母乳育児を巡る幾つかの誤解

母乳育児を巡る幾つかの誤解


その1:乳房をマッサージすると、母乳がよく出るようになるといわれますが。
その2:でも桶谷式マッサージを受けて、確かにおっぱいの量も増えたように感じましたが。
その3:私がお産した病院では出生直後から赤ちゃんに水分(糖水・ミルク)を与えていましたが。
その4:私の出産した施設では、初乳を飲ませようとしませんでしたが
その5:出生直後から赤ちゃんを母子同室にすると、感染症か増えるのでは?
その6:せめて産後の一週間くらいは、ゆっくり休みたいのですが。
その7:努力したにも拘わらず母乳が不足し、ミルクでわが子を育てた私は、母親として落第でしょうか。
その8:ソフロロジー式分娩法は、母乳育児に適した分娩法といわれていますが。

 

 

その1:乳房をマッサージすると、母乳がよく出るようになるといいますが。

この質問の場合、よく出るという言葉がいかなる状況を指すのかが問題です。つまり、乳腺から乳汁がよく分泌されるようになった状態を指しているのか、それとも乳首から乳汁がよく射出されるようになった状態を意味するのかで回答が異なります。
答えは後者です。何故なら乳房のマッサージではプロラクチンは決して分泌されないという生理的事実が知られています。すなわち乳房のマッサージで血中のオキシトシンは増加しますが、催乳ホルモンのプロラクチンは増えてきません。従って現代内分泌学に従えば、いくらマッサージをしてもプロラクチンの働きによる乳汁の増加は望めません。従っておっぱいがよく出るようになったと感じたのは、マッサージによって増加した射乳ホルモンのオキシトシンの働きと、加えて基底部の揺さぶりによる血行の改善によって、滞り淀んでいた乳汁が乳首よりよく射出されるようになったのを、おっぱいがよく分泌されるようになったと錯覚していると考えるのが妥当ではないでしょうか。

その2:でも桶谷式マッサージを受けて、確かにおっぱいの量が増えたと感じましたが。

確かに乳管より出てくるおっぱいの量は増えていると思います。でもマッサージによって増加した母乳の分泌量は其の一部にすぎません。術中施術者がドゥーラとしての役割を果たして、母親の不安や悩みに耳を傾け、優しく力づけ、自信をもって前向きに母乳育児できるようにと、母親をエモーショナルサポートしたことによって、血中に増加したプロラクチンの働きによる母乳の分泌増加が主たるものなのです。ご承知のように、吾が子をいとおしいと思う母親の情動的高揚は、乳首の哺乳刺激に匹敵するプロラクチンの分泌をもたらす生理的事実を私たちは知っているからです。また同時に行われた乳管開通操作、つまり乳頭の物理的刺激によって分泌されるプロラクチンの作用や血行の改善も乳汁分泌促進へ向けての効果に加わっていると思いますが。

その3:私がお産した病院では出生直後から赤ちゃんに水分(糖水・ミルク)を与えましたが。

大多数のお母さんでは出生後三日間くらいは僅かの量の初乳が分泌されるにすぎません。そこで今我が国の多くの産科施設では、この分泌の少ない時期に直接乳房を与えると乳首を痛めるという理由から、また、初乳は質の悪い乳である或いは生理的価値がないと称して、全く飲ませようとせず、代わりにミルクや糖水を与えて乳汁潮来迄の時間を稼ごうとする新生児栄養法が普及しています。
しかし出生後間もない時期の赤ちゃんは、水分やカロリーの消費が少ないという生理的事情があります。加えて赤ちゃんは出生直後の飢餓期に備えて、胎内より水筒( 予定日が近づくと50ml/日位水分を貯えるという)と、お弁当(豊富な皮下脂肪、特に褐色脂肪細胞は高効率で熱を産生)をもって生まれてきています。そして生後1週間の間にその水分の使用と再分配・・・主として細胞外水分が消費され、生理的体重減少が起こります。ところがこの間に過量の水分が補給され、逆に細胞外水分の減少が起こらない場合、動脈管開存や壊死性腸炎そして脳室内出血などを発症する危険性が報告されています。
勿論、このような問題のほかに母乳分泌量の減少、腸内細菌叢の変化、,nipple confusionといった問題などが、さらに加わります。つまり、健康な新生児には医学的に早い時期から水分を与える必要性に乏しいこと、そして与えない方が最終的には赤ちゃんにやさしいことがお分かり頂けることと思います。

その4:私の出産した施設では、初乳を飲ませようとしませんでしたが。

今から十数年前より、初乳の持っている素晴らしい生理的意義が見出されてきてより、初乳は脆弱な免疫機構しか有しない新生児にとって、飲ませてもよいではなく、絶対に飲ませねばならないものであることが分かってきました。
乳腺は妊娠すると母乳分泌器官としての本来の役割に加えて新たに免疫物質の製造機能をも併せ持つようになります。例えば腸管乳腺経路の場合、妊婦の腸管の粘膜で外敵の抗原(細菌やウイルス)に感作されたリンパ球は乳腺に移動してIgA 産生細胞となり、その外敵に対する免疫グロブリンA(S -IgA)を作り、乳汁中に分泌されます。初乳中にはこのような免疫グロブリンが成乳中の10倍から20倍も含まれています。そしてこの免疫体は腸粘膜の表面にペンキを塗るように広がり、局所免疫的に細菌やウイルス更にはアレルゲンとしての異種蛋白の侵入を防ぎます。乳腺にはこのような免疫システムの他に、乳腺自体の持つ局所免疫組織の働きも併せ持っています(Lodinova)。また初乳中にはこのような免疫システムに加えて、マクロファージュ・リンパ球・T細胞のような細胞成分、更に感染防御作用を有するオリゴ糖・抗生物質のような働きをするラクトフェリンなど多数の物質や免疫抗体のような生理的活性物質が高濃度に存在して、新生児を外敵から守る役目を果たしています。
出生直後からしきりに乳房を求める赤ちゃんに、せっせと乳房を与えていますと、例え一回のその絶対量は少ないとはいえ、免疫物質のコンクジュースのような初乳を頻回に摂取することになり、この事から初乳を飲ませることは、赤ちゃんが生れてはじめてうける予防接種だといわれる(山内逸郎)ゆえんでもあります。しかもこの頻回の乳首への刺激は、同時にプロラクチンの血中濃度の反射的上昇をもたらす結果を招き、母乳のより早く、より豊かな分泌へと通じる道でもあります。
このように免疫力の脆弱な新生児にとって、初乳は飲ませねばならない物ですが、不幸なことに、この時期の哺乳は乳首を痛めると言う理由から乳房を与えず、初乳を飲ませようとしない、しかも母乳育児を単に母乳という栄養を与えることとしか考えていないような哺乳法が普及しているのが、残念ながら我が国の現実です。貴方の出産された施設も、そのような方針の施設だったのだと思います。

その5:出生直後から赤ちゃんを母子同室にすると、感染症か増えるのでは?

敗戦後 GHQ指導の下に普及した母子異室制を柱とする新生児管理システムは、抗生物質療法は未だ黎明期にあり、生活環境の劣悪だった当時、乳児死亡率の低下に大いに役立ちました。しかし医療技術の進歩、生活レベルの向上と共に、脆弱な新生児の免疫機構を補う様々な感染防御システムが解明されてきた今日、母子異室制そのものに批判の目が向けられるようになってきました。

其の感染防御システムを以下簡単に紹介しましょう。
まず

  1. 胎内で経胎盤的に受け取る麻疹やインフルエンザのウイルスに対する抗体が第一のバリアーですが、これは異室・同室に関係はありませんね。
  2. 先に紹介した「腸管乳腺経路」「気管支乳腺経路」による分泌IgAの働きです。
  3. 乳腺組織自体の有する局所免疫組織としての働き。
  4. 初乳に濃厚に含まれる細胞成分や何百種類といわれる生理的活性物質の抗菌・抗ウイルス作用に加えて、各細菌やポリオウイルスなどに対する抗体を含みます。
  5. 母との共生生活を通じて譲り受ける健康な細菌叢の完成。

このように様々な感染防御システムは幾重にもバリアーを張り巡らせて、赤ちゃんを外敵から守りますが、このシステムの多くは母と子が同じ部屋で生活することにより、始めて其の有効性を発揮できることにお気づきのことと思います。

ところは母子異室制の場合、赤ちゃんを扱う看護要員の持っている細菌は、概して病原性が高く、しかも抗生物質に抵抗力を持つ細菌が多く、加えてそれらに対する抗体は当然のことながら母親の母乳(初乳)中には存在しません。

以上に紹介した知見に加えて、此れ迄に報告された世界各国からの多くの臨床報告は、今日では感染予防の面から見ても健康な新生児には母子同室が望ましいことを示しています。

その6:せめて産後の1週間くらいは、ゆっくり休みたいのですが。

「出産直後から母子は同室に」の記事にたいして、朝日新聞の声の欄に次のような投書がありました。
”「母子同室」イコール「赤ちゃんにやさしい病院」とすると、母親にとって其の病院は「少々疲れる病院」となる。出産という大仕事を終えた後くらい、ささやかな休暇をもらっても罰はあたらない。私は母子異室のおかげで、一週間の休暇が取れた”と。この母親には赤ちゃんに対する思いやりはまったく存在しないが、一方では産後の一週間を「一週間の赤ちゃんとのハネムーン」だとして、一週間を吾が子とともに楽しむ母がいるのも現状です。
以下は日母医報の特集「母子同室について思う」に投稿した母子同室についての私の意見です。タイトルは題して”ブロイラー方式とヒューマン方式”

  1. 一生が別れで始まるのは人類だけです。動物行動学の立場からも、出生直後の母子分離は哺乳動物の掟に反する行為です。また臨床の立場からも、母と子の分離に基づくスキンシップの不足は、肉体的発育のみならず、知的発育をも阻害することが事実として知られています。
  2. 現行の新生児管理法は、かつて新生児を植物人間として捉えていた時代の遺物です。現在の知見では、新生児といえども記憶能力(入院中に母親を記憶する)や情報処理能力を有しており、適当な意識レベルを選べば母との対話(エントレイメント)さえ可能です。
  3. 対細菌・ウイルス防御システムについては、”その5”で述べました。
  4. 妊娠末期には母と子の睡眠のリズムは同調を始めており、産後容易に細切れ睡眠を可能にします。母子異室は折角産み月に出来上がっていた母親の細切れ睡眠のリズムを乱すだけでなく、母と子の生物時計の同調と共生を困難にします。
  5. 現代の母親の30%は出産後に、生れてはじめて赤ちゃんを抱くといいます。育児体験や其の伝承が不足しているうえ、退院後も育児をサポートしてくれる人のいない今日の未熟なヤングママたちにとって、産後の1週間は育児実習のゴールデンタイムです。
  6. 成人しても社会に独り立ちできない青年たちは、サイレントベビーの延長線上にあるともいわれ、また、児童虐待を生む「可愛いはずなのに愛せないと悩む母親たち」の発生予防にも母子同室が望まれます。
  7. 何といっても母乳育児の確立に最適です。

以上の理由を総括しますと、母子同室・異室制の優劣についてみれば、もはや比較する段階にはなく、母と子は出生直後から一つの単位、不可分の存在であることがお分かりのことと思います。尚、この「母子同室について思う」に投稿された七名の全てが、母子同室制を推奨していたことを附記しておきます。

その7 : 努力したにも拘わらず母乳が十分にでなくて、ミルクでわが子を育てた私は、母親として落第でしょうか。

決して落第ではありません。その理由は、我が国で今母乳育児に求められているものは、「今何故母乳か」というより、「今何故授乳か」という点に留意して頂きたいと思います。

更に私たちが、今”全てのお母さんが母乳で育児できる幸せを”という命題を大きく掲げているのは、母乳育児が「お互いに一体感を持ちうる母子関係」の成立へ向けての最も理想的な道であるからです。

ご承知のように育児の立場から考えると、子どもが親からスムースに自立するには、以前に母と子のお互いが一体感で結びついた感情を体験することが必要だといわれます。子どもが成長するためには、母親という絶対的な安らぎを与える場が必要であり、子どもは母親の懐をベースキャンプとして、好奇心や冒険心を満足させながら成長し、やがて自立してゆきます。

この母と子の一体感、そしてそれをもたらす基本的信頼basic trustを育てるのに最適なのが、五感を総動員して行われる授乳行為による母子相互作用の様々なのです。しかもこの授乳行為は赤ちゃんの母に対する愛着を育むだけでなく、母性愛ホルモンといわれるプロラクチンが分泌されることにより、母性をより成熟させてくれる自然からの贈り物でもあります。

このような理由から今授乳という行為の持つ意味が大きく評価されるようになったのです。残念なことですが、貴女は母乳育児に失敗されたとか。其の原因が奈辺にあるかは存じませんが、十分に努力した末であれば、なにも卑下することはありません。貴女が出産された施設自体が、母乳育児へ向けてスタートがきれるように十分なお手伝いをしてくれたかどうか、それも大きな問題です。なにぶんにも現在の我が国には、そのような施設が余りにも乏しいという事情があります。

それに一体感を育てる道は何も母乳保育だけではありません。授乳行為一つをとっても、哺乳瓶で哺乳する場合も、事務的にならないで、母乳哺乳の場合のように愛情を込めてやさしく語り掛けながら与えれば、決して母乳哺育に引けをとるものではありません。しかも一体感は日常の身体接触(スキンシップ)によっても容易に醸成される事が知られてます。例えば抱っこ・添い寝・おむつ交換など多くの機会を見つけることができます。特に抱っこと添い寝は母子手帳に再登場したように、今日其の行為の持つ意味が大きく評価されていることはご承知のことと思います。

このように今われわれに問い掛けられている「今何故授乳か」という命題の核心は、授乳という行為を通じて、母と子の間に交わされる心の交流がもたらしてくれる相互の信頼関係の確立であります。従って、もしかりに努力しても母乳を十分に確保できなかった場合(現実に真正の母乳分泌不全の母親が2〜5%は存在するといわれます)は、何ら劣等感を感じることはありません。堂々と不足分を哺乳瓶で補足しながら育児を楽しみましょう。とにかく楽しくない育児は本当の育児ではありません。但し直接乳房を与える場合以上に、やさしく心をこめて。

その8:ソフロロジー式分娩法 は、母乳育児に適した分娩法といわれますが。

ご承知と思いますが、 ソフロロジー式分娩法 は西洋風のリラックス法の自律訓練法や段階性弛緩法と、東洋式リラックス法の禅やヨガの考え方やテクニックをドッキングさせた分娩法ですが、単なる陣痛乗り切り法ではなく、母性の確立を基本理念とするお母さんにも赤ちゃんにもやさしいお産の方法です。そして陣痛を必要悪としてでなく、あるがままに受け入れる、いや更に一歩踏み込んで、陣痛は赤ちゃんを産み出すための大切なエネルギーであり、母と子が母子相互作用を築き上げてゆく上において、お母さんにのみ与えられた特権として受け入れ、お母さんと赤ちゃんが互いに協力して分娩を乗り切り、新しい生命を迎えようとする分娩法です。
そして特に母乳育児にぴったりという理由は、その特徴とするイメージトレーニングの効用もさることながら、分娩という一大試練を母と子が協力して乗り切った結果、両者の間に芽生えた運命共同体的絆、或いは絆の芽生えがそれです。お母さんは苦しい、でも狭い産道で全身を圧迫され、低酸素状態で苦しんでいる赤ちゃん(S.グロフによると、分娩中胎児は子宮の世界が牢獄のように、或いは出口無き絶望的体験更には死への予感を感じる)を少しでも楽に、少しでも早く楽にしてあげられるのはお母さんだけなのだ。お母さんも苦しいが赤ちゃんはもっと苦しんでいる。お母さんがリラックスすればそれだけ赤ちゃんが楽になる。吾が子よ頑張れ。お母さんも頑張るぞ。夫を頼るより、吾が子に頼られる。かくして共に体験する生死を賭けた一大試練。いつしか両者の間に生れた運命共同体的感情は、母と子の新しき出発(たびだち)と母乳育児、更には両者の間の絆のスムースな成立を約束してくれます。

尚、ソフロロジー式分娩法について、興味を御持ちのかたは、マイソフロロジーの項目ををご訪問下さい。

 

(文責 岡村博行


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