米沢とその言葉

Yonezawa and Its Language

Yonezawa is located in the southern part of Yamagata Prefecture, two and half hours' Shinkansen train ride north of Tokyo. Its folks speak a Southern Tohoku dialect. It is probably one of the Japanese regions, richest in folklore.


米沢上杉まつり (5月)

米沢市と置賜地方

米沢市は山形県の南部にあり、最近は東京から新幹線で2時間半で行けるところにあります。南に吾妻山地、西に飯豊(いいで)山地から北へ朝日山地、東に蔵王山から南に伸びる奥羽山脈といった山にかこまれていて、わずかに北に最上川が流れ出しているところです。稲を作るたんぼもありますが、水はけがよくてサクランボや桃などの日本有数の果物産地になっています。

冬に雪深いのでスキーを好きな人は天原平などが近くにあり別天地と思うでしょうし、その他の時期に訪れた人は一見米国カリフォルニアのサンフランシスコ南あるいは北の太陽がサンサンと照る地域を思い出すでしょう。明治時代に米沢から赤湯温泉まで訪れたイギリスの女性旅行家イザベラ・バードが「東洋のアルカディア」(アルカディアはギリシャのペロポネソス半島の真ん中にある牧歌的理想郷)といったというのも、うなずけます。

米沢地方を山形県の人々は、置賜(おきたま)地方と呼んでいます。これは大和時代に「おきたむ」として歴史に登場して以来の呼び方で、明治時代の廃藩置県では南の置賜県と北の最上県とできて、その後山形県として合併したものです。置賜という言葉は現在でも米沢市周辺の西置賜郡(小国(おぐに)町など)、東置賜郡(高畠(たかはた)町など)といった地名に残っているだけでなく、米沢市役所前にある図書館の建物も置賜文化総合センターと呼ぶ、といった風に使われています。

米沢の歴史

有史以来、米沢にはアイヌが狩猟採取生活をしながら住んでいました。その後農耕生活をする日本人の移住がはじまり、「続日本記」に「和銅5年(712年)出羽(でわ)郡付近の蝦夷を平定して国司を置いた」書いてあるように、米沢も出羽国(秋田県・山形県一帯)の国司(酒田市)の支配下になりました。米沢城は源頼朝時代の長井氏の築造に始まり、その後の伊達氏(伊達正宗はここで生まれた)、上杉家によって拡張されています。

米沢の刊行案内も米沢の人々自身も、17世紀に越後から会津(120万石)を経て米沢(30万石)に移ってきた上杉家とその中興の礎上杉鷹山(ようざん)、山形市の人の商売上手に対する米沢市の人の武士的態度などを意識し過ぎているようです。

米沢の言葉と民話

米沢の言葉は東北方言のうちの南奥方言で、シとスとシュ、ジとズとジュ、チとツとチュが混同されて、寿司(すし)、鈴(すず)、煤(すす)が同じように発音される「ズーズー弁」です。南奥方言では、さらに高低アクセントがありませんから、橋と箸、飴と雨は同じに発音されて、米沢出身の人と話していると「午後は飴になりそうだ」というようなことをしばしば聞きます。

米沢地方は全国でも有数の民話の宝庫です。1960年代からの武田正さん(当時米沢東高等学校教諭)の民話採取、最近は「米沢地方方言研究会」主催の講演会「米沢地方の方言における敬語について」(講師:梅津宮雄さん、81才、1996年8月4日に笹野曲家で)などが活発に行なわれています。

参考資料

参考資料としては、

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