ブラジル聖公会と信州


"A Horse in Its Native Village" (1995)
by Kyoji Okamoto, Meguro Illustration Club

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ブラジル聖公会と信州の接点について書きました。

ブラジル聖公会の中の日系人

ブラジルでの聖公会による宣教は、1890年にアメリカ聖公会の宣教師によって開始され、ブラジルは長年アメリカ聖公会の1教区として存在していましたが、1964年に第19番目の管区として独立しました。南部のポルト・アレグロに聖公会神学校もあります。

もともと宗主国ポルトガルとの関係でカトリックが多いブラジルで、聖公会は日系ブラジル人の間でも盛んで信者も多く、聖公会手帳(聖公会出版、1997年)の海外の日系人関係教会にも11教会/礼拝堂が登録されています。これは伊藤八十二さん、弓場(ゆば)繁さんなどを始め、多くの方々のご努力によるものです。ブラジル移民80周年(1988年)に80万人を越える日系人のために、日ポ対照新約聖書(詩編付き、日本聖書協会出版)を1万冊出版したりしています。詳しくは、弓場繁著「ブラジル開拓伝道物語」(日本福音クルセード、1990)を見てください。

聖公会の信州人パイオニアたち

ブラジルに移住した移民の3分の2は儲けて故郷に錦を飾ることが目的の出稼ぎの考えの人々でした。しかし、残りの3分の1は新大地に新し生き方、生活を求めたロマンチストであったのです。軍国主義の足音がそこまで迫って来ていたその時代、多くの自由主義者達(その多くはキリスト者)はその圧力から逃げるように、移住にロマンを見出したのでした。

その中の1つに「信濃海外協会」の三代表である永田稠、輪湖俊午郎、北原地価造(永田、輪湖は聖公会員)が計画した「信濃移住地」がありました。そして、この植民地は輪湖氏の提案で、聖書に因み、「契約の地」の意のポルトガル語「アリアンサ植民地」と名付けられたのでした。したがって、ブラジル日系移住史と信州は深い関係があります。そして、この移住地は日系聖公会にとって、伊藤師の弟家族が移住したレジストロ植民地と並んで、その原点となったのでした。

伊藤八十二師は、明治21年(1887年)に長野県上伊那郡美和村大字非持(ひじ、美和村は伊那里村と合併して今は長谷村となった)の伊藤家の次男に生まれ、ここは高遠町の南隣りで南アルプスの美しいところです。東京商船学校卒業後、見習い士官として航海中、難破し九死に一生を得、これが契機となってキリスト教の信仰に入り、大阪の聖救主教会にて受洗後、聖公会神学院に入られます。その後は前述の通りですが、伊藤師のブラジル伝導の直接の動機となったのは、同師が弟家族の渡伯の日、たまたま港で出会った旧知のキリスト者で長野県の海外移住運動の第1人者、中村国穂氏の「伊藤君、ブラジル伝道に献身されよ」との言葉であった、と伊藤師は後日書き記されています。

こうした伊藤師の個人的伝道を励まし、個人的に援助されたのが、当時中部地方監督佐々木鎮次師父でした。例えば、佐々木師は1919年12月19日付けの「基督教週報」に「若き海外伝道師の門出を送る」という小文を伊藤師あてに寄せています。後日、伊藤師は一時帰国され、大阪教区名出保太郎監督次女文子さんと結婚(同姉妹は'96年に99才で逝去)、昭和33年定年退職されるまで、日本聖公会の生んだ最も偉大な伝道者の一人である同師はブラジルの日本人移住者伝道に全てを捧げ尽くされたのでした。昭和44年(1969年)81才にて逝去。

以上は伊藤八十二先生追悼記念実行委員会編集「在伯邦人開拓伝道者の生涯」(ブラジル・サンパウロ市:ブラジル聖公会聖ヨハネ教会、1970、右上の写真はこの本から)などの資料に詳しく書いてありますが、同師のこのように輝かしい伝道史が「日本聖公会百年史」(日本聖公会教務所、1959年)、日本聖公会中部教区歴史編纂委員「教区のあゆみ」(日本聖公会中部教区教務所、1962年)などの公的記録に一切記載されていないのは、非常に残念です。

現在の聖公会日伯関係

現在は、日本で働く日系ブラジル人が多く、例えば長野市でもCOSMOS、Casa do Brasilなどの店でブラジル食料品、ポルトガル語新聞などが買えます。石浜亨さん(Tohoru Ishihama、'92年7月〜'98年5月まで山ノ内町に滞在、自宅はサンパウロ市)のように長野聖救主教会を訪れる方々もあり、また長田顕二さんと森アンナさかえさんのように長野県の聖公会員と日系ブラジルの聖公会員と結婚する例もあります。右の写真は、向かって左から千代修女(ナザレ修女会)、森アンナさかえ(花嫁)、長田顕二(花婿)、森忍司祭(ブラジル国サンパウロ州グアラサイ市新生農場礼拝堂)、長田勝司、箭野真理司祭(長野聖救主教会)さん ['97年11月9日の結婚を祝う会で]

参考資料:

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The Episcopal Church of Brazil & Shinshu

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Japanese Brazilians in the Episcopal Church in Brazil

The Japanese text above tells about the Episcopal Church of Brazil, which was begun by the pioneering work of the Episcopal missionaries from the U.S.A. in 1890 and was made the 19th province in 1964, and the eleven churches and chapels which are listed in the handbook of the Anglican-Episcopal Church of Japan as the Episcopal worshiping places among the Japanese Brazilians.

Episcopal Pioneers from Shinshu

The Japanese text above tells about Archdeacon Joa~o Yasoji Ito (1887-1969, see photo on right), born in Shinshu (Nagano Prefecture), who was the pioneer in spreading the Episcopal Christian faith among the Japanese immigrants in Brazil, and Rev. Shinji Sasaki, the second bishop of the Chubu Diocese, who supported him when young.

Brazilian-Japanese Relationship

The Japanese text above tells that some of the Japanese Brazilians working in Japan visit the Nagano Church and that a Nagano-ite recently married a Japanese Brazilian in Brazil. In the photo taken on Nov. 9, 1997, from left: Sister Chiyo of the Community of Nazareth, Sakae Anna Mori (bride), Kenji Nagata (bridegroom), Rev. Shinobu Mori of the Shinsei Chapel (Guarac,ai, Sa~o Paulo, Brazil), Katsushi Nagata, Rev. Makoto Yano of the Holy Savior's Church (Nagano, Japan)

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Created by Hiroshi Ito of Paroquia da Santa Cruz, San Paulo, Brazil, and Yoshi Mikami at the Nagano Seikyushu Kyokai on Sept. 23, 1997. Last update on Nov. 12, 1997.