け入れてくれません.このように出生直後より赤ちゃんの生理や欲求を無視し、大人のルールを
守る事を強制した扱いに、無様式の様式で述べたように、やがて赤ちゃんはメッセージを送る事を諦め、人との交流・・・例えそれが自分の母親であっても・・・お互いのコミュニケイションを取りやめてしまい、自分の殻に閉じこもります.サイレントベビー予備軍の誕生です.
まあ幸いな事に、わが国の場合、いくらスキンシップの密度が減少したといっても、各家庭に帰れば、伝統的な暖かさに溢れた育児の習慣は残されており、やがて殻に閉じこもりがちな赤ちゃんの心も癒され、サイレントベビーになる危機を脱する事ができます.
所が先に紹介したように、今日では赤ちゃんとの接触体験や育児体験を有さない、或いは乏しいヤンママが激増しています.しかも産後の育児のゴールデンタイムを徒にアメニティーを追求して無為なるままに安逸をむさぼったヤンママ群は、別室制の施設で見聞した赤ちゃんの扱いを金科玉条のように、或いはかくあるべき育児法であるかのように錯覚して、帰宅後もそのやり方を真似て育児する方も現れるに違いありません。その場合、その中から確実にサイレントベビーが誕生する事は間違いないことと思われます.かくしてサイレントベビー⇒サイレントチルドレン⇒サイレントアダルトの流れ.
ちなみに、昨年の文芸春秋8月号には、わが国の"世紀末の病、引きこもりっ子達”は数十万から百万に達すると.
どうも私達は、次代をになうジュニア達に間違ったスタートを切らせているようです.私達産科医療に携わるものは、見掛けにとらわれないで、私たちが対象としている相手は、例え赤ちゃんといえども、心をもった存在である事を忘れるべきではない。