大連・北京のキリスト教礼拝


Yuguang Street Church

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中国ではキリスト教が迫害されていて、キリスト教の礼拝が守られていないと思っていませんか。そういうことはなく、私は以下の経験を大連でしています。ただし、地下教会の活動については、私はよく分りません。
このページの内容:
  • 大連での礼拝
    • 中国・大連へ赴任
    • 玉光街礼拝堂(もと大連聖公会)
    • 大連の朝鮮語教会
    • 青年礼拝、カトリック教会、英語礼拝
    • 参照:日本基督大連教会(西広場教会)について
          大連天主教会の起源について
  • 北京での礼拝
    • 北京の観光と教会訪問
    • 松谷曄介(ようすけ)さんの日華報告・教会編1
    • 松谷曄介さんの日華報告・教会編2
  • 大連での礼拝

    
    [2001.09.01.] 中国・大連へ赴任
    
    みなさん、こんばんは。
    
    おとといから、中国・大連へ赴任してきました。成田から直行便の飛行機で2時間
    半、大連へ着きました。これから10か月、こちらの大連外国語学院(大学)
      http://www.dlufl.ecu.cn
    で、日本語・コンピューター・インターネットを教えるご奉仕をします。
    
    きのうは午前中、大学へあいさつに行き、外国人カードをもらう手続きをしてきまし
    た。授業は、9月10日から始まります。
    
    大連は、私のアパートの隣りの隣りに、日本人が建てたという大連天主教堂(カト
    リック教会)があります。また、中山広場という大ロータリーには、日本聖公会と英
    国聖公会(国教会)が共同で1928年に建てた教会が、赤レンガの玉光街礼拝堂として
    残っています。両教会の写真は
      http://www.threeweb.ad.jp/logos/china/church.html
    にあります。それから、アパートから北へ10分くらい歩くと、北京街礼拝堂があ
    り、これはデンマークのルーテル教会が建てたもので、ここのもと牧師館に大連市三
    自愛国運動委員会本部があります。
    
    きょう(土曜日)はカトリック教会へ夕方のミサに行き、あした(日曜日)は玉光街
    礼拝堂へ礼拝に行く予定です。
    
    大連は、日清戦争の結果日本が近くの旅順港と共に租借しようとしたところ、三国干
    渉であきらめ、その後ロシアが租借して町のデザインを決めました。その後、日露戦
    争でからくも勝った日本が、満州政略の玄関口として建設したものです。ですから、
    道路が広くて、町にロータリー(英国人がround-aboutと読んでるもの)がいくつ
    かあり、全体的に整然としている感じです。
    
    大連は、中国東北地方(旧、満州)の一番南の遼寧省(省都は瀋陽、旧称奉天)にあ
    りますが、その北が吉林省(省都は新京、旧称新京)やさらに北の黒龍江省(省都は
    ハルビン)へ行く機会もあると思います。地理などに興味のある方は
      http://www.threeweb.ad.jp/logos/china/
    も見てください。日本聖公会は戦前、ハルビンまで聖公会教会・集会を開設しまし
    た。
    
    という訳で、これから時々中国・大連だよりをさせてください。
    
    三上吉彦
    
    [2001.09.02.] 玉光街礼拝堂(もと大連聖公会)
    
    みなさん、こんばんは。
    
    きょうの主日は、大連の玉光街礼拝堂で9時の礼拝にいってきました。ここは、中山
    広場(戦前の日本人の「大広場」)という大ロータリーにある、日本聖公会と英国聖
    公会(国教会)が共同で1928年に英国領事館の敷地を租借して建てた赤レンガの教会
    で、石の土台に
      To the Glory of God
      This stone was dedicated
        May 6th, 1928
      (Francis L. Norris, PHD, Bishop of Peking)
      神の栄光の為にこの石を献ぐ
        昭和三年五月六日 
        北京監督・神学博士 フランシス・エル・ノリス
    とはっきり書いてあります。内部は文化大革命のときにかなり荒らされたようで、白
    い壁に、茶色の木枠、正面の十字架は黄色でした。ステンドグラスは即席修理の色ガ
    ラスでした。7本のローソクも、オールターに見えました。
    
    礼拝堂は超満員で、外の庭にも椅子を並べている、中国のおなじみのプロテスタント
    教会風景でした。(要するに、教会堂が足りない。)礼拝は全体で1時間で、そのう
    ち説教が25分。
    
    聖書日課は、プロテスタント教会で使われている「和合本」、賛美歌集は同じく「賛
    美詩」。聖歌隊がうしろのバルコニーにいて電子オルガン伴奏で歌い、超満員の信徒
    が使途信経をとなえるとき、前にあるピアノの伴奏で歌うときは、超迫力がありま
    す。
    
    戦前は、西の入り口の右脇の部屋で、朝鮮族の方々が日本語を朝鮮語に訳して、一緒
    に礼拝していたと『聞きましたが、それはもうありませんでした。大連にはこの玉光
    街礼拝堂と、三自愛国運動委員会もある北京街礼拝堂と、朝鮮族の方々が行く興工街
    礼拝堂というのがあるそうで、いつか行ってみます。
    
    戦後、特に文化大革命後に、ヨーロッパの財産はすべて返還されていますが、戦前日
    本が建てて所有していた建物は、敵国財産であったからでしょうか、教会も含めて
    いっさい返ってきませんでした。(例えば、友好広場にある日本基督教会/長老派
    は、いま威廉士 William's Cafeというレストランになっている。)日本聖公会の教
    会は、英国聖公会と共同で建てられたので、例外的に中国の信徒へ返還されていま
    す。
    
    アメリカのマスコミを中心として、中国の宗教事情の悪い面ばかりを新聞・雑誌で伝
    えるのを目にして、中国は宗教が迫害を受けている印象を日本の大多数の方々がもっ
    ていると思います。確かにそういう一面もあるのですが、伝統的宗教を信じている
    方々は、かなり自由に礼拝をまもっています。
    
    日本聖公会の先達のご努力に敬意を表しつつ。
    
    三上吉彦
    
    [2001.09.10.] 大連の朝鮮語教会
    
    From: "Yoshihiko MIKAMI" 
    Sent: Sunday, September 02, 2001 10:46 PM
    Subject: [nskk_general5081] もと大連聖公会 Re: 中国・大連へ赴任
    > 戦前は、西の入り口の右脇の部屋で、朝鮮族の方々が日本語を朝鮮語に訳して、一
    > 緒に礼拝していたと『聞きましたが、それはもうありませんでした。大連にはこの
    > 玉光街礼拝堂と、三自愛国運動委員会もある北京街礼拝堂と、朝鮮族の方々が行
    > く興工街礼拝堂というのがあるそうで、いつか行ってみます。
    
    先週こう書きましたが、一緒に案内してくれる方があり、きょうは朝9:30から興
    工街礼拝堂の日曜礼拝にいってきました。この教会は、中国キリスト教協会の「信徒
    手帳」にも載っていないので、住所は
     郵編:116021 大連市沙河口区興工街2号
     電話:0411-460-2655
    行き方は、中国の教会リスト
      http://www.threeweb.ad.jp/logos/china/church.html
    に書いておきます。外観が西欧的な、大変きれいな教会です。
    
    開始時間を間違えて早めにいったら、1時間前から信徒の方がまず講話をされて、
    30分前からリーダーの方を中心に賛美詩(聖歌/賛美歌)の練習。
    
    白い服を着た牧師さん(李景浩牧師)が司式し、ほとんどのみなさんは韓国で発行さ
    れている聖書・賛美歌が一緒になった本(Good Morning Publishing Co., Seoul発行
    のが1番きれいにできていた)を持って礼拝。後でこれを買おうと思ったら、中国の
    は別々になっているという。礼拝で、使途信教/使途信条はありましたが、主の祈り
    はなかったです。牧師さんの説教は30分で、彼が文章を終るごとに「ハレルヤ」と
    いうと、信徒が「アーメン」と答える方式でした。
    
    少しダミ声に聞こえる(失礼!)力強い朝鮮語で、韓国・朝鮮語は大きく南方言と北
    方言に別れるが、中国東北部は北の発音だそうです。*南は姓の「李」を「Yi」と発
    音、南は「Lee」または「Rhee」と発音するのが代表的な例でしょうか?また、中国
    では外来語は韓国語のようにそのまま使わず、朝鮮語に翻訳するようです。
    
    礼拝のはじめ、途中、終わりで、それぞれが自分の祈りをささげる時があり、聖公会
    方式の公祷(Common Prayer)にだけ慣れている私には新鮮でした。礼拝が終って、
    この教会の歴史を聞き始めたら、「日本人が作り(つまり日本時代にできて)、もと
    もと朝鮮俗の教会であった。」そうですですが、詳しい方はいなかったです。
    
    午後2時から玉光街礼拝堂(もと大連聖公会)でも朝鮮語の礼拝があるというので、
    行きました。興工街礼拝堂がお年よりの方が多いのに比べて、こちらは圧倒的に若い
    人々でした。牧師さん(李ヨハネ=約翰牧師)も大学教授のような話し方で、まず新
    しくきた留学生の紹介からはじまって、ソフトタッチ(?)でした。
    
    聖歌はおもにギター伴奏で、時々ピアノを使い、歌詞はオーバーヘッド・プロジェク
    ターで示す方式。声楽家の信徒が賛美詩を捧げるのもありました。聖書はフィリピの
    手紙14:8〜14で、私は朝鮮語が文字がゆっくりゆっくりと発音できるくらいで
    全然分らないほうですが、「私から学んだこと、受けたこと、...、見たことを実
    行しなさい。」というところが、よかったです。
    
    上に「戦前は、西の入り口の右脇の部屋で、朝鮮族の方々が日本語を朝鮮語に訳し
    て、一緒に礼拝していたと聞きましたが、それはもうありませんでした。」と書きま
    したが、日本聖公会の先輩が苦労して建てた教会が、こうして中国の少数民族、朝鮮
    族の方々、韓国からの留学生の方々にも有効に使われているのは、神様は本当に意外
    な風に働きかけていることを感じました。
    
    注:中国では、朝鮮族、朝鮮語というのが普通なようで、1992年の韓国との国交回復
    以来、韓国という言葉も多く使われます。日本のように「韓国・朝鮮語」というよう
    な表現は、あまり使わないようです。
    
    [2001.10.31.] 青年礼拝、カトリック教会、英語礼拝
    
    みなさん、こんばんは。
    
    中国・大連は、今週の日曜日から少し寒くなってきました。あしたは、
    きのうに続いてまた気温が、最低1度?最高9度Cあたりの天気予報。北
    のハルビンでは?2?5度で雪、長春(もとの新京)は−1〜5度、瀋陽
    (奉天)は−1〜7度。
    
    ここへきてから、はや2ヶ月。大連のキリスト教会がだいぶ分ってきまし
    た。
    
    以下、個人的な経験で、お伝えします。
    
    1)
    まず、週末は金曜日の夕方6:00から、玉光街礼拝堂(教会、もとの大
    連聖公会)で青年礼拝があります。出席者の大部分は若い人たちで、土
    (8:00)・日(9:00と14:00(韓国語)と18:00)の礼
    拝に来れない大人の人たちも出席しています。前半は通常の礼拝なのです
    が、後半は司会者がその時々で、出席者の好きな聖句を手を挙げて言わせ
    たり、聖書の内容のクイズをやったりで、ちょうど礼拝兼聖研のような感
    じです。
    
    聖経(聖書)はみんなで一緒に読みます。私は中国語の説教がまるで分ら
    ないので、賛美詩(聖歌)を歌い(大連基督教青年団契用詩「敬拝賛美」と
    いう聖歌集を使う)、使徒信教を唱えるのが楽しみです。(主の祈りは、こ
    の礼拝では行なわない。)聖歌隊(即席聖歌隊の感じ)が歌った後は、拍
    手があり、まるで学芸会のようです。終わりは、中国どこの教会へいっ
    ても、「あめつちこぞりて」(Praise God from whom all blessings
    flow)の中国語版を歌います。
    
    青年礼拝のあと、入り口右のベストリー(小部屋)で英語の聖研がありま
    す。中国基督教両会が出版した「Today's English Version」(現代英文
    訳本)と「現代中文訳本」の英中両語の新約聖書を使います。グループに
    分かれてのディスカッションなども、大部分が中国人がまじめに英語でや
    りますから、日本より進んでいる感じ。これが終ると、もう遅いので教会
    堂から追い出され、教会の前の歩道で立ち話をしながら、いろいろな情報
    交換をしています(家でのインターネット接続はどうするの、クリスチャ
    ンの学生の集まりがあるの、etc.)注:聖書は「聖経、和合本」を使い、
    賛美歌集は中国基督教協会「賛美詩、新編」ではなく大連基督教青年団契
    用詩「敬拝賛美」を使っている。後者は100の賛美歌からなる最近発行
    されたもので、4番「煉我愈精」(フォスター作曲「吹けそよそよ
    吹け 春風よ(原詩:主人は冷たき土の下に Massa's in de Cold, 
    Cold Ground)以外は、すべて新しく曲のようです。
    
    プロテスト教会でパンとぶどう酒が出るのは、3か月に1度です。パンは
    種無しパンだそうですが、餃子の皮を小さくちぎったものに限りなく近い
    です。ぶどう酒は、ひとりひとり小さなプラスチックのカップから。
    
    2)
    土曜日は、夕方5:30から大連天主(カトリック)教会のミサに出るこ
    ともあります。ミサは日曜日は9:00と11:00(朝鮮語)。月?金
    は早朝ミサが6:30からあり、これが7:00で終ると、信徒のリード
    でほとんど全員が残って、「十字架の道行き」の祈りを30分間行ないま
    す。神父さんが都合でこれないときは、シスターが代ってパンを配りま
    す。
    
    3)
    日曜日は、あさ11:00からInternational Christian Fellowshipの英
    語礼拝が、中山広場近くのにるビルの舞台がある大きな部屋であります。
    韓国の方が、ここの外国人のためだけにやっているもので、瀋陽の中国基督
    教協会に届けたそうですが、未公認的な部分があるので、中国人は入れませ
    ん。礼拝の前に、韓国語・英語・日本語の聖研があり、日本人が参加すると
    きは私が日本語聖研のリーダーもやり、そうでないときは私は英語の聖研に
    出ます。
    
    このあと昼食をとりながら、情報交換。アメリカ人の女性が、大学の生徒
    (中国人)が教会へ行きたがっているというので、1)に書いた青年礼拝
    を教えたり、etc.
    
    この他、土曜日に中国人学生クリスチャンの集まりもあり、日曜日に日本
    人の私的集まりもあります。
    
    大連では、多彩とはいえないまでも、みんなそれぞれが自分にあった礼拝
    を守っていることが、分りました。
    
    三上吉彦 in 中国・大連
    
    参照:
    
    大連には戦前8つのプロテスタント教会があり、いまは北京街礼拝堂(デ
    ンマークの信義会=ルーテル教会)、玉光街礼拝堂(日英の聖公会)、威
    廉士餐庁(William's Cafe、日本の日本基督教会=長老派、友好広場=
    もと西広場にあった)、興行街礼拝堂(朝鮮族の教会になっている)、朝
    鮮族文化芸術館(青年会=YMCA)、五一広場にあった教会(少し前に
    取り壊された)、旅順教会(ルーテル教会)、金州教会(ルーテル教会)。
    [三上吉彦]
    
    [2001.10.27.] 日本基督大連教会(西広場教会)について
     
    私は大連の平和台で10歳まで育ち、静浦小学校に通い、大連教会の子教会
    である嶺前教会の日曜学校に通っていたものです。富士見町教会の信徒で
    あり、後述の「大連西広場の会」の世話役の一人です。
    
    大連教会
    西広場にあった教会は、日本基督教団ができる前は、横浜バンドの流れを
    汲む、日本基督教会に属する、日本基督大連教会という教会でした。その
    起源は、日露戦争時代に軍関係の信徒が大連の倉庫で祈祷会を持っていた
    ものが戦後教会として始まったもので、米国長老派教会の宣教師であった
    ウイン牧師を初代牧師としてお招きしました。
    
    第2代牧師は明治学院神学部を出、後プリンストン神学校に学ばれた、三吉
    務牧師であり、三吉牧師が東京へ去られた後、白井慶吉牧師が後を継ぎ敗
    戦まで牧されました。三吉牧師は 大連教会のあと富士見町教会(日本基
    督教会から教団へ)の牧師となられました。白井牧師は戦後引き揚げの
    後、日本基督教団千代田教会を、大連からの引き揚げ信徒とともに作られ
    ました。
    
    大連教会の大連市内の関係教会として、嶺前教会と沙河口教会がありま
    す。(嶺前教会は、今の桃源街あたりに昔嶺前小学校がありその近くに
    あった教会です。いまは教会ではないようです。沙河口教会は今も教会と
    して使われているとのことで、沙河口の朝鮮族教会がそれだと思います。
    二つとも大連教会の子教会としてできた教会です。)戦後引揚げた大連
    教会とその関係教会の信徒たちは「大連西広場の会」を
    結成し、毎年秋(現在は10月10日の体育の日)に富士見町教会に
    集い信仰を励ましあっております。現在は元高知教会牧師・日本基督教
    団議長の、吉田満穂牧師がその会長です。今年は第48回の会を持ち、70
    名の関係者が集まりました。
    
    大連教会の関係者(元会員、日曜学校生徒、とその子どもたち)は日本
    各地に散らされておりますが、東京では、富士見町教会と千代田教会に、
    いまでも何人かが残っています。大連教会からは沢山の牧師が輩出し日本
    の諸教会に貢献しています。なお、多くの大連にいた信者が大連を訪問し
    ていますが、訪問団をつくって大連を訪れたことはありません。注:
    「西広場の思い出」から
     
    斎藤豊 saito316@gw8.gateway.ne.jp
    
    [2001.10.31.] 大連天主教会の起源について
    
    岡さんという満鉄に勤めておられた方が教会の建設の中心になられた方々のおひと
    りで、その息子さんが75周年で最近大連へ来られた。
    
    Thank you for your email inquiry to the Maryknoll Mission
    Archives regarding Mr. Oka and the Catholic Church in Dairen, China in
    the 1920's.
    
    Mr. Oka was not a piest but rather an architect who worked in
    Fushun originally then moved to Dairen in 1924. He was working for the
    railroad at that time. He  was a convert to Catholicism following his
    wife shortly after their marriage. He wand his wife were instrumental in
    building up the Church  community. If you would like somemore
    information please send me your postal address and I will send you a
    copy of the story that appeared on the Oka family in the Maryknoll
    magazine in April of 1930. There is a nice picture of the Oka family.
    
    Brother Kevin  KDargan@Maryknoll.org
    
    

    北京での礼拝

    [2001.10.07.]  北京の観光と教会訪問
    
    みなさん、中国・大連から、こんにちは。
    
    今年の国慶節(10月1日)は、中秋節(旧暦の8月15日)と重なり、
    私が教えている大連外国語学院には
     国慶中秋喜相逢、人在盛世必歓勝
    というような垂れ幕が下がっていました。この後半はどういう意味でしょ
    うか。いま我が家は、あちこちからもらった月餅に満ち、満ちています。
    
    大学は、9月30日(日)からきのう10月6日(土)までが連休で、2
    9日(土)は4日(木)の分、きょう7日(日)は5日(金)の分を埋め
    合わせで、授業がありました。
    
    10月2日から3泊4日で、ワイフと北京旅行旅行をしてきました。今後
    行かれる方もあると思うので、ご参考までに日程を書いておくと
    
    1日目は、天安門広場、故宮博物館、夜に全聚徳(チェーン店)で北京ダ
    ック
    
    2日目は、天檀公園、故同と四合院(北京独特の伝統的家屋)、瑠璃廠で
    骨董品、夜は朝陽劇場で四川雑技団(サーカス)
    
    3日目は、明の十三陵の定陵、万里の長城・八達嶺の居庸関、芦溝橋と抗
    日博物館
    
    4日目は、香山(香炉峰登山)、頤和園、中関村のパソコンショップ
    
    でした。
    
    飛行機とホテルと2日目に万里の長城を予定しての通訳の予約を、こちら
    の旅行社でしてもらいました。4つ星を指定したら、北京の西側にある奥
    林匹克酒店(オリンピック・ホテル)になり、主に中国人が泊まるホテル
    でした。(あまり外人向けの旅行案内などはない。)
    
    天気は2日目が冷たい雨になりましたが、おおむね晴れ。北京はやはり非
    常に空気が悪いというか、強い風がないと常に霞がたなびいているよう
    で、英字新聞(China Daily)にも、宝山鉄鋼所についで2番目に大きな
    「首都鉄鋼所がオリンピックを控えて、来年北京から移転」などという記
    事が出ていました。
    
    日曜日がなかったので教会の礼拝は出れなかったのと、出発前にもとの聖
    公会大聖堂はまだ工場として接収されたままと聞いたので、多少意欲をな
    くしていたのですが、思い出してはキリスト教会を探してみました。
    
    まず、プロテスタント教会(基督教堂)は中国基督教両会のダイアリー
    「霊修筆記本 2001」に5つ
      崇文門堂、100005 崇文門内后?胡同丁2号、010-6513-3549 
      Chongwenmen Church
      寛街堂、100010 城東区地安門東大街50号、010-6403-2592 
      Kuanjie Church
      海淀堂、1000802 海淀区洩水湖10号、010-6255-1392
      Haidian Church 
      朱市口堂、100050 前門大街129号、010-6301-6678 
      Zhushikou Church
      缸瓦市堂、10034 西四南大街57号、010-6617-6181 
      Gangwashi Church
    が載っています。ホテルの黄色頁(Yellow Page)には、政府機関の白ペ
    ージの終わりに「各種団体」として、崇文門堂、海淀堂、朱市口堂
    と
      南口堂、南口鎮、6977-1494
      前大栄堂、黄村鎮、8920-1641
    が載っていますが、この2つはどうもかなり郊外にあるようです。。
    
    まず寄った朱市口堂は、そのあたりの道路拡張で、今年4月の復活節から
    他の教会堂へ移っていました。どこの教会か控えるのを忘れました。
    
    最後の日に寄った海淀堂は、北京の北西にある北京大学のすぐ南(四環路
    =環状4号)の北京図書城という書店街の裏手(東側)にあり、70メー
    トルくらいの丙に囲まれていて、経堂はつたが茂るもと聖公会風でした。
    門のベルを鳴らすと開けてくれて、かなり大きな中庭から写真をとりまし
    たが、四方が部屋になっていましたが、経堂は開けてくれませんでした。
    1933年に創立、文化大革命後は1985年から礼拝が再開されたそうです。
    
    もと聖公会でしたかと門番に聞いたら、聖公会と聞いたと心もとない返
    事。(つまり、もとは長老派でしたかと聞けば、たぶん長老派だったと思
    うと答えた。)ピンク色の小さな礼拝案内をくれて、そこには
     礼拝 日 08:00-09:00
                10:00-11:00
                11:30-12:30 求道者
     礼拝 火 09:00-10:30 聖書研究集会
     礼拝 水 09:00-10;30 求道者
          18:30-20:00
     礼拝 木 09:00-10:30 証し会
     礼拝 金 18:30-20:00 青年集会
     礼拝 土 09:00-10:30 祈祷会
    とありました。
    
    (それから大連に帰ってから、北京の松谷曄介(ようすけ)さんから、缸
    瓦市堂の10時からの礼拝には、最近英語の通訳も始ったという報告をいた
    だきました。上海の国際礼拝堂も2階のバルコニーの席で、同様なことを
    やっています。)
    
    カトリック教会(天主教堂)は、今年日本で入手した「中国天主教指南
    2000」(新加坡中華公教聯絡社、2000)のおかげで、非常に見つけやすか
    ったです。北京には、東堂、西堂、南堂、北堂、もう1つが、地図つきで
    載っています。
    
    まず、北京の銀座・新宿、王府井(ワンフーチン)をブラブラ歩いていた
    ら、有名な夜市が出る東安路のすぐ北側で右側(東側)に、ロマネスク調
    の教会堂があり、その前の広場に市民が座ったりして談笑していました。
    私は、アレッ、これはヨーロッパの町かな、って錯覚したほどです。これ
    が東堂で、1655年に創建され、何度か火事に逢い、1905年に再建されたの
    を、今年4月にまた新装になったものです。ミサは毎週日06:30からで、
    これは大連の天主教堂も同じ時間です。
    
    南堂には愛国会事務所があり、これは大きな聖堂でした。聖弥額爾(聖ミ
    カエル)堂は、大改修工事中でした。北堂の前を通りましたが、西堂は見
    ていません。
    
    北京の教会リスト
      http://www.threeweb.ad.jp/logos/china/church.html
    をあとでアップデートしておきます。みなさんのご協力で、主な各教会の
    場所、礼拝時間、簡単な歴史をまとめたいと思います。
    
    三上吉彦 at 玉光街教会 (もと大連聖公会)  in 中国・大連
     + あなた方に平和 + 愿イ尓イ門平安 + ノヒエケ ピョンカン +
     + Ειρηνη υμιν + Pax vobiscum +
    
    

    [2001.12.05.] 松谷曄介(ようすけ)さんの日華報告・教会編1

    今日はこちらでの教会生活について少し書きたいとおもいます。中国に来てからすでに三ヶ月以上になりますが、今は中国の現地の教会とInternational Churchの両方に通っています。

    北京にきて最初の一ヶ月は、缸瓦市堂という比較的中心に近い教会に、バスで40分程かけて通っていました。礼拝は夕拝も含めて四度あり、毎回1000人を超す程人であふれかえっています。教会堂には入りきれないので100人くらいはいつも外でモニターを通して礼拝をまもっている人たちがいます。10時からの第二礼拝に行っていたのですが、第一礼拝が終わると、席を確保しようと皆我先にといわんばかりに会堂になだれ込みます。幸い外国人席がいくらか確保されているので、いつもそこに座り、英語の通訳を通して説教を聞いていました。教会が人でいっぱいになるのは、それだけ中国も自由だからだともいえるかも知れませんし、それだけ皆が熱心だとも言えるかもしれませんし、または単に教会数が足りないからだともいえるかもしれまん。

    礼拝の順序は以下の通りです。
    前奏、招詞、讃美歌、祈祷、交読、主の祈り、聖書朗読、聖歌隊、説教、祈祷、讃美歌、祝祷、後奏。
    讃美歌は欧米から入ってきたものが多く、日本基督教団出版の讃美歌にのっているのと同じ物がほとんどといった感じです。大会衆にもかかわらず、礼拝はとても厳粛な感じで(こちらでも礼拝中に携帯がなる時ありますが・・・)、雰囲気的にはとても居心地がいいです。そこの教会はなぜか退席するさいに、日本では小学校で習った「結んで開いて」の曲が流れます。原曲は、どこの国のどんな歌なのかご存知の方はいらっしゃいますか?

    そこの教会は少し遠いので、10月半ばからは大学から自転車で五分ほどの所にある海淀教会に行っています。海淀区は、北京大学、人民大学、北京外国語大学などが周辺にあるため、若い人が比較的多く、また留学生がたくさん来ています。礼拝は午前中に二回あるだけですが、毎回1000人程で、入りきれない人は副堂でモニターを通して礼拝をしています。そこでも英語の通訳があります。そこの中心の牧師の(牧師が二、三人いるらしいのですが)呉先生は三十代くらいのとても感じの良い若い先生で、南京の神学校を出た後にカナダの神学校に3年間留学し、英語とフランス語の両方ができます。礼拝の流れや雰囲気は缸瓦市堂とほとんど同じような感じです。

    現地の教会は三自愛国教会といわれ、中国外部からは「政府に管理されている教会」と、少しネガティブに思われたりもしていますが、僕が見聞きした感じでは、一般の人が日曜に礼拝に通う分には何の制限もないように思えます。もちろん見えないところで教会や牧師に何らかの圧力はかかっているのかもしれませんが、日本で聞いていたのと、実際に見てみるのとではだいぶ差があるような気がしました。

    こちらでは教会の前には、必ず物乞いの老人や足の悪い人がたむろしています。教会の前で記念撮影をする人もいれば、そのよこで物乞いをしてる人、またひたすら家路を急ぐ人などがいて、なんとも複雑な心境になる光景を毎週目にします。

    先週からは、現地の教会の礼拝後に、二十一世紀ホテルというところの劇場ホールで行われている、BICF(Beijing International Christian Fellowship)にもいっています。以前から日本人の集会を探して、ある人がそこに行けば日本人のクリスチャンも何人かいるよと教えてくれたのですが、日本人も十数人いました。全体では1000人以上が礼拝に集まっており、アメリカを始めアフリカ系、アジア系など60ヶ国以上からの人たちです。Internationalとはこういうのをいうのかといった感じです。

    ちなみにそこは外国籍のパスポートを持った人しか来ることができません。毎回礼拝の前に「中国人(正確には中国籍の人)の人を連れてきたりはしないでください」というアナウンスがあります。礼拝は、讃美歌の際に楽器をたくさん使い、少々にぎやかな雰囲気で、個人的にはなかなかなじめない面もありますが、世界中から集まった人たちと共に讃美歌を歌い、共に祈れるというのは、僕にとってはとても嬉しいことであり、また非常に貴重な経験だと思っています。礼拝後には、日本人同士で、先週はレストランで、今週は近所に住んでいる方の家で、一緒に昼食を食べ、日本語でのよい交わりを持つことができました。

    これ以上書くと長くなるので今回はこの辺までにしておきます。また時折、日華報告・教会編を書くつもりでいます。 松谷曄介 yosuke_matsutani@hotmail.com より

    [2002.03.10..] 松谷曄介さんの日華報告・教会編2

    北京もここ数日とても暖かく、春の陽気といった感じです。全国人民代表大会のため、ここ数日街には公安(警察)があちらこちらにいます。先日のブッシュ訪中の、中央電視台(CCTV)による生中継に続き、最近は全人大のニュースが一日中テレビで流れています。今回の日華報告は、久々の教会編です。

    前回は、海淀教会に行き始めた、とうことを書きましたが、それ以来、毎週そこに通っています。礼拝は、8時と10時の二度だだったのが、先週から午後の二時からも礼拝が行われるようになりました。中国では自由には教会を建てられないので、礼拝数を増やすというのが、現状では一番妥当な選択なのでしょう。もっとも、教会数が限られているのは、慢性的な牧師不足が原因ともいえるのかもしれません。ちなみに、中国には現在18、9の神学校があるそうです。

    僕は、基本的に8時からの第一礼拝に出席するのですが、8時少し前にいくと、すでに本堂の方は満席で、副堂の方で、モニターを通して礼拝に出席することになってしまいます。幸い、外国人用に20席ほど確保されているので、僕は毎週本堂で礼拝を守っていますが。副堂もすぐ満席になってしまい、入り切れない人は、第二礼拝に出たりしているようです。第一礼拝が終わると、第二礼拝にきた人との入れ替えで、二つある出入り口は押すな押すなの大混雑です。 1月から、金曜の夜6時半からの青年会に行くようになりました。

    行って驚いたのが、学生を中心に、100人前後の人が来ていたことです。礼拝と同じような形式なのですが、あまり儀式的ではなく、若者向けの新しい歌を多く歌ったりしています。後半は、神学生や、牧師(海淀教会は牧師が4、5人いるので、そのうちの1人)が、聖書から30分程のお話をします。僕の中国語のレベルでは、よくわかるときで60%、わからないときで30%といった感じです。集会後は、すぐに帰る人もいれば、自由に残って友達とのおしゃべりを楽しんでいく人もいます。

    日曜日の礼拝は人が多すぎて、なかなか誰かと知り合う機会がないのですが、青年会ではすぐに知り合いができるので、とてもよいです。外国人は、僕の他には数人の韓国人や、欧米系の人が時々くるくらいです。そこで、北京大学や、北京理工大学の学生数人と親しくなることができました。基本的に中国語でのおしゃべりですが、英語ができる人もいるので、Chinglishで会話をしています。海淀区は、大学がたくさんあり、北京の中でも特徴のある地区です。五四運動も89年の学生運動も、北京大学、清華大学のある海淀区から始まったそうです。

    そのような、比較的開けた雰囲気なのもあってか、大学に入ってから教会に来始めたという人が意外に多いです。海外では(日本も含め)、「中国のキリスト教」というと「47人が拘束された」などというニュースしか流れないため、中国のキリスト教全体がそうであるかのような印象を受けがちですが、それとは全く違った、僕が経験しているような面もある、ということも紛れもない事実です。海淀教会は、ホームページも開設していて(http://zhenguang.yeat.net)、毎週の説教がのっています。英語での教会の歴史なども書いてあるので、興味のある方はご覧になってみてください。

    第一礼拝の後には、いつも呉牧師に挨拶をし、数分立ち話をした後に、人民大学の前から外国人教会へと向かいます。 人民大学からは、マダガスカルやエチオピア、赤道ギニアからの留学生が一緒なので、いつも彼らとおしゃべりをしています。中には、政府の高官の息子だったり、大学教授の息子だったりする人が、結構います。マダガスカルからのジャックという人と特に親しくなりました。母国語はフランス語だそうですが、英語と中国語もできるので、英語で大抵話しています。マダガスカルはカトリックが大半なのだそうですが、彼は珍しくプロテスタントのカルバン派出身だそうです。ジャックは29歳で、北京にきてもう三年半になるそうで、元々は行政学専攻だったのを、経済に替え、今は修士過程の2年目です。

    外国人教会BICF(二十一世紀ホテルの敷地内の劇場ホール)では、みんな礼拝前にはいつもラウンジで知り合いとおしゃべりをしています。英語、フランス語、韓国語、中国語、その他さまざまな言語が飛び交っています。これだけ多種多様な人たちが集まりながらも、同じ礼拝に出席している、というのはとても不思議に感じることでもあり、同時にうれしく思うことでもあります。礼拝の進め方などで、違和感があるのも事実ですが、それ以上に喜びの方が大きいで す。礼拝後は月に二度程、日本人の人たちで昼食を一緒に食べています。教会のすぐ隣には、外国人住宅街があり、そこにお住まいのご夫婦がいらっしゃるので、持ち寄りの昼食会をし(僕はいつも手ぶらなのですが…)、その後、一緒に賛美歌を歌ったり、お祈りをしたりしています。ちなみにBICFのホームページアドレスはhttp://beijingicf.orgです。

    このように、毎週日曜日は、中国語、英語、日本語で、中国人、日本人、その他多くの国の人たちと交わりを持っています。平日の二重言語・文化の中での勉強・生活で疲れはしますが、日曜日にはそれらを中断して、このような世界中のクリスチャンとの交わりを持てていることが、本当に嬉しいことであり、一週間の疲れが癒される思いです。

    以上長くなりましたが、教会編2でした。質問や感想などありましたら、是非メールをいただければと思います。 次回の教会編は、冬休み中に見学してきた、南京の神学校や、聖書印刷工場について書きたいと思います。それではまた。

    注:このページには、いわゆる「家の教会」については一切書いてありません。

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    Christian Worships in Dalian, China


    Dalian City Catholic Church

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    Christian worships in Dalian, China, are described here.

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    Prepared by Yoshi MIKAMI on October 30, 2001. Last update: March 26, 2002.