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渡邊耕一
わたなべこういち (Watanabe, Kouichi)

◆展覧会

2005年の展覧会 >

写真展『The name of grassland / 草むらの名前-unknown islands where itadori grows。』
2005年10月11日(火)〜10月29日(土)12:00〜19:00(日曜・月曜休廊・土曜日17:00まで)
10月15日(土)、10月22日(土)、10月29日(土)作家在廊します



北海道を旅する時、わたしはある植物のことがいつも気になっていた。誰ひとり気にするふうでもなく、6月の草刈りの季節には苅りとられ、草刈りを免れた河原や道端で風に揺れている巨大な植物。植物図鑑を広げ、その名前を口にした時、わたしはイタドリの存在に不意に気付いた。


何度通ったか知れない馴染みの道端にも、子どもの頃過ごした河原にも、イタドリは見つかった。それはずっとそこに存在していたに違いなかった。馴染みの場所は未知の土地に変わってしまった。それ以来、わたしは常にイタドリの繁る処を探し、分類してきた。これはさながら未知の島を踏査する博物学者の仕事だ。


草むらへ侵入し、イタドリの繁る処の中心へ達した時、わたしは植物にびっしりと囲まれ、身動きができなくなる。雑多な音が聞こえ始め、皮膚も感度を上げている。ほんの少し動けば、目の前に投げ出されているあらゆるものが崩れ去ってしまう。わたしはただ息を潜めてその場所にいた。分類され、名指されたものは放棄された。この空間では、潜り込む身ぶりそのものがひとつの認識となる。


今ではどんな場所にいても、遠くから一瞥するだけでその植物を区別できる。明け方の透明な大気の中、見張りの水夫が水平線上に現れた陸地を認めるように。陸地が安全な入江をどこかに隠しているように、イタドリの繁る処は認識をもたらすあの空間を内に隠している。草原の中や都市の隙間に息づいているイタドリの島々を見つけること。そして、未知の島々に辿り着いた航海者のように、その海岸線に沿って入江をひとつひとつ確かめること。それはいつか一枚の地図となり、進むべき方向を定めてくれるに違いない。


今やわたしはイタドリを見過ごして通り過ぎることができない。


2002年の展覧会 >

写真展『草原の方へ-grassland』
2003年1月20日(月)〜1月25日(土)12:00〜19:00(日曜・月曜休廊・土曜日17:00まで)


草原が眼前に広がると、わたしの心が騒ぐ。


数年前、北海道で初めて見渡す限りの草原を見た。北海道の草原は、わたしに 「見渡す」という身ぶりを教えてくれた。その広漠とした空間とテクスチャーが 持たらすある種の感覚。「見渡す」という身ぶりが持たらす多幸感。この感じ は、これまでもどこかで経験したことがなかったか?万博公園の雑木林を抜け、 芝の広がる空間に出た時、背の高い多年草が林立する三田の使われていない工業 用地に出くわした時、わたしは確かにその感覚を味わったことがあったはずだ。 北海道で、わたしはともすれば見失ってしまうその感覚を持続させる術を発見し たのだった。


草原のテクスチャーは、その土地の植生そのものである。その土地の特性を読み 取る術を学ぶためには、土地の植生と向き合わなければならない。その土地を歩 き、テクスチャーをよく見ること。そうすれば、その土地の気候や土壌、人とそ の土地との距離あるいは故郷とその土地との距離を読み取ることができる。


今やわたしはこれらの広漠たる草原を前に、サバンナの狩人や城砦の夜警さなが らに遠くを見渡し、植物学者のように草原のテクスチャーを観察する。


これらは、遠くからやってくる、あるいは足下に存在する徴を見付けるための行 為である。わたしは知覚を研ぎ澄まし、草原が隠している徴を探す。



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