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母乳育児と自然分娩


第8回日本母乳の会は、99年7月31日(土)・8月1日(日)の2日間に亙り、神戸のニューポートホテルの大ホールにおいて、1300人と言う予想を遥かに上回る参加者を得て、盛会裏に開催されました。

このシンポジウムの呼び物の一つに、大会の悼尾を飾る「母親と医療者の交流会」がありますが、この交流会でこれまでは見られなかった一寸した波乱がありました。この交流会は従来より、お母さんがたの質問や要望に医療者が答えると言う形ですすめられるのを常としますが、本年はできるだけ多くのお母さん方に、自由に発言して頂こうと言うのが基本線でした。

交流会の終わり頃、質疑はそれまで多かった母乳育児間連のテーマから、自然分娩に関しての内容に移行して行きました。そしてその発言の趣旨も自然分娩の礼賛とそれに対する医療者の無理解を訴えるものが多くなって行きました。

私は、約一月くらい前の堺市産婦人科医会理事役員会の席上での報告・・・「OGCSからの要望事項として、最近自然分娩が増加するに連れて、手後れの状態、しかもそれまでの経過や検査事項の内容全く分からない重症患者の搬送が増加している。この辺りの実態の究明とそれに対しての対策の整備が早急の問題として求められている」を紹介して、無条件の自然分娩礼賛と言う其れまでの発言の流れに注意を喚起しましたが、その甲斐も無く、やがて討論は分娩の安全性について紛糾し、結論のでないままに閉会となりました。

後になって冷静に考えてみると、この波乱は当然起こるべくして起きたものでした。
母乳育児を指向するお母さん達の間には、自然分娩を希望される、或いは当然視する方を多く見かけます。事実、当日赤ちゃんを胸に抱いてシンポジウムに参加されたお母さん達の中には、所謂自然分娩を体験され、その体験談を語るお母さんを多く見掛けました。母乳は栄養として自然そのものであり、その自然栄養による育児も又自然育児である。かくして自然分娩と母乳育児のドッキングはごく自然な一つの流れではないだろうかと言う理屈です。

しかしこの考えには一寸問題があります。母乳育児は確かに自然な育児では有ります。しかし母乳育児はあくまで科学的な裏付けによって成り立っています。栄養の面然り。免疫の面然り。更に今日重要視されるようになった心理的側面もまた然りです。すべて科学的に実証されて始めて母乳育児の一環として認められ、臨床に応用されているのです。

一方、今日増加している所謂自然分娩なるものは、医学ー科学の介入は悪として極力排除します。例えば、分娩監視装置の使用は不可であり、トラウベで充分だと言うのである。シンポジウムでも昨年BFHの認定を受けた井上先生は、この点を問題ではないかと取り上げられたのです。

しかし、出産の場合、医学の恩恵を不自然なものとして退ければ退けるほど、自然度の割合が増すほど、分娩の危険度は増加し、安全性は後退します。分娩に対する医学の介入を科学の恩恵と考えるか自然の破壊・人間性の喪失と考えるかの違いですが、この様に母乳育児と自然分娩の間には、そのよって立つ基盤に厳然とした違いが存在します。この事は極めて重要なポイントではないでしょうか。私は自然分娩を全面的に否定しようとするものでは有りません。しかし自然分娩が原始分娩にならないためには、医学の排除にも自ずから限界が存在することを強調したいにです。

最後に、出産における安全性の低下、危険率の増加と言うテーマについて考えてみましょう。例えば野球の場合、打率が3割から2割8分に低下しても生命には関係しません。寧ろ代りに本塁打や打点が増えれば、その方がより評価されると言うものです。しかし、危険率・安全率が千人に一人から千人に二人と増加(安全率は後退)した場合はどうでしょう。千人に一人程度の増加なら大した問題ではないと考えてよいのでしょうか。NO!です。何故なら医学の場合、その増加した一人の人にとっては、全生命の問題であり、その一生に関係する問題であるからです。