1989年国連総会において全会一致で「子ども権利条約」が採択されました。その大きな特徴は、21世紀を見据えて、これまで保護される受身の存在(保護の客体)とされていた子どもを、「権利行使の主体」つまり子どもが生まれつき持っている権利として認識し、その行使を自ら求める存在として評価。保障しようとするものです。その中では、赤ちゃんが母乳を飲む事を「児の第一の権利」として、そして親子不分離の原則もまた当然の権利として認められています。
母乳を飲むことは赤ちゃんの基本的な権利です
その第24条に、
[ 健康・医療への権利として、締約国はいかなる児童にも次の保健サービスを利用
する権利を奪われないよう様に努力し、この権利の完全な実施を追及し、特に次の
適当な処置をとることとし、その2、のe 項として・・・母乳で育てる事・・・と
明記してあります ]
しかしこの様な勧告にもかかわらず、我が国の赤ちゃんや母乳育児を巡っての環境は決して恵まれているは言えないのが現状で、此処十数年来、生後一ヶ月の時点における母乳栄養率は40%をわずかに超える段階に止まっています。つまりわが国では過半数の赤ちゃんが、子ども権利条約で保障され、故山内逸郎先生の提唱された「母乳権」の恩恵に浴していないのが現状です。
ちなみに先進国でも北欧では、既に母乳率が90%を越えるまでに回復しています。
親子不分離の原則
また、その第9条には、
締約国は、・・・子どもが親の意思に反して親から分離されない事を確保する事・・・
と明記してあります。
出産直後、お母さんの承諾を得ないまま、或いはお母さんの意思に反して、赤ちゃんを新生児室へ収容する母子別室制は第9条違反となります。母子同室制はいまや赤ちゃんの当然受けるべき権利であり、母と子は常に一体であると考えられます。
吹きすさぶ商業主義の嵐
1981年第34回世界保健総会で、通称WHOコードといわれる「母乳代替品のマーケティングに関する国際基準」が採択されました。このコードの目的は、医療機関や保健施設に対する粉ミルクの無償提供の停止を求めるもので、医学的な理由などで母乳代替品(いわゆる粉ミルクや哺乳瓶や乳首)を真に必要とする人たちのみが、適切に使用できるようにしようというものであって、一般向けの宣伝や行過ぎた販売攻勢を企業が止めるように要望しています。当時無償提供を売り込みの足がかりにしようとする乳業メーカー側の猛烈な反対運動(中島宏WHO事務局長)がありましたが、決議は原案どうり採択されました。尚、世界で121か国中118カ国が即承認をしましたが、わが日本と米国、アルゼンチンの3カ国は承認を見送りました。その後米国も承認し踏み切り,最終的には日本も一番最後に承認することになりました。
わが国では1974年に、そしてその勧告を受けて再び1983年に、厚生省児童家庭局母子衛生課が企業五社にたいして指導を行い、その行過ぎた宣伝や販売操作に対して自粛を要請しましたが、それに対する乳業会社の回答については、私たちの周囲の産科医療やマスメディアの現状を見るならば、馬耳東風といえるその実態は自ずから明らかでしょう。
例えば、産院からお土産で渡される粉ミルクの缶は皆さんお馴染みですし、入院中に全員が受ける『調乳指導』という名の教室・・・白衣の女性は乳業会社の社員です。この様なわが国ではどこでも見られる光景が、外国では広告規制の対象になっているのです。このミルクの販売戦略によって、母乳育児が出来るはずの多くのお母さんまでが粉ミルク使用者になってしまっています。
(WHOコード)基準の主要項目とその実態
@ 母乳代替品(人工乳・哺乳瓶・乳首など)はすべて一般向けに宣伝してはならない
テレビやラジオ、新聞や雑誌、マタニティー雑誌などあらゆる媒体を使っての母乳代替品の宣伝は 禁止を呼びかけられていますが、それに対するわが国の反応は全くの馬耳東風、馬の耳に念仏の状態にあることは、皆さんご覧の通りで、テレビに新聞に、マタニティー雑誌に見るように、WHOコードに違反した宣伝攻勢は百貨爛漫と咲き誇っています。
A 母親に無料サンプルを配布してはならない。
ある助産師さんのメールによる訴え:入院中の調乳指導に際しては乳業会社から提供されたミルク缶の使用、退院時には各社のお土産セット(ミルク缶、哺乳瓶、離乳準備期の飲み物など)のプレゼントが常識です。週2回行っている1ヶ月健診でも各ミルク会社が「母乳ですかミルクですかと尋ねながらプレゼントを渡しています。
B 無料或いは優待価格での粉ミルク提供を含めて、保健・医療施設{病院、産院など)に販売促進活動してはならない。
再びメールによると、例えば、某社は3ヶ月児を対象にミルク栄養児向けの離乳食指導とプレゼント。各栄養士は諸々の指導の際、ママに住所や電話番号を聞いて以後のフォロウアップに備える。育児表をプレゼントなどなど。
C 会社派遣の栄養士・看護師を使って、母親にアドバイスを与えてはならない。
同上
D 医療関係者に贈り物をしたり、個人的にサンプルを配布してはならない。保健・医療従事者は母親に製品を渡してはならない。
ある助産師さんの訴え:ミルク会社は病院には栄養士を、医師には営業マンを派遣し、ミルクの根をママたちに植え付けています。医師は営業マンを通じてミルクや離乳準備期の飲み物、パックジュース、牛乳、パンフレットの提供を継続的に受けたり、保育器を買ってもらったり、飲食の接待、学会参加などの接待をうけ、ミルク会社は病院にミルクを根付かせています。多くの病院でもこの様な利害関係が出
来上がっているのでしょうね。今日のデラックスな施設やアメニティー志向の強い妊婦さんの要望にこたえるために、多 くの施設でこの様な現実があり、今更医師や病院が母乳育児への方向転換を望んでも、それが大きな
足かせとなっているようです。加えて乳製品の原価を高める一因ともなっている点を考慮するならば、両者の関係は高速道路と自民道路族の関係に似てなくもないようです
。
E 乳児の画像を含めて、製品のラベルには人工保育を理想化するよう言葉、あるいは画像を利用してはならない。
美しい赤ちゃんの写真や絵を使っての広告。カレンダーの健康そうな赤ちゃん。そこに写っている人工乳の缶、企業のロゴ、名前も違反です。又、例えば「哺乳瓶はママの分身」も違反。現実には各産院や病院の廊下や待合室に可愛い赤ちゃんの写真入のカレンダーなどが満開と咲き誇っています。
F 医療関係者への情報は科学的で事実に基づくものであるべきである。
お母さんや産科医療者が受け取る母乳育児に対する情報量と、母乳代替品{人工乳や哺乳瓶)についての両者の情報量が余りにも不均衡すぎるうえ、厚生労働省からも母乳育児についての情報は必ずしも十分に提供されているとはいえません。又、メディアを通じての正確な母乳育児についての情報もまた余りにも乏しいのが現状です。又、保健センター所属の保健婦さんたちの母乳育児についての不勉強ぶりも又目に余る施設をよく耳にします。
乳児の人工栄養に関するすべての情報は、母乳育児の恩恵と優位性と、人工栄養に伴う経済コストと危険性を説明していなければならない。
其の他・・・
このWHOコードに対し日本産科婦人科医会からの反応は、小生の知る範囲では見られません。どうやら別世界の出来事のようです。一方、日本助産師学会では2003年の日本助産師会総会においては、乳業会社の広告内容を、治療用乳製品や補助栄養食品類に止め、通常の人工乳製品の広告を制限したという事です。
今日の人工乳製品の改良と進歩は素晴しいものがあり、そのお陰で幾多の赤ちゃんの生命が救われたことも事実であり、私とて高く評価するに吝かではありません。しかし今日のわが国の産科医療の現状は、全ての産科施設がそうではではないにしても、人工乳は母乳に代わるべき文明の果実であるかのように受け止め、更に商業主義の渦の中に巻き込まれてしまった末、乳児栄養の中での人工乳の占めるべき本来の位置を見失い、多くの母と子が母乳育児を楽しみ、権利としての母乳育児の恩恵を受ける機会を失しなっているのが現実でしょう。人工乳はあくまで母乳がどうしても得られない場合、何らかの理由によって母乳を与えることができない場合における非常食、止むをえない代用品と考えるべきではないでしょうか。
このWHO コードに関して、最近では販路を求めた過剰な販売攻勢をうけている東南アジアのNPOからも、その尊守の要請が日本のNPOに届いています。
又、問題は人工乳だけに止まらないで、補乳に伴う補助製品の問題もあります。例えば人工の乳首を使った哺乳瓶についても、乳頭混乱(ゴムの乳首でミルクを与えると、以後母親の乳首を吸わなくなる現象)が発生する危険性についても、多くの産科医療者はなんら考慮にいれることなく、安易に哺乳瓶を使用していているのが現状です。
赤ちゃんにやさしい病院
1992年に、8月1日が「世界母乳の日」、8月第1週が「世界母乳週間」と定められた事を記念して、故山内逸郎先生のご提唱で開かれた「母乳をすすめるための産科医と小児科医の集い」を原点としてスタートした母乳育児の実践運動は、その後助産師さん、看護師さん、保健師さん、お母さんなどの参加を得て、「日本母乳の会」へと成長しました。
会の詳細については、そのホームページ(http://www.bonyuweb.com),岡村のホームページ{http://www.osk.3web.ne.jp/〜bonikuji)を参照していただきたいが、WHO&ユニセフより委嘱された本邦におけるBaby Friendly Hospital Initiative (BFHI)認定するための審査や母乳育児シンポジウム、ワークショップの開催,そして母乳育児支援団体との連携や活動の支援,本の出版など多岐に亘っています。
本会の目的とするところは、WHO&ユニセフの提唱する「母乳育児成功のための10か条」を推進する事により、十分な母乳を確保し、母乳育児率の向上を図る事にありましたが(BFHI認定施設では生後一ヶ月の母乳育児率が9割を越すことを実証)、最近では会の活動の力点を、母乳確保へ向けての技術的援助から、母乳育児中のお母さんに対する「emotional support]に置き、精神的な親子関係をより重視して母乳育児を楽しんでいけるようにお手伝いする方向へと変更しています。
このBFHIを全国の全ての産科施設に広げよう、一人でも多くの赤ちゃんに母乳育児を楽しんでもらおうと言う運動の歩みは遅々たるもので、発足以来12年を経ても未だ30施設を数えるに過ぎませんでした。しかし、2000年、東京日赤医療センターがBFHIに認定され、愛育病院、聖路加病院、聖母病院、東京女子医大病院などによる東京母乳の会が発足した頃より、漸く多くのボランティアたちの夢が実り、大学附属病院やNICUを有する各地の基幹病院の本格的な取り組みが始まると共に、既にBFHIの認定を受けた施設も現れています。漸く母乳育児の山が動き始めたようです。
ただ残念なことですが、当地大阪を中心とした近畿地区はBFHI発展途上地域に属しており、BFHIに認定された総合病院は未だ1院も存在せず、母乳育児を受ける権利を行使出来ない赤ちゃんの多い地域となっています。
「すこやか親子21」は厚生労働省が提唱する国民運動生活(2001〜2010)です。その理念の基本はヘルスプロモーションといわれ、妊娠、出産や育児を通じて人間として成長しながら、親子が「豊かな人生」を送れるよう、そして、育児に関しては個々の親子を支援すると共に、地域・社会の構成員が一緒に「子どもの育ち」を支援しようとするものです。果たして2010年達成を目指しての運動を通じて、私たちの赤ちゃんはどのように大切にされ、幸せを運んで頂けるのでしょうか。
しかし、「すこやか親子21」運動における赤ちゃんや母乳育児中の親子を巡っての対策となると、残念ながら具体制に乏しいと言わざるを得ません。日本母乳の会も専門団体として参加していますが、何故かお門違いともいえる第2課題の「妊娠・出産に関する安全性と快適さへの確保と不妊への支援」部門に配属され、より関係の深いテーマと考えられる第4課題「子どもの安らかな発達の促進と育児不安の軽減」部門ではありません。しかも第4課題では、そのテーマに対する具体的な推進運動を巡っても、「住民自らの行動の指標」として、”出産後1ヶ月時の母乳育児の割合を増加傾向へ持って行く”のように、漠然とした表現に止まっていて、具体的な数字目標は見当たらず、希望的要望が記してあるに過ぎません。しかしこの様な制限された状態ではありますが、日本母乳の会は幹事団体としてこのテーマに取り組み、その中に漸く他の運営委員の方々にも、育児支援の流れとしての母乳育児の重要性を理解していただけるところまでたどり着いています。歩みは遅いようですが、赤ちゃんのため着実に一歩一歩歩みを進めていますからご安心ください。
又、厚生労働省の出先機関であリ、実行機関でもある行政・関係機関の第一線の対応に関しても、例えば私の居住する堺市は目下政令都市になるべく努力中の中堅都市ですが、各保健所の日常の保健活動を通覧しても、母乳育児に対応した支援業務や診療活動の拡大の活動は皆無の状態です。「すこやか親子21」の課題2や課題4に見られるような、母子への優しい具体的な対策が、改めて取り組みが始まったという情報は目や耳に入りません。どうやら無策・無関心のまま放置されているのが現状のようです。昨年の母乳育児シンポジウムでは、日本各地の保健センターを中心とした母乳育児推進活動が幾つか報告されましたが、私の住む堺市の行政当局や保健所の多くは、この点では”目下冬眠中”のようで、これがわが堺市の母子保健第一線の現状です。
また、具体的に保健業務を母乳育児関連の内容に絞ってみても、保健所などでの保健師さんによる母乳育児中のお母さんに対する指導は低レベルであり、依然としてかなりピントのずれた事例は跡をたちません。つい先日もこの様な訴えがありました。保健所に生後1年目の検診に行った或るお母さん、”あんた何時まで母乳を飲ませているの!そんな事をしていると出っ歯になるわよ”といわれ、一瞬何の事かとあっけにとられたそうです。でもそのお母さん“お心遣いは有難いのですが、私は自分の考えで母乳を続けていますから・・・”と言っておきましたと。母子手帳から断乳の言葉が消えてから、早も2年経過しているにも拘らず、この保健師さんも又転寝中だったご様子です。
しかし母子手帳に見られるように、”断乳から卒乳へ”と赤ちゃんの心を思いやる育児へと改正が進んだと喜んだのも束の間、最近政府の行政方針は、かつての母子相互作用の研究奨励に象徴される親子の信頼関係の機序解明とその強化、そして愛着形成へのサポートと言ったような、母子の心や絆というテーマから関心が離れてしまったようです。そして今後予想される少子化に伴う労働力不足に対応するため、海外からの労働力輸入は問題が多すぎるとして、現在家庭で育児に専念している主婦を、扶養家族の特別控除を撤廃したことに代表されるように、少子化社会対策として労働力確保へと動員する方向へと政策の転換を図っています。聞くところによると母性を否定したい考えの人たちが、子育てにかかわる行政の主導権を握っているとか。
その結果専業主婦を育児より労働源として捉える立場に立って、お母さんが赤ちゃんとスキンシップを楽しみながら子育てと教育に専念できる主婦を労働戦線へ駆り立てる方向へと進み、その代わりに、託児所増設による育児の集団化・社会化へ向けての政策を重点的に押し進めています。勿論保育所が全く不要というわけではありません。これからの社会にとってその量的な拡充も又望まれます。しかし少子化対策は少子化社会対策では決してありません。どうも少子化対策の入り口と出口を間違えているのでは。しかもこの少子化社会対策は、大人優先・大人本位の実利思想で貫かれており、赤ちゃんの立場に立った、赤ちゃんへの思いやりといった視点に欠けています。
どうやら母子の心理的一体感を重視し、ヒトを愛し、信じ、思いやる心を育て、人間関係を大切にする母乳育児にとっては、厳しい時代がやってくるような予感がします。
母乳育児と男女共同参画社会
一方、「健やかおやこ21」とは別に、1999年の国会を通過した男女共同参画社会基本法は、男女両性が性別にかかわりなく、誰もがその人らしく伸びやかに生きられる社会を目指すと、その理念を挙げています。その理念だけをとるならば、男女の差別をなくし、男女平等の社会実現を目指す政策のように思える素晴しい法律です。しかし、現実には教育の現場などでは、男女の差別に止まらず、男女の区別もなくしてしまう方向,つまり区別する事は差別の始まりという論理へと進み、更に例えば鯉幟と武者人形やお雛祭りのお雛様を贈る事を男女の差別に繋がる悪しき伝統的文化として否定的に捉え、おひな祭りとか端午の節句自体も男女の区別を図る同様な悪しき行事と言うように、更に、師弟,女医、嫁・婿,老婆、家内などの言葉や美咲、さくらと言う優しい名前や翔太、翼などのスケールの大きい名前をつけたりするのは良くない慣習とし、また、生まれた女の子に子と言う名前をつけるのは止めるようにしましょうなど、表現の自由を抑制する言論統制まがいの刊行物を出すなど、その過激さ、行き過ぎぶりが注目を浴びています。つまり、男性と女性とを区別することを差別とする考え(ジェンダー・フリー)が今や政府の中枢、つまり霞ヶ浦から発信された結果、それを地方自治体や教育の場で公共団体や日教組が率先して実践に移し始めたのですから、今後その影響は計り知れません。
この家族解体とか伝統的文化破壊に繋がりかねないジェンダーフリー思想の蔓延を食い止めようと、内閣府男女共同参画局は02‘年次のような政府及び同局の見解を通達しています。例えば、『ジェンダーフリーという用語は法令などで使用されてはいない』「男女共同参画社会は男女の差の機械的・画一的な解消を求めているものではない」『男女共同参画は、個人の内面にかかわる“男らしさ”“女らしさ”や。伝統文化などを否定しようとするものではない』などと明記してあり、更に国会答弁でも、福田前官房長官は男女の差別と区別を混同した『行き過ぎ』が問題だと答弁しています。
しかし現実には各地の地方自治体や教育の場では必ずしもこの通達は守られていません。先日もロータリークラブに教育委員会の方が卓話に来られ、現在の堺市の学校教育の基本方針は『男らしさや女らしさ』を否定し、今や『自分らしさ』を方針としていると明言していました。行政的にも当地堺市では男女共同参画推進条例の制定が進でいるようで、其の中には先に紹介したような『性別による固定的な役割分担などを連想させる表現』を行わないようにと規定してあり、『表現の自由』の制限に繋がりかねない内容となっています。又リプロダクティブ・ライツについても、『権利』とは明記していないが、実質的に『性の自己決定権』認定に繋がるように規定してあり、子どもの権利条約や子どもの権利宣言も認めている胎児の生命権や優生保護法との整合性が問題となります。
さてジェンダー・フリー社会が成立し、その理念に従って男性からは男らしさを取り去り、更に女性からも女性性を、つまり、母親からも女らしさを奪ってしまった場合、子育て自体への影響は計り知れないものがあるでしょう。父性や母性(赤ちゃんを慈しむ心)を軽視、更には否定し、母性を発揮できないような社会、母性に乏しいお母さんに育てられる赤ちゃん、その赤ちゃんたちは幸せな日々を送れるのでしょうか、そしてどのようなヒトに成長するのでしょうか。現実の問題として、例えばわが国の教育の現場で『男は男らしく・女は女らしく』を否定した教育が行なわれた結果、日本青少年研究所がアメリカ・中国・韓国・日本の高校生に実施した意識調査によりますと、「女は女らしく」と考える比率が日本の高校生では際立って低いと言う結果(肯定:日本28%、米国58%、中国72%、韓国48%)が報告されています。既にジェンダー・フリー教育の影響は、私たちのジュニアたちにそこまで忍び寄り、定着しているのです。
しかし、国の政策として施行しているこの「男らしさ、女らしさ」を否定しさる根拠を、医学的に考えると一寸疑問が生じます。というのも次のような医学的な或いは生物学的な知見が知られているからです。
私たち人類では、男性の胎児の場合、妊娠16週を中心に12〜22週にかけて、胎児の精巣から分泌されるアンドロゲンのシャワー(成人男性の血中濃度より少し低い程度)によって、外部性器の分化・発達が始まるだけではなく(女性の胎児では分泌は起こらない)、同時にその男性ホルモンは脳にも作用して、脳の性分化も生じています。その結果この時期のアンドロゲンの有無によって、幼児の行動パターンに大きな影響を与えている事実が詳しく報告されています(金沢大医・佐藤保)。このことは、私たちの幼児が男性型、或いは女性型の遊びをするかどうかの行動パターンは、出生前のホルモン環境によって予め影響を受けている、つまり、生まれた時点で、身体的な男女差ばかりではなく、脳もまた男性ホルモンの影響を受け、男性らしさ或いは女性らしさの方向付けが、ある程度なされている事が証明されています。
尚、男児に対するこのアンドロゲンの作用に関して、依然謎も残されています。それは生後2日目から6ヶ月にかけても、成人の半分位の量の多量のアンドロゲンが分泌されている事実です(女児では分泌されない)。ラットの場合と同じように、出生後に分泌されるアンドロゲンも性の分化にも影響するのでしょうか。以後思春期まで最早アンドロゲンのシャワーを浴びる事はありませんが、その役割やその作用機序の解明が待たれます(ブレインサイエンスシリーズ16、脳の性差ー男と女の心を探る・新井康允)(NHKブックス女の脳・男の脳、田中富久子)。
最近Institute of Medicine(米国医学研究所)から Exploring the Biological Contributions to Human Health /Dose Sex Matter?(性差医学入門・女と男のよりよい健康と医療のために)と題して性差生物学という新しい科学の分野を紹介する本が出版されました。この頃世に出回っている一般受けを狙った性差物とは完全に一線を画する内容です。そのなかの“性特異的行動とジェンダーアイデンティティ”の項で、ヒトの性特異的行動、とりわけジェンダーアイデンティティの決定因子に関する議論に大きな影響を与えた事例が紹介されています。その事例の示すところは、特異的なジェンダーアイデンティティは、養育の性によってのみ決定されうるという、この既に確立されたとジエンダーフリー論者たちが主張する考えに衝撃を与える報告です。つまり生まれた赤ちゃんの時には男性も女性も無いのに、社会とか環境によってその後性差が生まれ作られるというジェンダーフリー論者の主張を根底から揺るがす報告内容でした。 正常な精巣を持つがペニスは奇形または欠損している少年たちについての現在進行中の研究は、ジエンダーアイデンティティの決定因子と順応性に関して、体系的な証拠を提供しています。その予備報告では、そうした女性の性を割り当てられたXY染色体を持つ子どもたちの半数以上は、彼らの男性特異的な胎生期におけるアンドロゲン暴露(シャワー)と一致して少年と認識していて、女性特異的な養育とは一致していない。しかし興味深いことには、そうした子どもたちの何人かは女性としての判定を受け入れ続けていることである。 つまり遺伝的にXY染色体を持っているにも拘らず、女性として養育されている少年たちのうち幾人かは自分を女性として受け入れていて、女性的な性特異的行動をとるようになっていたが、しかし、その少年たちの多く・・・半数以上はXY染色体によって胎生12週から22週及び新生児期にかけて生じたアンドロゲンシャワーの作用によって、女性的な養育を受けているにも拘らず、XY染色体に一致した男性的な性特異的行動を取っているという報告です。 なお、男性特異的な胎児ホルモンレベルを持った個体で、女性として育てられても男性特異的なジェンダーアイデンティティが発達するものもいる一方、何故その他の個体では、同じ環境でも女性に特異的なジェンダーイアデンティティが発達するのか未だ不明であるとしている。(性差医学入門、2003、じほう)
生下時から存在する男女の赤ちゃんの違いについて、エストロゲン(卵胞ホルモン)の量による影響の違いも知られています。 「女性と男性は生まれたときから実はエストロゲンの分泌量も違うから、女の子の赤ちゃんの反応と男の子の赤ちゃんの反応は違います。生後数ヶ月の男の赤ちゃんはガッツで動く。お腹がすいたらギャーと泣いて,自分の内臓の感覚に反応して行動しているんです。これに対し、女の赤ちゃんはじっと外界の様子を観察し、それに反応する傾向があります。明らかに違うのです。だから大人になってよいパートナーシップが組めるようになっているのだと思います。どっちが上か下かではなく、両方あって響きあう関係が大事です。」(渡辺久子・赤ちゃんの心ー乳幼児精神医学の誕生、星和書店)
上に述べたアンドロゲンシャワーという現象や性差医学入門に紹介されている少年たちの例について見ると、そのアンドロゲンシャワー発生と其の時期は既に生前より染色体のDNA上に予め設定されていて、その結果生じる生理的な現象であると考えるならば、或る意味では生まれるまえから男女の性向や得て不得手の傾向が方向付けられていると考えられるのではないでしょうか。「男は男らしく・女は女らしく」を否定するゼンダー・フリー教育は、このような出生時より既に身体に備わっている、医学的な男女間における内分泌環境の違いによる生理的な流れを曲げてまで、なぜ『男らしさ・女らしさ』を矯正(?)しようとし、男女の区別までをなくすことを目指しているのでしょうか。この運動を推進している方々は、母子相互作用の軽視にも見られるように、一般的に医学的・生物学的事実を無視したがる傾向が強いようです。
又、少し視点を変えると、ジェンダーフリー教育による影響には、この様な話もあります。高校の家庭科教科書の指導資料には、『愛がなければ性交してはいけないと言う考えを押し付けてはいけない』とあり、売春とか援助交際などの非行に対して、『駄目だ』と禁止するのは古いモラルの押し付けで『強制』だからいけない。もっと生徒の「権利」とか『主体性」を尊重しなければという訳です。その影響を受けた結果からでしょうか、今、中・高生の68%は『同年代の見知らぬヒトとセックスする事』はかまわないとか本人の自由と考えるだけではなく、「見知らぬヒトとのセックスで金を貰う事、つまり売春は本人の自由」とする子どもが51%もいる(警視庁の意識調査より)と言う現実。最近のジェンダー・フリー教育によりこの様なモラル(?)を持った新・新人類が私たちの次代を担うべく登場してきています。
この様な教育を受けた世代においては、母乳育児、父性とか母性、親子の絆など、どのような位置を占める事になるのでしょうか。悲観的にならざるを得ません。最近連日のように報道されている私たちの常識では考えられないような親からの児童虐待や育児放棄の数々。時代はそこまで来てしまっているのです。なお、最近マスメディアを賑わす児童虐待防止の因子としても母乳育児は注目を浴びています。その虐待の原因を多角的に分析しておられる小泉武宣氏は、児童虐待防止の立場から防止へ向けてのプラスのカードとして、“そばにいて心配してくれる人の存在が一番大切であり、母乳育児と充分な抱っこの重要性”を指摘しています。
私はフェミニズムを全否定しようとするものではありません。男女平等は法的にも現実の社会的においても当然あるべき理念です。でもその唱えている男女は全てを同じであろうとする男女均一論は、もうそろそろ乗り越えて卒業する時期に来ている(清水将之、赤ちゃん心―乳幼児精神医学の誕生、前出)のではないでしょうか。お互いが男女の違いを認め合った上で、お互いの長所や短所を補い合った上で、オーケストラのように調和しあう関係の世界を目指す事は出来ないものでしょうか。でなければ又しても其の被害を最も蒙るのは私たちの赤ちゃんなのですから。
犬養道子さんは女性の社会進出や地位向上について、「『日常の家事』を『奴隷的』とするかしないかは、会社で働く男性が『奴隷的』となるかならないかと同様、それに携わる人間如何にかかわるのであって、仕事自体にかかわるのもではない。そして家事をどう見るかは当人の意識の問題である。ただ男性を標準として戦いを挑むのではなく、男性と異なる女性の特質をよりよく引き出す、もっと積極的・具体的な発想法を打ち立てねばならないとして、両性の特質と価値を大事にしようと呼びかけています(男対女、中公文庫)。ジェンダー・フリーを考えるに当って、この問題提起は重要だと考えます。
さて、外国の子育て支援は、育児や子どもの教育に関わる大切な存在としての主婦を支援し、在宅育児手当など手厚く家庭保育を保護しています。一方、わが国の子育ての場では、これまででも家庭で子育て中の主婦には極めて冷淡だった一方、労働者として家庭外で働いている女性の支援には熱心でした。これを金銭面から見ると、専業主婦に対してこれまで僅かながらあった配偶者特別控除や保険料免除は取り消されてしまいました。一方働きに出た母親の場合、労働の代価として受け取るお給料の他に、国と地方公共団体が保育園に預かる子ども一人当たり(東京都品川区)一ヶ月20万円、ゼロ歳児では60万円(足立区41万円)の公費負担があります。つまり保育所を利用する家庭にのみ多額の公費が負担されていることになります(読売新聞・論点、明日への選択)。或る試案によると、両親と三歳・一歳の子どものいる家庭が二人を保育園に入れた場合を在宅保育とを比較すると、公費補助は家庭で育てた場合の五十三倍になるという。驚くべき数字ですが、これらの手当てを在宅の主婦にも平等に家庭育児手当として支給できないものでしょうか。きっと出生率も向上するに違いありません。
更にお叱りを覚悟の上でゲスのかんぐりを言えば、保育園にわが子を預けて働きに出るならば、今日のお母さんが負担と感じ、苦手とする育児の煩わしさ(?)から暫し解放され息抜きが出来るだけではなく、得られた余裕の時間と金を利用してグルメを楽しみ、ブランド物も購入出来る上、国内外旅行などの家庭の主婦では難しい楽しみを享楽する事さえ可能となるのです。育児を犠牲にする代償として。
でも育児の社会化や女性の社会進出さえ出来れば、バラ色の世界が私たちを待っているのでしょうか。私たちは幸せになる事が出来るのでしょうか。母性を否定し、男女の完全平等,女性の社会進出、更に高福祉社会実現を目指し、又実現されたと嘗て10年ほど前までは「理想的な福祉国家」と考えられていたスウェーデンは、国を挙げた育児の『社会化』を推進し、出産後間もない子どもを母親から隔離して、保育所で育ててきました。その結果、今やスウェーデンは子どもの犯罪が増加し、世界一の犯罪大国になったと言われています。
この事実は驚きの方も多いと思われるので、もう少し具体的に紹介しましょう。家庭から外に出て働く事に女性の自由と独立があると考え、働きながら子育てをするのを望ましいとして、就学前の子ども持つ母親でさえ約8割が就労しているスウェーデンでは犯罪の実態は犯罪王国と言えるほどで、いまや人口10万人当りの強姦事件は日本の20倍以上、強盗は日本の100倍以上発生しており、平均犯罪(殺人は含まない)もまた日本の7倍、米国の4倍、そして殺人もアメリカと同程度に高いと報告されています。
更に離婚率も50%を越え、欠損家庭も多く、都市部の家族形態の中では母子家庭が尤も多く、次が再婚同士とその連れ子の家庭、三番目でやっと両親とその子、4番目が父子家庭・・・このように母性と父性を欠落してしまった夫婦による家庭の崩壊というより、寧ろ家庭そのものがなくなったと表現される現状(福祉国家の闘い・武田龍夫・中公新書)は、男女平等・高福祉社会と言う理想実現へ向けての困難さと厳しさを物語るだけではなく、まかり間違えば、明日はわが身と言う可能性を示唆しています。
福祉国家を目指す日本にとって、このスウェーデンの実現した豊かさと平等は見習うべき点は少なくありません。しかし福祉の肥大化と官僚化、少子高齢化と家庭の崩壊、青少年の犯罪の増加という、この悲しい試行錯誤は大いに参考にすべきでしょう。しかも、離婚家庭や青少年の犯罪増加に見られるような最近のわが国社会の現状を見ると、既にわが国でもそのスェーデン化の症状がかなり進行しているようにも思えますが、皆さんはいかがですか。
国策として専業主婦を無くし、育児の社会化へと向かおうとする、そしてジェンダーフリーを基礎とした男女共同参画社会実現へ向かっているわが国の今後を占う場合、このスウェーデンの現状は、わが国の未来像を暗示するもののようにも思えるのですが。
保育所は量より質的充実を
ところで先日この様な映像が某テレビ番組で放映されました。2ヶ月でわが子を保育所に預けて働きに出たお母さんの、その理由です。『育てているうちに段々とこの子に愛着がわいてきました。これ以上可愛くなるともう離れられなくなると思い、愛着がもっと深まる前に保育所に預けて働きに出ました。ゼロ歳児の保育所、本当に助かります」。
又この様なことも知られています。延長保育は午後10時頃までやっていますが、通常お母さんの仕事はそれより早く終わります。するとお母さんは先に我が家に帰り、食事を済ませ、風呂に入り、ゆっくりとテレビを見てから10時頃保育所にわが子を迎えに来る母親が増えていると言う。又この様な母親の例も聞きます。夜中に赤ちゃんのおしめが濡れても、朝、そのまま保育所に連れてくるお母さんが増えている。子どもに朝ごはんを食べさせてこないお母さんも増えている。保育所がオムツを替えてくれる、朝ごはんを食べさせてくれると考えているのです。
保育所はこれからの少子化社会へ向けて、必要な制度です。でもこのお母さんたち、何か大切な事を忘れてしまっているのではないでしょうか。早期ゼロ歳児保育や十数時間に及ぶ保育は赤ちゃんの立場からすると児童虐待でもあるという発想は起きないものでしょうか。また、ゼロ歳児保育や延長保育そして保育所の増設だけを努力目標としている政府の政策は、果たして私たちの赤ちゃんにとって幸せを齎すものでしょうか。そしてこの『子育ての社会化」は一方では母と子の関係をより引き離してしまう上、育児体験が無く、乳児や幼児を理解したり接するうえでの育児のノウハウが分からない母親を、ますます増やす結果をも招いています。保育所の抱える問題点は、いまや量的拡充と言うテーマと並んで、ソフト面より、つまり保育の質的向上、赤ちゃんに本当にやさしい保育とは何か?というテーマへ向けての検討もまた緊急の課題になっていると思われます。
次に保育児の低年齢化と保育時間の長時間化に関連して、マークス寿子さんは次のような英国の保育政策を紹介しています。福祉国家といわれるイギリスでは、保育料の安い公共保育所を作らないという政府の方針が50年も続いています。イギリスでは3歳までの子どもは預からず、母親が育てるべきだというわけです。どうしても子どもを産んで働き続けたい女性の場合、「ナニー」と呼ばれる代役を頼みます。母親の稼ぎは殆どその給料で消えてしまいますが、給料の高いのは当たり前で、安く母親の代わりを作れというほうがおかしいのでは。子育てには時間も手間もかかるというのが常識なのです。なお、東京都も江戸川区だけは一歳までの子どもは保育所に預けないという制度です。これも立派な見識ではないでしょうか。
赤ちゃんにやさしい保育所以前の問題として、今日の若い親たちの育児能力の低下は上にも紹介したように、目に余るものがあります。保育所は家庭における育児の鏡の役目を果たしていますが、現在の家庭における育児の混乱ぶりと母子の葛藤を反映するような子ども達の姿、また、本来の保育園の有する意味を取り違えた結果、今日の保育園でよく見られる痛ましいというより、恐ろしいともいえる子どもたちの現実の姿の数々が、第10回母乳育児シンポジウムで紹介されました(福田雅文・第10回母乳育児シンポジウム記録集より)。
『愛されなかったお母さんが子育てを始めたら自分の子どもを愛せないのが当たり前なのです。愛された事のないヒトが、子どもを、ヒトを愛せと言うのは無理な話です。自己中心的に育てられたら、やはりその通りにお母さんはやってゆく。児童虐待は確実に親から子に、子から孫に伝わっています。今見ている子どもたちがもっとひどい形で子どもを育て、虐待してゆくでしょう。今子どもを無視して抱かない、愛さない、子どもの心を無視する、こういうヒトが増えているのが現実です。
そして今保育園で何が起きているかといいますと、自分の要望がかなうまで自分の自己主張を続ける子ども、友達に八つ当たりする子ども、泣きっぱなしで殆ど泣き止まない子ども、その場に適応できない、どうしてよいか分からない子どもたちです。もっと恐ろしいのは、無表情の子どもがいる事です。殆ど感情を表情に表さない。そして更にもっと怖いのは、抱かれる事を嫌う子どもです。抱こうとしてもそれを嫌がるんですね。子どもは親が家庭でしている通りに、保育園でしているのですね。』
この様な恐ろしい事態が目下進行中ですが、子どもは親の真似をするといわれますが、私たちは今日児童虐待の場でよく見られる世代間伝達の現象についても忘れる事は出来ません。“児童相談所に保護されてくる殆どの非行児は、乳幼児期から、虐待などの関係性障害(心のすれ違い)を持ち、其のトラウマは癒される事なく蓄積されています。そして、最近の若者の凶悪犯罪の影には、殆ど乳幼児期からの関係性障害の累積が報告されているといわれます。この虐待に代表される関係性障害は、どうしても周産期に予防しなくてはならない”のではないでしょうか(澤田敬・周産期医学、2004・3)。
母乳育児と各国政府の対応
当初母乳育児を成功させるための10か条は、発展途上国向けに考えられた勧告であって、わが国を含めて医療先進国には必要ないと言う意見がわが国の産科医療者には数多く見られましたが、母乳栄養ではなく、母乳育児という言葉の持つ意義が漸く理解されるようになり、欧米先進国でも近年急激な普及が始まりました。
欧米社会における母乳育児事情をみると、産業革命以来徐々に母乳栄養は低下を始め、1960年代には13〜15%にまで減少しました。しかし近年にいたって、母乳育児に対する認識が改まると共に、国家レベルでの母乳復権運動に努めた結果、最近の30年間に欧米諸国では75〜90%にまで回復しているといわれます。(もっと知りたい母乳育児・メディカ出版)
又、お隣の韓国の母乳事情とそれに対する政府の対策は私達に多くの示唆を与えてくれます。1960年代95%の母乳授乳率だった韓国は欧米と全く逆の経過をたどり、経済発展や都市化の嵐に押し流され、1990年台の韓国文献の母乳率は11.4%〜35%へと激減しました。しかしそれに驚いた韓国政府の対応は、以下に紹介するように実に具体的且つ現実的な政策です。
1992年 母乳哺育増進のための汎女性運動と大討論会
1993年からのUNICEF韓国支部主管でのBFHI運動と分娩室・新生児室に勤務する看護婦
・補助看護婦などに対する巡回教育、ワークショップなど
1994年からの母子同室実施病院に対する国家医療保険料引き上げ支払い、
1995年から前述社会団体等と保健福祉部が一体となり、国家規模の健康な母乳児選抜大会
1999年には韓国保健福祉部講演の母乳哺育促進のための歌詞、作曲、写真などの懸賞募集
近年では、乳製品広告禁止法も制定施行されたとか。
それにしても国情や民族性の違いもありますが、母乳育児へ向けてのわが国と韓国政府の対応は余りにも違いすぎるようです。それにしても赤ちゃんに冷たいわが国行政の反応、我が民族の自己改革能力の貧困さ・・・。
古来わが国の赤ちゃんは、出生直後から川の字のように両親の間に寄り添って寝かされていました。常に両親の声を聞き、匂いを嗅ぎ、肌の温もりを感じ、愛されている事を実感しました。そして何か不安を感じたとき、空腹を訴えた時、オムツが濡れて不快なとき等、訴える事によって、直ちにその悩みは解消されました。このように赤ちゃんにとってその時々の欲求が、いつでも満たされると言う生活体験、肌と肌が直接触れ合う生活を通じて両親に対する信頼感そして母子の心理的一体感を育み、更に、他者を信じ、愛し、思いやる心を自然と身に着けることができました。(日本人の子育て再発見・フレーベル館)
大人本位の西洋式育児法
明治以来育児の欧米化は徐々に進んでいましたが、敗戦と共に全面的に川の字育児は否定され、育児思想に劇的な変化が起こりました。赤ちゃんの生理や心理を棚上げし、“規則性”を育児のベースにおき、赤ちゃんの時から大人本位のルールを厳しく仕込もうと言う西洋式育児法が急激に普及しました。添い寝やおんぶは否定されました。赤ちゃんにも個室を与え、ミルクは時間を決めて正確に規則正しく与える、”泣いたから抱っこ”は抱き癖をつけ、依頼心を植えつけるばかりか、自立心が身につくのを妨げるからよくないというわけです。この大人の論理優先の赤ちゃんに厳しい育児こそ、赤ちゃんの将来の自立へと繋がるという考えでした。赤ちゃん自身も、出生直後から個人としての独立心が要求される赤ちゃんに極めて厳しい育児法となりました。皆さんのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんは、この様な西洋式育児法に従がって、現在の出産・育児適齢期の皆さんを育児した経験者であり、また、其の育児思想の信奉者になったのです。
このような当時の育児の基本的な考えは、母子の結び付けを密にするより、引き離す方が良いと言うものでした。そして育児思想のこの様な流れに加えて、母親としての役割より女性の権利を重視するフェミニズムの考えも同時に導入され、その傾向に拍車をかけました。
時あたかも高度成長期にあたり、都市化、工業化など大きな社会変革のうねりの進行した時代でした。加えて、新生児室への母子分離と時間を決めてあたえる人工乳保育に代表される施設分娩の増加と言う時代の流れが、大人本位の育児法のあり方を定着させてしまいました。そしてこの地域社会の崩壊と核家族化と言う、大きな社会環境の変化に加えて、この様な育児を巡る環境の変化は、当時アメリカでは既に現実の社会問題となっていた母子や人間関係の希薄化と母乳育児の減少という不幸な現象を、わが国が後追いする結果を招く事になりました。
「抱っこ」評価の変遷
当時出版された育児書に基づいた抱っこの評価(吉永による)
敗戦後より昭和42年まで : 抱っこは抱き癖の原因であり、抱き癖をつけないこと
が重要
〜昭和40年台半ば〜 : 抱っこやあやす事を奨励する本が出始める
昭和50年代以降現在 : 抱っこを全面的に奨励。
抱かれる子ほどいい子に育つ
1970〜80年代以降になると、それまでの赤ちゃんに厳しい育児法が反省されるようになった結果、育児の主流は大人本位の育児思想を克服し、スキンシップを楽しみ、優しく赤ちゃんを包み込み、抱っこする事によって母と子の心理的一体化を図ろうとする育児法が市民権を回復してきました。国際的に見ても、かつては(日本敗戦当時)赤ちゃんに対する寛容性を批判されたスポック博士の育児書も、いまや保守的とさえ言われるほどに抱っこが奨励される時代となりました(育児の国際比較・NHKブックス)。その結果、現在母子の絆作りを重要視する育児中のお母さんたちと、一方では、かつて抱っこを否定しスキンシップを軽視した、そして人工乳を母乳に代わる文明の果実のように評価した時代に育児体験を有する祖父母たちとの間に、育児の考え方や栄養法などについて意見のすれ違いが生じた結果、今日の育児の世界で混乱を招く大きな要因の一つともなっています。
そして今や、育児については先達(せんだつ)であり豊富な育児体験を持つ祖父母と、現在育児中のお母さんたちとの間で、基本的な育児の考え方をもう一度話し合い、勉強していただくことにより、積極的に育児サポートに参加して、育児の身近な縦の繋がりとなって頂くべく、孫育てセミナーやジジババ勉強会の必要性が叫ばれ、奨励されるようになって来ました。そして母子一体感を重要視する今日の育児思想を祖父母に充分理解していただき、そのうえで祖父母の知恵袋から、長年の育児体験によって身に着けている育児の精髄を、若いお母さんたちに伝授していただくようにお願いしたいものです。
然し、1950年代〜70年代を中心として大人本位・大人中心の効率を重視した育児体験を有する世代に投げかけられている問題は、現在育児中の両親と祖父母たち,つまり個々の家庭の世界に限定されるテーマではありません。
その時代に生活・育児体験を有する全ての日本人・・・それはその時代を共に生きた同世代の医師・助産師・保健師・看護師などの医療関係者、その指導を受け継いだ二世たち、そしてその人たちによって作られた制度や設備に投げかけられた疑問や批判だけに止まりません。更に、育児に甚大な影響力を有する新聞・テレビ・雑誌などマスメディア、教育者、政治家・・・など社会のあらゆる分野に亘って、この世代の大多数の日本人にとっては、大人中心・大人本位と言う色眼鏡なしでは、そして大人の立場に立ったフィルターを通してしか赤ちゃんを見ることが出来ない体質となってしまっていることが問題ではないでしょうか。
一億総懺悔ではありませんが、多くの大人たちに当時の育児思想によって身についている残渣についての再考と、赤ちゃんの人権や能力についての再評価の必要性を問うことが、わが国の未来にとって残された大きな課題ではないかと考えています。
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植物人間と考えられていた赤ちゃん
1950年代までの私たちの赤ちゃんは、その能力に関して言えば・・・視覚や、聴覚、などの感覚や脳機能は殆ど機能していない植物人間に近い存在と考えられていました。この誤解は妊娠、出産時、そして新生児の扱いや育児観に大きな影響を与えていました。生まれたばかりの赤ちゃんはただ泣いて、飲んで、寝るだけの存在だから、授乳時以外は場所を選ばず、ひたすら寝かせておけばよいという発想に繋がっていました。また、戦後におけるお産の扱いの場で、新生児室制度、母子分離や人工乳保育に象徴される周産期医療が抵抗なく受け入れられた大きな理由と考えます。
”静かな目覚め”のひと時
1960年代に至り、Wolff博士やBrazelton博士により赤ちゃんの意識レベルについて驚くような研究が報告されました。彼らは意識レベルを5から6段階に分類しましたが、そのなかでも特に静かな覚醒(めざめ・quiet alert)と言う意識レベルでは、お母さんと赤ちゃんとの間のお互いの交流が可能である事が理解されるようになりました。しかしその意義については必ずしも明らかではなく、母と子の表情のもの真似ごっこやエントレイメントと言う現象の解説に止まっていました。
しかし当時(1980年代)当院で出産したお母さんたち(対象350名)は静かな目覚めと言う意識レベルがあって、新生児といえどもいろいろな能力を持っている事を勉強しており、83名(23.7%)は母親を認めているのがはっきりとわかったと、また、はっきりとではないが256名(73.1%)の母親が認めているように思うと述べ、静かな目覚めのひと時を利用して赤ちゃんとの交流を深めていました。
その具体的な応答とは
@ 声をかけると耳を傾けるとか、泣き止む・・・201名(58.7%)
A 母の顔を注視し、視線で追ってくれる・・・176名(51.2%)
B 目と目でじっと見詰め合える ・・・175名(50.9%)
C 微笑んでくれた ・・・110名(32.0%)
D 口や手を動かして(エントレイメント) ・・・102名(29.7%)
E 声を出して答えた ・・・25名(7.3%)
F 表情の真似をする ・・・14名(4.1%)
この”静かな目覚め”と言う意識レベルの時間は、最近では親と子の対話、授乳時、そして出産直後の新生児覚醒期におけるカンガルーケアなどを通じて、母子交流が可能となるひと時としてお馴染みになっています。
座等市のような超感覚
胎児・新生児の能力に関しての新知見について見ると、1970年代初め迄は赤ちゃんの精神医学なんて笑い話のように考えられていたといいます。しかし、徐々に乳児にも学習能力を有するなどの知見や、母子の間に相互作用が発揮される事も認識されるようになりました。加えて、1980年代に入ってから画期的な発展を見せてきた乳幼児精神医学の成果は、赤ちゃんの能力にふさわしい対応、赤ちゃんにやさしい育児支援が求められていることが急激に理解されてきました。
その業績とは、アメリカで乳幼児の能力と心の発達を研究しているダニエル・スターンによる無様式の感覚と情動調律の概念の提唱で、胎児期後半を含めて新生児の持っている一種の超能力とか超感覚ともいえる能力です。例えば皆さんご存知の座等市の一場面です。”市さん本当は目が見えているんだろう?”との問いに市答えて曰く。「イヤー、見えてはいませんよ。でもわかるんです」と。この見えてはないがわかるんですと言う超感覚。胎児や新生児は、このような市の超感覚にも似た、意外とも思える感覚の持ち主なのです。
この無様式の感覚とは一つの知覚様式で受信した情報を、他の知覚様式に変換する・・・例えば接触感覚で感じた刺激を視覚でも感じる・・・のような能力です。又お母さんと赤ちゃんのリズムや波長が合い、お互いに”あうん”の呼吸で調和し、気持ちは通じ合っているときは、情動調律といって赤ちゃんは生理的にも情緒的にも安定し、豊かな母子相互作用は営まれる大切な状態です。
赤ちゃんの日常の生活の場では、この無様式の感覚と言う知覚様式で得た情報をもとに、自分を取り巻く周囲の雰囲気、例えば両親の関係を察知すると言われます。勿論赤ちゃんは両親の交わす言葉の意味は分かりません。しかし、その言葉のしゃべり方、抑揚やトーン、会話のリズム感やスピード、眼差しの優しさとか冷たさ、抱き方や筋肉の緊張などを総合して感じ取り、蘭の花にたとえられるような繊細な感覚の持ち主である赤ちゃんほど影響を受けやすいと言われます。明るい夫婦の家庭ならよいのですが、リストラに遭うとか、夫婦喧嘩の絶えない、暗くて沈んだ家庭では、赤ちゃんは自分を取り囲む雰囲気を感じ取り、母との視線を避けるとか、無表情、不活発などの症状が現れるようになります。そして長期的には自分の殻に閉じこもってしまった状況に陥った場合、赤ちゃんの以後の情緒の発達に悪影響を及ぼすことがわかって来ました(母子臨床と世代間伝達、渡辺久子、金剛出版)。最近サイレントベビーとか表情や感情の動きが乏しくて母親と交流しようとしない赤ちゃんの増加が指摘されているのは、最近の母子間の肌と肌との交流の乏しさを反映しているものと考えられます。
ブラゼルトン博士もまた同様に母子の間の早期からの交流の大切さを強調しています。つまり、赤ちゃんと母親との相互作用は、胎児の時から始まっており、母親のお腹の中で胎児は母親の体験を通じて体験をし、成長して行きます。更に生後になると、生後3から4週に始まる母親と赤ちゃんの相互関係こそ、情緒発達の始まりであり、情緒的コミュニケイションの基礎となります。又、父親と赤ちゃんの関係を観察した場合、その相互共感反応を見ると、赤ちゃんが母親の場合とは異なる行動スタイルを持つ事も知られ(Dixon,S.Yogman,M)、子育てには父と母がそれぞれ異なった重要な役割を担っていることを示しています。そして、赤ちゃんが『自分が愛されている存在である』ことは、この相互共感システムによるコミュニケイションのやりとりから最初に学ぶのであって、ブラゼルトン博士はこの親子の相互システムこそ、親業の中心であると強調しています。
又、親子の絆を作り、そして親となる事は、”赤ちゃんのオムツを替えたり、抱っこしたり、食事を与えたりと言う世話をするという単純な行為からだけではなく、育児に疲れ、怒りや欲求不満や、時には親としての役割を投げ出したい、そして子どもを放棄したくなった気持ちを如何に処理してゆくかを学ぶ事”であると述べています(現代のエスプリ・母子臨床再考)。我慢する、耐える、努力するは、今の日本のお母さんが尤も苦手とするところで、耳に痛いアドバイスではないでしょうか。博士のこの指摘は、今日のわが国に多い、児童虐待、育児放棄、育児忌避をする母親たちを見るにつけ、改めて育児の原点に戻って育児のあり方、育児の心、育児の辛さというものを正面から受け止める必要性を示すと共に、その代償として味わえる育児の喜びとか人生の幸せについて考えることを求めています。元衆議院議員の山谷えり子さんは、母親になった時、父から、「これでお前、権利が十分の一、義務が十倍になったな。だけどそれが親になるって事の醍醐味だよ。たのしめよ」と言われたとか。けだし名言である。そして現在の権利は多いほうが良い。義務は少ないほうがよいという風潮を嘆いておられます。
又わが国の代表的な乳幼児精神医学開拓者の渡辺久子博士は、乳幼児精神保健の新しい動向として、『赤ちゃんが誕生から人を求め、間主観性(相手の心の状態が響くように感じる、Trevarthen)の世界が早くから発達する存在である事、大人と赤ちゃん双方の親密で情緒的な交流が早期からしっくり行くと、自然な心の芽生えが生じる事などが明らかにされているとし。現在の母子が分離され、新生児室へ子どもが運ばれるところから出発する子育てではなく、過去にあった「心の保育器・羊水」の機能を果たすアタッチメント(愛着)システムが世界的に共有された認識になりつつあり、具体的にはNICUでのカンガルーケア、母子同室、産科家族病棟など自然な家族愛着システムを見直す視点への回帰が今日著名である』と。(乳幼児精神保健の新しい風・別冊発達)
このように赤ちゃんには早くから間主観性の世界が開かれ、親子の間で情緒的な交流が営まれる事を理解していただけたでしょうか。ここで私がかつて体験したエピソード・・・第三者の些細な(?)アドバイスが原因で、母と子の愛着システムが瞬時に崩壊し、自分の殻に閉じこもってしまった生後4ヶ月の赤ちゃんの例を紹介したいと思います(第12回母乳育児シンポジウムの基調講演で発表)。
02年5月次のようなE−メールを頂きました。“最初は泣き叫ぶだけでしたが、次第に私の目を見なくなりました。数日後には親として一番して欲しくない表情をして泣き叫ぶようになりました。耐えられなくなり保健所で指導された時間を決めて与える授乳法を一週間で中止し、元の自律授乳に戻しましたが、しかし4日経っても様子は変わりません。この赤ちゃんの心を癒すよい方法はないでしょうか。”メールの主は30歳代の主婦で、現在5ヶ月の男の子を母乳育児している初産だったお母さんです。それまでは自律授乳でしたが、保健所へ4ヶ月検診に行ったところ、「赤ちゃんが欲しがるときに欲しがるだけ与えるのは生後1,2ヶ月の間だけ、もう離乳も近づいたこの頃には4時間は空けないと駄目。お母さんがやっていることは子どもにとっては迷惑な事。子どもが泣いても、指をくわえても時間を空けるように頑張りなさい。」との指導を受け、納得はしなかったが(お母さんは看護師)あれだけきつく言われのだからと、その日から3時間は間隔をあけるようにして授乳を始めた。その結果は上に紹介したとうりです。
『よく抱っこし、やさしく話しかけていると、やがて赤ちゃんは心を開いてくれるでしょう』とメールで返事。徐々に回復するも、最終的には甲南大学心理臨床カウンセリングルーム紹介。以後月に1,2度のカウンセリングや子育てルームに参加し、順調に回復し、発症6ヵ月後『家で目を逸らす事もなく、きにかけることも無くなった』と。 生後5ヶ月のこの繊細な感受性の持ち主の赤ちゃん(渡辺久子先生の表現を借りると蘭の花のような)にしてみれば、絶対的信頼していたお母さんが、突然自分の要望を一方的に拒否し、大人本意の、赤ちゃんの生理を無視した授乳方式を押し付けてきたのです。いくら泣いて懇願しても、そこにいる母親は100%自分を受け入れてくれたあの優しいお母さんではありません。懸命な懇願も徒労に終わり、やがて赤ちゃんはあきらめ、心を閉ざし、自分の殻に閉じこもってしまったわけです。
このように善意から(?)とはいえ、授乳を巡っての大人の立場からのアドバイスによって、母と子の間に築かれていた信頼関係がたちまち崩壊してしまった生後五ヶ月の赤ちゃんの例です。しかし、早期発見と適切な対応により、やがてもとの信頼関係を回復することができました。このように生後間もない赤ちゃんといえども、スターンが述べているように、間主観性を駆使して、主観的な生活と自主的な意思決定することのできる存在なのです。そして母親や両親と心の触れ合いを行いながら、無用式の感覚を用いて、親の心を絶えずモニターしているデリケートな心の持ち主てあることを認識しましょう。そして授乳に際しても、単に乳房を含ませて栄養を与える行為ではなく、見つめ合い、話しかけるなど、お互いの心の交流に努めながら、母乳育児を楽しんでいただきたいと思います。蛇足ですが、かつての断乳の時代には、この様な母と子の間の葛藤が多発していたに違いありません。ただ母親が気付かなかっただけなのでしょうね。
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妊娠前半期
受胎成立が判明すると共に、日常の価値判断の基準を赤ちゃん(ここでは胎児)に置きましょう。そして赤ちゃん中心の日常生活に切り替えることにより、胎児との心理的一体化に努めます。胎児は既に家族の一員であり、母と子の絆作りは既に始まっている事を自覚し、母性の醸成と確立に努めます。
妊婦健診時の超音波エコー像やドップラー装置などを利用し、胎児は自分とは別個の独立した生命体であることの自覚に努めます。又、超音波エコー像や心拍動のドップラー音は胎児の発育を、そして母となり父となる喜びをリアルタイムに実感させてくれます。そのためには妊婦健診への夫や家族の同伴・参加をお勧めします。夫の参加が無理な場合、是非録画して貰い、家に持ち帰り家族で見ることにより、夫の父性を育て、将来の育児参加を促すだけではなく、家族の絆を深めてくれます。
公的にはプレネイタルビジットが一部で行われていますが、しかし相談を受ける医師の中にも、母乳育児やゼロ歳児育児に関する情報の持ち合わせが不足している方が多く、当初予想されたような成果を挙げているようには見えません。そこで実際には各産科施設におけるマザークラスなどで、母親となる妊婦に是非とも身につけて置いていただきたい以下のような幾つかのキーワードの持つ意味を良く説明し、又良く理解してもらうことが極めて大切です。ちなみに生まれてこられるお子様の主治医として予定されていた仁志田教授は、紀子様への産前のご進講に際して、その与えられた時間の80%を母乳育児の説明に費やされた。その結果、紀子さまは150%母乳育児に成功されたと述べておられました。この産前教育の重要性と効果、是非とも見習いたいものです。さて私の推奨するそのキーワードとは、
「母性の今日的意義、胎児の能力、何故今母乳育児か、基本的信頼、心の安全基地、甘えの受容の必要性、断乳から卒乳へ、抱っこ、母子の心理的一体感・・・」
妊娠後半期
胎児は胎生16週ともなれば、既に触覚、聴覚、視覚などの感覚が発達してきていて、先に述べた座頭市の【見えてはいないが、わかるんです】と言うような、超感覚ともいえる無様式の感覚を用いて、母親の心理状態や家族の情緒的雰囲気をモニターしている事がわかってきました。そして両親が楽しく毎日を過ごしていると、胎児もまた快適な日々を送リ、順調な生理的発育を遂げる事も最近の乳幼児精神医学の成果として知られており、ご両親が胎児を中心において楽しく毎日を過ごす事、現代の胎教とはこの様なところにあるのではないでしょうか。
赤ちゃんの性別がわかっていると、名前をつけて呼びかけ、話しかけるのも絆作りに役立ちます。特別な器具は要りません。パパやママがお腹の赤ちゃんに普通に話しかけるだけでよいのです。赤ちゃんに話しかけるときのテーマミュジックを考えるのも楽しい事ですね。
又、分娩法の如何を問わず、ソフロロジー法やお産のイメジェリーに応用されている、イメージとレーニンを応用して、胎児や産後の新家族の日常のイメージをプラス思考で反復描くのも、赤ちゃんの受け入れに大変有用な心理的に準備状態を作り上げるのに役立ちます。
おっぱいの手入れを十分にしておきましょう。家ではノーブラが望ましく、是非とも実行しておきたい授乳へ向けての準備です。又、妊娠37週以降は乳管の開通操作の励行も忘れずに。
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20世紀における産科医療の進歩は、周産期において数多くの母と子の生命を救いました。
しかし同時に”命”と引き換えに、”心”を失ったと言われます。21世紀の産科医療に求められているものはこの”心”の回復ではないでしょうか。
具体的には従来の厳重な医学管理のもとに、医師に指導されながらの薬物を用いた分娩の代わりに、母親の主体性に基づいた自然分娩や母性の醸成と確立を基本理念とする母と子にやさしいソフロロジー式分娩法などへの移行と普及が特徴的です。
胎児不在の分娩法
従来の多くの分娩法は何れも胎児不在でした。母親の出産ではあっても、胎児も出産のもう一方の当事者であると言う発想はなく、胎児は結果としてオギャーと元気に泣けばそれでよしでした。
しかし胎児の立場から考えれば、胎児もまた独立した生命体であり、出産に際しては、周産期心理学の泰斗、S.グロフ博士が彼のBPM仮説のなかで「分娩中胎児は子宮の世界が牢獄のように、或いは出口なき絶望的体験、更には死への予感を感じる」述べているように、分娩は母親のみならず、胎児も当事者の一人として過酷な一大試練なのです。
母と子の共同作業
お産は母と赤ちゃんとの共同作業です。母と子両者の関係はイコールパートナーと認識して、共に協力して新しい生命の誕生を迎えるのだと考えましょう。手を携えて人生最大の試練を共に助け合い、励ましあって成し遂げたと言う認識は、母と子の間に運命共同体的な感情を芽生えさせ、絆を育んでくれる結果、母乳育児(母乳育児もまた母と子の共同作業)と産後の共生生活へ向けて最高の基盤を提供してくれます。
又、夫と共に、夫に助けられて、夫にすがり付いてするお産より、ソフロロジー法のようなわが子をパートナーとし、わが子と協力しておこなう分娩は、母親により強い自覚と努力を求めます。その結果として、お産が終わったあとに、より素晴しい自立と成長を母親にもたらしてくれます。第二の女性誕生です(ジャンクレフ博士)。
今日の分娩法の多くは母親のアメニティーの追求に心を奪われた結果、赤ちゃん、つまり胎児に対する配慮や思いやりが極めて乏しいようです。お母さんがしんどい時は、赤ちゃんもまた全身を圧迫され、低酸素状態にあえいでいて、お母さん以上に苦しんでいる事、そしてそのような赤ちゃんを少しでも楽に、少しでも早く楽にしてあげられるのは、お母さんの努力次第であると言う認識が大切であり、この認識こそが母と子の絆作りの原点であり、わが子や他者に対する思いやりの心が生まれるもとともなります。分娩は単に赤ちゃんがオギャーと元気に泣きさえすればよいのではありません。
母性の育み
母と子が協力して成し遂げたと言う出産体験は、母性の育みに極めて有効です。当院でソフロロジー式分娩法、そして10カ条方式による母乳育児されたお母さん方に、妊娠期間中、分娩中、産後の一週間の三期間にわけて、母性の育みが最も実感された時期について調査しました。その結果は当然と言うか予想されたように、出産直後からの母子同室と早期授乳(母乳)の一週間が最も(53%)母性が育まれたと述べていました。産後の一週間は母性が育まれる鋭敏期ですね。尚、この際の母性とは前に述べたように【わが子を慈しむ心】です。
しかし、更に検討を加えると、20%を超える母親が分娩中に最も母性が育まれたと証言しただけではなく、更に他の2期間と同様なレベルで最も育まれたと述べた方を加えると40%のお母さんが分娩中に、更に、妊娠期間中に最ともという10%を加えると、約半数を超える母親は母子同室と母乳育児を体験する以前において、産後の一週間と同様に早くも母性の育みが得られたと証言しています(自験例)。つまり、妊娠中の過ごし方や出産をわが子と共に頑張ると言う出産体験や心の持ち方しだいでは、母と子の絆作りへ、そして産後の母乳育児確立へ向けての最高の精神的基盤が、既に出産前より齎されることを示しており、加えて産前教育及び母となる自覚の必要性をこのデータは示しています。(母性を育む・・・ソフロロジー式出産と母乳育児・日本評論社)母乳育児確立へ向けての歩みは、出産後からでは寧ろ遅すぎるのではないでしょうか。
ここでいう母性(わが子を慈しむ心)なんてものは、農耕民族である私たちにとって、戦前までは意識してとか努力して育てようとするものではなく、自然に育まれるものでした。わが国においては、その大家族制、向こう三軒両隣、地域社会の中にあって、生まれてきた子は属する地域社会全体の仲間として迎えられ、育てられました。そして日常生活や遊びを通じて、意識することなく、自然に母性なる感情が血となり肉となって身について行ったものでした。しかし戦後そのような家族制や社会的背景は消え去りました。そして工業社会と核家族の出現です。そこに残されたのは母性が育くまれることなく、育児のノウハウも学ぶ機会に恵まれないまま、突如として出産を迎え、わが子を手にして戸惑っているお母さんたちです。今日における産前教育の重要性と、母性を育む出産法の必要性が認識されるしだいです。失礼な例えかもしれませんが、喉の渇いていない馬でも川岸にまで連れてくる事は出来ます。しかし渇いていない馬に水を無理やり飲ませることは出来ません。この辺りに今日の産前教育と出産のあり方、そして母乳育児の重要性が示されています。
陣痛に対する発想の転換
ソフロロジー式分娩法では、陣痛を必要悪として捉えるのではなく、赤ちゃんに逢うためになくてはならない大切なエネルギーであり、子宮の収縮があってこそ、自分が最もいとおしいと思うお腹の赤ちゃんが生まれてくるのだ。陣痛こそ母親にのみ与えられた特権と考える様にイメージトレーニングに努めます。また、分娩は母と子が陣痛を媒体として行う母子相互作用であるとし、陣痛に対する発想の転換を行います。つまり、陣痛を痛みとしてではなく、赤ちゃん誕生の喜びとして迎え入れるのです。
かくして醸成されてきた母性を背景として、この愛するわが子のためであればあらゆることを受け入れられると言う”受容の精神”が生まれてきます(ソフロロジー法によるイメージトレーニングの効果)。その結果は陣痛乗りきりの決め手とも言われる・・・陣痛を痛みとしてではなく、赤ちゃん誕生の喜びとして迎え入れる・・・【陣痛の痛みを切り替えるスイッチ】が発動され、陣痛の苦しみもまた軽減されてきます(松永説)。
陣痛時の呼吸は緩やかな腹式呼吸により、胎児への豊富な酸素の補給に努めます。古典的なラマーズ法の素早い胸式呼吸法は、容易に過換気症候群の発生を招き、赤ちゃんにとって好ましい呼吸法ではありません。
娩出時のいきみは、陣痛プラス腹部のみの緊張に止め、産道はリラックスした状態に保つように努め、胎児への圧迫を和らげましょう。従来の全身の筋肉を緊張させるいきみは、産道の緊張、ひいては赤ちゃんの圧迫を招くために決して好ましいいきみではありません。
かくして前向きな、喜びに満ちた我が子との出会いを迎えることができます。
@ 可愛すぎてどうしたらよいかわからない。夜など可愛いと泣いたりしています。
・・・愛着と母性の醸成
A こんな風になるなんて思っていなかったんですけれど。・・・産後一週間の母親の変貌
B 子育てもやりたくてやっていると言う気持ちになってきた。・・・自主的な育児
まさに別人に変貌?
03年春、医療センターの桜満開の4月、関西テレビのSNホットかんさいで【赤ちゃんとお母さんが別室は世界の非常識・WHO認定の赤ちゃんにやさしい病院】と題して、10分間に亘り、産後一週間(出産当日、2日後、退院当日)と言う短期間におけるお母さんの変わり様が放映されました。上に紹介した感想は、産後7日目の退院日に女性インタービュウアーの質問に答えた初産のあるお母さんの言葉です。お母さんは母性の醸成と確立を基本理念とするソフロロジー式分娩法で出産し、WHO&ユニセフの10か条方式の、出産直後からの母子同室と頻回授乳によって母乳育児に成功した結果、一週間という短期間の間に素晴しい母親として見事に変身を遂げたお母さんの感想です。
産後2日目、未だ張ってこないおっぱいを赤ちゃんに吸わせながら、「よう頑張るなあと思います。出ないのに一晩中吸っています。マタニティーブルーになるのは自信があったのですが、今のところきそうにないし」とぼやきながら乳房を与えていたこの新米ママさんは、退院日(生後7日目)にはたっぷりと十分なおっぱいを確保できただけではなく、可愛すぎて泣けてくるほど、わが子への愛着と母性が育ちました。しかもこんなに私自身も変わるなんて、一週間前の出産前には全く想像も出来なかったと、自分自身の大変身に驚いておられました。そして赤ちゃんのお世話も義務感からではなく、したいからしているんだと。一週間で別な人間に生まれ変わったとでも言える様な、急激な変貌ぶりです。第二の女性誕生です。この変わりようの原因としては、のちに紹介するように、授乳行為に伴って分泌されるプロラクチン、オキシトシンの作用や抱っこによる母性の育みによるものと考えられます。
わが国では大多数を占めている母子別室制、出産直後からの母と子の隔離と牛の乳による保育で、”ブロイラー方式”と揶揄される受け入れ体制によって産後の一週間を過ごされた母さんの場合、如何がでしょうか。このシステムの下では、このようなドラマチックともいえる母性の芽生えを実感し、更に母乳も充分に確保できたお母さんは少ないのではないでしょうか。
それは拉致である
疾風と怒涛の生死をかけた試練の後、私たちの赤ちゃんを迎える世界は、赤ちゃんにとって余りにも眩しく、余りにも寒く、余りにも騒音に満ち、そして重力のある世界であって、それまでの胎内と比べると歓喜の産声をあげるような快適な世界ではありません。赤ちゃんは戸惑い、不安にかられ、ひたすら泣き叫びます。あの泣き声は歓喜の産声ではありません。不安と恐怖の悲鳴でしょう。ここで実行されるカンガルーケアは、この赤ちゃんの心と生理を安定させてくれる最も快適な方法です。赤ちゃんはお母さんの懐に抱かれ、肌の暖かさを感じ、匂いを嗅ぎ、語りかける声を聞く事により、やがて泣き止み、乳首を吸い、そしてまどろみます。至福のひと時です。
しかしこの瞬時ともいえる安息のひと時は、突如として多くの施設では心の鈍感な大人たちによって予告なく破られます。それが別室制における新生児室への連行です。未来を考えない、現在があるのみの赤ちゃんにとっては、青天の霹靂です。子ども権利条約の親子不分離の原則をも破るこの隔離連行は、赤ちゃんにとっては”拉致”と表現される行為以外の何者でもないでしょう。巷間大人の世界でよく言われるQOL(クオリティー オブ ライフ)は、お母さんのためにのみあるのではなく、赤ちゃんもまた権利として要求できるのではないでしょうか。個々では赤ちゃんのQOLは全く無視されています。大人が疲れを癒し赤ちゃんを感染から守ると勝手に思い込んだ結果、物言えぬ赤ちゃんに加えている所謂、この大人への”おもいやり”と称する行為こそ、赤ちゃんの立場からすれば、拉致と言う行為そのものでしょう。拉致は何も北朝鮮だけの専売特許ではありません。
それに親の了解を得ないまま新生児室へ隔離する事は、その行為自体が子ども権利条約第9条違反ではないでしょうか。
白い隔離室
新生児室。大人本位の効率を追求する余り、そのスタイルからブロイラー方式と表現できる、この出産直後からの母と子を分離し、牛の乳によって集団飼育をするというシステムは、生まれたばかりの赤ちゃんにどのような世界を提供するのでしょうか。
懐に抱かれ、肌の暖かさを感じ、匂いを嗅ぎ、ささやきかける優しい声を聴くことの出来た、心安らぐお母さんは最早そこには存在しません。そこにはただ白いモノトーンの天井ガ見えるだけの侘びしい空間しかなく、淋しさを、不安を、オムツの濡れや不快感を、そして空腹をいくら訴えても、即座には答えてもらえない、そこは赤ちゃんに孤独と忍耐を強いる極めて厳しい空間です。
大人は個室でフランス料理を味わいエステを楽しんでいます。お母さんはそれでご満足でしょう。一生に一度か二度しかないメモリアルウィーク(?)です。記念すべき思い出の日とはなるでしょう。でも、一方赤ちゃんは新生児室に放置されたままです。いくら不快や不安、そして空腹を訴えてもなかなか答えて貰えません。お母さんに抱っこされ話しかけてもらえるのは、一日数回の短い面会時間のみです。孤独と不安。何日も続くこの繰り返ししにより、やがて訴えることをあきらめて、自分の殻に閉じこもってしまう赤ちゃんも現れてくるでしょう。生まれて初めて体験する人間不信の始まりです。赤ちゃんはもう少しで食事の時間だとか、何時間後にはお母さんが抱っこしてくれるなどと未来を予測する事は出来ないのです。赤ちゃんにとってはお母さんと瞬間、瞬間を共有する事がとても大切な事です。そしてヒトの仲間としての赤ちゃんにとっては、赤ちゃんの行為に対して、常に周囲が何らかの反応を示してあげることが大切なのです。最近2歳までの子どもにはテレビを見せないほうが良いといわれています。其の理由は赤ちゃんの反応や働きかけに対してテレビジョンの画面は一切答えてくれない、常に一方通行的な関係だからです。相手からの働きかけ、そしてそれに対する赤ちゃんからの自発的な働きかけ、そして再び帰ってくる反応、このやりとりが赤ちゃんの知的成長を赤ちゃんに齎します。でも集団隔離室の新生児室ではそれも望むべくもありません。
一方、我が子とは別な部屋で一週間の安楽のひと時を享受したママの多くは、わが子を抱く以前に赤ちゃんを抱っこした経験のない、そして離乳食を食べさせたり、赤ちゃんのウンコを見たことのない、全くといってよいほどの育児体験も其の知識も持たないピカピカの新米ママです。そして核家族。帰宅しても多くの場合様々なアドバイスをしてくれる先達たちは見当たりません。頼るのはマタニティー雑誌のみです。でも育児は一人一人で千差万別。マニュアルの通りにはゆかないのが当然です。この様な周りからサポートの得られない孤独な育児環境がその後も長く続くならば、育児の辛さや不安にかられた末、自分の感情を赤ちゃんに発散し、やがて育児を放棄する母親やサイレントベビーへの道を歩むベビー、そして児童虐待へ向けて進む母と子たちが増えてくるに違いありません。また、今日増加している笑顔が少なく、表情に乏しい、訴えの少ない赤ちゃんは、母と子の交流の少なさという結果から生まれたものであり、その数(かず)数十万と言われ、社会問題となっている所謂”引きこもりっ子”誕生の原点ではないでしょうか。
日本の常識は世界の非常識
戦後GHQの指導のもとに普及した新生児室制度と人工乳保育による母子別室制は、当時の高い新生児死亡率に対応するものでした。この新生児を効率的に管理するシステムは、当時既にアメリカでは母乳栄養率の低下を齎し、母子関係の希薄化を招くとの批判が生まれていましたが、占領下のわが国では十分な批判と検討がなされる事なくGHQの指導のもとに採用され、全国的に急激に普及しました。
やがて生活レベルの向上や抗生物質の普及と共に、赤ちゃんは死ななくなりました。しかし効率化・利便性と安逸に慣れたわが国では、再び赤ちゃんはお母さんの懐には帰ってきませんでした。そして別性は寧ろお母さんに優しい心使い(?)として、また、運営面では施設には効率的で好都合な、大人本位の管理運営法として定着してしまいました。
一方、欧米ではその過ちに気づき、今では医療先進国の大多数の施設では再び同室制を回復させていて、赤ちゃんにやさしい、母と子の絆作りに、母乳育児に好都合な扱いとなっています。このように同室制・別室制の問題は、今や”日本の常識は世界の非常識”のシンボルとさえなっています。
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母乳は90分で消化されます・・・栄養面
栄養的に見て母乳は私たちの赤ちゃんにとって完全食です(Vit.Kの問題を除いて)。生後6ヵ月までおっぱい以外何も補足する必要がないことは母乳育児をされている皆さんは良くご存知のことでしょう。しかし、お風呂上りに湯冷ましをとか、離乳の準備として果汁をなどの誤った常識がわが国では流布されていました。特におっぱいを止める時期については、断乳か卒乳の何れを選択するかについて混乱が生じていました。しかしこの時期的問題については一昨年母子手帳から断乳の文字が消えることにより、漸く結論が出たようです。日本母乳の会でも近くこのテーマについて小冊子を発行する予定です。又、果汁や湯冷ましについては昨年日本母乳の会から出された『離乳食』(わが国初めての母乳育児用の離乳食についての最新の医学的知見を盛り込んだ解説書で、発売以来爆発的に売れています)にも触れてあります。
一寸わき道にそれましたが、母乳が栄養的に赤ちゃんに最適であることは、これまで数限りなく解説者や学術書が出ているので、その詳細は求める情報の内容にしたがって、それらからご自身で選択してください。
さて、母乳と人工乳の栄養としての比較については、最近の人工乳は非常に改良されていて、身体の外見的発育だけに限れば、お母さんのおっぱいで育てられた子どもと、一見変わりはなく育つようになりました。母乳に代わりうる文明の果実として世間で誤解を招いているゆえんです。しかし人工乳いわゆる牛の乳による人工乳には、カゼインの量を減らし、乳清の比率を増やすなどその組成を母乳に近づけて、母乳化ミルクと称しても、どうしても越えられない限界があります。それは蛋白自体が人の蛋白とは構造の異なる異種蛋白だからです。それはアレルギーを起こす原因であるだけではなく、消化をするには人乳蛋白と比べて余分の負担がかかります。事実お腹一杯飲んだ場合、母乳は90分で消化されてしまいますが、ミルクの場合180分も必要です。そしてこのことが日常生活では、しばしば母乳不足と言う錯覚の原因となります。特に今のお祖母ちゃんたちはミルク体験が豊富ですから、赤ちゃんの食事間隔は充分に飲んでさえいれば、少なくとも180分つまり3時間はあくものと信じています。ところが母乳の赤ちゃんの場合、90分で消化されてしまうため、1時間半も経つと空腹を訴えることもおかしくない生理です。その結果牛の乳・3時間を体験しているお祖母ちゃんは、母乳不足だと勝手に判断して、お母さんに内緒でミルクを足すなどして、母乳育児中の実母との間に生じたトラブルが後を絶ちません。生理的で消化されやすいという長所が、ミルク体験のお祖母ちゃんの場合、却って誤解を招く原因となるのですね。
又アレルギーの問題にしても、最近は母乳も牛の乳を与えた場合と同じようにアレルギー疾患を起こすとか、具体的にはアトピーの発生率を母乳栄養と人工栄養と比べても変わりがない、いや寧ろ母乳のほうは多いとする報告もあるようです。しかし、この栄養法別に見たアレルギーの比較については、わが国の報告には大きな落とし穴があります。と言うのもわが国の統計で母乳栄養とされている栄養グループの殆どが、厳密には混合栄養群だという事実です。もう皆さんもお気づきの事と思います。わが国に多い母子別室制の施設では、その大多数においては、母親に了解を得ることなく出生直後から牛の乳が与えられています。お母さんの意識では母乳だけで育てていると思っていても、出生直後から知らぬ間に人工栄養或いは混合栄養とされているのです。多くの統計ではこの事実が無視されています。
O−157事件の教えるもの・・・免疫面
母子別室性採用の歴史的背景からもお分かりのように、母子同室制・別室制の優劣については、これまで感染予防の面から論じられる事が多かったようです。無菌状態にあった子宮内から出てきたばかりの抵抗力の弱い新生児を、赤ちゃんが新しい環境に慣れるまで新生児室に預かって保護するという説明は、かつては一応の説得力を持つていました。しかし今日では、抵抗力の弱い赤ちゃんを多くの細菌やウイルスの侵襲から守るために人体に設けられた驚くべき自然の仕組み、自然の防御システムについての知見により、上記の言い訳は色あせてきました。
胎児は生まれる前に胎盤経由で母親から免疫物質をもらいます。麻疹・風疹に対する抗体がそれです。でもこれは同室・別室制とは関係ありません。
出産後、新たに免疫製造臓器としての機能を持つに至った乳腺は、腸管乳腺経路、気管支乳腺経路を介して感染防御に当り、初乳中に分泌型IgAを分泌します。このIgAは消化器や、呼吸器の粘膜の表面をあたかもペンキを塗ったように覆い、細菌やウイルス、そしてアレルギーの原因となる高分子物質の侵入を防ぎます。更におっぱいには乳腺自体の持つ局所免疫組織の働きもあって、外敵に対する特異的な免疫抗体を作ります。加えておっぱい中にはマクロファージュ,リンパ球、T細胞などの細胞成分や感染防御作用と持つオリゴ糖、そして抗生物質のような働きをするラクトフェリン,その他多数が存在して感染防御に貢献しています。
特に、初乳はこの様な色々な免疫物質や抗菌物質を濃厚に含んでいるので、初乳を飲ませる行為は、赤ちゃんが生まれて最初に受ける予防注射だと表現されます(山内)。しかもその免疫物質は成乳となっても、薄くなるとはいえ、哺乳量が増えるためトータルとしては変わらない量が赤ちゃんに摂取されます。
しかし最近では生活環境の向上や医学の進歩と共に、感染症ではなかなか死ななくなりました。おまけに牛の乳育ちの隣の子と同じように風邪に罹ったりすると、この頃では母乳もミルクも抵抗力は同じだとさえ錯覚しかねない時代となりました。
尚、初乳を飲むことは予防注射を受ける事だと紹介しましたが、このことは初乳中に免疫物質が濃厚に含まれているという事(受動免疫)だけではなく、母乳には赤ちゃんの能動免疫能を賦活する作用のある事もわかっています。すなわち母乳哺育をすると、外来の病原菌類の対する抗体の産生が更新するだけではなく、食物に対するアレルギーの感作が防げる事が考えられます。この理由から産後の感染予防のためには、母乳育児を積極的に行うことが赤ちゃん自身のために大切な事がわかります(斉藤滋周産期医学4,2002)。
しかし、04年の「こどもの日」の読売新聞に『母乳の育児 死亡率20%低く・・・生後一年、米の研究所調査』との見出しで、ロイター電シカゴ発の次のような報告を掲載していました。
「母乳で育てられた赤ちゃんは,人工栄養の赤ちゃんに比べ、生後20年までの死亡率が20%も低い事が、米国立環境健康科学研究所の追跡調査で明らかになった。母乳の大切さを裏付けるデータの一つで、米小児科学会誌の最新号で報告した。
研究チームは米国内の約九千人の赤ちゃんを調査。その結果、母乳で育てられた子は、母乳以外で育てられた子に比べて、生後一ヶ月から一年の間に死亡する率が20%低く、母乳で育てられる期間が長いほど、死亡する危険性も下がる事が分かった。死亡率が下がる理由について、研究者は『母乳の効用もあるが、総合的な育児能力も関係しているのでは』と指摘している。これまでの研究で、母乳で育った赤ちゃんは成長すると、@肥満になりにくい、A問題行動が少ない、B高血圧になりにくい・・・などのデータもある。」
とこの様な内容でしたが、特に注目したいのは、この報告をした研究者たちが、死亡率の低下は、母乳だけではなく、総合的な育児能力も影響しているのではと述べている点です。私たちの推進している運動が、母乳哺育ではなく、母乳育児である意味が改めて納得の行く方も多いのではないでしょうか。又、母乳育児のほうが知能指数が高い傾向があり、新生児突然死の少ない事なども今日では常識となってきました。
又わが国でも、この様な事実が知られています。もう10年近く前になりますか。当地堺市でO−157による学童集団中毒事件が発生し、不幸にも死亡者さえ生じたことは皆様の脳裏にまだ残されていることでしょう。当時大阪府立母子保健総合医療センターの北島博之新生児科部長は、感染した学童の乳児期の栄養暦と症状や腸内細菌叢を詳細に分析した結果、生後4ヶ月まで母乳育児で育てられた学童は感染して菌が検出されても無症状が多く、又、血便を来たすほどの重症例の少ない事を確かめました。母乳で育てられたことによる腸管の長期免疫効果が幼児期や学童期まで持続していると考えられています。このことは、重症例や死亡例の場合でも、仮にその子達が母乳で育てられていたならば、この様な不幸な事態にまでは進まなかったのではないか、そして、わが国が戦前のような母乳王国であったならば、あのO−157事件は発生しなかったともいえるのではないでしょうか。
また、おっぱいに関しては次のような実にミラクルな事実も知られています。O−157に感染した母親の血中のO−157に対する抗体は3から4ヶ月で消失したが、この母親の母乳中に分泌された抗体は血中の2倍の濃度があり、しかも授乳を続けた7ヶ月まで母乳中に引き続き分泌され続け、赤ちゃんをO−157の感染から守ったと言う知見が報告されています。この乳房の持つ神秘的なからくりには驚かされます。Oー157の危険が去り、お母さんの血中からO−157に対する抗体が消え去った後になっても、おっぱいは赤ちゃんをO−157 から守るために抗体を引き続き続けていたというわけです。
10カ条方式は究極のMRSA対策か
昨年の春、この様なE−メールをいただきました。”大阪府下の市民病院勤務の小児科医です。これまで新生児室やNICUにおけるMRSA零対策としてあらゆる努力を重ねてきましたが、全て徒労に終わりました。残された唯一の対策は10カ条方式による母乳育児だと考え、これからは本格的に母乳育児に取り組もうと思います。宜しく。”と言うものです。
数年前、神戸大学小児科の中村教授が、MRSA零対策は全て成功しなかった。これからはMRSAと共存路線をとると宣言された事が新聞紙上で報ぜられ注目を浴びました。そして現在神戸大では一歩進んで母子同室制を採用されています。更にこの傾向は全国的な流れとなり、最近では十指を超す大学病院で母子同室制が採用されており、その数は更に増加の一途を辿っています。
母乳育児シンポジウムに参加したある産科医療者よりこの様な意見が寄せられました。”うちの院長先生は赤ちゃんが生まれても、感染が怖いと言って、お母さんにも一指だに触れさせないまま、一寸顔を見せただけで新生児室へ赤ちゃんを連れて行っている。病院は新しく素晴しい設備だか、院長のおつむは旧態依然のままだ”。
今日では健康新生児には母子同室のほうが別室制より細菌感染に対して安全性が高いと言うのが常識化しています。更により積極的に、病院由来の悪性度の高い細菌が赤ちゃんに定着する前に、お母さんの持つ善玉細菌を、より早く赤ちゃんに移植するためにカンガルーケア(本来の生理的・心理的な目的以外に)や母子同床が行われています。通常同室後4から5日でお母さんの善玉細菌が赤ちゃんの身体を殆ど占める結果、MRSAのような悪玉細菌の定着を妨げる働きが期待されます。勿論お母さんから頂いた細菌に対する抗体は、胎内では胎盤から頂いていますし、生まれてからはお母さんのおっぱいから提供されている事もお忘れなく。
尚赤ちゃんの感染予防対策に加えて、健康新生児に対して行う出産直後のカンガルーケアは、出産という人生を通じて最も厳しいストレスを耐え忍んできた赤ちゃんを、生理的にも心理的にも劇的な安定を齎せてくれるだけではなく、一方においてお母さん側から見ると、わが子に対する愛着の急激な高まりが期待されます。事実、カンガルーケアをしていると、哺乳前にも拘らず母親の血中オキシトシン濃度の上昇している事が認められます。このオキシトシンは母親の母性意識や母性行動の引き金になるものと考えられている。尚、内因性麻薬のβ―エンドルフィンの分泌増加も母親の苦痛軽減と快感を増強させているとWinberg Jは述べています(日本新生児未熟児学会雑誌、12)。
子ども嫌いを母乳育児で克服・・・心理面
母乳で赤ちゃんを育てることを、母乳栄養とか母乳保育、母乳哺育と従来称されていました。しかし最近では母乳育児と呼ばれるようになりました。その理由は、母乳の分泌確保から赤ちゃんを抱っこして自らの乳房を与えながら育児するという一連の母子関係、特に其の過程における授乳行為そのものと、その結果としての母子相互作用による育児が、ゼロ歳児育児にとって大きな重要性を占める事が理解されるようになってきたからです。この間の流れについては先に紹介した『母性を育む・・・ソフロロジー式出産と母乳育児』(日本評論社、2002)に詳述したので、ご興味のある方はそちらをご参照ください。
この母性と授乳行為との相関に関して、最近では遺伝子レベルからの研究も進んでいます。古谷らは(産婦人科治療、vol.85、no,4)授乳は母子関係にとって非常に重要であり、授乳時に乳腺に作用して母乳を分泌させるプロラクチンは、母性行動を含む一般的な精神活動と直結するのに対して、産生された乳汁を射出させるオキシトシンは特に視床下部と扁桃体との関係が深く、母性行動の「質」と関係していると思われる、すなわち、授乳や育児という母性行動には「通常の精神的安定」と「わが子に対する愛着」が両輪のように形成されていると見ることも出来ること、又父親も娘の母性活動にオキシトシンを介して遺伝子的に関与している可能性も明らかとなっています。このようにしてこれまでやや漠然としていた「母性」の本質を、ゲノムレベルから行動科学までの広い視点からの研究によって更に明らかになる事が期待されると述べていますが、母乳育児中のお母さんにはマタニティーブルーが少なく、母性豊かな母親が多い理由が遺伝子レベルからも解明されてきているようです。
又、山内芳忠(国立岡山医療センター)は早期授乳と母子の絆に関して「出生直後に母と皮膚接触した新生児は、生への授乳行動を自ら開始する。しかも、新生児はいろいろなしぐさ、表情でのシグナルを発しながら、乳房を求めて母親の胸を這い登る。この新生児のしぐさや行動は母親の母性意識、母性行動へのスイッチを入れ、母性本能を発揮させて母子にしっかりとした絆を作り上げてゆくと考えられる(産婦人科治療、vol.85,no.4)」と。
そして産後の新生児覚醒期において、赤ちゃんは胎内で聞きなれた母親の声に反応し、母親と視線を合わせることが知られていますが、不要の医学的処置(例えば沐浴など)をしなければ、30〜50分後自力で母親の乳頭まで移動しきすい始める事が知られています(Righard L,Alade MO)。この一連の赤ちゃんの行動は連続的で、お母さんの乳輪部のモントゴメリー腺から出る匂いや初乳の匂いによって誘導される生得的なものですが、新生児には初乳の匂いを感じると、脳の酸素化ヘモグロビン量と脳の血流の増加する現象が観察されていることから、この一連の運動は新生児の“生”への合目的な行動と理解できるとしています(Bartocci.M.et)。これらの事から山内は、母親のお腹の上で肌と肌が接触する事により、一連の連続した生への行動プログラムにスイッチが入れられること。そしてこの行動は赤ちゃんの子宮から子宮外生活への適応を早めるだけではなく、赤ちゃん自身のQOLも高め、母親との一体化の下で、母親の愛を身体に滲みこませます。また同時に、母親自身にはわが子に“生“を吹き込み、児の“生”を実感させると。
さて、昨年の春(2003)、不妊症治療後の妊娠、そして里帰り出産されたある高年初産のお母さんのお産を取り扱いました。出産直後からの母子同室に加えて、熱心に頻回授乳されましたが、産後7日目になっても初乳がにじむ程度。極端に母乳分泌開始の遅いタイプのお母さんでした。産後10日目やっとポタリポタリ。産後14日目少し分泌量が増えましたが、しかしこの時点で人工乳の補足をしながら、母乳確保へ向けての長期戦へと方針転換しました。産後1ヶ月目の健診。少しミルクを足しているとのことだが、もうおっぱいだけで十分足りているようです。そこでミルクの補足を止め、母乳だけで育てるようにアドバイスしました。やがて東京へ帰郷。産後2ヵ月半頃次のようなE−メールを頂く。
”赤ちゃんは母乳だけで丸々と太り、母乳育児を毎日楽しんでいます。実は先生の施設を出産場所に選んだのは、次のような理由からでした。わたしは以前から子ども嫌いの性格でした。妊娠してもわが子を育んでいるという実感はありませんでした。それに最近の育児書や雑誌類を読むと育児は辛いとか、子どもが好きになれないと言う記事が一杯です。私は母親になっても、きっとわが子を愛せない母親になるとか、育児ノイローゼになるに違いないと思っていました。それを避けるには、インターネットのHPで知った先生の産院で、ソフロロジー式分娩法で出産し、母乳育児でわが子を育てるしかないのではと思い、一寸遠くでしたが先生のところを選択した訳です。そして母乳育児に成功し幸せです。正解でした。本当に有難う御座いました。次回も宜しく”とのメールでした。
昔お産については「障子の桟が二重に見えるほど、青竹を握りつぶすほど苦しんで、初めて赤ちゃんが生まれる。母親になれる」と言う言葉が、長年にわたって女性に暗示をかけ、出産を控える女性を呪縛していました。しかし今やそれに代わって流布されている言葉に「育児は苦しい。育児はわずらわしくて馬鹿馬鹿しい。わが子を愛せない」が挙げられ、多くの母親予備軍が育児は苦しいものと暗示をかけられています。しかし最近はこの様な産後の親子関係に陥るのを予防するために、はっきりとした目的意識を持って母乳育児の出来る施設を選択する方が増えて来た様に手ごたえを感じています。
母性音痴?
戦前には母性は遺伝的なもの、染色体上に予め決められていて、女性として生まれれば誰でも持って生まれてくるものと考えられていました。でも、現在母性は先天的に持って生まれてくると考えている人は誰もいないと思います。しかしこのように先天的に遺伝として持って生まれてくるとさえ思われていた事実は、当時の社会環境や家族制の下では、誰一人意識することなく、日常生活の中で自然に母性が育まれ、育っていたものと考えることが出来ます。昔は母となる前から、母性が自然に育まれる環境が私たちの周囲に存在していたのです。
しかし敗戦後の私たちの住む環境は全く別世界のように激変しました。母性(わが子を愛し慈しむ心)を形作る幾多のDNAを発動させ、スイッチをいれる生活の機会が激減し、自然には育たち難くなりました。それどころか、母性を否定する考えが生まれ、母性と聞いただけで頭に血が上ると言うマニアックなフェミニストも現れてきました。尚母性には社会学的(フェミニストのいう母性)、生理学的(妊娠・出産など産科領域でいう母性)、精神(感情)的側面(わが子を心の底から愛し、慈しむ心)に分けて考えられていて、母性と言う言葉を見聞きした場合、、何れの母性を意味しているのか見分ける必要がありますが(H.ドイッチェ)、此処でいう母性とはわが子を慈しむと言う精神的な母性を意味します。
この間の母性が自然に育まれ難くなった事情について、私は一昨年日本評論社から「母性を育む』・・・ソフロロジー式出産と母乳育児・・・と題して出版し、母性は醸成され、育まれるものであり、その基盤は少女時代から日常生活を通じて徐々に育まれるだけでなく、妊娠、分娩、産後の一週間を通じて急激に確立されてゆくこと、そして特に産後の一週間は母性にとって鋭敏期とも言える重要な期間ではないかと指摘しました。その間、母性と言う言葉を忌み嫌う人たちによって批判もされる状況(助産師雑誌上で)もありました。わたしは育児に関していえば、一例一例の貴重な体験こそがエビデンスだと考えています。私は長年にわたり、母性の醸成と確立を基本理念とするソフロロジー式出産法と母性を育むに適した10カ条方式による母乳育児を採用する事によって、それまで母性にスイッチを入れる事の出来なかった若いお母さんをサポートし、数多くのお母さんに母性の育みを実感してきました。
しかしその間に感じた事として、生来の母性に対する感受性というか、相性ともいえるものがあるように思います。例えば音楽の世界を考えて見ましょう。音楽の世界では生まれつき歌うことの上手な人、バイオリンの演奏に、声楽に、天才的な才能を示す人、芸術性よりただ器用なだけの人、カラオケでも顰蹙を買う人など、その音楽についての能力は様々です。肉体能力だけではなく、好き嫌いという感性の問題もあるでしょう。能力や生育環境の影響など一人一人で様々です。そして音楽の世界に音痴があるように、育児の世界にも“母性音痴”とでも言えるようなお母さんも存在するようです。
決して子ども嫌いではないのです。幸せな家庭に育ち、愛しあって結婚し、欲しくて子どもを生んだお母さんの間から、可愛いはずなのに愛せないと訴える母親が最近では増加しています。また、生育暦に関係なく母性が育ちにくい母親、そして理性でしか育児できない母親。そしてあくまで自己中心主義で、大人の自分の幸せしか考えてない、育児などは二の次にしか考えない母親。これらの母親たちは心理学的に見るとユングの言ういわゆるアニムス過剰であり、アニムス(*1)に自分自身を乗っ取られてしまったようなお母さんたちです。そしてこの様な方は、母性的な仕事を拒否しようとするお母さんや、自分のことを忘れて他者のために汗を流すような不合理な仕事は耐えられないと考えるお母さんたち、そして母性を否定する傾向の強い一部のフェミニストたちのなかに多いタイプではないでしょうか。
河合隼雄文化庁長官は心理学的に母性とアニムスとの関係を次のように解説しておられます。
「女性が自我の確立が課題として感じられるとき、母性を否定する感情に襲われる。しかも現代の女性にとってアニムスを無視して生きる事は非常に難しい。母性とアニムスの葛藤は多くの女性の心の中に亀裂を作り出していて、多くの女性にとっては家庭か仕事かという形で意識されているが、しかし葛藤の次元はもっと深いところにあり、そのような外的な事では割り切れない。母性などということもそれが深く体験され、心の底まで分かると感じられるのは40歳を越えてではないだろうか。母性とアニムス、この両者の敵対関係を心の中で、段々と和解させてゆくという難しい課題を現代の女性は背負っている。そして両者の和解がうまく成立するとき、アニムスは母性を断ち切るものとしてよりは、母性を磨くものとして作用し始めるのである。
このように母性とアニムスの和解共存は現代女性にとって避ける事の出来ない課題であるが、女性は母性を否定するのではなく、それを受け入れる事によって自我を作り上げてゆく。一人の女性がトータルな存在として成長を願うならば、自我の確立を図りつつ、尚母性をも受け入れて生きる事が必要と考えられる。自我の重要性に取り付かれて、母性を否定するとき、それはアニムス女性として、人生の或る側面のみを生きた事になるだろう。アニムスと母性の両者の間に身を投げかけて鍛え上げて言ってこそ、その人にふさわしい個性が開花するものと思われる。」
しかし一方では、生育環境とも関係なく、先天的とでも言えるくらい、溢れるばかりに母性豊かなお母さん(心理的にはアニムスが薄い)。サポートにより見違えるように母性たっぷりのママに変身を遂げたヤングママ。母親自身が意識的に分娩や、母乳育児に取り組み、子ども嫌いを克服し、見事に育児が楽しく、赤ちゃんが可愛くてたまらなくなった”昔子ども嫌い”のお母さんも数多く存在します。先に紹介した昔子ども嫌いだったお母さんは、努力した結果、母性とアニムスの和解に成功した素晴しいお母さんだと考えられます。
また、育児には母性に加えて、母としての自覚や責任感を持つ事も必要条件として決して忘れてはならないポイントです。
でも母という字がつくからと言って、母性って女性専用ではないようです。パパだって母性豊かなパパも最近は多く見かけるようになりました。ママ以上に母性に溢れたパパ。一方では父性豊かなママも現れました。これも新しい時代の夫婦像でしょうか。特に日本母乳の会の皆さんには、実にこの男性性と女性性については、実にバランス感覚に優れたというか、バランスの取れた男性・女性の方が多いようです。言葉を変えれば、母性とアニムスの和解共存に成功されたお母さんたちです。勿論その男女の役割分担についていえは100%パパ=ママではないのですが。
そして最後に、私は母性音痴に対する最高の予防法そして治療法として、私は母性の情勢と確立を基本理念とするソフロロジー式分娩法と10カ条方式による母乳育児実践を挙げたいと思います。
*1:スイスの分析心理学者ユングの出したアニマとアニムスという概念のうちで、女性の無意識の深層に存在する男性像の元型をアニムスと呼んだが、アニムスは母性と敵対し、全てを包み込もうとする母性を切り裂く働きをする。(どう考えるかー母なるもの,河合隼雄・藤田統・小島謙四郎、二玄社)
産科医は乳児栄養に無知との批判にどう答えるか
母乳育児シンポジウムに参加された方やE−メールによく見られる訴えに、”産科のドクターに赤ちゃんの栄養についてお尋ねしても、最近の医学的知識に基づいた納得のいく回答をしていただけなくて、何十年か前に習ったようなトンチンカンな知識とか、医師と言う権威を笠にした答えしか返ってこない。”と言うものがあります。
そのような苦情が生まれる大きな理由は、産科医・小児科医共に新生児栄養や乳児栄養として、一般に母乳育児総論賛成、各論無関心・無理解な現状があげられ、特に学校教育の場で、乳児栄養についての教育を受ける機会を殆ど持たなかった事情がその因となっています。
この点につき聖マリアンナ医大小児科堀内教授は、“母乳育児推進の二大障害は、産科医の無関心と、小児科医の母乳育児についての無知識である”とさえ述べ、産科医、小児科医に猛省を促しておられます。
更に「第2回母乳育児をすすめるための産科医と小児科医の会」でわが国唯一の新生児科教授である東邦医大の多田裕教授は、この間の事情を次のように述べられた。
「私どもが医学部の教育の中で、母乳のことについてどれだけ学んできたかと言う事を振り返ってみますと、私自身先輩から何を教えられたのかと極めて疑問に思います。現在の教育でも同じ事でして、教育と言うものの中には、医学のいろんな細かいところとは多いのですが、この母乳と言う問題に対しては、極めて貧しいものがあります。
母乳について教育のうえでは、いわゆる栄養素としては、ある程度教わりますが、人間にとって必要である、人間をいろいろ学ぶ上で母乳や子どもを育てると言う事が、いかに大事であるかと言う事は、医学教育の中では殆どありません。医学部の教育には、学校で決めたカリキュラムのようなものは御座いません。」
つまり、栄養素としての母乳栄養について多少は学ぶ機会が与えられているが、人間形成にかかわる母乳育児については全く勉強する機会が無いまま医師になっているという事です。」
従がって、母乳や育児について熱心に勉強されているお母さんの母乳育児についての経験と知識は、生半可な産科や小児科の医師より遥かに豊富で正確な情報量をお持ちになっており、医療現場で母乳育児を巡っての悲劇や喜劇の起こる原因となっています。
しかも現実の世界では、新生児栄養の方向付けの半ばを産科医が担っています。そして赤ちゃんのその後の人生を左右し兼ねない乳児の栄養法の方向付けが、現実には母乳育児について無関心か知識の乏しい医師の手に委ねられている現実もまた我々産科医療者は直視する必要があります。更に、わが国の医学教育もまた、赤ちゃんを育てると言う事は、ヒトを育てていると言う認識と、その為のトレーニンが必要と言う視点を欠いており、今日叫ばれている卒後研修の場で、もう一度母乳育児の持つ意義についての再教育が必要なのではないでしょうか。
母乳が与えられない方の場合
このテーマは、本年度(2004年)の母乳育児シンポジウムでも重要なテーマとなっているようです。その討論の内容についてはシンポジウム終了後、改めて紹介させていただきたいと思います。
小生自身は人間関係の基本である母子の心理的一体感の醸成を齎すには、母乳育児が一番だと考えています。しかし、努力しても十分な母乳を確保できなかったお母さん、母乳育児成立に無関心な産科医療者側からの充分な協力と理解が得られなかったお母さん、HIVやATLで母乳を断念せざるを得なかったお母さんの場合、何も自らを責める必要はありません。人工乳保育だって充分愛情も注げますし、母子の心理的一体感も育めます。要はお母さんの心の持ち方次第です。心がけ次第で、ただなんとなく惰性でだらだらと母乳育児をしているつもりのお母さんより、より豊かな関係を結ぶ事さえ出来ます。そして肌と肌の接触は。人工乳保育であっても、お母さんの心がけ次第で母乳育児に決して劣らない親子関係の醸成が可能です。
要は、母子の心理的一体感を醸成するために、よく抱っこしてスキンシップを堪能すること、この身体的接触は母子の一体化には最も重要な要素です。しかもこの接触は赤ちゃんのためだけではなく、お母さん自身の問題解決にも役立ちます。そして、授乳時には、やさしく見つめ合い、語らい合って楽しく過ごす事により赤ちゃんに対する愛着はいやがうえにも増します。ウィニコットが『赤ちゃんはいない。いるのは赤ちゃんとお母さんである』と述べていますが、赤ちゃんは何時もお母さんと一緒にいたい、そして一体でありたいのです。母子関係構築に際しては、母と子は常に一つの単位として考える事が大切です。しかも赤ちゃんは未来を思い浮かべません。赤ちゃんには常に”現在”があるのみです。母と子の間における現在の瞬間、瞬間の付き合いこそが貴重な珠玉の時間なのです。そしてこの相互のコミュニケイションこそが母子の心理的一体化にとってのポイントなのです。
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赤ちゃん・胎内からの出発(たびだち)
1986年5月に放映されたNHKテレビ番組「赤ちゃん・胎内からの出発」では、母と子の初めての出会いの映像が冒頭に紹介されました。
赤ちゃんは生まれるや直ちに鼻腔や口腔中を吸引してもらい、終わると即座にお母さんに手渡されました。お母さんの正面、明視の距離から、半眼やがて両目をあけ、眩しそうにしながらも母親の顔をじっとうかがうように注目する赤ちゃん。ついで5分後お母さんのおっぱいを吸う赤ちゃんの映像。
次に放映30分後頃、アメリカでの出産風景。十分な清拭とサクションボールによる口腔吸引後、両目を開き辺りをまじまじと見回し始め、やがて母親と目を合わす赤ちゃん。
赤ちゃんが生まれながらにしてヒトの顔に関心を示す事は点模様や単一の色に対してよりも、ヒトの顔に対して頭を向けている時間が長い事によって証明されています。その他赤ちゃんの能力について、これまで何も出来ないと思っていたが、実は赤ちゃんは素晴しい能力を持っている事が分かってきたとして、その新知見の数々が最近の研究成果に基づいて次々に紹介されました。
一例を挙げると、満面の笑みを浮かべて赤ちゃんに語りかける母親。赤ちゃんも笑顔で懸命に答える。母去り、能面のごとき表情で現れる。赤ちゃん驚き盛んに母にアプローチするも、やがてあきらめ不機嫌、ついで顔の表情がなくなり、泣き出す。母去り、再びもとの笑顔で話しかける。赤ちゃん即座に笑顔とエントレイメントにより全身の喜びで答える・・・
赤ちゃんの人生の第一歩
この番組に参加した医療者が最新の研究成果をもとに母と子の始めての出会いについて語る感想を、同番組から紹介しましょう :
故山内逸郎岡山国立病院名誉院長
素晴しいものですね。赤ちゃんというものは。皆さん感動されましたね。赤ちゃんの眼差し。赤ちゃんはものを見ようとしているのですね。真っ暗闇のお腹の中にいて光のない世界でした。だから赤ちゃんは眩しいのです。でもやがて慣れるんです。そしてそこで初めての親子の出会いと言う事になるのです。そしてその初対面のときの眼差しを見ると私たちは特に感動するのです。子どもはお母さんの二つの動く黒い目に引き入れられるように視線を向けます。しかも明視の距離でお母さんの目の辺りだけにピントがあっているのです。しかもお互い同士が正面から向き合って目を合わせるのです。さらに肌の匂い。おっぱいの味。赤ちゃんは5感をフル回転しているのです。その上、赤ちゃんは目覚めた状態です。そこで母と子の初めての出会いですね。赤ちゃんは胎内から既に人格と能力を持つ存在です。この様なことが分かりだしたのは科学技術の進歩です。5年前には未だ分からなかったことです。
そしてこのことがどのような意味を持っているのかとのアナウンサーの問いに、
小林登東京大学小児科学教授(当時)
赤ちゃんは想像以上に素晴しい能力を持っています。人間としてその能力を駆使し、統合して、お互いの意 思を通じ合える、コミュニケイションが出来る、お互いが通じ合える能力があるということです。そしてエントレイメント・・・母との会話そして同調の説明(先生の業績の紹介)。
私たちが考えている以上に人間なんです。人生は人間関係の組み合わせであり、その人間関係の出発点 がこの時期の母と子なんです。人間と人間としてのぶつかり合い、母と子の心の絆が出来あがります。赤ちゃんからは母親への愛着、母親は赤ちゃんへの愛情、この二つが合わさったものが私は心の絆だと思います。そしてこの人間関係をこの乳幼児期に作っておく事がその後のち、他の人間関係をうまくやるのに必要なのではないか。
人生は裏切られない、愛されるものであるという事が、記憶には残らないとおもいます、しかし、体験する事が私は一番重要だと思いますし、又赤ちゃんも十分体験する能力を持っていると言う事。5年前には未だ分からなかったと言われましたが、このことを私たち小児科医は大きく反省すると共に、赤ちゃんにかかわる人たちが十分に理解していただきたいと思います。
この様に両先生は母と子の初めての出会いの意義と、赤ちゃんは何かをしようとしている意思を持った人間である事、そしてこのことに気づいたのは僅か5年ほど前に過ぎないと強調されました。尚、乳幼児精神医学・保健医学が急激な展開を始めたのも1980年代になってからです。
母子相互作用を批判する方たちの解釈
一方、母子相互作用研究を批判する方たちの間には、その研究の中には実証的な研究の枠をはみ出す位過剰に母子の一体感を強調する余りに生じた勇み足的過ちがあるとし、“母性愛神話の罠”の著者の大日向さんは、その代表的な例としてこの出会いの情景をあげていて、この場面に対する批判を知人の助産婦さんたちの解釈として、次のように代弁してもらっています。
”この赤ちゃんは出生直後に、口の中の物を吸引してもらえずに母親の胸に抱かれた状態で、恐らく息苦しさから泣き声を出せなくなり、目を『しろくろ』させている”と言う解釈であった。”赤ちゃんが産声をあげる現象は赤ちゃんが体外に出てきて肺呼吸に切り替えた証拠で、泣かないのは却って心配だ。”という助産師さんの意見は的確であると評価したうえで、
著者は、この助産婦さんたちの意見に賛同して、”普通のお母さんには分娩になれた助産婦さんのような見方は難しい。子どもの不登校に悩んでいた或る母親は、その番組を見て『私はすぐにこの子を抱かせてもらえなかった。それが原因でこの子との関係もうまく行かず、不登校に繋がっているのかと落ち込んだ』と言う声を後日聞かされた。生まれてすぐに母親に抱かせ、母子の絆を確かなものにしようとした医師らに、勿論悪意はない。寧ろ母子のためを思った善意であろう。しかし、母性賛美に走った善意が助産の初歩的な処置を忘れさせ、或いは母親たちを惑わせる結果を招いている事を考えさせられた経験であった。”と。(母性愛神話の罠より、大日向雅美・日本評論社)
私は録画してあったこの番組のビデオテープを何回も繰り返して見ました。この出会いの画面の解釈、人により感じ方は異なるとは思いますが、しかしこの否定派の方たちの感想はビデオテープを何回見ても、納得できる解釈とは思えません。助産師さんの解釈にしても然り。どう見ても目を白黒している情景とは思えませんでした。又、医療者の善意が不登校に繋がったとの母親の嘆きにしても、余りにも短絡的な解釈ではないでしょうか。
母乳育児とフェミニズム
最近育児の分野でもフェミニズムとかジェンダーとか聞きなれない言葉をよく耳にされると思います。フェミニズムとは女性に不利益を齎す差別の撤廃とか、女性の社会的地位の向上、男性と同等の権利の獲得、女性自らの)生き方などを決定する自由を獲得して、いわゆる女性問題の解決を目指す社会思想、社会運動を意味し、幾つかの潮流があります。
最近のわが国では、マルクス主義フェミニズムやラディカルフェミニズムが主な流れを占めているようですが、その潮流の中で、母乳育児に対しての視点から見ると、その二つの流れは対立的とも言える立場をとっています。
なお、ジェンダーとは生まれながらの身体的な『性別』を表すセックスとは別に、生後成長と共に社会とか制度によって作られてゆく『性差』というようなものを意味します。尚、このジェンダーフリーと言う考えについては、既に紹介しました。
特にマルクス主義フェミニズムはアンペイドワークとしての家事労働を女性に対する抑圧であり搾取でもあると考え、主婦は夫に搾取されている家内奴隷として捉えて、その存在を容認しません。更に母子相互作用や母と子の絆と言う概念が育児の現場に入り込み、乳児神話として、母親たちを益々窮屈なところに追いやっている。そして赤ちゃんにとって大切なのは決して母親だけではないと認識することが重要であるとして、つまり母親は大切ではあるが、あくまで大切なものの中の一つに過ぎない存在であって、子どもにとっては赤ちゃんの仲間も、子どもたち、様々な大人、動物、植物など自然なものも母親と同様に大切なのであると考えるのです。
つまり子宮外胎児として絶対的弱者、保護の対象であるゼロ歳児の赤ちゃんにとっても、母親は特別な存在ではなく、赤ちゃんを取り巻く多くのヒトや物のなかのone of
themに過ぎないとする思想であり、今日の専業主婦潰し、子育ての社会化への道と合い通じる考えであって、赤ちゃんにとって厳しい思想であると同時に、母乳育児推進運動にとっては、立場がすこし異なる考えです。
一方、アメリカにおけるフェミニズム運動(ラディカルフェミニズム)は政治的イデオロギーの色彩は薄く、母乳育児に対しても積極的な姿勢をとる方が多いようです。例えばNOWはアメリカ最大規模の母乳育児支援団体ですが、アメリカ小児科学会の母乳育児推奨方針に賛同して、母乳育児は女性をエンパワーメントするもの、女性の特権と捉えています。
わが国でも1999年に結成された母乳育児支援ネットワークは何時でも、何処でも、どんな状況でも母乳育児に必要な情報や支援が得られる社会を目指すとしています。そして母乳育児を推進し、次の三課題を考える事によって、母子共により強く、より幸せになる事を目標としています。
@ 生殖・授乳の権利を大切に思う気持ちは男女で共有すべきものである事
A 母乳育児は子どもだけではなく、親の権利でもある事
B 母乳育児や子育ても社会全体が応援する事が重要である事、
男女共同参画社会を目指すフェミニストの方たちにも、この様な違いがあるのですね。その違いはどこから来たものでしょうか。少なくとも前者には子どもに対する愛情、子どもにとって家庭が如何に大切かと言う視点に欠け、或いは乏しいようです。
*女性学辞典(岩波書店)、日本のフェミニズムD・母性(岩波書店)、母乳育児支援ネットワークHP
母子の心理的一体感
最近の育児学、乳幼児心理学、乳幼児精神医学、脳科学等は、何れもゼロ歳児期を中心とした乳幼児期を重要視し、母子の心理的一体感や母性の確立の必要性を強調しています。例えば、
@ E.H.エリクソン : 母と子の基本的信頼感(basic trust)は生後一年間の母子関係に
よって形成される。
A J.ボウルビー : 乳幼児に与えられる母親の愛が、パーソナリティーの正常な発達に重要
である。
B W.D.S.アインスワース : 子どもに心の安全基地(a secure base)を提供する事
が大切。
C 小林登 : 人間関係の絆は母と子の絆から始まるが、この一対一の親子関係が生
半年頃までにきちん と確立しないと子育ては成立しにくい(子ども学)
D 松尾恒子 : 生後の一年間は、ヒトがヒトらしく成長する基本の時期で、甘えを受け入れる
ことが大切。(母子関係の臨床心理)
E 渡辺久子 : 今工業化社会では、従来の家庭や地域の援助システムが崩壊し、親子共ど
も親密な大人や子どもの触れ合いに乏しい、孤独な状況におかれている。
共に生きた初期体験の幸せな実感は、人の心の井戸に、消す事の出来ない
明るい思い出として沈み、心の深い底を生涯照らし続けるであろう。三歳児
神話は否定されると良い。しかし神話以上にダイナミックな三歳児の心の発達
のリアリティーに目を向けねばならない。(現代のエスプリ・母子臨床再考)
F 澤口俊之 :脳科学者として、脳科学や進化生態学の立場より、人間らしい人間を育てる
には、人間の脳の大きな特徴である前頭連合野とその働きを発達させる事こ
そが、幼児脳教育の根幹になる。そのためには『普通の環境」つまり、豊な社
会環境に囲まれた環境が大切であり、逆に孤独に、且つ、父親からのきちんと
した影響、・指導も、母親からの母性溢れる豊かな愛情も受けずに育つ環境は
避けねばならない。現代日本では親も教師もこぞって積極的に、子どもたちから
「普通の環境」を奪っている。これに「父性の失墜」「母性の軽視」が加われば普通
の環境の破壊は完成する。一時期「母性愛は幻」『母性は男性社会を維持するた
めに押し付けられた概念』と言う主張があったが、とんでもない誤解である。父性
もそうだが、母性愛による様々な営為は、幼児にとって『普通の環境』の重要な一
部。間違っても近代の狭いモノサシ(宗教や思想、イデオロギー・似非科学
など)で父性や母性を否定してはならない。否定したり批判するのは個人
の信条や価値観によるし自由だが、それを子どもの脳教育の現場には絶
対に持ち込まないで欲しい。絶対に!(幼児教育と脳)
G ロビン・カー=モースその他:暴力の根源は9ヶ月の胎児期と24週の乳幼児期の計33
ヶ月間の生育環境と育てられ方にある。”社会の育児室”ともいうべきこの
期間に、人間の脳の基本が形成され、それが暴力的な人間を生むか否かを
決定する。(育児室からの亡霊・毎日新聞社)
H 田口恒夫 : 人生最初の2年ばかりの間は、人間の『心の発達』の内、人柄や信条の
根幹部分が 形作られ、その人の基本的ムードのようなものが形成される、
とてつもなく大切な時期であり、その影響は生きている限り長く尾を引く。子
の健全な発育を保証するには、その間一貫して子どもの身体を出来るだけ
親の身体に密着している事が肝心。(今、赤ちゃんが危ない・母子密着育児
の崩壊 ・近代文芸社)
I
河合隼雄: 赤ちゃんにとって何が一番大切かといえば、母子一体感、『守られて
いる』
と感じることです。子どもが育つ上で、生まれてから三、四ヶ月くらいまでに体験
する母子一体感は、すごく大事だと思います。心理学ではこの頃にお母さんを
通じて、この世界への基本的信頼感というのが作られると考えられています。つ
まり「大丈夫なんだ」という安定感ですね。(こころの子育て・朝日新聞社)
私たちは3〜4才以前の乳幼児時代の記憶を全く持っていません。しかし、子宮外胎児と言われ、絶対的依存の状況にあったこの時期に経験した様々な体験は、無意識の記憶の痕跡として、終生脳裏に残こされ、以後の心理や生き様に影響するものと考えます。0才児期に母との間に交わされた無償の愛の記憶は、赤ちゃんの脳の奥底に深く刻み込まれるのではないでしょうか。
最近脳科学者からの乳幼児の精神的発育についての発言が目立つようになりました。中でも澤口俊之教授は、ヒトがヒトたるゆえんであり、ヒトの自我や様々な知性を司る「前頭連合野{前頭前野}」が十分に発達しないと一種の脳機能障害となり、社会性とか恥の感覚が働かなくなり、その結果、例えば電車の中で化粧したり、人前で平気でいちゃつく、或いはすぐ切れる、援助交際、陰湿ないじめなど、最近若者に多く見られるこの様な行動の数々は,前頭連合野の発育不全の結果だとしています。今日の若者の一部が、“携帯電話を持ったサル”と呼ばれる原因でしょうか。0才時期母子の一体感の醸成に努め、引き続いての児の自立へ向けての成長を促す過程において、脳科学者たちは、人格の基盤となる前頭前野の成長を良くするためには、両親の父性と母性をベースとした家族の中でのきめ細かな育児と共に、2歳までのテレビの禁止や安易なテレビゲームでの遊びの制限の必要性を強調するなど、脳科学の立場からも、乳幼児が健全に育児するためのアドバイスを発信しています。尚、アメリカ小児科学会、日本小児科学界のいずれも、2歳までの乳幼児にはテレビを見せないようにとの勧告をしています。テレビを見たりゲームをしているときには子どもの前頭前野は全く働いていない事,つまりヒトをヒトとして作り上げてゆく場所、ヒトの知性や自我を発育させる場所である重要な前頭前野の発育やトレーニングが全く機能していない事が実証されているからです。
さいごに
現在のわが国の政府の方針は、嘗ての母子相互作用の研究に代表される母と子の心の問題・人間関係の重要視の方向から遠ざかり、その代わりに労働問題・少子化社会対策の柱として、専業主婦つぶしと育児の集団化、社会化に中心をおいています。そしてその「育児の社会化」の背景を流れる思想は、共に生きている仲間を慈しみ思いやる心を中心に置いた母性原理からはなれ、効率と利益を最優先するビジネスの原理への移行を意味しており、赤ちゃんの心や生理を軽んじた大人本位の実利的な施策の反映に過ぎません。果たして私たちのジュニアたちに幸せな世界が待っているのでしょうか。
私たちの未来を担うジュニアたちに幸あれ。
2004/4/15
岡村博行
追記 :
現代社会は私たちの子孫を、その授乳全期間を通じて自らの母乳で育てる事を困難な状況においた。その結果、牛の乳から作られた乳製品が人乳の代替え品として使用されるようになった。
今日政府の推し進める育児の集団化、社会化もまた、家庭と保育所を母乳と人工乳に置き換えるならば、其の間の事情は全く同一といえる。しかも、乳児栄養の場合と同じく、育児の社会化もまた少子化社会へ向けての大人の論理、大人の利益が優先された対策であり、赤ちゃんの心や利益を尊重する視点には全く欠けているのである。