が産科医療の臨床第一線に参加したのは、昭和44年の春まだ浅い3月のことでした。赴任先の国立篠山病院での先ず最初の仕事始めは,私は母乳主義を信条としており、赤ちゃんは母乳だけで育てられるべきだと考えているので、今後私の在任中は新生児にはミルクを一切使用しないことを宣言しました。

科医としてはいささか型破りであるこのような行動に踏み切れたのは、短い期間でしたが、私には2年間という小児科医としての臨床経験が医師としての原体験となっており、加えて当時の岡山大学の小児科は、一大社会問題となった例の森永砒素ミルク中毒事件を解明した後でもあり、乳児栄養に対する姿勢はきわめて厳しく、母乳と人工乳の本質的意義については厳しく戒められており、これらのことが三つ子の魂百までもの例えどうり、その後の私の医師としての姿勢の原点となっているからであります。

分のことはそれくらいにして、私が産科の臨床に登場した昭和40年代は母乳育児については厳しい冬の時代でした。しかし時の流れとともに、そして母乳育児に理解を有する方々の草の根的努力により、新生児を取り巻く環境にも徐々ながら暖かい南風が吹き始めたようです。WHO/ユニセフから「母乳育児を成功させるための10ヶ条」が勧告されました。加えて「子どもの権利条約」が制定され、赤ちゃんは母親からその意志に反して離されないこと、母乳で育てられることは赤ちゃんの正当な権利として奨められるようになりました。当たり前のことが当たり前のこととして認められ、当たり前のこととして行われることを求められる世の中になってきたのです。

内でも母乳育児を巡って新しい息吹きが感ぜられるようになりました。「母乳育児をすすめるための産科医と小児科医の集い」(日本母乳の会と改称)の誕生がそれです。更に母乳育児都市宣言をした街(山口県光市)、母子同室・完全母乳主義の大学病院(長崎大学)、母乳育児10ヶ条を尊主する病院や産院が全国各地に生まれるとともに、母乳育児推進団体も数多く結成され、活発に活動を始めました。ようやく赤ちゃんにやさしい時代を取り戻しつつあるようです。

かしこのような時代の流れにもかかわらず、母乳育児を行うに必要な事柄でありながら、意外と産科医療関係者の間で知られていないことが余りにも多いように感じます。そこでこれらの点について漸次皆様と共に考えてゆきたいと思います。

 
母乳権
  その意義と歴史的背景
   
母乳確保の王道
  プロラクチンか血の巡りか
   
内なる環境破壊
  冠動脈硬化と栄養法
   
母子同室制と母子異室制
  人生が別れで始まる私たちの赤ちゃん 
誰も知らなかった赤ちゃんの能力 
対細菌・ウイルス感染防御システム 
生物時計(サーカディアンリズム) 
生れて初めて赤ちゃんを抱く母親達 
可愛いはずなのに愛せないと悩む母親達 
サイレントベビーと母乳育児 
おっぱいがよく出ます 
ヒューマン方式とブロイラー方式
出生早期の凝縮された数日間
   
何故産後30分以内か
  母乳育児協奏曲のプレリュード
医学教育と母乳育児
  全てははじめにミルクありき
   
インフォームドコンセントと新生児栄養
  知らしむべからず寄らしむべし
   
妊娠・分娩中の母乳育児へ向けての準備
  母性の確立とエモーショナル・サポートがキーワード

 


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