エジプト巡礼


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古沢 俊博

私はTLIGという祈りの団体の一員として女房と参加して、2002/10/20〜11/2に昨年から決まっていたエジプト巡礼旅行をしてきました。

シンガポールで乗り継いで、この待ち時間に同行の神父にミサをやってもらい、ドバイでワンストップして、21日朝に、カイロに着き、早速、エジプト考古学博物館を見ました。ホテルはメリディエンピラミッド2泊で、ピラミッドを見ながら食事出来るところでした。夜までに世界43カ国から288人が集まり、そのうち聖職者が40人以上いて、2年前のイスラエル巡礼旅行(450人のうち70人が聖職者)ほどではありませんでしたが、やはり当時から知り合った人たちにも再会出来て、楽しい旅行の始まりでした。

22日は二つのコプト教会を訪問し、聖家族がエジプトに逃れていたときに一時隠れていたというところを入り口から覗き見て、一つのギリシャ正教会でミサが行われました。

23日はピラミッド・スフィンクス・パピルス工場を見て、砂漠を横切り、スエズ運河をトンネルでくぐり抜けて、シナイ山の麓で一番新しいシノプラザホテルに入りました。夜遅く着いても、ミサがあり食事をして暫くしたら、24日の01:30のモーニングコールで、寝る時間がないまま、2時にホテルを出て、05:45頃の日の出までに2285mの山頂まで登りました。女房は他の足に自信のない人と同様に、登らないことにして寝ていましたが、かなり急斜面の岩山で、寒いということもあり、登り始めても頂上まで行けずに帰ってきた人もかなりいました。しかし、私にとってはこの日は懐中電灯も殆ど要らないほどの月夜で余裕がありました。9時頃下山して、朝食もそこそこに、ギリシャ正教の総本山級の聖カトリーヌ修道院に行き、グループにギリシャ正教の大主教がいたため、通常見せてもらえないところも見せてもらいましたが、ギリシャ正教以外の人が多いために中ではミサをやらせてもらえず、屋外でのミサになりました。ホテルを夕方出発して、世界的に有名な海洋リゾートのシャルムエルシェイクへ行き、やはり新しい、コンコルドホテルに2泊しまし た。

25日は日本人19名とカイロの日本人ガイドの20名による日本から同行した神父によるミサをしてもらったり、これまでゆっくり話も出来なかったために、これまでの話を通訳にまとめて聞いたり、TLIGの会に参加したりで過ごしました。合間に泳いだ人もいます。私は外国の参加者との分かち合いもあり泳げませんでした。26日はせっかくの綺麗な海を前にして泳がない訳には行かず、朝食前に一泳ぎして、朝食後は、船底がガラス張りになっている観光船に乗り珊瑚や熱帯魚を見て、午後のフライトでルクソールへ行き、ソネスタホテルに2泊しました。ミサは夜に日本人のみでやってもらいました。

27日はメムノンの巨像に始まり、王家の谷に行き、ツタンカーメンの墓の他、代表的な三つの墓を見て、アラバスター加工場を見て、ルクソール神殿とカルナック神殿を見ました。ミサは夜に日本人のみでやってもらいました。28日は前後を護衛車で守られながら、カイロへ行きましたが、途中一般の観光客には許可されていないモハラッグ修道院にいき、そこのコプト教会でのミサに参加し、聖家族が逃げた最南端の地に立てられたコプト教会を見て、エネミニアのアトンホテルで夕食を取って、夜遅く宮殿ホテルと言われるカイロマリオットホテルに3泊しました。

29日はザイトゥンのコプト教会でミサに参加し、34年前にマリアが出現したという教会に行き、聖家族が行って泉が湧き出したため、ここに留まったという所に行き、井戸や樹齢2000年というマリアの木を見て、夜はTLIGの会に参加しました。

30日は数少ないカトリック教会の一つでミサに参加して、モーセの聖書が流れ着いたという所にあるコプト教会に行き、聖家族が隠れていたという地下室や抜け道のある所を見て、夕方には、コプト教の総本山に招待されたため、ここでの式典に参加した。(このために予約されていた、ピラミッドにおける光と音のショウには行けませんでした) しかし、コプト教ではパパ様と言われる法皇級の人の演説を聴けました。巨大は教会で、我々約300人が最前の左側に座ったときは未だ他の招待客はおらず、こんなに大きな教会で寂しいと思っていたら、30分ぐらいで、3000人以上という席が全部埋まり、二階席も全部埋まり、通路にも一部椅子をおくほどの大きな式典でした。英語への同時通訳のイヤホーンが通訳にしか行き渡らず、何を言っているかさっぱり分かりませんでしたが、後で通訳がメモしたものを聞きました。31日は各国毎にどんどん帰国しましたが、日本はフライトの関係で、11/1出発なので、午前中は残っている国の人と分かち合いをし、日本人のみのミサをしてもらいました。午後は韓国料理、夜は日本料理またはインドネシア料理としました。11/1〜2は、往路と同じルートをたどって夜遅く帰宅しました。

そして、その報告を火曜日(11/5)にやり、今日(厳密には昨日の11/7)は定例の自宅での祈りの会を持ちました。

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A Pilgrimage to Egypt

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Prepared by Toshihiro Furusawa on November 23, 2002. Last update: Nov. 23, 2002.