イスラエル巡礼


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古沢 俊博

イスラエル聖地巡礼旅行(国際TLIG2000、2000-3-14〜26)
TLIG=True Life in God (神のうちの真のいのち)

3/13成田11:20発(NH201)にてロンドン14:57着、同22:30発(LY318)にて3/14テルアビブ05:02着。

3/14ベツレヘムホテル08:15着、朝食後、日本(15人)の内部ミーティング(途中からヴァッスーラ(Ms. Vassula Ryden:ギリシャ人で、国連のFAO職員のご主人(スウェーデン人)とバングラデシュに住んでいた1986年11月?日に守護の天使の訪問を受け、以来、御父、イエス、聖霊それぞれと会話するようになり書き下ろされた英語のメッセージが既に11冊の本として発行され、世界各国で訳されているが日本語訳は5巻まで発行済)との会談になった:Passion、空心、愛、回心、祈りなど)。12:00〜昼食時、ベネズエラのマリアさんと話す。14:00からホテル内の聖堂でミサ(司祭:タイのFr. A. Prasert他:英語)。19:00〜夕食時、ヴァッスーラ、大阪のケヌエル神父と話す。

3/15 06:35〜朝食時、ヴァッスーラと話す。07:45 TLIGの開会(初め47(後48)ヵ国から約450人、うち70人以上の司祭(大司教、司教数名を含む)、バス9号車のガイドは公認の榊原茂氏で、しかも幸い日本人のみとなり、バス移動中も代表者が聖書の関係部分を読む等、全期間の行動がスムーズにいった)。 09:40生誕教会着(聖書)、10:00から生誕教会内でミサ(司祭:ミリンゴ大司教:英語)。12:00ホテルでの分かち合い時、カナダのMs. Suzanne Faille、タイのSr. Agnes Nara Niyomthaiと話す。13:00昼食。14:50〜18:30洗礼者ヨハネの教会(聖書)、聖母マリアの井戸、マリア訪問の教会(聖書)、土産物屋をまわる。19:00〜夕食時、ロシアのサーロフ氏と話す。20:45ロザリオの祈り、21:30聖体礼拝。

3/16 06:40〜朝食時、神崎房子さんと話す。08:00〜羊飼いの野を通りエルサレムに入り城壁をまわって、ライオンの門から旧市街に入る。ベトサダの池跡、セラフィムの神殿跡、聖アンナ教会、聖母生誕地、第USt.(聖書)、茨の冠教会(聖書)、第V〜[St.(聖書)、ユダヤ地区(旧エルサレム発掘地)を通って嘆きの壁(イスラムの祭日)へ、糞門から出てバスでシオン山へ向い、最後の晩餐の部屋(聖書)、ダビデ王の墓、聖母マリア永眠教会を見て、バスでラマトラヘルのキブツへ行き、12:30昼食・休憩。15:00〜 イスラエルを南から見て、ヒンノムの谷、ケドルの谷を見て、鶏鳴教会(ペドロが泣いた岩(聖書)、イエスの牢獄)へ、ダビデの谷をみて、16:30から聖母マリア永眠教会にてミサ(司祭?:英語)、19:10〜夕食時、USA、アルゼンチンの人達と話す。21:05ロザリオの祈り。

3/17 06:35〜朝食時、マリアやブラジル人と話す。08:00出発、08:20〜聖墳墓教会を概略見て、08:50からすぐ横のギリシャ正教会にてミサ(司祭?:英語)、10:30〜聖墳墓教会内を見て、11:30バスにてゲッセマネへ行き、聖母マリアの墓、イエスがよく行っていた洞窟の教会、主の祈りを教えた教会(聖書)を見てオリーブ山のホテルへ行き、12:50〜昼食、休憩。14:55〜 散策しながらゲッセマネへ下る。途中、共同墓地を見て、イエスが泣いた教会にて、聖書を読み、ロザリオの祈り、3人の男(イエス、ダビデ、ペトロ)の泣き方を瞑想し、普通は火水曜しか開かないロシア正教会が開いていたのでこれを見て、万国民教会の上で、聖書を読み、教会内を見て、17:25ホテル着、土産物屋へ。19:00〜夕食時、フィリピン人船長(Capt. Riz D. Roxas)と話す。ギリシャの教会の歌を聞き、日本の教会の歌を歌う。21:10〜22:30自室にて中本岐余子さんと話す。

3/18 06:35〜朝食は日本人のみ、08:00出発、ダビデの町、モリヤの丘、オリーブ山等を見ながらゲッセマネの園を通ってラザロの墓近くに行ったが、先客が多いのでクムランへ向う。アラブ地区からユダヤ地区を過ぎ、だんだん砂漠になり、サマリア人の話の場所(聖書)を通り、08:40ころ標高0m地点で休憩して、09:05クムラン着。遺跡を見学し(死海写本の話)、10:00出発、エリコのザーカイの木を見て(聖書)、10:30ロープウェイ下着。25分待って10分で誘惑の山上に着き、更に登り修道院に着き、イエス様が祈られた石のところまで行き、また下って、炎天下50分待って、ミサ(司祭?:仏・英語他)、13:40ロープウェイ下のレストランで昼食、14:45出発、ギリシャ正教会を見て、クムランの土産物屋に立ち寄り、16:20〜死海にて泳ぎ、17:05帰途についたが、交通渋滞(聖歌を歌う)で18:35ホテル着。19:15〜夕食時、台湾出身のBr.Otfried Channやアルゼンチンの人達と話す。

3/19 06:40〜朝食時、ケヌエル神父、フランスのMs. Anne Secques、タイのSr. Agnesと話す。07:55国際TLIG、一致の為のジュビリー2000祈りの集いの会場へ(同時通訳あり)。08:15〜ヴァッスーラの開会の祈りの後、司会役のカナダのFr. Henry Lemayと共に聖職者の紹介、47カ国の紹介。ヴァッスーラの話:2年前の話だが、TLIGを知りたいと言うので話をしたら、もっと知りたいと言われていたギリシャ正教会のハンナ神父が来られなくなり、ここでご聖体の話を聞けず残念、然しイエスが一緒に旅をしたいとドアを開いてくれたこと、「私の為に祈ってほしい、常に毎日イエスに祈るようにとのこと、そうするなら更に強められる」と皆に伝えてほしいことなど。
08:35〜カルカッタのカトリック司祭のFr. Stephan Raphaelの紹介の後、神父の講話:神の意志によって選ばれたTLIGの皆さんに一致と和解を広めてほしいこと、イエスはα、新たな創造、復活、神のうちの真の命、団結と一致、三位一体、マタイ16-23にあるようにペトロに天の国の鍵を与え全ての子羊を集めるように命じられたこと、これが人類を救うこと、いろいろな宗教ではなくイエスの下に一つになること、現在イエスはヴァッスーラを選んでその意志を伝えておられること、私の希望は一致、私の体は教会等。
09:10〜ルーマニア正教司祭のFr. Vasilie Axiniaの講話の予定なるも3日前から流感に罹り入院中の為バッスーラが読んだ仏語の原稿:一致の話、東方教会との和解、キリストは一つ、教会の一致は聖霊の一致によって保たれること、信仰の一致は聖書の下に、第二ヴァチカン公会議以来の呼びかけ(その後の歴史の説明)、’95の東方教会との和解は1000年ぶりの一致であり主のみ旨であること、神はこのメッセージを支えていること、聖母が見守っていること、諸教会を越えた恒常的な活動であること、ルーマニア東方教会も然り、パウロUが歓迎されたこと、即ち1000年前に戻ったこと、教会の一致は困難だが不可能ではないこと、この解決は神からしか得られないこと、三位一体を基本としてキリストに霊的に一致すること、ヨハネ17-10。この後、ルーマニア東方教会でのヨハネ パウロ2世と司教の会議にヴァッスーラが参加したときの話:最前列にいたのでヨハネ パウロ2世を正面から見ていたこと、パパ様がこんなに嬉しそうにしたのは見たことが無いこと、二人の親密さを目の当たりにしたこと、お互いに笑い合っていたこと、お互いに祝福し合ったこと、首から下げる十字架を相手の首に掛け、引っ張って「もう離しませんよ」と言われたこと、ルーマニアは東方の中では小さいが他の東方教会に広がることを願うこと等。10:05〜10:35コーヒータイム。この間ギリシャの音楽。エリコのディーツという果物(ナツメヤシ)を食べた。 10:38〜イタリアの司教のアコリ神父の紹介:1917年ファティマ生まれ。神父の話:イスラエルに来て昨日まで各地を訪ねて真理を見た、イエスが救いに来ていることを見た、カトリックを代表しているが他の全てのキリスト教はイエスの下に一致すべき、私はここに聖霊が来てくれて語ってくれているのを見ている、心に、この大事な集まりに、またパパ様に、またキリスト教徒のみならずイスラムなど他の全ての宗教にも、聖墳墓教会では特に強い印象を持った、キリストのみ旨を感じた、ヴァッスーラはキリストが必要として選ばれた、○○教は関係ない、神は一つである。10:45〜続いてヴァッスーラの話:私はまだバングラデシュにいたが霊に促されてローマで神父を通してパパ様に会った、神父にも喜んでもらえた、今日はイエスの話をする、私はイエスを手伝いたいと言ったらやるなら徹底的にやることを望まれた、倒れかけている教会を建て直すこと、御父の憤りを思って和解と一致を、愛の生け贄、愛の十字架、イエスを残して逃げたように皆さんが十字架から逃げてはいけない、マタイ10-39、イエスのあるメッセージ:愛は最も必要な場面で十字架を背負う人が必要。
11:15〜ヴァッスーラの祈りに全員で応答:For this we pray to you Load.(主よ、我らの祈りを聞きいれて下さい)。この後音楽(これはアラビア風だが教会の歌との説明)あり。スウェーデンのルーテル教会牧師の紹介:’95年のヴァッスーラの話以来信じてくれている。牧師の話:ご聖体については確かにキリストの体と血と信じている、スウェーデンは今やカトリックは少数派、プロテスタント・ルーテルが16世紀に分かれてローマから離れ司教・司祭が出国したが一人の司教のみ残った、聖母マリアも排斥された、今の教会は霊によって支配されていない、それでもローマから受け継がれた教えの多くはずっと保存されている、従って教会の一致が是非必要、伝統の継続、一方女性の司祭や主任司祭の問題あり、三位一体の話、マグナカルタの話、マルコ13-23(?)の一致について、見える一致でなく心の一致を、イエスを通して神のうちにあることを教えている、神を愛すること、心の古い煉瓦を壊して真の教会を建てること。11:45アラビア風音楽、11:50〜ヴァッスーラの話:スウェーデンの牧師の彼自身の理解に関する話を聞いた、ここで嬉しい話あり、イコンのような新しいTLIGのポーランドの本500冊が10分前に届いた、インドネシアやオランダからの本もある、聖母マリア・三位一体・その他いろいろについて。ここで10分祈って昼食にする。12:10AM終わり。日本人のみにて昼食。その後土産物を買いに行く。14:50アラビア風音楽。15:05歌と祈り。
15:10〜パナマのカトリック司祭のFr. Teofiloの紹介:偉大なカリスマを持ったイタリア出身の神父。神父の話(イタリア語):愛と聖霊とが結ばれる花嫁について(同時通訳者へ英語が聞こえず原稿に従っての訳)、身を清めなさい、イザヤ1-18-6、同53-5、愛は罪を被う、一致・一致・一致がパパ様を迎えたルーマニアの人々の叫びだった、私達は復活した方の証をしている。15:40歌(アラビア風アレルヤ)。
15:48〜午前の予定だったイタリアのカトリック大司教のMons. Paolo Hunilicaが航空機の遅れでとうとう出席できず代読(バッスーラの前置き:危険を冒して聖地に来る教皇様の為に祈ってほしい、またロシアについても祈って下さい)された原稿:キリストの一つの教会の為に、現在沢山の教会があるが聖霊に従う一つの教会を、子供のような心での教会を、時が満ちたときとは2000年のこと、イエスは人、一つの体の人、体はいろいろな部分から成っている、ペトロの話、パウロUはこの話をされる、ペトロという言葉の上に教会が建てられている、これがキリストの意志である、ペトロはゆっくりとその使命を学ぶ(3度拒む)、シモンの語、マタイ26-10(?)、父よあなたは私の中にあり私の中にあなたがある(?)、ルカ22、ヨハネ20、第2の回心、御父にお願いしよう、神の計画が実現するように祈ろう、一つ重要なことを言いたい、イエスは私の中に私はイエスの中に、一致が実現していないことについてはイエスの言葉に照らして反省を要する。16:20〜16:50コーヒーブレイク。16:50アラビア風の歌、ヴァッスーラが48ヵ国目のラトビアからの人を紹介。
16:57〜ブラジルのシリア正教会の司祭のFr. Francisco Eloyの話:イスラエルの独立の歌、グロリアの歌、神の国は永遠で普遍的、被造物全てに対して、詩編で歌われている、イエスの救いのやり方は最後の時が来るその時が満ちることを前提としている、イエスの力強い働きは言葉と成って現される、イエスの言うことは全て達成され証されている、馬小屋から十字架、更には空になった墓まで、ニケアの会議ではイエスは再び来られること、この方はαでありωである、黙示録にも記されている、そこでは新しいイスラエル・新しい光・・・・が約束されている、最後は神が勝利される、この裁きのビジョンは信頼できるもの、人間は公平でないが神は公平、神の愛・一致を広げること、教会はその印となるように、証を与えれば与えるほど連帯が強まる、イエスは他の人に押し付けをしない。祈りの後グロリアの歌。17:28これから神父に着替えてもらってミサを開くことにする。
17:40〜ブラジルの方々の教会の歌の後、4旬節第2主日のミサ(司祭?:英語他):イサクの子の話、タボル山での変容の福音、説教:変容と十字架の意味が弟子達には分からなかった、自分の栄光の為だけではなく、また何故この3人か、(拒んだ)ペトロ・(小教区の人を現している)ヤコブ・(愛の人は適切でないことを口走った即ち私達を現している)ヨハネ、十字架の上でイエスはあなたの母・子を見なさいと言った、そこでそうした、愛の頂点にて、ヤコブがイエスを、ヨハネは私達を代表する、この2人の母である聖母が実行した、その後愛の使徒になってイスラエルの各地を回った、そしてそのための権力を欲しがったがイエスはそれは神の意志ではないと言われた、イエスは父に何故見捨てるのかと言われた、最後の晩餐のイエス、十字架の上のイエス、全てがイエスである、タボル山のイエスも、しかしこれはゴルゴタへの道だった、イエスは十字架の上で罪の為に苦しみ、父は愛の為に苦しみ、母も苦しんだ、然しどちらの苦しみが強かったか、どちらでもなく復活が行われた。・・・。19:00ミサ終了。19:30夕食時、ヴァッスーラやUSAの人達と話す。20:35〜イタリアのカトリック大司教のミリンゴ・エマヌエル大司教の癒しの祈り(面白い話:英語)。21:45〜ミリンゴ大司教・Fr. Teofilo・ヴァッスーラ・Fr. Henryにより全員が一人ずつ癒しを受ける。22:50終了。 3/20 06:35〜朝食時、英国の神父と話す。07:55 TLIG会場へ。08:25音楽(聖歌)。

08:45〜エジプトのモーゼス神父の紹介と話:@AD1世紀に聖マルコが創立したコプティック教会、東方教会・アルメニア教会との交流が多い、この3つの教会があった、ケニアも、A神に感謝、皆でここに集まれた、B1つの模範、一致への理解を与える、ここに1つの椅子しかなかったら病気・年寄りに先に渡すが皆疲れるので交代するだろう、やはりイエスに座ってもらうべきだろう、彼は王であり、司祭である為、また預言者である為、Cマルコ(?)13章、先ず12-1に一致について書いてある、賜物より更に優れたもの、愛が無ければ意味が無い、イエスの愛は全て、私達も愛しよう。08:55司会の呼びかけ:イエスが愛したように愛しよう。ヴァッスーラの小冊子の紹介:愛についてのイエスの言葉、主の心はどんなものか、愛と慈しみの大海、手放せない心、燃える心、心は光、イエスの愛は永遠に続くもの・聖なるもの、イエスは来なさいそして玉座を分ち合おうと言う、約束してほしい、謙虚であってほしい、イエスの心を理解したいと思うが実はまだ進行中、ここでスイスのフリューズ神父に話してもらう。
09:05〜神父の話(仏語)(通訳者に英語が聞こえない為原稿の訳):女性の司祭についての質問は刺があり分裂を狙うもの、女性もキリスト自身の行為から続く教会の伝統に従っている、男女平等、今や差はない、女性の叙階と平等の問題の区別、男性の領域の上に成立する、女性嫌いではない、女性とは何か、男性とは何か、例を言う、オーケストラの太鼓は撥が必要、その棒が男性的で男性がドラムの皮を打たないと音が出ない、棒とドラムの出合いから子供である音が出る、調和ある音が9ヶ月後に生まれる、一言で言えば男性は生み出し孕ませ女性は受け取り孕むことで完成する、生み出すことは存在であり棒だけでも太鼓だけでも音は出ない、別の例を言う、ソーシャルワーカーがキャンプに連れていった場合まず男子がテントを作り後は女子が中の居住性を高める、つまり男は生み出し女は受け止め孕む準備をする、女性の卵子は生まれたときから備わっているが成人になるとそれが月に一個出てくる、精子は後から・成人になってから作られる、卵子は初めからある、従って女性と男性は違う、キリスト教はこの生み出す・孕む宗教である、司祭とは生け贄を捧げる人、大祭司はその中で最上位の人、原始種族では女より男が動物を殺す、このような残酷な行為は男がやり生あるものを死に至らしめることは生み出すことの対称としてある、オーストラリアのある種族は血を流さずに殺すがやはり生け贄を作るのは男である、キリスト教での生け贄は今や血は見ないが司祭の手を通して捧げられパンと葡萄酒は肉と血に変えられる、この聖変化をさせるのは男に相応しいもの、司祭はキリストに成り代わっているのでこれは私の体と言い罪を許すと言うのはキリストの人格と一体になっているからである、従って男がやるのに相応しい役割である、恵みに関して言えば司祭を男に限ることも一つの恵みである。09:35ヴァッスーラの話:立って下さい、イエスはここにいます、あなたの中にいます、キリストと一体になって・友人となって話し掛けて下さい:私の主になって下さいと、私の人生を預けますと、私の主・友人・親友として愛して下さいと、キリストを賛美しよう。アラビア風音楽。アルメニアの司祭の紹介:リスボン生まれでフランスから来た。次はミリンゴ大司教の紹介:ザンビア出身でローマにいて巡礼者の世話をしていて大司教の癒しはイタリアから更には世界的に有名。
09:50〜ミリンゴ大司教の話:今皆さんと一緒に聖地にいることで大変嬉しい、ヨハネ17-22〜25、私があなたと一致すること、さてここで概念的一致と基本的一致について話したい、例えば体の部分と部分の一致ではなく個性・人格を含む一致、IDカードではない、IDカードは亡くなっても精神的な私自身・父母からの存在の私自身は亡くならない、聖化された同じところから発している、聖書は一つ、あなたは私の中にいるとイエスは言っている、神との一致、心と霊魂の一致、私を遣わした人を信じること、イエスは油注ぎをされた、ルカ18-61、キリストは福音を伝える人、キリストに基づく教会の基本、召し出しに応じること、自己打ち消しの上に、霊の一致、これまで解決を先延ばしにして来た教会、主は一人、御父は一人、エッセンスに基づく一致、イエスは主がご自分を表わす為に来た、三位一体からイエスが人として来た、御父はイエスを通して私達を見ておられる、教会はイエスが作られたもの、私達は一つの民になる、一致を命じられている、御父はイエスを人類を一つにする為に遣わされた、一致しないと悲しまれる、今教会はお互いに相手を壊そうとしている、フィリポ2章で言われている、確信を持って一致するように、相手を潰すのではなく相手の益になることをやろう、プロテスタントという言葉は信じられない、誰にプロテストしているのか、私達は別れた友人と言っているが・・・、皆が兄弟なのに、今は兄弟の中にいて楽しい、有難う。10:08司会のコメント:深く印象づけられた、大司教有難う。ヴァッスーラ:まだ本が沢山ある、10:30までコーヒーブレイクにする。
10:35ルネ・ローランタン神父の紹介と話(仏語):原稿を少し短くして話す、三位一体について、ヴァッスーラは三位一体について生きている、(途中まで古沢の訳が読まれた、その後は英語の原稿の訳、全訳を依頼されているので後日訳す予定、ここでは大略概要を記す)。先ずヨハネ パウロ2世が選出されるまでのエピソードの紹介。@初めにシナイ山でのモーセへの啓示:神はギリシャの哲学者達に発見される前に千年紀に向けてbe動詞を通して御自身を現された、新約聖書の最後にヨハネが最後の言葉を発した:神は愛であると、モーセに現された神は御自身の側ではなく私たちの側におられる、彼は真の神として彼と共にまた彼の中に同じ生命と同じ存在を分かつその子を永遠に生まれさせて、彼等(御自身とその子)を結合するこの親密な取り交わしが第3のペルソナ・彼等の契約・彼等の真の愛・聖霊である、神はモーセに対してただ一つのヘブライ語の単語”EHYEH”.「私は在る」によって全てを言われた、黙示録の最後で自分の一生を3語:「神は愛である」で語った、神は本当に最高の存在・絶対の存在だが存在の頂天でもそれほどの知能でも力でも愛としての密度でもない、最高の存在は愛以外は何もない、それは存在の最遠の神秘・神の神秘である、何故ならば3ペルソナの間の関係は神の存在を増やす事はなく最高の一致を構成し・最高の愛の存在だからである、丁度1人,5人,10人の子供の母はただ一人の母であるのと同じである、神は御自身で全てを最も簡単で最も具体的な文章「そこにある」に要約する、何故ならば愛よりもっと具体的なものももっと啓蒙する何ものもないからである。A神学全体を照らす光:神は愛以外に何もなく愛故に創造する、私が神学生の頃は非常に神学的だったが真の神学では全てを考え直す必要があった、神の愛に信仰をおくこと、神学は愛を言っていること、贖い、人類を救う為に愛が人を作ること、人は友人の為に命を捨てるという交換の極致に行けること、イエスはそれを実行した、教会はキリストの神秘体・葡萄の木の中の人類の一致である、イエスは私は葡萄・あなたは枝と言う、そしてあなたは私の中に・私はあなたの中にあるとヨハネ福音書で繰り返し言われている、更に秘跡中の秘跡としてご自分の体と血を与えられた。B霊性を照らす光:もしこのように神学全体が愛に基づいて完成されるならそれは霊性光そのものである。C哲学に注がれた光:私は2つの哲学の博士号を取ったがその時ジャック・マルタン(Jacques Maritain)氏からトマス哲学を教わりアンリ・ベルグソン(Henri Bergson)氏から最終的には神を発見させてもらった、全てはBC450年のパルメニデス(Parmenides)から始まった、彼は無は無・無は有り得ない・存在は必要・存在は一つ・存在は完全と言った、しかしプラトンやアリストテレスは深い矛盾を認識するようになった、自己愛・ナルシズム的な背信論に支配された、・・・、パウロの使徒行録の話。D人類に注がれる光:三位一体は人に対する光である。後は本になったとき読んで下さい。(時間が無くなったことによるが、原稿では、E源と宇宙を照らす光、F愛とは何か、G結論まである)(別の機会にヴァッスーラが言うにはローランタン神父の三位一体に関する生涯の研究結果が今年末に6000ペ−ジに及ぶ本として出版されるとのこと)。11:10司会:あなた(イエス)は光・愛・土である。さあ音楽(アラビア風)を。
11:15〜イタリアのロシア正教会の司祭のFr. Vladimir Zielinskijの紹介:元々ロシアの大学のフランス文学教授で、TLIGにはジャーナリストとして関わってきて1巻目の序文を書き、数ヶ月前に助祭になった。神父の話:ニコラス・フェデロフの話、19世紀の思想家で、彼は人類の本質は三位一体と言っていて、現代に再興されている、三位一体に自分を引き入れる沈黙に入ろう、神秘に生きること、把握し切れない神秘を通して恵みを受けること、神の深淵のビジョンは共通しているもの、理解は別でも、見えるものから見えないものへ、ヨハネ1章、神を見たものは一人もいない、キリストに自分を現した、キリストは羊の檻の門であると言われた、キリストはビジョンへの門である、もっと近付き手に触れるくらいに、更に近付くと深淵となり掴めない、説明することも出来ない、しかし人間らしくさせて貰っているのはこの深淵に基づいている、それは覆われている、覆いを取り除くことは困難、死の前にここに来る、真に人間らしいのは使者である、しかしこれは解き明かすべき謎ではない、闇に馴れた人には見えないが光がそれを明らかにしてくれる、光は愛、光は顔、キリストの言い方で言うと誰でも隣人と見分け世に公に話すことになる、キリストは話しているので聞くことが出来る、神は存在、キリストは神の象り・人類を構成している・道程である、キリスト者は19世紀で終わりと考え20世紀は別と考えていた、しかし21世紀はまたキリストの世紀、彼は思いがけない形で現れる、歴史上の危機に現れる、人間がキリストを作ったのではなく御父が作ったのである、聖霊を見ないで信じるものは幸いと言われた、ユダヤ・イスラムが神を信じるのは同じ、・・・。
11:44ヴァッスーラの話:私達からの見方でなく(イエスに)一致について話してもらう、主は何時もおられる、丁度今USAのギリシャ正教のユージン・パパス大主教が到着した、イエスは一緒に旅を続けたいと言っている、イエスにしっかりと掴まっていて下さい、主は思いやりで慈しみで私達を救ってくれる、TLIGを読むと分かると思う、イエスはご自分を現示されている、ベールをちょっと上げるだけで良いのですと言うとそうしましょうと言われた、αでありωである、表現できない現存を感じ・力を感じ涙が出た、そこでイエスはまた言われた:ベールを剥がすとあなたは死ぬほどになるのでベールを掛けているのだと、霊的に死んだ人が沢山いる、再生しなければならない、イエスは善と悪を見分けさせてくれた、これ以上何を求めるべきか、聖霊の力を感じよう、イエスは第2の聖霊降臨と言われている、もうペンテコストが始まっている、死んだ人の臭いが天に届きそう、しかし回心した人から聖霊の力を与えられた人は生き返る、私達が集まったのはヴァッスーラやジョナサンの力ではなく聖霊の力によるもの、聖霊を保持して下さい、虜にして下さい、私も支持する、松明となって導いて下さい、聖霊によらなければ生きる道はない、それ無しでは乾燥した骨になる、埃になる、私達は真の回心へ招かれている、皆自分に対して死に霊によって生きるのである、即ち生まれ変わるのである、親しい友としてあらゆる物事を教えてくれる、甘美な愛として聖霊を通して神を知るようになる、神のことについて読む人は多いが親密さを持って接することが出来る人は少ない、主への畏れは一つの智恵である、それから逃げることなくついて行くように、神の口元から出る言葉を聞いて更に深く感じること、霊魂は生命、小さな者よそれを認識するように、神への愛、友人への愛、・・・、神は自分でTLIGと名付けている、・・・、御父にまみえる為には私を通して生まれ変わらなければならない、生まれる前に御父を見た者はいない、兄弟姉妹よ神の利益の為に仕事をしているなら覚えているように、神の与えている物に気付くように、使者になるように、眠気の後何ですかと聞くようなことにならないように、アーメン。神に身を任せ、神を称えよう。有難う。この後、西語・独語などで同じ事が言われた。更に、仏語で「天にまします・・・」を20人くらいで歌ってくれた。12:33AM終わり。昼食時、フランスの神父と話す。その後、買い物。14:50頃から英語訳付きの西語による教会軽視に関する話あり。15:05アラビア風音楽と井上さんの即興踊り。15:13教皇様のヨルダン訪問での体調の報告あり:昨日はあまり良くなかったが今日は良くなった。祈り。
15:18〜スペインのカトリック司祭のMgr. Gonzalesの紹介:神父はギリシャ語も話す。神父の話(訳注:英語が難解で趣旨がはっきりしなかった):西語で話す、さて告解の、諸教会の解釈の違いについてのある話、トラックという人がアイスランドに住んでいて妻や子供達への扱いが悪く最終的に家族を殺してしまって逃げたが火山の噴火で証拠がなくなり批判できなかった、しかし精神的に責められて気楽になりたい為にロッテルダムに行って聖公会(プロテスタント)の告解に預かった、それでも安らかにならなかった、東方教会に行ったら罪の大きさの為に教会で働くように言われた、電気もない修道院に連れて行かれた、ここで断食と祈りを続けるように言われた、許しは与えられるにしても大きな代価を要した、退散して遂にローマ・カトリックの告解場にたまたま入った、・・・、[途中居眠り]、・・・、東方教会の話、三位一体の考え方にも違いのある話、東方教会では国家間を越えた教会を含む会議はこれまで何度も駄目になってきた、・・・。15:58音楽。
16:05〜ニューヨークから着いたばかりのUSAのギリシャ正教のEugene Pappas大主教の紹介と話:何か書くように言われたが書いていない、殆ど来れないところだった、JFKで今晩はオーバーブックで明日にしてほしい400ドルのホテルにディナーをどうぞと言われた、また悪が誘惑してきた、バッグの2つ目が400人分出ても出て来ずさて困ったと思ったら最後に出て来た、6〜8世紀に200年間の迫害があった、イコンが許されなかった、それでも人々は隠し持っていた、イエスの象徴でこれを否定することは許されないのである、イスラムも同じ神を信じているがイエスを認めない、しかしイエスと神は分けられず教会も分けられない、羊は宗教、しかし羊飼いは見ていない、羊飼いに窓もドアも開けるように言いたい、ヴァッスーラは神を排斥したところから招くように言っている、羊と山羊は群になっていて分けられない、抵抗できない、心の中にスペースを作ること、新しいものを入れるには新しい煉瓦と粘土でしっかりと作ること、自分を小さくすること、神の前にて、5,6年前に世界宗教会議があり良いスタートだったが今現実を見ると1000年は待てない、1977年3月に中近東で始まった・西ではなく中近東のシリアで、キリスト者にはすごいスキャンダルだったそれはルーテル・東方・カトリックの話し合いで2001年から復活祭を統一する方向になったのである、その後「春の過ぎ越しの次の満月の次の日曜日」に決った、世界中が栄光に包まれることになる、これまでバラバラのカレンダーだったが統一されることになったのである、一週間前に決ったばかりである、もう対話ではなく主に祈るしかないのである、人々が一緒に祈るのである、今ではどの教会でも祈れるのである、ローソクの本数も同じである、深い理解により教会に変化が見られるだろう、絶えず成長すること、聖霊が働きかけて、旧約聖書に書いてある:今は次の時代・聖霊の時代、愛と一致についてあなた方はパン種である、小さくて良い、何故あなたヴァッスーラが選ばれたのか、あなた方は海水浴をしていても良いのにここに集まっている、あらゆる人種や宗教の聖職者が集まっていてもう忘れないだろう。16:33大主教が各聖職者と抱擁し、アラビア風音楽の中にコーヒーブレイク、16:55聖歌。
17:03〜ヴァッスーラの話:徳の母の上に教会が再興される、娘よあなたは十字架を掲げるかと言われたのではいと言った、それが何を意味するのか分かっているのかと言われた、それは聖霊が助けてくれて徳の母の上に教会を建てることと答えるとそれは良く言ったと言われた、それでもまだ足りないが更に実行のこと・その上で徳の上に教会を建てようと言われた、最初の一致を復活祭の統一でやるのは誰か、分裂は悪、サタンである、毎年毎年放置するのはサタンの仕業、対話ばかりやっていても駄目、パンを分ち合ってほしい、愛の欠如は隣人のみでなく神も失わせている、悔い改めの一致を、外からでなく中から、イエスへの反論:教会の掟を守ること:では不足、真理に根差しているなら説明せよ、心の中が戦争状態にあると戦争が絶えない、和解、自己放棄、・・・、あなた方は口で言うことを守っていない、平和を取り戻すとは神との和解も言っていると言われた、この言葉の意味が分からなかった、良く考えてみると神と戦争していたのである、幼子のようにあるべき、霊的に死んではいけない、見ないで信じるものは幸い、肉は肉、・・・、自分を正しいと思っている、分裂と傲慢をいつまで許しておくのか、悪への王国を崩すこと、平和を取り戻すようにというみ旨に何時まで反しているのか、栄光を恥に変えている、見たくないものが見え聞きたくないものが聞こえる、自分を堕落させている、私達は心を入れ替え一致により強くなること、謙遜、お互いを誉めていても進歩なし、イエスは全てを見ておられる、神に頭を下げよ、声を聞け、その為に自分の声を小さくせよ、叫びは天からのものである、不信と頑なさでイエスを再び十字架に掛けている、イエスは我々が如何に御父に背いているかを言っておられる、分裂は悪魔を主人とし、その主人に機会を与えないこと、神の力は善意が源、不信の演説を止めよう、キリスト教精神は聖霊である、愛の欠如・・・が司祭に向けて言われている、アベルのような犠牲・・・分裂の杯を何時まで飲むのか、これまで御父に我慢してもらって来たが復活祭を一致させるように頼んでいる、その努力に私はあなた方を神に崇めよう、心の扉を開くなら聖霊の光によって、子供のように私に従うこと、教会を忠実に擁護するのは誰か、霊的な戦いを、強い心のみを持って、真の知識は神を知ること、一致は霊のうちに行われること、まだ話すことは多いがここでダンスに入りたい。17:34。今日はここでミサをやるので静かに。連絡:ロシアで選挙が始まっている、神に返ることをミサで祈りたい、独語の福音を、仏語も、地元の人は教会でも、ミサの行列は天国への凱旋を意味する。ブラジルの皆さんの教会の歌。
17:55〜ミサ(司祭?:英語他):聖ヨゼフの祭日には是非ロザリオを祈って下さい、聖母マリアの受胎、夫とは恐れ多く言い難い、聖母マリアとヨゼフの間の子ではないので、ルカ10章、悪霊はイエスに対しては力なし、しかしヨゼフにはもっと光を当てて良いと思う、近頃このことを忘れている人が多いので改めねばならない。19:25夕食を兼ねて井上松永さんとのお別れ会をやる。20:55 Fr. Teofiloの導入による癒し、ミリンゴ大司教・Fr. Teofilo・ヴァッスーラ・Fr. Henryが各人への癒し。22:25終了。

3/21 06:35〜朝食は特記なし、チェックアウト後07:48バスにてナザレに向けて出発、榊原氏からイスラエル人の習慣や学制の説明を聞く、08:23〜09:08ラザロの墓と教会を見て(聖書)、イエスの子供時代のエピソードを聞きながらヨセフ・聖母マリアも通った道を進み、10:25〜10:55エルサレムの旧首都で12部族の集まった遺跡のあるシロを見て、更に進みながらサマリア人の話を聞き(聖書)、11:27〜11:45ナブルスのヤコブの井戸(建造中のギリシャ正教の教会の中)に行き水をのみ、12:12〜14:00北イスラエル王国の首都の遺跡のあるセバスティア山にて昼食、BC2世紀の遺跡を含む城址を見る。ここからはギリシャ人8人の車が不調で我々の9号車に同乗。途中モスクのある町をいくつも見ながらドタンを過ぎ、創世記37章(聖書)を読んだりしてジェニンを通りエズレム地方に入り、遠くにギルボア山、ナイン、カルメル山、メギド、タボル山を見て、15:21〜16:00ナザレの新しいルネッサンスホテルにチェックイン。16:15〜17:00お告げの教会、聖ヨゼフ教会を見て17:05〜18:10お告げの教会にてミサ(司祭?:英語)。19:00〜夕食時はサーロフ氏達の話を聞いたのみ。

3/22 07:05〜朝食は特記なし、07:55出発、イエス突き落としの山、ナインの村、ナザレの町を見て、タボル山の説明を聞きマタイ17章(聖書)を読み、08:27タボル山下にてタクシーに分乗して08:37山上に登り、イエス変容の教会(カトリック)を見て、榊原さんとヴァッスーラとの出合いの話を聞き、同(ギリシャ正教)まで歩いてミサの説明を聞き、10:20〜11:45ミサ(ギリシャ正教の司祭:英語他の通訳あり)、タクシーに分乗して下山しバスにて12:15ホテル着。13:05〜昼食時は特記なし。
15:10〜20:05ホテルで各国のTLIGの活動状況報告会あり。最初はヴァッスーラの話あり:パパ様への贈り物の紹介、1$/人の献金要請、?さんの紹介、パパ様のギリシャ訪問、パトリアック大司教のヴァチカン訪問など。各国の報告は5分ずつの指示にも拘わらず長くなる国もあり、同時通訳がなく英語以外は分からなかったが、3カ国目からは司会による英語の要約があって、分かったのは良かったが時間がかかり、終わりの方は3分/国になり、説明なしになった国もある。15:48スタート。
†スイス(仏語):?。15:57〜3つの団体はインターネットでも見れる。(15:58)
†ポルトガル(仏語):’92から翻訳していて3巻まで発行済み、4巻目が出来たところ。(16:08)
†ブラジル(ポ語):ミゲール神父の参加に感謝、TLIGのメンバーが町毎にいる、全てが翻訳済み、定時ラジオ番組あり、一致のミサあり、祈りの会は組織化中、教会に来れない人のためにも会を開いている、しかし難しいところもある、まだまだ努力要、ヴァッスーラのカリスマ性を説明したニュースレター発行中、250グループあり、更に増えている、TLIGのブラジル大会は2年前から4回やった、今回の出席者は48人。(16:18)
†インド(英語):この計画に問題なし、神父も来ている、デリーで大会を開いている、偶然でなく神の意志である、しかしカトリックの5%と少数派である、40グループあり、聖霊の働きにより頭がクリアになる。(16:24)
†USA(カトリック側から病気だったボブさん):TLIGは5年前から、’99-3月のヴァッスーラ訪米で大成果あり、この時組織化した、教会への拡大・一般社会への拡大・各組織の纏めと家庭的な会の運営により増えている、小冊子を作って友人に送る方式で広めている、ビデオも販売中、160団体、今回の出席者は最も熱心な人達、最長は8年、500人の大会もあった、聖職者は少ない、ミネアポリスやマサチューセッツでは教会で、最新のパンフレットは1万部、テレビのネットワークもある、皆で祈りと歌を、恐ろしいのは十字架離れが拡大していること、しかし私の回復が証である、全世界からEメールの励ましあり、聖霊の働きに助けられている、「私はいる、私を必要とするところに何時でもいる」とのメッセージを貰った。(18:44)
†USA(正教会側・仏語):最近の動きでは’99-11月教会がヴァッスーラに扉を開いたこと、特にニューヨークでは全ての教会が。(18:46)
†ギリシャ(英語・もし英語が間違ったら聖霊に直してもらう):500人、本も発行、1500部の新聞を発行、’98-7月小さな会を開いてビデオを見せたのが始まり、ヴァッスーラにも来てもらった、9月に組織化、アテネでの大会はジャーナリズムにも注目された「神は他の植物を育てる?」、テレビ放送後要望が強くて2日後に再放送された、正教に関しては説明された通り、諸島に付いても広めている、組織としてはエジプトなどの他国との交流もやっている、’99-6月にはアコのサンタマリア教会にて大会を開いた、本は必ずしもギリシャ語にしなくても読めるので・・・、4時間のヴァッスーラのビデオを作った。(この後仏語説明あり。)(17:00)
†イギリス(マリーハリソンさん):TLIGにて神に祈ろう、国毎に活動していて正確なグループ数は言えない、司教も参加している、大会は毎年開いている、ポスターを公共に貼っている、バーミンガムでは100団体が展示中、1000人のカトリック聖職者がTLIGを支持している、ニュースレターやパンフレットも、’99-3月からはインターネットのホームページも出している、一般の宣伝費は高い、3000ポンドもかかる、出版物の宣伝は600ポンド、簡素化したポスターでもバスに出すと2000ポンド、兎に角お金がかかりスポンサー探しも重要、現在38教会と各家庭の会にて活動中、マリア様の像を家においている。(この後新しい本の紹介と仏語訳あり。)(17:14)
†メキシコ(西語):グァダハラでは15グループ・117人、ガダルーペではイタリア人神父が支援してくれてる、メキシコとベネズェラの2人の司教の対話あり「神の仕業は止まらないとのことであるが、本のみならず、もっともっと拡大しなければならない、バングラデシュ・ロシア・・・、バルク(祝福する) アシェム(名) アドナ(神) バルク アシェム エドヒム」と。(17:27)
†ベネズェラ(マリアさん・英語):’98ヴァッスーラが来たのが始まり、メッセージを何処でも受けて広げてくれた、毎日5分でも良いから読んでその後確認すると聖霊が働いてくれる、ミサの中でも、聖霊に感謝、沈黙が重要、本はキリスト教雑誌に載ってから大きく広がった、180グループあり、スペインから本を送ってもらって14000部売った、インターネットに載せたのもバングラデシュに続いて2番目に早かった、自分では3月1日に60人の会を開いた。(?司教・西語):私は最初の本から読んでいて神から来ていると信じている、カラカスでは今日では200グループある、ラジオ放送も始まった、サントアーリオでは国としての大会を開くことになったというビッグニュースあり、9月のヴァッスーラの来訪時は3000人が集まった。(17:40)
†フランス(仏語):小冊子、CD、ビデオ、200以上のグループ、40000部以上の本、6回のヴァッスーラの来訪。(17:48)
†スコットランド:4年前にバングラデシュからヴァッスーラが来訪、2年前にも、2年前に大会を開いた、ダブリンでも、そして6ヶ月後にイエスが教会の扉を開けた、5人の聖職者の支持あり、今回も参加している、エジンバラでは大きな国際大会を開く予定、これにはアフリカやペルーからも参加する、テレビでも放送するように準備中。(この後仏語訳あり。)(17:54)
†アルゼンチン(西語):困難、北部では新グループが結成された、ボリビアでもグループ化中、第1巻を売っているが小冊子も作って情報を流している、翻訳は第7巻目をやっている、これまでよりもっともっと必要、尚、正教会の人にも入ってもらっている。(18:01)
†ロシア(ニコライ神父・英語):3時間の対話(DoかNot doかに付いて)、ロシアでは少数派、ヴァッスーラはロシアに3回(カトリックと正教に)来た、この運動は珍しい方法で始まった(ここから仏語に変わった)、即ちグループ内のシスターがTLIGの話をし始めてヴァッスーラを招くことになったが、気楽に行くよと言われて2ヶ月しか準備期間がなくて大変だった、(ここでヴァッスーラがロシアに行くことになった経緯を説明したが仏語で?)、1000部のコピーを発行したが今後カトリック中心から正教への拡大が必要。(18:17)
†バングラデシュ(英語):バングラデシュでは貧しいため祈る家探しから必要、1億2000万人の人口のうち大部分がイスラム教で15%がスラムに住んでいる、活動概要はインターネットを見て欲しい。(18:21)
†イタリア(英語):イタリア語の出版は?、ビル・アントニオの支援もあり2グループに組織化して祈っている、ヴァッスーラは2回来たが拡大は難しい、ヴァチカンから600mのところで大会をやった、ヴァッスーラの話と癒しがあった。(この後バッスーラが仏語に訳した。)(18:28)
†ザンビア(英語):3人出席(ミリンゴ大司教他)、周辺の国も含めたラジオ放送あり、今回が初めてのイスラエル巡礼である。(18:34)
†インド(バプティスト教会側・英語):’99年に何回かヴァッスーラに会った、一致を目的とするこの会に参加して「神は一つ、即ち一致すべき」と確信している、新ミレニアムに当たってヴァッスーラのこの会は大きな成果である、私達バプティストへの祈りもお願いしたい、聖書(TLIGの本のことか?)の現実性も得られた。(この後仏語訳あり。)(18:39)
†インド(カトリック側・英語):’97年に三位一体・’98年に一致・’99年に和解と目標を決めて拡大して来た、ここで新ミレニアムに当たって今大会が開かれたのは大変良かった、’98年に3人の聖職者が参加したその話を聞いて、ヴァッスーラにインドに来てもらい、ここに出席した、現在TLIGのヒンズー語訳を考えている。(この後仏語訳あり。)(ヴァッスーラから、広島の仏教僧を招待したが参加出来なかった為メッセージが来ているとのお知らせがあって、更にこれからは3分/国にするとの話あり。)(18:45)
†ドイツ(英語):

3/23カナの教会(結婚の再確認をする事で有名、カトリックとギリシャ正教の両方ある)経由、地中海側のアコの旧市街を見て、カルメル山の下の教会でミサ、ガリラヤ湖畔のホテル。

3/24日本でも報道されたパウロ2世によるミサ。(垂訓の丘の上の方で10万人との話だったが実際は13万人集まったとも言われている。通常ならバスで30分で行けるところだが、前日からものすごい警備で、予め許可証を貰った人しかミサの会場に入れないが、それでもホテルを5時出発で8時前に運良く一番近い駐車場に入れて、約30分歩いて会場の所定の場所に着き、前夜から朝までの雨で泥んこになった足場の悪いところで2.5時間待って、11時からミサ、13時過ぎに終わって昼食のレストランへの船着き場に着いたのは15:40で、次の船を待っていたら夕食に近くなる為、諦らめてホテルへ戻ったという大変な行事でした。それにしても、世界中から集まった為、我々のグループの約70人の聖職者でも全員は教皇と同じ祭壇には並べず、20人のみという事で、前日の夕食後に抽選会があって、当たった・外れたと聖職者といえども子供のように大はしゃぎで、これはこれで大変面白かったのですが、兎に角2度と経験できないミサでした。)

3/25ペドロの教会をみて、その前庭でミサ、船で対岸のエンゲブへ渡り昼食(ペドロの魚)、ガリラヤ湖南端のヨルダン川の洗礼所で洗礼の更新(信者のみ)をして、ホテルでヴァッスーラの話を聞き、最後の分ち合い。21時から毎時出るバスのうち、それぞれのフライトに合わせてバスで帰途につく。22時発の日本人(アムステルダム経由)を見送って、一眠り。

3/26我々夫婦は4時発のバスでテルアビブへ行き、ロンドンへ。長旅と24日の疲れで女房が風邪をひき、せっかくの2泊はホテルで寝ていた。3/28やっとの思いで、念願のリバティとローラアシュレイの本店に行き買い物をし、18時発のNHで帰国の途に。3/29の13:35成田着、17:45帰宅。

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A Pilgrimage to Israel

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Prepared by Toshihiro Furusawa on December 3, 2002. Last update: Dec. 3, 2002.