台湾巡礼 1999


牧愛堂(台北市)1999年

In Japanese. Go down to the English part.

以下は横浜山手聖公会の教会報に載せるため、2000年2月20日に書いたもの。掲載中止になったので、3月29日に横浜教区報用に教区事務所へ送った。

台湾聖公会を訪ねて

昨年六月、毎年この時期に台北で行なわれるているコンピューターショウを見る機会があり、十年前に台北駐在以来久し振りに、台北を振り出しに全島を廻ってきました。台北の聖約翰座堂(聖ヨハネ主教座聖堂)、牧愛堂、淡水の降臨堂、台南の天恩堂、高雄の聖保羅堂(聖パウロ教会)、花蓮の聖路加堂(聖ルカ)を訪ねたものです。聖公会の新埔技術学院にも寄り、高校生の日本語授業を1時間教えてきました。

台湾聖公会は、終戦で日本人が去ったあと、主に大陸から移住してきた中国人が、米国聖公会の援助で一九四九年に設立されたもので、今でも米国聖公会第八管区(カリフォルニア、ハワイなど)に属しています。戦前、日本聖公会は台北・台中・台南・基隆などに教会堂を建てましたが、日本人が去ったあと台湾人だけでは維持できなかったのでしょう、台湾最大の長老教会などに所有が移っています。この度は戦前の台北聖公会(もと大正町、現在の長安東路)と台南聖公会(現在の南門路)にも寄りましたが、それぞれメルヘンの世界のような姿、質実剛健な姿に感激しました。

簡啓聡(チェン・チーツォン)主教にもお会いしました。米国または大陸出身の主教が続いた中、一九八八年にはじめて台湾出身の簡主教が選ばれました。台湾中部の農家のご出身で、東海大学(台中市)を出られ、お父さまは日本語を話されていたそうです。台湾には日本聖公会の布教などなかったという説がまかり通っていましたが、簡主教の時代に戦前の日本聖公会の歴史も台湾聖公会の前史として記録されるようになり、京都教区婦人会編「もっと光を、京都地方部婦人補助会史」(一九九八年発行)の付録「台湾伝道史」の抄訳が、教区報「台湾聖公会通訊」(季刊)に昨年シリーズで掲載されるまでになりました。

仕事や観光で台湾へ行く機会も多いと思います。私のところに各教会の住所、電話番号、礼拝時間のリストがあり、インターネット・ホームページにも載せていますから、お祈りに、礼拝に、ぜひお寄りください。礼拝は主に中国語(北京語、通常国語といっている)で行なわれ、台北の牧愛堂では英語の礼拝、台南や高雄などでは台湾語の礼拝も行なわれています。礼拝内容は日本聖公会のものとほぼ同様ですが、詩篇が唱詠形式で行なわれ、第三主日が「いやしの礼拝」で、歌唱リーダーを中心に身振りを混じえて歌を歌うような礼拝をしている処が多いようです。上記教会以外に、台中や基隆にも教会があります。(昨年九月の地震による被害は、台湾聖公会では軽微であったと聞いています。)司祭さまは皆英語がお上手ですが、日本語は台南近くの欧俊士司祭以外は話されません。

なお、昨年二月より一と月毎に横浜の諸教会(山手聖公会、聖アンデレ教会、華僑基督教会、山手カトリック教会)の集会室を借りて超教派の「仲麻呂会」を開きました。アジアのキリスト教について学ぶのが目的で、昨年と今年は、主に台湾と中国に関して、中国語の聖歌やゲストのお話しも混じえて学んでいます。毎年アジアの若いクリスチャンがお互いに学ぶための奨学金(往復の飛行機代)もスタートしていて、昨年は台湾との交換でしたが、九月の地震で今年に延期しました。この三月には日本の神学生が台湾へ行き、五月には台湾の方も日本へきて横浜教区の教会にも寄る予定ですので、皆様よろしくお願いします。

以下は聖公会新聞に1999年6月30日に再寄稿したもの。観光旅行的になりそうなので、3つのパラグラフにそれぞれ、礼拝方式、教会の新しい試み、継続的な面(仲麻呂会)のコメントを入れた。(1000字以内の目標を多少オーバーしている)。注:以下2つの原稿は、結果として不採用になった。

台湾聖公会の教会巡礼

三上吉彦(横浜山手聖公会教会、教籍は長野聖救主教会)

毎年6月に台北で行われるコンピューターショウ参加を機に、今年は台湾聖公会の7教会を巡礼に回った。台湾の首都・台北には2つの教会があり、ダウンタウンに内装が淡青色でステンドグラスが美しい聖約翰座堂(聖ヨハネ主教座聖堂)と、北郊外の士林区に中国南部の三合院様式で建てた牧愛堂(良き牧者教会)がある。台湾聖公会も教育施設に力をいれていて、ほとんどの教会が幼稚園を併設している外、台北郊外の港町・淡水に新埔工専(5年制)も設立している。ここで降臨堂(降臨教会)に寄り、2年生の日本語授業を1時間教え、台湾海峡に面した美しいキャンパス内の学長官舎で簡啓聡主教、張中平学長、林応求牧正(聖約翰座堂)と夕食をご一緒した。台湾聖公会は戦後米国聖公会の援助で設立されたもので、現在もその第8管区の1教区であるからか、「聖餐礼文」で伝統的な礼拝する以外に、毎月第2・4主日は「心身医治礼拝礼文」で癒しの礼拝、第5主日は時に身振りも交えて聖歌を歌う「詩歌頌讃礼拝」を行なう多彩さで、日本聖公会や韓国聖公会の伝統的礼拝一本槍の経験者には新鮮であった。

台南へは飛行機で行き、天恩堂(恵み教会)へ寄った。台北の北京語での礼拝に対して、ここでは台湾語で礼拝を守っている。さらに南の台湾第2の都市・高雄には近代的な聖保羅堂(聖パウロ教会)があり、ここは北京語会衆と台湾語会衆があるが、後者が聖提摩太堂(聖テモテ教会)を建築中で、来年の1月1日に盛大な聖堂聖別式を行なうので、日本のみなさんもどうぞということである。高雄から台湾鉄道の「自強号」特急で中央山脈を超え東海岸の断崖絶壁を北上して、花蓮に着き、聖路加堂(聖ルカ教会)に寄った。今年になって聖堂を3階から1階へ移し、通りから両開きガラス戸で気軽に入れるようにし、内部もカラーガラスを使った設計にした。牧師・会衆の一致した努力で、山地原住民も含む会衆も増え、近くの採石場で働くフィリピン労働者のための英語礼拝も今年から始めた。こうしてほぼ台湾全島を回ったが、全受聖餐者数約2000人の台湾聖公会でも、いろいろな試みが行なわれていることが分った。

戦前のクリスチャンの生活について、2人の信徒にインタビューできた。日本聖公会によって戦前に台北・台中・台南・基隆などに教会堂を建てられたが、私はこのうち台北と台南のもと聖公会教会に寄った。現在はそれぞれ中山基督教会と南門基督教会と呼ばれ、両教会ともに台湾最大のプロテスタント教派である台湾基督長老会の所属になっていて、前者では礼拝にも参加した。他教派に所有が移った理由が何にせよ、戦時中の爆撃にも堪え、戦後の大混乱のなかでもきれいに維持され、こうして1つのキリストの教会という立場から礼拝できるのは、私には神への感謝そのものでした。私は横浜・東京地区の教会で2か月毎に中国および台湾などの中国文化圏のキリスト教を研究する「仲麻呂会」を超教派で開催しているが(連絡先は0466-27-2077)、台湾聖公会の方々はもともと中国の聖公会出身の方々も多く、今後満州などでの聖公会の働きについて調べる予定なので、役立っている。台湾へ旅行の際は、ぜひ台湾聖公会の教会で礼拝に参加することをおすすめする。。教会の住所・電話番号などは、私にお問い合わせください。また、私のインターネット・ホームページ(http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwan.html)にも載せています。

以上

以下は聖公会新聞に1999年6月23日に寄稿したもので(Tel. 03-3235-5681、Fax. 3235-5682)、1999年6月25日に唐沢編集長へ確認をしたが、6月27日に早瀬さんからファックスで連絡があり1000字以内にしてくれとのことで、6月28日に上を作成。

台湾聖公会の教会巡礼(詳細)

三上吉彦(横浜山手聖公会教会、教籍は長野聖救主教会)

今年5月に久しぶりに開催された日本聖公会歴史研究会「歴史研究者の集い」(於:松江市郊外)で「インターネットによる歴史研究---台湾聖公会の歴史」と題して発表しましたが、6月には毎年この月に台北(タイペイ)行われるコンピューターショウ参加を機に、台湾聖公会の教会巡礼をしてきましたので、みなさんとシェアしたいと思います。ご存知のように、日本は日清戦争直後の1895年から第2次大戦終了の1945年まで50年間台湾を領有し、日本聖公会も外地伝道の一環として、台湾占領の翌年にA・F・キング、今井寿道2長老(司祭)を状況視察に派遣して以来、活発な宣教活動を日本語で行ない、台北聖公会教会(当時の台北市大正町)をはじめとして心のこもった教会堂を各主要都市に建てました。しかし、第2次大戦終了で日本人はすべて引き上げてしまい、これらの教会堂も他キリスト教派(主に最大教派の台湾基督長老教会)に所有が移っています。

台湾聖公会(受聖餐者数約2000人)は戦後主に米国聖公会の援助で設立されて、組織的にも米国聖公会第8管区(カリフォルニア・アラスカ・ハワイなど)の1教区となっています。現在は1988に叙任された簡啓聡(チェン・チーツォン)主教で、2度ほど夕食をご一緒にしましたが、台湾中部の農民の家庭の出身で、これまで米国人あるいは中国大陸・香港出身主教が続いた中で、はじめて台湾出身の新しいタイプのリーダーだといわれています。日本のほとんどの教区へは訪問されたようですが、私が現在住んでいる横浜教区へはまだのようで、日本最大の中華街があり(神奈川県)、台湾領有中は玉山(新高山)に次いで高かった富士山を有し、山あり(山梨県)海あり(千葉県・静岡県)で、横浜聖公会教会では日本語・英語会衆があり、また信徒神学校というユニークな制度もあることをお話ししました。

台北は相変わらずの大都会でしたが、私が8年ほど前に仕事で家族と駐在していた頃と比べて、昨年からMRT(中国語では捷運)と呼ばれる地下鉄・近郊電車が開通していて、交通の便が良くなってきているのが印象的でした。MRTの電車内でのアナウンスが北京語・台湾語・客家(広東省出身の客家人が使う)・英語の4か国語で行われているのは驚きでした。もともと台湾は対岸の福建省から移住してきた人々が大多数で(内省人)、客家人・山地少数民族などを除いては日常は台湾語を使っていますが、戦後大陸から移った人々(外省人)が戦後の政治・経済の実験を握り、学校・政府機関・大企業では北京語を使ってきましたので、8年前は台湾語をこうして公に使うことはめったにありませんでした。

台北には聖公会の教会が2つあります。ダウンタウンの聖約翰座堂(聖ヨハネ主教座聖堂、復興南路二段280号・和平東路口、林応求牧正、右の写真)と北郊外の牧愛堂(士林区中正路509号・承徳路口、魏斐然牧師、女性、上の写真)です。前者は前述のもと台北聖公会教会の帰属をめぐって論争があった後に(この問題は解決済みですから要注意!)主教座聖堂として1965年に聖堂聖別されたもので、青を基調とした内部でステンドグラスで美しい教会です。後者はレンガ色の門を入ると中庭に出て、その3方を囲むように回廊をもつ建物があるという、中国南部の三合院という伝統的建築方式になっていて(北京など北部では伝統的に四合院)、正面に礼拝堂があります。両教会共に国語(北京語)会衆と英語会衆がありますので、台北に行かれたら気軽に礼拝に出席されることをおすすめします。台湾聖公会の教会の場所・連絡先・礼拝時間は、現地のホテルで電話番号を調べて連絡してもらうか、インターネットをお使いの方は私のホームページ(http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwan.html)に載せてあります。

台北にはこれ以外に顕現堂(杭州南路一段105巷7号)というチャペルがあり、このビル内に主教宿舎と三一神学中心(トリニティーホール)もあります。神学教育は、ここおよびカトリックの輔仁大学、長老教会の3つの神学院(台北の北郊外・台南・花蓮)を利用しているようです。

台湾聖公会の日本聖公会と同様に教育事業にも力を入れてきていて、ほとんどの教会は幼稚園を併設しています。また、台北の北西郊外の港町・淡水(タンシュイ)に、新埔工専(5年制の工業商業専門学校)を1967年に開校しています。戦前の上海にあった聖約翰大学校(セント・ジョンズ・ユニバーシティー)と聖瑪利亜女学校(セント・メアリーズ・スクール)、武昌にあった華中大学校(ブーン・ユニバーシティー)の卒業生が中心となり寄付金をつのり、昔と同じようなが大学を建てる意向でしたが、政府の指導で工専になったそうで、学校名も土地の名前を使わざるを得なかったが、英語名はセント・ジョンズ&セント・メアリーズ・インスティテュート・オブ・テクノロジー(SJSMIT)として大陸の思い出を残しています。

ここは海(台湾海峡)に面したすばらしいキャンパスで、校内の近代的なチャペル・降臨堂(張貞栄牧師)を見せていただきました。教会堂で聖書日課中国語版「華語聖公会 週年祝文及選読経課(甲年)」(米国 国内・国外宣教会発行、1997)を見かけたので張牧師に聞いたことと私の経験でまとめますと、台湾聖公会の礼拝はおおむね毎月第1・3主日は伝統的な礼拝(聖餐礼文、詩篇吟誦本---台湾聖公会発行のチャント形式、普天頌讃---香港・基督教文芸出版社発行、を使用)、第2・4主日は「心身医治礼拝礼文」で礼拝、第5主日がある時は現代的な讃美歌を中心に、身振りも交えて歌う「詩歌頌讃礼拝」(説教・聖餐はなし)です。(祈祷書中国語版は現在絶版で、今年秋に中英両語祈祷書が完成予定。英語会衆は、米国聖公会の「The Book of Common Prayer」で The Holy Eucharist, Rite Two、英国 Hodder & Stoughton社「Hymns for Today's Church」を使用。)新埔工専では張中平学長にもお会いし、あとで夕食をご一緒しました。外国語は実用面から英語と日本語を教えているということで、私は2年生の日本語授業を1時間教えたり、情報管理学科の先生方ともインターネットとホームページの利用法方について意見を交換してきました。

台北から台南(タイナン)へは、遠東航空公司の飛行機を利用しました。台湾は日本の九州とほぼ同じくらいの大きさの島ですが、国際線で活躍する中華航空以外の航空会社による国内・近隣諸国への飛行機便が意外と発達しています。途中左手に雲間に高い山の峰々が見えて、これらのどれかが玉山(新高山)や阿里山なのでしょうか。台南以降は牧愛堂の英語会衆のチャプレン(グレアム・ドイル牧師)とご一緒しました。オーストラリア出身のイギリス人で、昨年1月に台北へ来られる前は8年間ベオグラードの居られたそうで、いろいろとコソボ問題に関してもご意見をお聞きしました。

台南は台湾の伝統的文化を代表する古都で、中国人の父親と九州・平戸出身の母親を持つ鄭成功(国性爺)が17世紀に明朝の再興を計って都を置いたところです。台南駅から南東の方向に聖公会の天恩堂(崇徳路550巷24号、頼栄信牧師、右上の写真)があり、台語(台湾語)の礼拝を守っています。聖公会の台湾語文書の多くはこの教会で製作して、他へも配っている印象でした。頼牧師はビデオも沢山作っていて、聖地エルサレム巡礼などのビデオを出版社から出しておられます。お昼前にみんなで一緒に、台南駅から南西の方向にある南門基督教会(南門路117号、長老派、左の写真)を訪ねました。ここはもともと日本聖公会が台南聖公会として建てたもので、端正な作りで頼もしく感じました。近くの茄草-早+定(チァティン)にある聖安得烈(聖アンデレ)幼稚園(聖安得烈宣道所は活動を停止している)の管理をされている欧俊士牧師はご年配の方で、日本語をよく話されます。写真にかけては天才肌で、日本のカメラ年鑑にも目を通されていて、芸術的写真を宣教活動に役立てています。

台南からさらに南にある高雄(カォシュン)は台湾第2の都会です。天然の良港を控えて、戦前は日本軍の南進計画の基地で、たんぼの中に切り開かれた広い道路を持つあかるい町です。ここに1964年聖公会が建てた、鳥が翼を広げたように見える近代的な教会堂をもつ聖保羅堂(聖パウロ教会、三民区自強一路200号、劉定華牧師、国語)があります。ここに台湾語会衆の聖提摩太堂(聖テモテ教会、右の写真)も同居していますが、現在7階建ての教会を忠孝路に建築中で(教会の住所は忠孝一路262号3楼になる)、ミレニアム(2000年)の1月1日には聖堂聖別式がある予定です。すでに建物が完成していて、エレベーターも取り付けてありましたので、内部も見せていただきました。1〜2階は英語塾に賃貸し、3階が礼拝堂、4階がトリニティーセンター(三一神学中心)分院、5階は集会室、6階が牧師宿舎、7階が宿泊施設で、地下には十分な駐車場スペースもあります。来年のお正月の聖堂聖別式には、日本のみなさんもどうぞいらしてくださいということでした。

高雄から花蓮(ホァレン)へは台湾鉄道の「自強号」特急で5時間20分の長旅になりました。途中中央山脈を超えて台東(タイトン)経由で、しばし太平洋岸の断崖絶壁を走るすばらしい景色を楽しみました。ここは聖路加堂(聖ルカ教会、明心街1之6号、陳宏行牧師)で国語と英語の礼拝を行なっています。英語の礼拝は最近始まったもので、近くの採石場で働くフィリピンの労働者のためとのことです。礼拝に参加する人数が減少するなか、今年1月に陳牧師に代わってから、3階にあった礼拝堂を1階に移し、通りからガラスドアを開けてすぐ入れるようにして、信徒数も増えています。教会堂の内装は、彼の前任地・高雄市の職人に頼んでカラー・ガラスを中心にしたもので、祭壇の復活の十字、天井の蘇生の窓(左の写真)をこうした形で見るのははじめてだと、同行のドイル牧師もびっくりしていました。アミ族など少数民族の信徒も多くこられるということで、実際我々が到着した時には、近くの長老教会神学校(玉山神学院)の少数民族出身の生徒さんが遊びにきていました。翌日は彼の息子さんとみんなで一緒に景勝地・太魯閣(タロコ)渓谷を見ました。息子さんは近くの国立大学の大学院で弁護士になるように勉強中で、台湾と中国の少数民族の法的保護に興味があり、今年の夏は中国内蒙古自治区へ現地調査に行くそうで、若い世代の活躍に期待します。花蓮から台北へは、再び飛行機に乗り戻りました。

台湾における日本聖公会の活動について議論することは、最近まで多少タブー化されてきました。台湾では台湾聖公会は公式には戦後米国聖公会の協力によって設立されたとし、日本では日本の軍国主義に協力したという面もあったとの反省からでした。やっと昨年になって、英文でRichard Corsa著「Cottage to Cathedral」(台湾聖公会、1998年)と日本語で「もっと光を、京都地方部婦人補助会史」(日本聖公会京都教区婦人会、1998年)が出て、台湾における日本聖公会の歴史が広く語られるようになりました。台湾聖公会にはいまも資料は少なくて、後者については季刊誌「台湾聖公会通訊」(台湾聖公会通信)に今年の第1四半期号から抄訳が連続掲載され、台北の大橋麟太郎長老、丹下得喜子伝道師、台南の松田真澄長老、およびその他聖職者・信徒の活躍を載せています。私の今回の巡礼では、台湾の戦前のキリスト者に関して2つのインタビューができました。北部で日本統治下で聖公会の洗礼を受け、戦後1時中断はしたが台湾聖公会の会員として残った方(故人)のご遺族(伝雁端さん)、南部で戦前に長老教会で洗礼を受け、聖公会とも親しくされている方(荘恭仁さん)です。プライバシーの問題もあるので、両者のご了解も得ながら、他の資料と共に参考にさせていただきたいと思います。

巡礼の最後の日に、現在長老派の中山基督教会(もとの台北聖公会教会、林森北路62号・長安東路口、右の写真)へ写真を撮ろうと思い短時間訪れましたが、そのすばらしさにびっくりしました。丁度礼拝中でしたので、教会堂の中に入り一緒に礼拝に参加し、その後中庭で日本語を話すご婦人方に会い、ご一緒に構内の教育会館(もと牧師館があったところ)の地階で愛餐会にも参加しました。宗派を超えて、キリストの教会は1つなんだと自分に言い聞かせるように祈りながら、もう2時間後は東京行きの飛行機に乗りました。

私は横浜・東京地区を中心に2か月に1度中国および台湾などの中国文化圏のキリスト教を研究する「仲麻呂会」を聖公会、カトリック教会、バプテスト教会、華僑教会(単立)などの方々と開催しています(連絡先は0466-27-2077)。今回の台湾巡礼はこの面でも、大変有意義な旅でした。台湾聖公会の方々は、もともと中国の聖公会出身の方々も多く、その方面での働きが多少分ってきたことです。今年の4月に中国基督教協会の代表団の方々にもお会いしましたので、日本聖公会の満州など中国大陸での歴史を、現地調査も含めて今年秋から調べてみたいと思います。

以上

以下の2つは、台湾聖公会の英語会衆用月刊誌「Friendship」(1999年6月1日)に寄稿されたものです。

The Anglicans When Japan's Occupation Ended
(日本の領有が終った時の台湾人聖公会員)

下記英語部分をみてください。

Yoshi Mikami, Yamate Seikokai Church, Yokohama, Nippon Sei Ko Kai

A Trail of Discovery
(新発見の道筋)

下記英語部分をみてください。

Graham Doyle, Chaplain of the Good Shepherd, Taipei, Taiwan Episcopal Church

以下6つのお話しは、「台湾巡礼」と題してNSKK_Generalメーリングリストに現地から寄稿した(1999年5月29日〜6月6日)ものです。

1.成田から台湾へ出発

みなさん、ニーハオ!

これから、1週間の予定で(1999年5月29日〜6月6日)、台湾の教会の巡礼にいってきます。いま成田でこのe-mailを送っています。

5年ぶりにアジア最大のパソコン・ショウComputex Taipei(台北国際電脳展覧会)
http://www.computex.com.tw
を見るつもりだったのですが、主にキリスト教会巡礼になりそうです。成田〜台北の往復飛行機代は4万円前後(横浜のNo.1 Travelというところで買ったのですが、切符を取りにいったらHISの子会社となっていた)、今月参加した日本聖公会歴史研究会の集まりへ交通費((関東地区<--->松江市近く、JRも飛行機も)が往復4万円前後でしたから、聖公会のミーティングは(特にインターネット担当者会議は第2回は!)これから台北かソウルでやりましょう。

昨年11月に中国の教会巡礼1998をこの会議室で現地から書き、いまwebの
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/china.html
に置いていますが、台湾についてはいろいろな方々にも教えられ、この間の歴史研究会でも発表して
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwan.html
に置いてあります。

日本聖公会が明治時代から営々と築きあげた教会が、第2次大戦の終了とともに消えてなくなり、戦後米国聖公会第8管区(カリフォルニア・ハワイ・アラスカ)が中心となり再構築したもので、日本聖公会の沖縄教区と多少似た発展をしてきたのでしょうか?

今回は主に台北市の北郊外の士林(シーリン、夜の屋台街で有名)にある牧愛堂(ムーアイタン、英語会衆名 Church of Good Shephard)のあたりに宿泊していますが、台湾南部の高雄(カオシュン)・台南(タイナン)および東部の花蓮(ホアレン)のどれか、北部の淡水(タンスイ)にある新埔工業商業専門学校(St. John's & St. Mary's Institute of Technology)にもよれるといいなと思っています。

再見!

2.台北・牧愛堂Church of Good Shepherd

みなさん、台湾からニーハオ!

おととい土曜日に台北に着きました。台湾は1993年以来、6年ぶり。温度は東京の8月の暑さです。8年前にここに住んでいた経験では、4月から7月くらいまで断続的に梅雨が続き、きのう午後振り出した雨は今朝も続いています。

まず、コンピューターなどについて。ここは電気は交流110Vで、もってきたIBM ThinkPad 530CS(ノートパソコン)はそのまま使ってもいいと思うのですが、大事をとって110/220/240--->100Vの小型変圧器を使っています。インターネットはIBM Netの接続ポートが、台湾には台北、新竹、台中、高雄にあるので、そこへ接続しています。

土曜日は夜、サヴァリッシュ指揮のフィラデルフィア管弦楽団がきていて、国家音楽庁へシューマンの第2交響曲、ベルリオーズの幻想交響曲を聞きにいってきました。東京ではぜんぜん聞きに行くわけではないのに。

きのうの日曜日は、台北の北郊外、士林区にある牧愛堂(英語名Church of Good Shepherd)の英語会衆と中国語会衆の礼拝に出席してきました。(横浜山手教会では、私は「ダブルヘッダーに出る」といっています。)台北の中心部から中山北路(中山というのは中華民国初代大統領の孫文の号です)が北に伸びていますが、士林に入って中正路で左に曲がり、承徳路を超す手前左にあります。去年はじめから「捷運」(しょううん、MRT = Mass Rapid Transit)と呼ばれる東京の電車・地下鉄に相当する公共交通網ができていて、この淡水線の士林站(駅)から徒歩5分くらいです。

インターネット・ホームページで
http://ecusa.anglican.org/taiwan/goodshepherd/ (英文)
http://www.ccea.org.tw/~goodshep/ (中文)
で見る5〜6階の建物はAdministration Buildingで、その左にオレンジがわらの屋根の1階建てで、門を入ると中庭に出て、そこを回廊が取り囲んで、左右に幼稚園の教室、正面に教堂です。北京では中庭を四方が取り囲む四合院が有名ですが、中国南部ではくした三合院が伝統的なんだそうです。教会は1966年に完成したもので、約100人から150人が座れるのではないでしょうか。

英語会衆の礼拝は9:30から。週報(英語で何というのでしょう?)に沿って、The Book of Common Prayer (ECUSA米国聖公会, 1979)のThe Holy Eucharist: Rite Two (口語的、ただし主の祈りは文語で「Our Father who art in Heaven, Hallowed be Thy name. ...」)を使います。聖歌集は「Hymns for Today's Church」(Hodder & Stoughton, London-Sydney-Auckland-Toronto)を使う。聖書の引用は創世紀1:1〜などでしたが、あとでFather Graham Doyle(Chaplain, もともとオーストラリア人で、英国に家があり、去年はじめここへくる前はベユーゴスラビアに8年いた)に聞いたところ、NRSV(1989)を使っているそうです。伴奏はオルガンではなく、グランドピアノです。(グランドピアノは、横浜華僑基督教会でもそうです。)

中国語会衆の方は、11:00から。前にリーダーが出て、フォイルプロジェクターを使って新作聖歌の練習がはじまって、そのままずっと続くのでおかしいなと思ったら、きょうは第5日曜日で、自由形式の礼拝でパンとぶどう酒もありません。歌は、立って身振りをつけて歌うもので、おそらく台湾で1番勢力のある長老教会や他の米国からはいってきたプロテスタント教会の礼拝でやっているのを採用しているのではないでしょうか。祈祷書は置いてなく(今年の8月ころ中国語・英語版ができると聞きました)、聖歌集は「普天頌讃 簡譜精装」(香港、1978修正版)、聖書は「新旧約聖経」(聖経会在香港、1979 旧漢字「神版」)が置いてありました。

魏斐然牧師(Elizabeth Wei)の旦那さん(台湾の鉄道局の長官だそうです)に連れられて、隣りの建物の2階でみなさんとランチ(中華料理のバイキング)を食べました。最近修士号をとった方のお祝いがあり、いろいろ聞いてみると、ここから北へ淡水の方向にある新埔工業商業専門学校 (英語名St. John's & St. Mary's Institute of Technology)の卒業生が多く、これは1960年代に建てられた5年制の学校で、丁度日本で聖公会の集まりにゆくと立教だの、桃山だのとチラホラ聞くのと似ています。

先ほど礼拝で唱歌のリーダーを務めた李瑞強さんに「来年5月にドラフトが配布される日本聖公会聖歌集改訂版に入れる中国/台湾の歌は、何がおすすめ?」と聞いたら、「ネ+尓的話」、「除示+尓以外」「主我敬ネ+尓」のコピーと出典をくれたました。横浜山手教会の聖歌担当に送っておきます。(礼拝で歌ったのもよかったのですが、米国製だそうで。)

21世紀に向かっても台湾、北朝鮮などの火種をかかえる東アジアに、主の平和がありますように!

3.キリスト教書店 & Computex Taipei

みなさん、台湾からニーツァオ!

月曜日(5/31)ばブラブラと市内のキリスト教書店を探して歩きました。私は東京でキリスト教書籍を買うのに

という図式が、最近やっと分るようになりました。英国・米国からキリスト教書籍を買うのはどうしたらいいのかは、まだ分ってないのですが、台湾から書籍を買うのはきのうで多少分ってきました: プロテスタントの書店がもう1つ台北車站(駅)のそばにあるらしいのですが、まだ分りません。

聖書は、プロテスタント用とカトリック用が別れていて、プロテスタント用のには続編がない。聖公会の祈祷書「公祷文」は、書店にはないので教会から入手するしかあいでしょう。(東京・教文館にはおいてある。)聖歌集「普天頌讃」は、楽譜のない版がありました。あとでインターネット書店も含めて
http://www.threeweb.ad.jp/logos/books-cds/christ.html
をアップデートしておきます。

きのう火曜日(6/1)は、いよいよアジア最大のパソコンショウComputex Taipei(台北国際電脳展覧会)
http://www.computex.com.tw
がはじまり、World Trade Center(中国語で世界貿易中心)へいってきました。どこも代わらないコンピューターショウですが、ここは台湾から買い付ける外国のバイヤーが中心の展示会で、ここで成約したものが秋のComdex Fall at Las Vegasで展示されるというプロセスになっています。

ハードウェアはあまり新味はなく、私の関心もあまりないので、ソフトウェア中心に見て歩きました。私自身が1990〜1991年に台湾へ駐在し、ソフト開発の合弁会社を指導したことがあるので、台湾のソフト開発については多少の思い入れがあります。これまで、作り付けのソフト開発やコマーシャルソフトではゲームソフトやフォントを作るのがウマイという認識でしたが、これを超えていろいろなソフト作りが発展するのを見るのは、うれしいことです。

4.新埔工専と台南・天恩堂

みなさん、リーホゥー(台湾語)!

きょうは、早朝に台北を飛行機でたって、台南へ来ています

きのうは台北で、新埔工業商業専門学校(St. John's & St. Mary's Institute of Technology)
http://www.sjsmit.edu.tw
にいってきました。ここが台湾の立教大学、桃山学院大学に当たります。英語名のSt. John's UniversityとSt. Mary's Schoolというのは、戦前の上海にあった聖公会の学校で、その卒業生が1960年代になつかしんで台湾に大学を建てようとしたところ、台湾政府の指導で高専(9年の義務教育後の5年制)になったんだそうです。

場所は台北から北へMRT(捷運)に乗って淡水の方向へ行き、終点1つ手前の紅樹林站(駅)で降りて、さらにタクシーまたはバスで20分くらい北へいった、海に面したきれいなところにあります。私は、国際商務科で日本語を2年習った生徒50人にビジネス日本語を教え、また情報管理科の先生とホームページの作り方教育を議論してきました。校長のDr. Andrew Chang(張中平博士)にも、お会いしました。

きょうはいま、台南市の聖公会教会、天恩堂(Grace Church)に寄り、頼榮信牧師(Fr. David J H Lai)から電話線を借りてメッセージを送っています。幼稚園と、小学校の1・2年生の午後の宿題を見る「安親班」(2〜3前から始まったそうです)があり、にぎやかです。台湾南部は台湾語がさかんなところで、教会の礼拝も国語(北京語)でなく、台湾語でやっているそうです。

さきほど、鉄道の反対側(西)の目抜き通りにある、日本聖公会が1920年代に建てた「台南聖公会」教会堂を見てきました。シンプルな作りですが、きれいな教会堂でした。京都教区の婦人補助会の台湾レポートにも写真が載っている、有名なものです。第2次大戦後の日本人の引き上げ後、政府が接収し、その後長老教会の教会堂になっています。ここは台湾語と国語の両方で礼拝をしているそうです。

Note: 台湾聖公会の教会リストは
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwanch.html
にあります(日本語・英語)。

5.高雄・聖提摩太堂&花蓮・聖路加堂

みなさん、台湾の東海岸、花蓮(ホァレン)からニーハオ!主の平和がありますように!

きのう台湾第2の都会、高雄(カォシュン)から鉄道で5時間半でここ花蓮に着きました。私は台湾で鉄道に乗るのははじめてで(以前駐在していたころは、鉄道が時刻通りに動いていないという偏見を持っていた)、ドイツ製車両を使った特急「自強」号は快適でした。「高雄鉄路餐庁 製供」の駅弁「鉄路飯盒」(75元)は、チャントあたためてあっておいしかった!(中国人は冷えた弁当は食べない。会社には各階に弁当をあたためる装置が置いてある。)

きのうは高雄で、聖保羅堂(St. Paul's Church、国語)牧師の劉定華(Fr. Michael T H Liu)さんの案内で、いま建設中の聖提摩太堂(St. Timothy's Church、台語)を見ました。2000年1月1日に聖別式を予定しており(住所は、高雄市忠孝一路262號3F)、ゼヒみなさん来てくださいとのことでした。比較的目抜き通りにある7階建で、1〜2階を英語教室に貸し、3〜4階を礼拝堂(4階にガラス越しに子供連れの母親が礼拝を見れる「Crying Room」がある)、5階以上が集会場(500人)、牧師館、宿泊施設などです。台北にある聖公会神学校、三一中心(Trinity Center)の分校もここにできる。

劉牧師のご紹介で、YYYさん(74才)にお会いして、日本の台湾領有時代のキリスト者の経験をお聞きしました。これが今回の巡礼の主目的であった訳です。彼は長老教会員ですが、奥さんの弟さんが聖公会の牧師をしているので、聖公会とも深い関係のある方です。まだプライバシー上どこまで発表できるか分っていないのと、台北の聖公会員で1995年に亡くなったXXXさんの家族とのインタビューも進めており、まとまった段階でみなさんへもお知らせしたいと思います。

ここ花蓮の聖路加堂(St. Luke's Church)の牧師の陳宏行牧師(Fr. Luke H H Chen)は、日曜日には9:30から国語で、11:00からは英語で礼拝を行なっています。これは近くに採石場があり、そこでフィリピン人(男性)は多く働いているためで、近くにメノナイトが経営する病院もあり、今後発展が期待されるとのことです。彼は、もともと薬剤師で、40才を過ぎて牧師になり、ここへくる前は高雄で牧師をしていたそうです。

陳牧師は、今年1月にこちらへきてすぐ、3階にあった礼拝堂を1階に移し、入り口をガラス張りにして、何か商店に入るような感じにして、祭壇はカラーガラスを使い復活の十字架にし、天井もカラーガラスでモダンな内装に変えました。ベストリーを丁度マルチメディア・コントロール・センターにし、映写スクリーンも自動的にしています。フェローシップのやり方も工夫をこらし、地下室では丁度近くの玉山神学院(長老教会神学校)で学ぶ高山族(少数民族)の学生がビリヤードをやりにきていました。こうしたメンタリティーの教会は、東アジアの聖公会では始めてではないでしょうか?

きょうはこれから、ここの近くにある観光地、タロコの渓谷を見にいって、午後飛行機で台北に戻ります。

Note:
1.この台湾巡礼レポートは、ホームページ
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwan1999.html
に入れてあります。 巡礼にご同行されたGraham Doyle牧師に感謝します。

2.台湾聖公会の教会リストは
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwanch.html
にあります(日本語・英語)。ほとんどの牧師は自分でe-mailをやっていることが分り、ご了承を得たところはこのリストに入れておきました。

6.台風、再び台北・牧愛堂、中山長老教会

みなさん、こんばんは。

きょうは台北国際空港@桃園(タォユェン)でインターネットに接続するつもりでしたが、モジュラージャックをもった公衆電話機が見つからず、日本でメッセージを送るはめになりました。アジア最大のパソコンショウを開催しても、灰色電話(モジュラージャック付き)の電話が1つもない国際空港なんて、信じられません。JR成田駅で「成田エクスプレス」を待ちながら、インターネットへ入れているところです。

台湾では金曜日に高雄にいるころから、気まぐれな強い風と雨がきょうも続いていました。台湾とフィリピンのルソン島の間のバシー海峡を台風「瑪姫」(マーチー、Maggie)がゆっくり東から西へ通過中のためで、台風警戒警報第1号が出ていました。

けさは9:30からChurch of Good Shpherdの英語礼拝に出て、11:00からの中国語礼拝の間に、日本統治時代に聖公会の洗礼を受け、戦後も聖公会に残ったYYYさんの娘さんとインタビューを試みました。「私の父は、1906年生まれで、1994年に亡くなりました。1928年に台北第二師範を卒業し小学校の先生になりましたが、気に入らなくて、東京医学専門学校に入学し1936年に卒業して、台湾で内科・小児科の医者になりました。聖公会の信者になったのは日本にいるときでした。私は東京の浅草で生まれ、弟は台湾でうまれました。」と、第二師範と東京医専の卒業アルバムを見せながら話されました。

「父は中山長老教会が戦前日本聖公会大正町教会であったころ、そこで結婚したのです。戦後日本人が引き上げたことを、非常に怒っていました。[なぜ怒ったか、どういう行動をしたか、については現在e-mailでインタビューを続行中]長老教会は嫌っていましたのでしばらく教会に行きませんでしたが、1979年ころ台湾聖公会の聖聖約翰堂(聖ヨハネ教会)ができてやっと行くようになりました。」

中国語礼拝は、けさは先週とは打って変わって通常の礼拝で、われわれが日本で経験しているのを、中国語でやっている感じでした。詩編が歌う形で行われていました。途中で抜け出して、タクシーで中山基督教長老教会へゆきました。ここは1937年に日本聖公会が建てたもので、戦後長老教会になって、米国から来た台湾聖公会の主教が返えせと訴訟まで起こしたいわくつきのものです。と台北市の第3級建築物にもなっているそうですばらし教会でしたので、写真を沢山撮ってきました。11:30からの礼拝が進行中で内部の写真が撮れませでしたが、敷地内の教育館の地下室にある食堂で、ランチを食べてきました。

日本聖公会は戦前に外地伝道局(主教は大阪主教が兼務)を通して台湾・満州・中国などの伝道を行ない、対象は日本人または日本人に協力する役人・医師・法律家などの現地人エリートとした大きな間違いを犯しています。台湾に限っていえば、台湾語聖書を作りながら南部・北部を中心に「基督教会といえば長老派」というまでにそれぞれ宣教したスコットランド長老教会・カナダ長老教会とは歴史も経験も大きなへだたりがありました。ただ、これはいま責めるような問題というより、当時としては最大の努力をして行ったものだと私は思っています。これら日本聖公会のパイオニアに、主の平和がありますように!

以上で「台湾巡礼1999」の終り。

Note:
この台湾巡礼レポートは、ホームページ
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwan1999.html
に入れてあり、しばらくは常時アップデートしています。 まもなく、英語訳も入れておきます。

追加 2a:Computex Taipei

みなさん、台湾からニーツァオ。

先週土曜日に台北へきてから、去年はじめに開通した「捷運」(しょううん、中国語発音はチエユン、英語名はMRT = Mass Rapid Transit)と呼ばれる日本の電車・地下鉄に相当するものとバスの公共交通網を利用しています。このMRTは台北市内から、私が利用する石碑站(シーパイ駅)を通って北郊外の淡水(Tamshui)までが完成していて、いま続続と延長中です。各駅の手前で放送があり、国語(北京語)、台湾語(福建語の南部方言がベース)、客家語、英語の4か国語で案内していて面白いです。(何年か前にいったシンガポールの地下鉄が、やはり同じように英語・マレー語・中国語(北京語)・インド南部からきた言葉(何語か忘れた)でやってました。)

きのう火曜日は、いよいよアジア最大のパソコンショウComputex Taipei(台北国際電脳展覧会)
http://www.computex.com.tw
がはじまり、World Trade Center(中国語で世界貿易中心、略称世貿中心シーマォチュンシン)へいってきました。どこも代わらないコンピューターショウですが、ここは台湾から買い付ける外国のバイヤーが中心の展示会で、ここで成約したものが秋のComdex Fall at Las Vegasで展示されるというプロセスになっています。

ハードウェアはあまり新味はなく、私の関心もあまりないので、ソフトウェア中心に見て歩きました。実は他のロシア語会議室で話していたのですが、いまロシア語OCR(光学文字読み取り)ソフトで手ごろなものがありません。台湾にNewsSoft Technology Corporation(中国語名、力新国際科技)
http://www.newsoft.com.tw (台湾)
http://www.newsoftinc.com (USA)
http://www.newsoft.co.jp (日本)
があり、ここは「Presto!シリーズ」というソフトを世界的に売っていて、日本では「Presto!OCR」をエイアイ・ソフト(諏訪市)から、その他の「Presto!Photo Album」などのイメージ処理ソフトをメガソフト(大阪市)から出しています。このOCRソフトは、もともとロシアのABBYY社
http://www.abbyy.ru
の「FineReader 4.0」の技術を使っていて、中国語に関しては台湾のITIRI(工研院電通所)の技術を使って「丹青 4.0」を出しています。

NewSoft Technologyのブースでロシアにも時々行くという担当者に、日本ではロシア文学が人気あり、ロシア語関係の人口が多いことを説明したあとで、日本で発売している「Presto!OCR 4.0日本語版」にロシア語のアドイン入れてと頼みました。「Presto!OCR 4.0英語版」はまもなく発売されるが(ということは日本語版4.0が先行している)、すでにベラルーシ語は出ているが(Presto!OCR 3.0ベラルーシ版を売っているという意味でしょう)、ロシア語はまだで、次のバージョン(4.1または4.5または5.0)では考えたいということでした。期待しましょう。その他、OCRソフトについては
http://www.threeweb.ad.jp/logos/mlweb/part3.html#p239
に書いておきました。

私自身が1990〜1991年に台湾へ駐在し、ソフト開発の合弁会社を指導したことがあるので、台湾のソフト開発については多少の思い入れがあります。これまで、作り付けのソフト開発やコマーシャルソフトではゲームソフトやフォントを作るのがウマイという認識でしたが、これを超えていろいろなソフト作りが発展するのを見るのは、うれしいことです。

台湾聖公会を訪ねて

以下は日本聖公会横浜山手聖公会教会報「聖塔」に寄稿したものです。 昨年六月、毎年この時期に台北で行なわれる

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A Pilgrimage to Taiwan 1999


The Church of Good Shepherd, Taipei (1999)

In English. Go up to the Japanese part.

The following six episodes were posted in the NSKK_General mailing list (electronic conferencing facility), as I made pilgrimage to the Episcopal churches in Taiwan, May 29 - June 5, 1999.

1. Leaving Narita for Taiwan

2. Church of Good Shepherd in Taipei

3. Christian Bookstores and Computex Taipei

4. St. John's & St. Mary's Institute, Taipei, and Grace Church, Tainan

5. St. Timothy's Church, Kaohsiung, and St. Luke's Church, Hualien

6. Typhoon, Church of Good Shepherd in Taipei Again, and Chungshan Presbyterian Church

The following two arcticles have been submitted for the June 1, 1999, issue of Friendship, the monthly newsletter of the Taiwan Episcopal Church:

The Anglicans in Taiwan When Japan's Occupation Ended

It was nice to be back to Computex Taipei, Asia's largest personal computer show, held this year on June 1-5. As a Japanese person who worked in Taipei in 1990-91 to help IBM Taiwan's joint venture with a government agency (III) in software development, I was especially glad to see the booths of Taiwan's software companies, such as NewSoft Technology Corp., which now sells Presto! image processing and optical character recognition (OCR) products worldwide, including Japan, and to feel that Taiwan is successfully diversifying from computer hardware to software.

The second objective of my visit to Taiwan this year was to study the behavior of the Taiwanese Christians when Japan's rule of Taiwan ended in 1945. As we know now from Richard Corsa's book, "Cottage to Cathedral" (Taiwan Episcopal Church, 1998), we had in Taiwan several active Anglican churches under the Nippon Sei Ko Kai (NSKK, or the Anglican-Episcopal Church of Japan). NSKK's missionary effort was targeted mainly to the Japanese immigrants using the Japanese language, but was naturally to include the Taiwanese who were taught to speak, read and write Japanese in school. When World War II ended in 1945, all Japanese left Taiwan within a year.

NSKK did not seem to have ordained the clergy among the Taiwanese, nor did it appear to have translated the liturgy into Taiwanese (Min-nan) as the Presbyterians did. So, when Japan left Taiwan, the Nippon Sei Ko Kai also disappeared. It must have been a traumatic experience for all Anglican Taiwanese at that time. As I understand it, most Anglicans then joined the Presbyterian Church, or simply stopped going to church. Then came the Mandarin speaking Chinese people from mainland and eventually established the Taiwan Episcopal Church, with the assistance of the Episcopal Church in USA, using the Chinese language (Kuo-yu) initially.

With Father Graham, chaplain of the Church of Good Shepherd, I made quick visits to the Episcopal churches in Taipei, Tamshui, Tainan, Kaohsiung and Hwalien, and met wonderful people. At St. John's and St. Mary's Institute of Technology, Tamshui, I taught a Japanese language class to the second year students. For my main purpose, I could interview two persons: an Episcopalian lady in the north whose father, already dead, was baptized and remained Episcopalian, and a Presbyterian gentleman in the south who was baptized as a Presbyterian, but has kept close contact with the Episcopal Church.

On my last day in Taiwan, after the worship at the Church of Good Shepherd, I went downtown Taipei to visit Chungshan Presbyterian Church, which was originally build in 1937 as an Anglican church and served as NSKK's cathedral in Taiwan. I not only took pictures from outside, but participated in the Sunday worship in progress, spoke outside with the elderly Japanese speaking ladies, and had lunch together in the basement of the adjacent building, used as an education center. I never had felt stronger than this time that we all belong to one Church of Christ.

The details of my visit to Taiwan are available in the Internet home page at: http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/taiwan.html

Yoshi Mikami, Yamate Seikokai Church, Yokohama, Nippon Sei Ko Kai

A TRAIL OF DISCOVERY

I often wonder how people managed without electricity. How could they have been happy with all those hard tasks they had to endure? Yet even before it was discovered and put to good use it was here in the earth God made. So why did it take so long to discover a very useful and enjoyable natural utility? What was needed was a little bit of adventuresome thinking to find it, inspired by a desire to make things better and easier. For the ordinary person it is more difficult in a modern world to discover anything new. We often think it has all been found hasn't it, or we leave it to the experts. However, what a pleasure it is when we almost stumble upon what is a real discovery, your mind and outlook increase, your adrenaline fires your vision, almost as if you have become the electricity itself. Suddenly there is a potential as everything looks different, possibilities appear, and the pace of life quickens. Your discovery has allowed a newness, the drudgery of past tasks fades with an enthusiasm to take up the challenges of what you have discovered. What and where does this happen for us? Surely it occurs in our daily experiences while travelling around, meeting other people, making new relationships and friendships. Locations with a unique geography together with their unusual pioneer type people who live and work in such places show a newcomer how to harness the "electricity." We are left with a very positive impression that good things are being made in this place, where at first we would have least expected it.

Taiwan is a busy place, full of busy people, looking for a parking space, checking out the share prices, always eating and playing with computers. Its busyness clouds its beauty found in its people and locations. When one proposes the idea of Taiwan as a tourists' Shangri-La you can see the scepticism in the others' face, and the sarcastic question poised in their mind. Does he mean we should like to spend 2 weeks experiencing the worlds' most chaotic traffic jams and participating in the skilful art of motor cycle dodging? Surely not!

Surely not is indeed true! In the Diocese of Taiwan there are some treasures to be discovered in the most unlikely people living in the most unlikely places. It was my own discovery of finding this electricity of potential with a newly made cyber friend from Japan. His name is Yoshi Mikami an Anglican from Yokohama whose interest in Taiwan and its Church led him to visit me. It was if we suddenly became Marco Polos, here was the orient others had spoken about. In one week so many people and places "came out of the woods to greet us". What a surprise to become a discoverer!

Let me highlight a few gems. In Tainan we met David Lai the priest at Grace Church, which is set in a "man" made park with a mini waterfall! First stop was the church behind a very ordinary door there it was, a peaceful clean and unique house of God. Its sanctuary with orchids and a baptistery adorned with a locally painted calligraphy screen roll. Easy to follow Taiwanese service books on the shelves for the worshippers. In his on site apartment we viewed the most professionally made videos of pilgrimages Fr. David had led around the world. Here on the hottest of days I was enjoying the churches and fjords of Norway! Then in came Fr. Ou another local priest who spoke fluent Japanese to the delight of Yoshi. While they engaged in a long discussion about the activities of the Japanese Church in Taiwan I continued to enjoy hearing about the latest proposed pilgrimage to the UK and Ireland from Fr. David. The day continued with a visit to Fr. Ou home to met his wife and see his wonderful photography. He loves nature and he has captured God's wonders in Taiwan to the delight of any eye.

There was a little disappointment that the day couldn't last longer but on we went to Kaishung. However, in true Taiwanese style we had to eat first. In a local roadside restaurant our stomachs were filled with delicious and healthy food washed down with some local draught. On arrival Fr. Michael Liu met us despite the obvious discomfit he was suffering from his recent slipped disc.

The next day we met with an old parishioner, another fluent Japanese speaker who owned a Chinese Medicine factory. In fact he was building a new one as his business was booming, he looked so well! Certainly he was living proof of how successful that type of medicine can be. All of us went to his apartment and meet with his wife and talk. There I saw a most beautiful Macedonian icon hanging in pride of place on the wall - the red corner as the Orthodox would call it. It was bought in Taiwan. I never cease to e amazed at what can be bought in Taiwan. Off again to view St Timothy's, the new church being built as a result of the work of ministry expanding in Kaishung to include Taiwanese language speakers. What a place 7 floors! It is to opened on the 1st January 2000 in time for the Millennium. It will have everything that opens and shuts but most of all it flourishes and abounds in the active love of God. When it is consecrated on that first day on the new Millennium I can only think it will abide in my memory .

Moving on to Hwalien by train through the best of mountain scenery and in an on time train - British Rail should take note! Not only is the location of this east coast city breathtaking, but its priest, Fr. Luke while small in stature is enormous in humility. His effectiveness and prayerfulness have brought electricity into this renewed church also named after St. Luke. A stunning and innovative sanctuary are visible from the street. Local glass and colours mixed in the most imaginative way lead to the focus of two golden angels and a resurrection cross. Looking up one views the ceiling windows of the incarnation depicted in modern style and illuminous mix of bright colours. What electricity! A combination of light and life. Downstairs a group of local Aboriginal young men enjoying a game of pool.

On Sundays not only has the Chinese congregation increased but there is a growing English speaking congregation. Yes in Hwalien the outreach is inclusive to Phillipinos, Aborigines, Chinese and any ex pats that can be found. What a place full of love and activity for the Lord. They even have and use e-mail!

Back to Taipei to recover from the surge in electricity, seems a little bit boring after all that. If you want something different as a pilgrim come to Taiwan and charge up your batteries and bring your UPS to cope with the electricity surges you will no doubt feel as you discover the trails of Gods' spirit.

Graham Doyle, Chaplain of the Good Shepherd, Taipei, Taiwan Episcopal Church

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Created by Yoshi Mikami on June 5, 1999. Last update on June 28, 1999.