中国巡礼 2000

内容:


"A Horse in Its Native Village" (1995)
by Kyoji Okamoto, Meguro Illustration Club

In Japanese. Go down to the English part.

中国のキリスト教会を訪ねて

この四月中旬、中国のNGO(非政府組織)アミティー・ファウンデーション(愛徳基金会)の国際会議で中国を訪れ、その前後に中国のキリスト教会を巡礼する機会がありました。アミティーは十五年前に中国のクリスチャンを中心に設立され、中国の特に内陸部にある貧困地帯での諸問題の対策に協力しており、世界のクリスチャンからサポートされています。最近では英語・ドイツ語・日本語の教師も受け入れ、日本でもNCC(日本キリスト教協議会)が日本語教師派遣に協力しています。

今回の国際会議のはじめ四日間は、世界中から約六十人の参加者が甘粛省蘭州、湖南省長沙、雲南省昆明の3か所に分かれて、各地でアミティーのプロジェクトの視察を行ないました。私は蘭州に行き、聞きしに勝る文字通りの黄土地帯で、東郷(トンシャン)族という少数民族の地域での無医村対策や不登校児童の援助、漢民族地域での雨水収集プロジェクト状況などを見ました。中国の沿岸地域と内陸との所得格差は聞いていましたが、原爆と人工衛星の大国がこのような貧困地帯をかかえているとは、率直に驚きでした。

国際会議の後半の三日間は「社会発展のための国際検討会」と称して、参加者約八十人がアミティー本部がある南京に集まり、ホテルの会場で各地訪問の報告と全体のまとめを行ないました。韓文藻(ハン・ウェンツァオ)アミティー会長、中国基督教協会会長が自ら中心になり議事を進め、開会のディナーでは丁光訓(ティン・クヮンシュン)もと中国基督教協会会長とお話しする機会もありました。彼は終戦直後に上海で聖公会の主教に叙任され、一九四九年以降の共産党政権下で五三年に海外から帰国し、プロテスタント精神的な支柱となりながらも、文化大革命(一九六六〜七六年)であらゆる辛酸を舐め、一九八0年以後は中国基督教協会の会長を勤めた方です。共産党政権下の中国では自治(自分で管理)、自養(自身の献金で活動する)、自伝(自分で宣教する)の旗印の下に「三自愛国運動」で外国宣教師を排斥して、文化大革命の経験を経てプロテスタントの合同を推し進めたのです。

南京ではさらに、金陵協和神学院(金陵は南京の古名、協和はユニオンの訳)、南京愛徳印刷所、ホスピス施設などの見学も行なわれました。南京愛徳印刷所は南京から南へ新空港へ行く途中にあり、アミティーが世界の聖書協会で構成しているユナイテッド・バイブル・ソサイエティーズと協力して、これまで二千三百万冊の聖書を印刷した実績があります。大会の参加者の間で、中国の一般の本屋で聖書が入手できないことが議論になり、近頃増えた政府系以外の私立の本屋では入手できるようになったという人と、やはり需要が多くないからでクリスチャンは大都市にある基督教両会通訊処(両会は中国基督教協会と中国三自愛愛国会のこと、通訊処は情報センター)で買うのが一般的だという人がいました。

私の中国の教会巡礼は、日本を出て蘭州に向かう途中、まず大連に寄るところから始まりました。大連理工大学と会社の先輩がいるソフトウェア会社でコンピューター関係の講演会を行なった翌日、玉光街礼拝堂と北京街礼拝堂へ行きました。前者では、一九二八年に英国聖公会と共同で日本聖公会が建てた赤レンガの聖堂が健在であることを確かめましたが、門が閉まっていて中に入れませんでした。後者はもとデンマークのルーテル派の教会で、裏の集会室で翌日の数人の若い牧師の叙任式を準備中の寇有国(コウ・ヨウクォ)牧師(玉光街礼拝堂主任牧師)にお会いしました。

大連から飛行機で一時間(汽車では五時間)のところにある瀋陽(旧奉天)にも行きました。ここは東北地方(旧満州)の随一の大工業都市でもあり、清朝を支えた満州族発祥の地で満州族の故宮があり、教育の面でも東北大学などがある文化都市でもあります。丁度日曜日でしたから、東関教会で主日礼者を守ることができました。朝八時の礼拝に、古い教会堂に三千五百人があふれて、庭にも椅子が置かれ、裏の4階建て信徒会館にもテレビ中継されて、合計で八千人もの礼拝でした。あと十時と午後一時半の礼拝もあり、日曜日の礼拝参加者は総合計2万人です。 この教会は、旧版岩波新書の第一巻「奉天三十年」(矢内原忠雄訳)の著者デュガルド・クリスティー師が心血をそそいだことで日本では有名ですが、東関教会ではむしろ彼の同僚のジョン・ロス師が建て、彼ははじめ朝鮮の布教を志したが朝鮮に入国できなくて、ここで朝鮮語の聖書を翻訳して作り、朝鮮に持ち込んだことが強調されていました。文化大革命後の中国で始めて女性牧師に叙任された呂志彬(リュ・チーピン)主任牧師にもご挨拶してきました。

瀋陽ではもう一つ、西塔教会にも寄りました。ここの呉明峰牧師(女性)が一年前に中国基督教協会の代表団の一員としてNCCの招きで莱日した際にお会いしたものです。教会の周りはハングル文字が店の看板にあふれているような朝鮮族が多いところで、礼拝も韓国・朝鮮語で行なわれ、賛美歌集も大韓基督教協会発行のものを利用していました。また、瀋陽市発行の観光案内小冊子に「南関天主教堂」というカトリック大聖堂が載っていたので、これ幸いとここも案内してもらい(義和団事件の賠償金でフランシスコ会が建てたそうです)、ついでに三経街天主堂(別名、聖ザビエル教会)という日本人が建てたという教会にも寄りました。

蘭州ではキリスト教会に寄る時間がなく、その代り南京では聖保羅(パウロ)教会で復活日の礼拝を中国の兄弟姉妹とお祝いすることができました。ここはもと聖公会の教会で、つたの生えた教会堂の外観、文化大革命中に壊されたのでしょう漢字の文章が埋めこまれている十字架の道行きの個所がある教会内部、瀋陽のもと長老派教会ではなかった答唱など、日本聖公会の教会に行き慣れた者でも、中国語の初歩を習っていればそう大きな差異は感じませんでした。ということは、プロテスタント全宗派を一つの中国キリスト教協会に統一しながらも、実際には各地の教会の伝統は重んじながら礼拝を守っているという感じでした。

復活日の午後汽車で上海へ行き、翌日帰国しました。上海では夕方七時から国際礼拝堂で「復活節音楽崇拝」に参加できました。聖歌をみんなで歌い、説教もありましたが、全体は聖歌隊と音楽家の信徒の発表会のようで、広い層にキリスト復活の喜びを伝えようとする意気込みにあふれていたと思います。この教会は一年半前にカトリックの方々と中国巡礼をした時に寄っており、史奇珪(シー・チークイ)牧師にもお会いしています。日曜日の十時の礼拝では二階のバルコニーで英語の同時通訳が聞け、午後四時からは英語の礼拝もあるところです。

十二日間の中国巡礼で、中国のクリスチャンの方々を通して、神様の大きな恵みを受けました。主要都市にあるキリスト教会の名称、住所、電話番号が載った「霊修記事本 2000」(クリスチャン・ダイアリー)を入手していますので、これをお知らせしますから、中国へビジネスや観光で旅行される方は、ぜひ現地の礼拝に参加してみてください。なお、横浜地区でエキュメニカルに会合を持っている「仲麻呂会」では、引き続き中国を含むアジアのキリスト教について学んでいきます。

参照:

途中の報告

中国巡礼2000(1) Date: Sat, 15 Apr 2000 09:10:05 +0900

みなさん、こんにちは。

今週木曜日(4/13)から、中国巡礼にきています。

成田から、こちらの東北地方(もと満州)の大連に飛び、すぐ「WindowsとInternet時代のマルチリンガル処理」(Multilingual Processing in the Windows and Internet Age)というコンピューター関係の講演会をして、きのうは戦前に日本聖公会が英国聖公会と英国領事館の敷地内に作った大連聖公会教会(いまは玉光街礼拝堂)へいってきました。

中山広場から少し入ったところですぐ見つかったのですが、鍵がかかっていて敷地内へ入れなかったので、守衛さんと何とか話し会ったら、柯牧師さんは少し離れたところにある北京街礼拝堂にいるということで、会いに行きました。こちらは、デンマークのルーテル教会が建てた教会堂でした。お祈りをして、裏の会館で、あす土曜日に何人かの牧師さんの叙任式があるということで、大勢の方々にお会いしました。

文化大革命(1966-76)の時代に閉鎖されていたキリスト教会はその後、ヨーロッパ・米国系の教会は中国のクリスチャンへ返還されましたが、日本系の教会は返還されなかったようです。ですから、大連聖公会教会は英国との共同であったので返還されたということで、例外的なものです。

それからきのうは、大連理工大学でもう1つ講演を持ちました。午後、大連から瀋陽(しんよう)へ飛行機で飛び、瀋陽飛行場からのバスで、広大な満州の野原に沈む太陽を見ました。今晩は、北站(北駅)前の瀋陽凱莱大酒店(Gloria Plaza Hotel, Shenyang)に泊まります。

中国巡礼(2) Date: Sun, 16 Apr 2000 15:35:10 +0900

みなさん、ニーハオ。

きのう土曜日(4/15)は瀋陽で、ビジネス上の親友の会社を訪問し、従業員(女性の方)に市内を案内してもらいました。ここは近くに本渓・撫順炭田をかかえる東北地方随一の工業都市なのですが、清王朝の発祥の地で、満州族の故宮があり大変興味のあるものでした。

ホテルで見かけた「瀋陽旅游」という瀋陽市発行の観光案内小冊子に「南関天主教堂」というカトリック教会が載っていたので、これ幸いとここも案内してもらいました。(というのは、中国では外人がキリスト教を布教することは法律上禁止されていて、こういうことをクリスチャンでない方に頼むのは誤解されかねないので、気にする訳です。)義和団事件の賠償金で1912年にフランスが建てたそうで、いかにもフランス的なカテドラルでした。

お御堂を開けてくれたので、中へ入りお祈りしたら、案内の方がいたく興味を示されました。瀋陽にはもう1つ天主堂があり、これは日本人が建てたらしいということが分かると、率先してそこもいきましょうということになり、途中キリスト教とは何か、何を信じているか、何をお祈りするか(「主祷文---主の祈り」など)を科学的に(つまり布教的でなく)説明させられるハメにもなりました。

こちらは三経街天主堂(和平北大街31号)といい、1932年ころ日本が建て大変重厚な教会堂です。別名「聖方済各・沙勿略天主堂」というそうで、「沙勿略」の発音が「サーウールー」みたいなので「サウロ王」か聖ペテロの前の名前「サウロ」のことかなと始め分からなかったですが、シスターが上川島で亡くなられたといったので、やっとフランシスコ・ザビエルだと分かりました。

きょう主日は、朝8時からまず瀋陽基督教東関教会の礼拝に参加しました。故宮の大東門の道向かいの小道を50mくらいいったところにある教会で、古い教会堂に3500人があふれて庭にも椅子が置かれ、裏の4階建ての建物にも4500人がテレビ中継を見ていて、合計で8000人の信徒が参加するようなものでした。あと10:00と13:00のもあり、日曜日の礼拝参加者は総合計2万人です。

ここはもともとUKの(スコットランドの)長老派のDr. John Ross(羅約翰博士)が韓国・朝鮮を布教するために満州の営口に派遣され、そこで韓国・朝鮮語語聖書を作り韓国・朝鮮に持ち込み、満州でもキリスト教の布教を始め、その後瀋陽を始め東北3省に布教して、教会堂も建てたとの説明がありました。劉増(Liu Zeng)さんにお会いし、文化大革命後の中国で始めて女性牧師に叙任された呂志彬(Lue Zhibin)牧師さんにもご挨拶しました。聖歌集「賛美詩*新編*」(1980)の英中両語版、「The New Hymnal 賛美詩*新編* English-Chinese Bilingual 中英文双語本」(China Christian Council 中国基督教協会、1999)をいただきました。

10:00からは西塔教会の礼拝に行きました。ここの呉明峰牧師が去年CCC(中国基督教協会、プロテスタント合同教会)の代表団でNCCJ(日本キリスト教協議会)を訪ねて来た時に東京YMCAでのサヨナラ・パーティーでお会いしたもので、あらかじめ電話しておいたものです。まわりが西塔という場所は朝鮮族の店の看板が多いところで、オヤと思って7階建て建物の6階にある教会堂に入ったら、礼拝はすべて韓国語で、聖歌集も大韓基督教教会のものをそのまま使っていました。

呉牧師は大変お若い方で、去年の中国の代表団にはこうして少数民族の教会の牧師さんもシッカリ入っていたのですね。「また必ず来てね。」といわれたので、来ようと思います。

チュー・デ・ピンアン!(主的平安)

瀋陽の桃仙空港にて。これから、中国の西方である蘭州へ向かいます。

中国巡礼(3) Date: Thu, 20 Apr 2000 22:59:56 +0900

みなさん、南京からワンアン(晩安)!

きょう4/20から3日間、愛徳基金会(The Amity Foundation)主催の「The 3rd Amity International Consultation on Social Development」(第三届愛徳社会発展国際検討会)に出席しています。22ヶ国から、約60人のクリスチャンが出席しています。[スケジュールは、下の英文部分を見てください。Consultationは「宣教協議会」というのが日本聖公会の訳語ですが、ここでは当てはまらないので中文でそのまま使います。]

愛徳基金会というのは、中国紅十字会と並ぶ外国からの寄付を中国に送る際のチャンネルの1つで、外国のクリスチャン団体を相手に設立され、今年で15周年記念です。日本ではNCCJ(日本キリスト教協議会)がパートナーになっていて、何人かの日本語教師を派遣しています。

この4日間(4/16〜4/20)は、この会議のオプションで、中国西部の甘粛省蘭州という町を中心に、愛徳基金会のプロジェクトを見ながら、3台のバンに載せられて、みんなで黄土地帯をさまよいました。世界の各地からのクリスチャン18人です。プロジェクトというのは、貧しい村・町の医療・灌漑・初等教育などへの援助です。中国は宇宙ロケットと原爆の大国ですが、貧富の差をどうしようもないという感じでした。我々のバン(Nissan Minivan)の中国語・英語通訳は、主に馬春蘭(Ma Chunlan)さんがしてくれ、多少日本語ができ(彼女の希望で「北国の春」の歌詞を書いて教えてあげました)、彼女は臨夏の回族の出身で、蘭州市で英語の先生だそうです。

この省の西部は、敦煌(とんこう)などの観光地で日本人が多く訪れるところです。この南東部は臨夏回族自治州と甘南蔵族自治州という、それぞれ西方民族とチベット族の貧しい地帯をかかえていて、ここに外国のクリスチャンの援助の手が差し伸べられているのです。黄土地帯の埃に混じりながら、話には聞いていましたが、景色といい、人々の生活といい、本当にすさまじいところと感じました。

という訳で、蘭州ではキリスト教会を巡礼するヒマがありませんでした。蘭州市基督教会(張掖路96号、+86-931-8464621)の王牧師さんとは親しくお話しできました。実は、蘭州の空港に到着したとき、空港から町まで2時間かかるとガイドブックで読み、どうやって行くかパニックに陥ったときに、「Amity」と書いた出迎えを見てすっかり安心し、トランクを空港で受け取るのを忘れ、Amityのバスからすぐ王牧師が空港の知り合いに携帯で電話してしてくれて、トランクをホテルまで運ぶ手配をしてくれたものです。多謝!

きょうの先程の検討会開会のディナーで、丁光訓(K.H. Ting、84才)主教があいさつをされました。彼は中国基督教協会という統一教会を作った主用人物の1人です。丸テーブルの右となりはカナダ聖公会の男性、左はメソジスト教会の女性でした。

Banquetが終って、彼にあいさつに行きました。会話は英語で
「私は、日本聖公会のものです。」
「私も、もともとは聖公会でした。」
「よく存知あげています。戦後まもなく、上海で主教に聖別されたことも。」
「あなたは、聖職者ですか。」
「いえ、私はただの信徒です。」
「ただの信徒といってはいけません。信徒であることは大切なことです。まもなく、日本聖公会のxx主教とyy司祭がこちらへ来られますよ。」

というような内容でした。

ツァイチェン(再見)!

中国巡礼(4) Date: Fri, 21 Apr 2000 23:43:17 +0900

みなさん、中国・南京から今晩は!

いま聖金曜日のService of Tenebrae(13世紀ころの暗闇の礼拝)をホテルの1室でやってきました。神学院の高英(Gao Ying)牧師さん(女性)も来られて英語で司式し、この検討会の参加者から30人くらいが2階の中会議室へ集まりました。

礼拝内容は、ヨハネ18:1から19:42までの「The Passion of Christ」(キリストの受難)を14人で分担して各国語で読んで、各人が読み終わる度にロウソクを1つずつ消しました。使ったのは、英語、米語、インドネシア語、日本語(私はノートパソコンのバイブル・メイトVer.2から読んだ)、ドイツ語、新ノルウェー語(ニーノルスク)、ドイツ語(なぜか2回目)、広東語(中国語聖書をそう読んだ)、デンマーク語(ノルウェー語聖書を頭の中でデンマーク語に翻訳して読んだ)、フィンランド語、マラガシ語、スエーデン語、中国語でした。

きょは朝から、愛徳基金会(The Amity Foundation)主催の「The 3rd Amity International Consultation on Social Development」(第三届愛徳社会発展検討会)が正式に始まり、午前中は、中国社会学会会長・全国人民大会代表の陸学芸教授の「中国の社会経済の現状」(The Socio-Economic Situation in China)と、愛徳基金会秘書長・中国基督教協会(CCC)会長の韓文藻さんの「The Amity Work Report」(愛徳基金会報告)でした。前者は中国語で講演(英語通訳付き)、後者は英語で講演(英文文書付き)。韓さんは、丁度1年前にCCCの代表団15名を率いてNCCを訪ねてこられてサヨナラ・パーティーでお会いしているので、きのう再会をして、握手してきました。

午後は、南京の南へ30分くらいのところ(江寧、新空港のそば)にある南京愛徳印刷有限公司(Amity Printing Co., Ltd.)を訪ねてきました。全世界の聖書協会が作るUBS(Universal Bible Society)からの援助でイギリスその他から印刷機を導入して、1985年から聖書を発行しているところで、いままで2千3百万冊を刷ったそうです。去年・今年は、それぞれ2百3千万冊/年。中国の紙質一般には悪いので、ここは聖書用の紙を輸入していると聞いていましたが、もう7年前からニュージーランドからきているPeter Deanという人が英語で案内してくれて、いまはもう紙も90%国内調達しているそうです。

Note:
このメッセージは日本聖公会mailing list(私の教会)とカトリック横浜mailing list(中国のキリスト教を学ぶ超教派の「仲麻呂会」
http://www.threeweb.ad.jp/logos/nakamaro/
を横浜地区でやっているので)に入れていますが、お1人から法輪功に関するコメントがありましたので、今週みんなでバスの中でした議論を紹介しておきます:

私「Amity Foundation home page
http://www.super.net.hk/~amityhk/
で、去年法輪功の問題が伝えられるとすぐ、中国基督教協会のニュースレリースで『わが国の政府が法輪功を禁止したのは正しい』と出たのは、私みたいな者でも理解に苦しむ。」(今も出ているから、見てみてください)

他「こういう説明が分りいいと思う。中国では、5つの宗教を公けの場所で行なうことしか認められていない。仏教、キリスト教(プロテスタント)、天主教(カトリック)、イスラム教、道教。法輪功は第6の宗教として認めてもらうように運動して、失敗した。」

「じゃあ、仏教または道教の1つとして登録すれば、できたの?」

「それは法輪功がやりたくなかったし、やらなかった。」

「でもなぜ、中国基督教協会がああいうニュースレリースを出したの?」

「5宗教すべての指導者達が、ああいった声明を出さざるを得ないのが、いまの中国の宗教事情だ。出すの無視してもいいし、出すのを拒否してもいいが、その結果は、だだちにその宗教の禁止・弾圧につながりかねない。我々も、中国基督教協会が再度禁止・弾圧されるのを見たいだろうか?」

以上、議論をそのまま書きました。

ツァイチェン(再見)!

中国巡礼(5) Date: Sat, 22 Apr 2000

みなさん、中国・南京からニーハオ。

Amityの検討会は、きょう午前中でまとめに入りました。まず、3つのグループに分れて地方旅行をした経験が、各グループの代表から報告が行なわれました。甘粛省蘭州へいった私たちの代表はドイツ人(女性)、湖南省長沙へいったグループはインドネシア人、雲南省昆明へいったグループはフィリピン人から報告がありました。

フロアからの意見も出て、私も
(1) 日本人としては、原爆と宇宙開発に熱中している中国がなぜこうした貧困があるのか。沿岸地帯と内陸地帯の貧富の差が大きいとは聞いていたが、これを実感した。
(2) 甘粛省といえば、西部は敦煌などの観光地をひかえていて日本人も多く行くところだが、東南部にこうした貧困地帯があるとは知らなかった。
ことを話しました。何か、NGOの大会みたいになり、ついでに「愛徳基金会 The Amity Foundation」という中英文のパンフレットを日本語に訳して、AmityやNCCJともレビューしたのちにwebに出して、日本でも宣伝しようか、というような話にもなりました。韓文藻さんのまとめがあり、これで会議は終りました。

午後は、希望者で南京市鼓楼安懐(ホスピス)医院を訪ねました。揚子江(長江)に面した中山碼頭(桟橋)のそばのオ+邑(把)江門の近くにあり、Amityがサポートしています。このあたりは、南京大虐殺事件のときに、中国人が揚子江渡ろうとしているところを、日本兵が多数を虐殺したところです。今回は大虐殺記念碑へは行きませんでしたが、みなさんはぜひ寄ることをおすすめします。この事件の証言集を加藤実牧師(日本基督教団)が去年翻訳されて、日本で出版できなくて、結局南京大学出版社で出されたときに、コンピューター処理とインターネットでAmityとやり取りをお手伝いしたので、今回招待されたものです。

このあと、南京協和神学院(Nanjing Union Theological Seminary)へ寄り、陳錫大(Chen Xide)さんに案内してもらいました。(彼にも去年、東京でお会いしている。)瀋陽・燕京(北京)・武漢・上海・成都の5か所にある神学院の頂点に立つところで、4年制の大学相当と3年の修士相当があり、それぞれ150人と25人が在学し、毎年30人が入学してくるそうです。ここの小礼拝堂は学生が説教の練習をするところですが、文化大革命のときは紅衛兵の南京地区本部だったようです。

きょうは1日みんなから「きのうのカラオケはよかった。きょうもやろうよ。」といわれて弱りました。きのうの晩、夫子廟(孔子廟)の近くのレストランで夕食を取ったときカラオケがあったので、中国人の方と「北国之春」(むかし中国や台湾でもはやった)を中国語と日本語で交互に歌ってハメをはずしたので。私の目論見は見事に当たって、私たちが歌ったあとはデンマーク人などもみんなが英語で歌い出しました。

あしたは、南京でイースター礼拝に出て、上海へ移ります。
Happy Easter to you all!

Note: これまでの報告も含めて
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/china2000.html
に入れてあります。あとで写真も入れておきます。

中国巡礼(6) Date: Sat, 23 Apr 2000

みなさん、南京〜上海の列車からニーハオ。

いま、T3特別快速列車で南京から上海に、3時間かけて向かっています。常州(チャンジョウ)を過ぎて、無錫(ウーシー)あたりです。線路のまわりは、菜の花畑と、田植え前の水田です。広軌の列車って席も通路も広々としていて、いいですね。硬座と特等軟座と二等軟座は敬遠して、きのう一等軟座をホテルで買って、86元プラス手数料10元でした。

けさは、8時過ぎに南京古都酒店(The Drand Hotel)を出て、上海の市内2教会(古い聖保羅堂と新しい江蘇路堂)と郊外の1教会に分れて復活日の礼拝にいったのですが、私は聖保羅堂(太平南路が白下路と交差するところから少し北へいって左側、太平南路396号)にゆきました。ここの礼拝は完全にもと聖公会の建物で、正面の十字架と左右の壁の「道行き」のあるべきところが、おそらく紅衛兵に壊されたのを完全に修復してないのでしょう、仮のものに見えました。神学校からすぐ南にある莫愁路堂(莫愁路390号)は、古くなって危険なので、あまり使われなくなっているようです。

礼拝内容も、ほとんど聖公会式でした。賛美詩、答唱経文、旧約経訓、新約経訓、どれをとっても日本聖公会の礼拝(おそらくカトリックのミサ)に慣れた者になじみのものでした。これは、1週間前の瀋陽の東関堂(もと長老派の教会)のとは多少違うもので、ということは中国もプロテスタント教会は統一したものの、礼拝内容は伝統を守ってやっているという訳ですね。

右隣りの中国人の若いの女性の方に聖歌の番号を教えてもらったり、正面の十字架のまわりの「以馬内利」というのはどう読むのと聞いたり(「イマヌエル」でした)、左隣りのオランダ人と英語で歌ったりで、私は大変忙しかった。

説教はMark Conwayという英国人で(彼はBirmingham, UKの神学校の人だが司祭ではない、とまわりのヨーロッパ人たちはいっていました---中国ではいわゆる聖職者でなくても説教はします)、出だしは正教会の人々が「基督復活了。」(Christ has risen.)というと、「基督己経復活了。」(Christ has indeed risen.)と挨拶することを会衆に言ってもらったりしてよかったのですが、次に英国クリスチャンが今世紀やった3つの事柄、すなわち1)ナチのヨーロッパ席巻に対して希望を失なわなかった、2)植民地を平和裏に独立させたこと、3)超教派の運動を参考にして、中国は次の世紀をになってもらいたいといったのには、我々はビックリ。さらに、2)については、台湾・チベット・近隣のイスラム諸国との関係をどうやっていくのかは、中国のクリスチャンの双肩にかかっているとまではっきりといったのには、2度ビックリしました。教会堂内には、公安(警察)が当然いると思うので。

聖書などを買える事務所があったので、「霊修記事本 Chhristian Diary 2000」と書いてある小冊子を3元で買いました。主祷文(主の祈り)、毎日読経表(年間聖書日課)、ダイアリーなどが載っているもので、特に主要都市の教会名、住所、電話番号、礼拝時間が載っているのが便利です。聖公会手帳と同じですね。

復活日を中国の教会でお祝いできたのは、大変な感激でした。

中国巡礼(7) Date: Mon, 24 Apr 2000

みなさん、上海からノンホー。

中国には5大方言があり、これまでの大連、瀋陽、蘭州、南京は北京語圏でしたが、上海は呉方言地域です。といっても上海語、蘇州語、杭州語とかいろいろ細分化されていて、ここ上海では日常は上海語、学校や大会社では北京語を使っています。上海語では、ニーハオがノンホー、ツァイチェン(再見)がツァイホェイ(再会)で、シェーシェ(謝謝)がジャジャノン(謝謝イ+尓)、といまフロントで習ってきました。

漢字の読み方に呉音というのがあり、「勤行」(ごんぎょう)や「老若男女」(ろうにゃくなんにょ)や「灯明」(とうみょう)など仏教用語に多いのは、遣唐使の多くがここから少し南東にいった寧波(ニンポー)という港町に到着し、近くの天台山などで中国語を習ってから、当時の都である長安へいって勉強したと、聞いたことがあります。

きのうの晩は、8時から国際礼拝堂(英語名はThe Community Church、衡山路53号)で「復活節音楽崇拝」に参加してきました。説教とか聖歌とか祝福とかもありましたが、ほとんどが聖歌隊の発表会のようでした。伴奏は電子オルガン(備え付け)とピアノ。行きはタクシーでいって(烏魯木斉路が交差する角)、帰りは衡山路站(駅)から地鉄(地下鉄)で帰ってきました。ここの主日礼拝は7:30と10:00(これは2階のバルコニーへ行くと英語の同時通訳がある)で、英文礼拝が16:00です。

けさは、また地下鉄に乗って、徐家匯(じょかわい、シューチァホェイ)にある巨大なカトリック・カテドラル、依納爵堂(St. Ignatius' Cathedral at Xujiahui)にいってきました。平日は6:15、7:00amにミサがあり、主日の5:30am、7:00、8:00、6:00pmのミサのうち、6:00amのみはラテン語ミサです。

お昼に上海市内のホテルから空港バスで、巨大な浦東(プートン)国際飛機場へ行き、午後の飛行機で日本へ帰ります。

中国巡礼と称して、10日間の中国旅行についていろいろ書きましたが、いま日本のキリスト教団体は、NCCJ(プロロテスタントの日本キリスト教協議会)を通してのみ、中国と関係を保っています。これでは非常に不充分で、今後の5年後、10年後を見た場合、多くの宗派の方々が、中国基督教協会、教会、クリスチャンと直接連絡を持つようになることと思います。以上が、みなさんに何かのご参考になれば幸いです。

Notes:
1) 誤字・脱字の修正や追加は
http://www.threeweb.ad.jp/logos/seikokai/china2000.html
をご覧ください。

2)愛徳基金会のプレス・レリース:The Amity Foundation Celebrates Its 15th Anniversary!(2000年4月22日)

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A Pilgrimage to China 2000


The Contents:


"A Horse in Its Native Village" (1995)
by Kyoji Okamoto, Meguro Illustration Club

In English. Go up to the Japanese part.

My Own Private Visits to Dalian and Shenyang on April 13-16

Dalian, Liaoning Province

Visited Dalian Hi-Think Technology Co. (Seminar: "Multilingual Processing in the Windows & internet Age"), Dalian University Technology (Seminar: "Multilingual Processing in the Windows & internet Age"), and NEU-BITCO, a joint venture of Northeastern University, Shenyang; Mirrors International, Inc., Taipei; and Bitco International, Inc., McLean, VA, USA.

Visited Yuguan St. Church and Beijing St. Church. At Beijing St. Church, met Rev. Kou Youguo, Pastor of Yuguan St. Church, and Dr. Chen Zemin of Nanjin Union Theological Seminary.

Shenyang, Liaoning Province

Visited Dawn Group.

Visited Dongguang (East Gate) Church, Xita (West Tower) Church, Nanguang Cathedral, and Sanjing St. Church. At Donguang, met Liu Zeng and Rev. Lu Zhibin and, at Xita, Rev. Wu Mingfeng.

Amity's International Consultation on April 16-23

The Optional Exposure Visit to Lanchou City, Gansu Province, on April 16-20


Date & Time    Activity                                      Place            Accommodation

Sunday, April 16

18:00-20:00  1. Welcome dinner invited by Ma Dengke, head    Lanchou Hotel    Lanchou Hotel
                of the Health Bureau of Gansu Province
             2. Exposure tour arrangement and Q/A

Monday, April 17
07:00        Breakfast and checkout
               [Visit village doctors who have been trained
                at Amity training course]
07:30-11:00  1. Village health worker, Wang Zhijun           Dongxiang County
11:10-13:00  2. Doctors at Hetan Township Hospital
14:00        Lunch
               [Visit village health worker training program  Linxia City
                partner school]
15:30-18:00  Linxia Prefecture Health School
18:00-20:00  Dinner invited by Linxia Prefecture Health      Red Garden        Linxia Hotel
              Bureau                                         Restaurant

Tuesday, April 18
07:00        Breakfast and checkout
               [Amity MCC Project]                            Hezheng County
07:30-11:00  Micro-Finance Project
12:00  Lunch
               [Visit Rural Doctors]                          Kangle County
13:00-14:30  1. Jinggu Township Hospital Doctors
14:30-16:00  2. Village health worker Wang Fanglan
19:00        Arrival in Lanchou and dinner                                      Lanchou Hotel

Wednesday, April 19
07:00        Breakfast and checkout
               [Other Projects]                               Dingxi Country
07:30-10:00  1. Rain Catchment project in Yuzhong Township     
10:00-12:00  2. Visit school kids supported by love for 
                dropouts project
13:00        Lunch
               [Visit township hospital doctor training partner 
                program hospital]
15:00-17:00  Gansu Medical Science and Research Institute
               [Visit Amity's Medical Coordination Office 
               in Western China]
17:00-18:30  1. Office visit
             2. Informal discussion with staff
19:00-20:00  Dinner invited by the Coordination Office        Island Fantastic  Lanchou Hotel
                                                              Restaurant
Thursday, April 20
07:00        Leave hotel for the Airport

Note: Other groups went to Kunming, Yunnan Province, and to Changsha, Hunan Province.

The Nanjing Plenary Session on April 20-23


April 20 (Thursday)

    All day for registration
 06:00 pm  Banquet.  Congratulatory remarks from Bishop K.H. Ting

April 21 (Friday)

 07:15 am  Breakfast
 08:15 am  Opening
 08:30 am  Keynote speech: “The Socio-Economic Situation in China”
    by Prof. Lu Xueyi of the Institute of Sociology of the Chinese Academy 
    of Social Sciences
 09:45 am  Tea Break
 10:30 am  Amity Work Report by Dr. Wenzao Han
 12:00  Lunch
 01:30 pm  Visit Amity Printing Company
 06:00 pm  Dinner at a Restaurant near Confucious Temple
 08:00 pm  Good Friday service led by Rev. Gao Ying

April 22 (Saturday)

 07:15 am  Breakfast
 08:15 am  Feedback of the Exposure Visits
 08:30 am  Panel: Meeting the Challenges in the New Millennium
 10:00 am  Tea Break
 10:30 am  Summary by all, led by Victor Hsu
 11:00 am  Closing remarks by Dr. Han
 12:00  Lunch
 02:00 pm  ENAP Meeting (Note: European Network of Amity Partners)
   Optional Trip to Visit Gulo Hospice Wards for the Aged, for
   non-ENAP partners
 06:00 pm  Dinner

April 23 (Sunday)

 07:15 am  Breakfast
 08:30 am  Easter Sunday service at churches in Nanjing
 11:30 am  Lunch

    Departure

Note: Amity's press release: The Amity Foundation Celebrates Its 15th Anniversary!, dated April 22, 2000

My Own Private Visit to Shanghai on April 23-24

Visits to Community Church and St. Ignatius' Cathedral.

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Created by Yoshi Mikami on April 22. 2000. Last update on May 8, 2000.