私のささやかな診療所は、大阪は南、堺市の東南部の丘陵地帯を切り開いて造成された、齢30歳を数える泉北ニュータウンの一角泉ヶ丘地区の槙塚台に所在します。

昭和47年の開業当初、ニュータウンのこととて建築に関しての規制が厳しく、ベットの数は病室数・病床数共に9室・9床をやっと確保したに過ぎないささやかなミニクリニークです。開業当初より母乳栄養・母子同室をモットーとして特別に新生児室は作らないで、保育器と出産当日の一夜だけ赤ちゃんを預かるためのコットを作り付けた(開業当初の頃はそうしていた)小部屋を用意しただけのミニ産院でした。

当院の特徴をといえば、開業当初より上に述べたように母乳主義を最大のテーマとしていたことです。そこででは何故そのように古くから母乳主義を標榜したのか、そのいきさつについて少し紹介させて頂きます。

インターン終了後、私は当初母校の小児科に入局しました。当時の岡山大学の小児科は、年配の方ならよくご存知でしょうが、森永砒素ミルク中毒事件の真相を解明した直後の事でもあり、又教室の伝統として浜本教授以下乳児栄養に関心が高く、入局早々母乳栄養と人工栄養両者の本質的意義については厳しく戒められました。2年後産婦人科に転科しましたが、この間の乳児栄養についての体験が、現在にいたる私の母乳主義の原点となったように思います。尚残念な事に山内先生は私が入局した時には既に国立岡山病院へ出向された後でした。

私が産科医療の臨床第一線に登場したのは昭和44年のことです。赴任先の国立篠山病院でまず最初に宣言した方針は、私が医長でいる間はミルクを使いませんという母乳主義の宣言であり、この辺りの事は「おっぱい・ア・ラ・カルト」の冒頭に紹介した通りです。然も山内先生が国立岡山病院で母乳宣言をされたのが昭和45年のことですから、それより一年早く母乳第一主義を実践していた事を後で知って、大いに誇りにしています。しかし母子同室については、酷寒地の篠山(真冬は零下10度を超す)でも、当時夜間の入院室の暖房が止まるという事情のため、夜間は新生児室に赤ちゃんを収容し,授乳はお母さんに出向いて頂くという夜間は異室制をとらざるをえませんでした。

しかし昭和47年2月当地堺での開業に際しては、この様な物理的障害は予め除外して診療所を建築したため、当初から完全母乳主義、完全母子同室制を採用する事が出来ました。とはいえ、当時昭和40年代は母乳育児にとって最悪という厳冬の時代であり、又母乳育児についてのノウハウについても今日のように確立されたものがなかったため、細かいところでは若干今日と異なるところがありました。

その主なところを紹介しますと、先ず完全母子同室については、比較的最近迄(10ヶ条に出会うまで)お母さんが即座に同室を希望されない限り、出産当日の夜間は、昼間は同室で十分出会いを楽しんでもらった後、赤ちゃんをお預かりしていました。現在は当然出産当日の夜から母子同室にしていますが、しかし例外として前日或いは二日間に亙って殆ど一睡もしていなくて疲労困ぱいのお母さんの場合、やはり希望によっては臨機応変に一晩お預かりしています。此の処置に関しては若干異論のある方がお在りとは思いますが。

 

  又、赤ちゃんの栄養法に関して見れば、現在、これまた当然のこととして完全母乳主義を採用しており、従って糖水の補足についてみれば、医学的適応のない限り与えないようにしています。尤もこの医学的適応の範囲についてはいろいろ論議の分かれるところがあるようです。そこで当院の糖水の補足状況を眺めて見ますと、開業当初の頃よりかなり大きな変化がありました。といっても人工乳を与えていたというのではなく、国立篠山病院以来約10年ほど前まで、母乳がまだ出ない間、授乳後赤ちゃんが欲しがれば欲しがるだけ糖水を与えていました。しかしやはり糖水をアドリブで与える事による、吸てつ刺激回数の減少が母乳分泌量の低下を招く事に気づき、漸次補足を制限するようになり、母乳育児10ヶ条を知るすこし前より、医学的適応以外の糖水の補足は避けるようになりました。しかし通常の医学的適応には入っていませんが、次のような場合は当然医学的適応に相当すると私は考えて、適宜糖水の補足を行っています。

その医学的適応とは、頻回授乳の結果、お母さんが著しく疲労しているとか、精神的にブルーになりかかっている場合です。その理由は、先の母乳分泌の仕組みの個所で紹介したように、プロラクチンの分泌は乳首の刺激だけではなく、情緒的な刺激によってもよく分泌されるという事です。従って、お母さんが疲労困ぱい或いは精神的にダウンしかかっている場合、情緒的因子によるプロラクチンの分泌は望めません。そこで哺乳後糖水を適当量与えることにより赤ちゃんをグッスリ休ませ、又その間お母さんも十分休息をとって頂く。かくしてお母さんは休息後再び元気回復して、前向きに授乳に取り組み母乳を確保する事が出来ます。いずれにせよ、どのくらいまで糖水を与えなくてもやってゆけるかというような我慢競争ではなく、明るく前向きに母乳で育児を楽しむ事が出来るように手助けする事も、母乳育児成功へ向けての大切なポイントだと思います。嫌々ながらの授乳、押し付けられた授乳では、労多くして稔り少なく、出るべきおっぱいも出なくなり、しかも決して長続きしません。ドゥーラの活躍の場もこの辺りにあるのでしょう。常に楽しい母乳授乳を心がける事 。此れは当院のポリシーです。

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当今の新生児栄養法についての事情はこの辺りにして、第二のテーマ、私のソフロロジーに移りましょう。

 岡村産婦人科医院の外観