中国の会社で働く4


大連市星海友好賞2004
(向かって左から青木龍男氏、陳全亮人事担当副社長、私)

Go down to the English part.

いま、中国の会社で働いています。さまざまなことを、さしつかえない範囲でお話しします。一人でも多くの日本人が中国で働かれることを望みます。

秧歌(ヤンコ)踊り

中国東北部には、昔中国北部で農作物の苗を植える時に歌い踊ったという秧歌(yang1-ge1=ヤンコ踊り、the yanko dance)があり、これはよく朝夕に公園で行なわれています。これをマスゲームとして利用した場面を見る機会がありました。大連市凌水鎮(12万人)の「第二届文化体育節」として6月始めの土日に海事大学の運動場で行なわれたもので、河口村の高新技術園区にある企業の方々がゲストとして招かれ、私はつてで特別参加したものです。運動場に「海燕高飛的地方」と書いた巨大な看板がかけられ、まず国歌演奏と国旗掲揚があり、各団体の入場式のあと、大連TVの司会者が紹介して、団体操(マス・ゲーム)として、女学生の波・男子学生の旗(大連第十七中学)、小学生(凌水中心小学)、母親の各グループのヤンコ踊りに似せたマスゲームがあり、すべてすばらしい見世物で、このあと昼食が出て解散。

翌朝(日曜日)は河口村の投資見学会があり、まずバンに乗り、これまであった高新技術園区を見て、次に開発中の聖島(小平島)を見て、凌水鎮政府の講堂で凌水鎮の説明、鎮長あいさつ、調印式を見て、星海広場の台北1+1で昼食をご馳走になりました。この夕方には大連理工大学の劉長春体育館で「文芸演出」(歌、踊りなど)もあり、途中まで見て帰りました。(2004.06.05.-06.)

大連TVの日本語番組に出演

大連TVでは2004年5月から、日本語番組が日曜日の昼12時から30分始まりましたが(日曜日22:30と月曜日14:00から再放送)、8月8日には私の仕事ぶりを10分ほど放送しました。7月末の中国(大連)ソフトウェア・情報サービス交易会や牛角山での取材も含めて、猪瀬一道さんが企画・取材したもので、最後は「山に登ろう」の詩で終わる、大変格調の高いものでした。テレビ局は200元を出したら韓雪梅からDVDに録画したものをくれたので、DVD(-R)に焼いて、お世話になったみなさんへ配りました。(2004.08.08.)

大連市の2004年星海友好賞を受賞

大連は毎年、大連市へ尽くした外国人に与える星海友好賞(星海友誼奨)の表彰式を行ないます。去年も同じような話しがあったのですが、その申し込みの夏のころ忙しかったので放っておいたら、今年の夏にはまじめな話しがあり、これこれの日は出席を予定するように言われて、9月29日に30人くらいの人たちと一緒に、夏徳仁大連市長さんから2004年星海友好賞(大連日報大連ソフトウェア協会の中国語報道を参照)を同僚の青木龍男さんなど22人と共にフラマホテルでいただきました(上の写真)。隣りに座ったのはロシアのトムスクから来た科学者ご夫婦で、その日には他に招待された人たちも含めて夕食会がシャングリラーホテルでありました。賞はメダルと証書(紙)をいただいただけで(大連日報には名前も載らなかった)、賞金などはありませんでしたが、賞を夏市長さんから貰う時に英語で「Congratulations!」といわれて、「Thank you!」と答えただけでも、今後もっと大連市に尽くそうという気になりました。これに先立つ26日(日)の夜は、大連広電中心(テレビ放送センター)で「大連市が建国55周年を祝う晩会」にも招かれ、「祖国を賛美する歌」などをたっぷり聞かせていただきました!(2004.09.29.) その後毎年12月末に行われるの星海友好賞授賞式と晩会には他の外国人と共に招待されています。(2006.12.21.)

米国の2003/2004年ベストセラー書籍「ダ・ヴィンチ・コード」について

偽せ札

中国ではお札は結構粗末に扱われていて、日本では考えられないようなシワクチャになったお札が沢山流通しているし、商店でもタクシーの中でも、お札をそろえもせずにバラバラと渡してくれます。今月はじめに、50元のお札を右側4分の1位がヒラヒラと切れそうになっているのをもらって、いつかビニールテープで抑えようと思っているうちに、このヒラヒラした部分を無くしてしまいました。日本ではお札の3分の2が残っていれば新しいお札に全額銀行で交換してくれると聞いたことがあるので、中国でもそうかなと近くの農業銀行へ行ったところ、半額しかあげられない、不満なら近くのもう少し大きな銀行へ行きなさいと言われて、中国銀行へ行ったら女性の銀行員がお札を定規で計って、やはり半額しかくれないと言う。(実はこの時、「半額しかくれないのはけしからん!」と行内に備え付けのご意見帖にコメントを書いてきました。)会社の同僚へいろいろ聞いたがよく知っている人はなく、仕方がないのでまた中国銀行へ行ったら、男性の銀行員がこういう場合用のプラスチックのキットを出してきて、その1つで計って4分の1より少し多く切れているので全額はあげられない、やはり半額ならあげるというので、この説明に説得力があったので、25元に交換してもらいました。

偽せ札も沢山出回っているようで、商店では渡されたお札を、お客の前でためつすがめつ、いろいろな角度から見て、電灯に透かしてある箇所の反射を見て、お客の顔を確かめたりします。私も上のヒラヒラお札事件があってから2週間後くらいに20元の偽せ札を確かタクシーからもらい、そのあとどこの商店へ行っても、魚屋でも、お菓子屋でも、昼間のタクシーでも偽せ札とすぐ分かって、もらってくれません。確かに良く見ると、紙がしわくちゃで強さがなく、印刷にも精彩がありません。中国銀行へ行ったら、中国の銀行の窓口には必ずあるお札の枚数を数える機械へ通してくれて、「ほら偽せ札でしょう!」と、枚数がマイナスで表示されるのを見せてくれました。(この機械は偽せ札発見器でもある訳ですね!)銀行では日本のように公徳心に訴えて、警察へ届けなさいと言ってくれないので、いろいろ考えた末、夜のタクシーで無事(?)使い終えました。国が大き過ぎるせいでしょうか、中国人は偽せ札に関する公徳心はあまりないようで、私もこの晩は中国人になりきりました。運転手さん、ごめんなさい、次回は警察へ届け出て、警官がそれを使わないように祈ります。中国では自宅に偽札をもらってどうしようか困って持っている人も多くて、偽せ札が日本の千倍ほど多く出回っている感じなので、十分注意しよう!(2004.12.31.)

会社の新年会の出し物は三句半(サンチューパン)、小品(シャオピン)、解放軍姿で

中国の民間芸能に相声(シャンション;1人、2人または大勢の漫才)、評劇(ピンチュー;東北地方で行われている普通話の京劇)、秧歌(ヤンカー;上記)などがありますが、三句半(サンチューパン)は4人が舞台の上で簡単な詩を太鼓とシンバルの伴奏と一緒に読み上げるもので、はじめの3人はそれぞれ5文字から8文字くらいで言い、4人目は必ず2文字で結論または滑稽な表現を言うもので、それで三句半と呼ばれています。12月30日に行なわれた会社の忘年・新年晩会で、我々中国人1人(全万洙)、日本人2人(馬場宏治と私)、アメリカ人1人(Brenton Newell)のチームで「大連のソフトウェア業界、ソフトウェアパーク、ソフトウェア人」(中国語)という題の三句半を行ないました。原稿は計画部(広報部)の中文科卒業の専門家、徐世輝さんが書いたすばらしいもので、内容は出だしから「(国家の)18号通達が光を放ち、(大連で)情報産業が隆盛を極める時、ソフトウェア母艦が進水し、出航!」(大連には中国第2の有名な造船所があり、旅順軍港も近いので、海運・海軍用語がよく使われる)というような、結構まじめなものでした。3週間前くらいから、昼休みに一生懸命練習しましたが、私には俗語や大連方言が多少入っていて難しく、私だけが全部を覚えきれずに、小さな紙に書いたのを持参の演技でした。結果は大評判で、原稿が非常によくできているせいもあり、社長から最優秀演技賞をもらいました。徐世輝さん、ピンインを付けてくれた劉爽さん、昼休みの練習にいつもさそってくれた全万洙さんに感謝します。(2004.12.30.)

翌年の忘年・新年会には、中国東北地方の田舎者をよく演じる趙本山(チャオ・ベンシャン)とその女性の相棒を主題に、台湾の女性歌手・林志玲などや、有名な広告が出てくる出し物をやりました。こういう出し物を、「小品」(シャオピン)といい、寸劇とでもいいましょうか。私は広告1でチャンチャンチャンチャンと京劇の音楽に乗って舞台に現われ、男性精力剤「蟻力神。誰用誰知道。」(イーリーシェン。使った人は誰でも知っている)という趙本山の広告をやるもので、みんな大笑い。次に、男性同僚と3人で女性歌手グループS.H.E.のふりをして女装で登場し、少し踊ったあとで、各自くるっと回って、「我[イ門]是S」、「H」、「E」といったのち、3人一緒に「IC、IP、IQ [上下]、通通告訴我密碼。厳粛点、打勧[口尼]。」(IC、IP、IQカードのパスワードは全て教えろ。冗談ではないぞ、まじめにやれ。)という、去年封切された映画「天下無賊」(天下に悪者なし)の中の有名なせりふをいうものです。演技の結果、人材資源部と我々招商部とがそれぞれベスト台本賞、ベスト演技賞に輝いて、はじめ我々が翌週の億達集団の晩会に出ると聞いて、私はお正月の帰国も31日に延ばしていたが、その後人材資源部が出るようになりました。我々の台本は1と月くらい前から同僚が2人で作り、演技の練習は3週間ぐらい前から昼休みにやり、女性衣装は長春路の大連劇団(1つ30元)、女性のカツラは二七広場の服装城(1つ35元)へ借りに行きました。この小品での演技を経験して、中国文化は奥深いもので、とても外国人は全体を理解できないものだと、つくづく実感しました。(2005.12.19.)

入社4年目の新年会はまたスイスホテル7Fの宴会場で行われ、の我が部門の出し物は解放軍姿で歌を3つ歌い、来年の抱負を語りました。まず小隊長に扮した部員が「報告首長!BSC列伍完卒、請首長検閲!」(「部隊長、報告します!BSC部隊(BSCは我が部門Business Solution Centerのこと)は集合完了、部隊長の閲兵を待っています!」)と部長に報告してから、歌は中国解放軍軍歌「向前向前向前、我イ門的隊伍向太陽、...」を「向前向前向前、我イ門的隊伍是BSC、...」などと変えて、次に以前小学生のころよく歌ったという「社会主義好、社会主義好、社会国家人民地位高...」を「軟件園好、軟件園好、軟件園的員工社会地位高..」などに変えて、また「風在吼、馬在呼、黄河在咆哮、黄河在咆哮...」で始まる歌を「...BSC在咆哮、BSC在咆哮...」などあとは「武漢の軟件園にも世界トップ500社から3社を入居するように努めます」などと来年の抱負を述べる歌詞に変えて歌い、大変な喝采を呼び、1等賞を取り、次週の億達集団(親会社)の新年会にも出ることになりました。私は解放軍の軍服を始めて着ましたが、ベルトは上着の上から締めて、両腕は下のシャツが見えるようにヒジまでまくり上げる、写真のポーズは右または左の腕ヒジを突き出すなどを習い、部門の同僚たち(ほぼ20歳代)は高校入学時に2週間と大学入学時に1か月の軍事教練を経ているのでこういう演出には大変慣れている感じで、また聴衆の社員は解放軍というと映画で見る姿と文化大革命に若者が中心だったころへのノスタルジアが多いので、大好評になったのではないでしょうか。(2006.12.23.)

中国の建築家・梁思成が奈良と京都を連合軍の爆撃から救った?

きょう(2005.01.14.)の中央電視台CCTV9(英語)「Around China」(Zhu Junが主持人を務める文化番組、06:30とあと3回再放送)で、中国の建築家・梁思成(Liang Sicheng)が奈良と京都を第2次大戦中に連合軍の爆撃から救ったことを放送していました。番組によると彼は東北大学や清華大学で建築学部も作った有名な方だそうで、解放後も数多くの建築を手がけ、中日戦争の末期に重慶の連合軍に奈良と京都は歴史建造物が多いので、じゅうたん爆撃からはずすように進言して、承認されたとの報道でした。初めて聞く話で、China Naviという電子会議室で聞いたら、河北日報の報道(中国語)を教えてくれる人があって、また英語でもあちらこちらに出ているので、歴史的な事実のようですね。また、彼は文革の時にだいぶ批判されて、1972年に亡くなっています。

彼のお父さん(梁啓超 Liang Qichao)は清朝末から中華民国にかけての有名な思想家・政治家で、彼はお父さんが日本へ亡命中に東京で生まれ、息子さん(梁従誡 Liang Congjie)は中国文化史家で、有名な百科事典の編集者だそうです。戦後日本の天皇制を廃止に追い込まなかったのは、戦後政治体制に関して米国の社会学者のルース・ベネディクトの「菊と刀」(Ruth Benedict, "Chrysanthemum and Sword")などの研究の成果だというようなことを私は大学時代に習ったので、奈良と京都に爆撃がなかったのはてっきり米国人の誰かが建言したのだと思っていました。日中友好の活動が活発化する中、京都駅前の広場や奈良駅前の猿沢の池のほとりに梁思成の銅像を作って、新しい観光資源にすると同時に、息子さんがまだ存命中でNGO自然之友(中国版Greenpeace)をやっている方なので、彼を日本へ招いて、京都・奈良の名誉市民にしても不思議でないですね。(2005.01.14.) あとで嶺尚さんなどの友人が教えてくれましたが、世界的には、「ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官」または「Henry L. Stimson」でインターネットを探してみれば分かるように、彼はマンハッタン計画(原爆の開発)の責任者でもあり、以前は国務長官(外務大臣)を勤めた文官で、京都にも住んだこともあり、米国は軍隊の文官統治が徹底していて、日本のように軍隊が文官統治を離れて突っ走ったことはなく、彼は京都の大規模爆撃/原爆投下には戦後統治の見地から反対で、ルーズベルト大統領をそのように説得したことになっているようですね。(2005.01.24.)

中国語でテーブル・スピーチ

会社の春節前の忘年会@太太粥海鮮店で、初めて中国語のテーブルスピーチをやりました。その前の週に大連市長主催の外国人を招いた晩餐会で夏徳仁大連市長のスピーチをじっと聞いていたら、「千里迢迢」(qian1-li tiao2-tiao2、はるばる千里)、「尽力而為」(精一杯)などの四字成語をちりばめていたのでヒントを得て、まず四字成語を2つ使い、「『据我所知』(私が知る限り)この会社は大変いい会社で、来年も私は精一杯努力して仕事をしますから、皆さんもぜひ『全力以赴』(全力を尽くして)努力してください。」といいました。そのあと、中国人の方々はお話を聞くのが好きなので、笑い話をして、「大連では最近日本の若い女性たちがビジネス面で、目立って活躍しています。ただし、この日本人女性は中国へ来て間もないので、中国語がまだうまくできません。タクシーに乗ったら運転が荒っぽくて、彼女は「怖い、怖い」といったら、運転手は「快、快」(Kuai4, kuai4、早く、早く)と聞こえたので、もっと飛ばして運転しました。彼女はさらに「怖い、怖い」といったので、運転手ももっとがんばって飛ばしました。」と話して、「以上です。皆さん、『新年快楽、鶏年大吉!』」と結びました。簡単なスピーチでしたが、大変人気があって、副社長が「皆さん、スピーチには成語を使って」と言い出す始末でしたので、もう1つのテーブルへいって、同じ話をしました。この後、みんなでカラオケ店(星海広場の東方金[木巨])へ行ったのは言うまでもありません。(2005.02.05.)

春節(旧正月)を中国で過ごす

中国の春節は家族のお祭りなので、大連の日本人はほぼ日本へ帰ってしまいます。大連での4年目の春節に、飛行機のきっぷを買い損ねたのが主な原因と、同僚の方がもう一人の日本人の友人と一緒に家へ招いてくれたので、初めて中国の大晦日を過ごしました。夜8時に来てくれと言われ、これは大晦日のテレビ番組(CCTV-1)が始まる時間で(日本の紅白歌合戦と違って、漫才や劇などもある)、いろいろなご馳走があり、夜の12時を過ぎたら餃子を食べて(真夜中の子の刻が交差するので餃子というそうです)、泊まって早朝に一緒にお寺参りに行こうと言われたのですが、早朝に用事があるので、タクシーで帰宅して、翌日(初二)早朝には日本へ帰りました。大連の目抜き通りや星海広場は1月中旬から夜のイルミネーションが始まり、この日(初二)の夜から、星海広場で花火大会が盛大に行なわれます。(2005.02.09.)

日本と中国の銀行で

日本の銀行が大変革をとげているのは聞いてはいましたが、旧正月で日本へ帰った時に、今浦島にならないように、実情調査も兼ねてわが町の銀行を回ってきました。一番興味があったのは新生銀行で(日本長期信用銀行を米国のベンチャーキャピタルのリップルウッドが買って、更生した銀行)、わが町のJR駅前ににもすてきな新生銀行ファイナンシャルセンターができていて、入って口座を開きたいというと、4台くらいあるパソコンの前に連れていかれて、「これで必要情報を入力してください。」と言われて、名前や住所を入れて、名前の振り仮名を全角で入れたら、確認の画面で「半角で入れてください。」ときたので、やり方(F8)を教えてもらいました。(私は「半角カタカナはインターネットでは文字化けがするから使うな。」と言われた時代を覚えている旧世代の人間で、半角カタカナは一切使わないので、半角で入れてくださいなどと連れないことを言わないで、コンピューターの方で変えてくださいとコメントカードに書いて、残してきました。)間もなく米ドルの小切手を受け取るのでどうしたらいいかを近くのシティーバンクで聞いたら、「手数料が1500円か8500円か取り立ててみないと分からないが、円に変換して講座に入金します。」とずっと以前も三菱銀行で経験した、国際化した日本の銀行とは思えないような世界標準からはずれたことを言われていたので、新生銀行で聞いたら、「手数料は不要で、ドルをそのまま口座に入金しますから、円に変換したいなら自分が都合のいい時にやってください。」となかなかいいことを言う。

新生銀行のATMカード(FlexPowerと呼ぶ)は海外のいくつかの自前のATMでも現地通貨で引き出せるらしく、また新生銀行自身のATMがないところでも、Plus機能が表示してある(通常はVisaカードも使えると表示がある)世界各地の銀行のATMでも、新生銀行のATMカードでVisaの変換率+3%で現地通貨が引き出せることでした。新生銀行のwebで調べたら、中国・大連ではChina Merchants Bank(招商銀行、本社は広東省深セン市)の10ヵ所くらいの支店で出せるようなので、翌週大連へ帰ってから勝利広場のラマダ・イン(九州飯店)の向かいにある招商銀行支店へいったところ、8台くらいのATMが24時間サービスをしていて、そのうちの2台がVisaとPlus機能がついているので、新生銀行のカードとパスワードで人民元が引き出せました。(パスワードと金額の入力はうまくいったが、最後に「Do you need an advice?」と聞いてくる時に、「取引の結果のプリントが必要か。」という意味と分かるのに5秒くらい要した。)変換率は来月新生銀行からの月例報告書を見るまでは分からない。注:この海外のPlus機能のATMで現地通貨で引き出せるサービスは、日本のどこの銀行でもやっているようで、三井住友銀行では8000円の手数料でそういうことができる「国際口座」に変えてくれると言っていた。ただし、それだけATMカードの悪用のリスクが増える気がするので、ご注意!(2005.02.27.)シティバンク銀行のカードは以前から世界各地のシティーバンクのATMで引き出せましたが、webで調べても中国には上海や北京にあっても大連にはATMがないが、友人によるとどこの中国銀行支店のATMでも現金が引き出せるということです。(2005.03.01)

なお、私は大連へ来てまず中国銀行(Bank of China)へ口座を開き、会社勤めをしてからは会社の給与が振り込まれる中国建設銀行(China Construction Bank)を主に使い、なぜか会社の諸費用が振り込まれる中国農業銀行(Agriculture Bank)の口座もあり、これもなぜか賞与が振り込まれる招商銀行(China Merchants Bank)にも口座があり、日本円・中国元の交換は主に中国銀行か、建設銀行@解放路にたむろする業者に頼んでいます。ここで中国の銀行について概観すると、解放後の銀行体制は中国人民銀行が日本の日本銀行に相当し、通貨の発行などの業務を行ない、中国銀行、中国工商銀行、中国交通銀行、中国建設銀行、中国農業銀行がいわゆる政府系の5大銀行で、全国各地に支店があり、そのうち中国銀行が海外に支店を多くもっています。やはり政府系の銀行で、国家開発銀行、中国輸出入銀行、国家農業発展銀行の、3つの政策銀行もあります。また各主要都市にはxx市商業銀行と呼ばれるその土地に密接な業務を専門にする銀行もあります。 (例えば大連市内のバス料金支払いの明珠ICカードは大連市商業銀行でのみ扱っていて、本部は最近青泥窪橋の天安国際大厦@開放路に移った。) さらに商業銀行としては、招商銀行、中国民生銀行、中国光大銀行、上海浦東発展銀行、広東発展銀行、深?発展銀行、華夏銀行、中信銀行(China CITIC Bank、上海の紡績業の資本家で、後に国家副主席になった栄毅仁が設立)などもあり、いまクレジットカードが各銀行を中心に展開されていて、また去年中国建設銀行の株20パーセントを米国のバンク・オブ・アメリカが取得することを発表するなど、国際時代を迎えています。(2006.07.28.)

日本のお茶、中国のお茶

日本の友人やお客さんからこれまでいただいたお茶を整理したら、煎茶、ほうじ茶、玄米茶、麦茶、フランスFauchonの紅茶などがあったので、居間の暖房のケースの上に飾って飲みだし、旧正月で日本へ帰った時におやじから以前もらった茶道のセット(茶碗・竹の掻き回すもの)と抹茶を中国へ持ってきました。また、中国茶も整理したら、烏龍、東海[山勞](山東省)、碧螺春(ピールォチュン Bi4-luo2-chun1、江蘇省)などが出てきたので、甘味のある人参烏龍なども買い増して、やはり暖房のケースの上に飾っていろいろ飲んでいました。私は15年前に台湾に2年間住んだ時に、縦に長い茶碗にお茶っ葉とお湯を入れてふたをして、急須を使わずに、お茶を飲むという中国式のお茶の飲み方の洗礼を受けたのですが、最近もう少し中国茶を極めたいと思い、友人の友人に凱旋広場(大連駅北口)の双興商品城という巨大なビルのさらに後ろにある、双興茶城の2階の奥の福建茗茶盛興茶行(8881-6193葉倩さん、福建省泉州近くの安渓に自前の工場がある)へ土曜日午後に連れて行ってもらい、電茶壷(電気ヤカン、70元)、茶芸セット(聚宝龍陶芸、100元)、茶板(お盆、120元)と人参烏龍茶2両(40元)、茉莉花茶(ジャスミン茶)2両(40元)、全部で370元を350元にまけてもらって買い、また「茶芸」の基礎をそこで習って帰りました。(この茶芸セットには小さな茶碗の中にさらに縦長の茶碗を重ねて使うのが入っていて、この縦長の茶碗でお茶の香りをかいだり、目に当てて視力を増すようになっている。)しばらくこれで日本茶・中国茶を楽しんで、あと2か月もすると5月で、今年の新茶も出だすので、お茶っ葉はあとでもっと買うことにします。大商のお茶コーナーのお茶っ葉は、このお茶屋の4倍くらいの値段で売っているのを発見しました!(2005.03.05.) カルフールの出口にある天福茗茶店で「毛峰」(安徽省黄山)の今年の新茶を一斤60元で売っているのを発見し、1両だけ買ってきたが、新茶の味がおいしい!(2005.03.12.)中国の北端、漠河へ行った帰りに、内蒙古のジャグダチで大興安嶺山脈の花茶を買ってきました。(2005.05.07.) 黄河路をカルフールから少し西へ行ったところに、天福銘茶の店があり(台湾の天仁銘茶の中国版で、大連に15軒、中国全土に400軒あるという)、中国人の友人と行って、鉄観音(95℃で出す)・ジャスミン茶(85℃)・龍井茶(75℃)を飲ませてもらい、結局ジャスミン茶を2両(合計70元、丸いもの)を買ってきた。(2005.06.03.)

中国で運転免許証を取り、中古車ではなく、新車を買う

1) 中国では国際運転免許証が使えないため、ここで運転免許証(駕駛執照証)を取ることにしました。3月末の木曜日に、やっと必要書類(日本の免許証のコピー2枚と翻訳会社での翻訳1枚[翻訳は前日に延安路の出入境管理所の斜め向かいにある中国銀行のすぐ南の塞特公寓2Fの環亜西文翻訳社でその場でやってもらって2枚30元]、パスポートと居留証のコピーそれぞれ2枚)がそろったので、外国人は通訳を連れて試験を受けていいということで去年12月に免許証を取ったばかりの中国人の友人に頼んで、金三角の少し先の三道溝にある運転免許・車両管理処へ行き(1路または303路バスで華東路の天洋路站で下車して徒歩5分、管理所は月〜木7:30-16:30、金-12:00に開いている)、写真を撮られ(10元)、簡単な身体検査をやり(17元)、一般用のパソコンが各々50台ある微機室2室と外人用の2台ある微機室1室のうち後者で(主機室はIBMサーバーだった)試験を受けたら(110元)、100問のうち90点が必要なのに70点しか取れず、不合格。理由は去年5月から施行の新交通規則が今年1月ごろから免許試験に反映されたのに、新規則が分からず(例えば各交通違反時の差し引き点数、罰金の金額などの質問が10問くらいあって、間違った)、さっそく管理所で新しい「機動車駕駛員教科考試補導手冊」(中国対外翻訳出版公司、「旧1988年の法規が改訂され、2004年5月に新たに施行された」と前書きがある版)を2冊買って(1冊20元)、各々土日に勉強して、翌週の月曜日の再挑戦には97点を取り合格(結構まじめな服務員に出くわし、試験場の入り口で補導手冊を取り上げられた)、郵送を頼んで(10元)、水曜日には免許証をEMS郵政特快専[道-首+弟]で受け取りました。注:1回目の試験の時に妙なことが起こり、窓口の警官(6番窓口のCGS金岩、衣服番号No.201396)が日本の免許証を返してくれず(といっても少し後で気付いた)、返した・返さないで押し問答になり、中国ではもう日本の免許証は不要ということでそのまま帰り、その後もと交通警察大隊長<-- 趙大勇、耿振国 -->を知っている人に頼んで、翌火曜日に2人で窓口の人と面会して問いただしてもらったが、日本の免許証は出てこなかったので、日本の神奈川県xx市警察署へ電話して、在中国xx日本領事館yy出張所ではこの種の紛失届けは受け付けないことも話したら、免許総務の方が会計課へファックスを出すように言われたので、今日紛失届けを日本へ送った。(2005.03.30.) 注:ちなみに、日本は運転免許証に関する国際条約に加盟しており、外国人は国際免許証を持ってきてで運転でき(有効期間は1年)、また主要言語で簡単な試験を受けて(27問のうち10問が出題)、受かれば日本の免許証をもらえるようになっているようですね。(2005.08.19.)

2) 私にとって車は交通の道具に過ぎず、日本でも、米国でも、台湾でも、これまでずっと4〜5年の中古車を買って、5〜6年使って、また次の中古車を買うような生活をしてきて、新車は米国で3台買った(Ford、Nissan、Audi 80)だけで「新車病」には絶対かからないことを心がけてきて、これまで合計20数台の中古車を所有したでしょうか。大連では多彩な車を売っていて、よく見かけるのは、

アメリカのGM上海通用: Chevrolet雪仏蘭: 賽欧Sail8 1.6L 6.8万;Buick別克: GLX, 凱越Excelle 1.8LS 15.6万 & 1.5L, 君威Regal 2.5L 23.9万、 Ford長安福特 Fiesta嘉年華, Mondeo蒙迪欧、 北京吉普Beijing Jeep、 スエーデンのSaab薩伯 93(輸入車で44万元!)、 ドイツのVolkswagen上海大衆(第三汽車) Santana桑塔納, Passat[巾白]薩特, Golf高爾夫; 一汽大衆(第一汽車) Jetta捷達, Bora宝来, Touran、 Audi奧迪 100 2.2L、 Opel奧貝爾 Vectra威達 2.0L、 BMW華晨宝馬(瀋陽で生産開始)、 フランスのCitroen東風/神龍汽車(武漢、もとの第二汽車) Xsara賽納 2.0, Xsara Picasso新薩拉・卒加索 2.0i, Elysee愛麗舎 1.6L (Xsaraピカソをベースに中国用に改造したセダンで、例えばエンジンルームの下を鉄板で覆ってエンジン(輸入物)などを保護、スペアタイヤはトランクの下外面、2002年に開発したエンジンは輸入)11.68万+10%1.68税+.5保険=13.4万, ZX富康雪鉄龍 988 Sedan(生産中止)& Hatchback両廂車 9.88万, C5(ごく最近に国産を開始)、 Renault雷諾(輸入車)、 Peugeot東風標致 307 XS 14.4万, 406、 イタリアのFIAT南京菲亜特 Siena西耶那 1.5L 9.58万(Giorgietto Giugiaroの丸いデザイン、エンジンは輸入、1.3LのSpeedgear手動/オート切り替え装置付きモデル10.38万もある), 派力奧・週末風Palio Weekend 1.5L 10.28万、 韓国の北京現代汽車 索納Sonata 2.0L 19万, 伊蘭特Elantra 1.6L 13.58万、 Kia東風悦達起亜 千里馬 1.3L, Pride、 Daewoo上海通用五菱(大宇) Cielo, Spark 0.8L 6.5万、 日本のMazda一汽海馬(海南馬自達) Premacy普力馬, Familia福美来、 Isuzu慶鈴汽車 Rodeo四駆、 Honda広州本田 Fit飛度, Accord雅閣, Odyssey奧徳賽、 Nissan日産(広州) 陽光Sunny, TeamA天雷, Cefiro風度 2.0/2.9L(輸入車), Tiina頤達 1.6L 12.9万(2005年4月に発表)、 Mitsubishi東南三菱 Lioncel菱帥(CVTモデルもある)1.6L 11.9万, Soveran菱紳、Pajero[巾白]杰羅(輸入車)、 Suzuki長安鈴木 鈴羊1.3L(大連ではどこで?)、 Daihatsu天津一汽 夏利 TJ(大連ではどこで?)、 Toyota天津一汽豊田 Corolla花冠, Crown皇冠, Vios 威馳, Previa、 中国の上海奇瑞(実は安徽省にある)Cherry CHER5 ABS/EDS, QQ (GM/DaewooのSparkとそっくりさんなので、2005年5月に訴えられた)、 吉利汽車 Geely 優利欧(どこかに吸収合併?)、 第一汽車FAW(長春) 紅旗、
など(上の値段は東北路の広電視中心の地下の展示車で調べたもので、すべてオートマチック)。大連ではVolkswagenの車がタクシーに使われていて、北京・ハルビンではCitoroenのZXが多くタクシーに使われていて、あまりにありふれていることも考慮に入れて...(2005.03.29.) 新車の店は比較的集中していて、市内の聯合路の勝利路あたり(鈞誠と融利)、香炉礁の北あたり(大連汽車貿易)、南関嶺の華北路・華東路に沿って(豊田・現代など)、また中古車は上に述べた運転免許管理所へ行く途中の西南路の金三角の手前(大紡站あたり、ここは閉鎖されているらしい)と、大きなのが開発区へ行く途中の后塩(快軌の后塩站で下車、徒歩10分、月〜金は7:00から全日、土日は午前中のみだが、日曜日がいい)に中古車交換場(二手車交易市場)がある。中国人の友人が日本へ転勤になったので、自分の ToyotaのVios 威馳 GL-i 1.5L AT 標準装備+リモコンロック 2003年1月 2万キロ、無事故、前方擦り傷2ヶ所、Dark Blueを8万元で売ってもいいといっていたが(年末までの諸費用と保険は払い込み済み)、下回りを検査にトヨタのディーラーへ行った時にセールスマンに知られるようになり、一緒に行った義理の弟という人がこのセールスマンと以前の会社の同僚だったというのとで、まもなくこのセールスマンの同僚に売られてしまった。(2005.04.21.)

3) 諸費用ですが、日本の場合は車の取得税が10%でしたでしょうか、また2年ごとに車検があり、車両の修理・検査に8万円くらい、2年間の強制保険が8万円くらい、毎年の任意保険が対人は無制限、対物は500万円、自分の車は免責10万円で、合計が大体5万円で、無事故なら毎年10%の保険費用の減額が50%になるまであり、ガソリンの税金から道路補修費が補填され、ディーゼルエンジン用の軽油はガソリンの3割安というのが実情でしょうか。中国では最近の「半島晨報」に固定費用として車両購置税(発票価格÷1.17×10%と説明しているが、要するに価格×8.547%)、保険(第三者険=任意保険、車両険、盗槍険、ガラス険など)、上牌費、車船使用税(毎年300元)、養路費(毎月97元)があり、弾性費用には汽油費、保養維修費、停車費、過路費、洗車費などがあると書いてありました。ガソリンは日本の約半額で(税金が安く、道路補修費が含まれていない?)、軽油はガソリンと同じような値段です。(2005.03.27.)

4) 私が車を買う目的、1)お客さんの接待、2)週末の郊外散歩、3)通勤(あまり使わないと思う)をハッキリと意識して5・6月中に買おうと思う。上に述べた后塩の中古車交易市場へ3回ほど見にいって分かったのは、ここは鈞誠車業集団がやっていて、そこにはシトロエンとフィアットの四S店(メンテナスショップも備えたディーラー)も持っていて(鼎信二手車のオフィスもある)、市内の聯合路@高爾基路に展庁(ショールーム、簡単なメンテナンスもできる)もあり、大連の新聞「半島晨報」毎週水曜日の「半島看車」に中古車の広告を出していて、新車も中古車も比較的まじめにやっている集団と分かった。いまは中古車は、日本人の友人の友人が大連で車の修理店もやっている人で、4万〜8万元の中古車はないか頼んでいて、これがうまくいかなければ、新車は、大学でフランス語を習った時(Renault 4cv(4馬力)とスバル360の時代)からフランスかイタリアの車を買いたかったので、シトロエン・エリゼー(コンパクト・カー、90km/hで100km走行のガソリン消費量は6.2L)かフィアット・シエナ(サブコンパクト・カー、同6.2L)か、知り合いの居る三菱商事がやっている東南汽車Lioncel菱帥(サブコンパクト・カー、同5.2L)CVT(無段変速)を買おうと思っている。(2005.04.23./05.11.)

5) 中国で車を買おうと思ってから2か月半経って、5月中旬にシトロエンのElyseeオートマチックを決定して1か月ほどで納車ということで予約金3千元を払ったが、1か月ほどして(6月中旬)上海へ出張中に電話があり、オートマチックのフランスからの輸入に問題がありあと2〜3か月待たないとならないという。中国シトロエンはどういう情報システムでディーラーネットワークを構築しているんだろうと思いつつ(多分電話と紙)、早速キャンセルして予約金も返してもらい、大連へ帰って翌日の土曜日にこれまで行ったことがない王家橋から行く山東路にある奇瑞(安いがデザインが古い)、起亜(高い車しか残っていない)、広州本田を周り、ホンダのフィットFit Saloon(日本のフィットをベースにセダンにした車;中国名:飛度三廂;日本ではFit Ariaと呼ばれていて、タイ・ホンダからの輸入)の後部座席がトヨタの威馳Vios(日本のVitzをセダンにしたアジアカー)の極端に狭いのに比べて比較的広いのを見て、現物もあったのでこれを買う契約をして(通常5千元負けるところを、現物がしばらくあったので8千元負けてくれた)、外国人用の黒色ナンバープレート(黒牌)は目だってイヤだと思いつつ、中国人の名義にするのはあとで売る時にめんどうなので、黒牌を登録してもらい、保険も少し議論したあとディーラーが勧める中華連合保険公司の全保(第三者=任意保険20万+車損・ガラス・自然・盗難・キズ保険)を第三者10万から20万へ変えてもらい(全部で1年5,746元)、会社へ納車してもらいました。(2005.06.15.) バックミラーへ付ける凸面鏡を52元でカルフールで買い、足マットレス(脚[執土])を410元でホンダ専売店で買い、便利なハケがカルフールにもウォルマートにもないので小さなハケを買い、何とか間に合わせていて、きょうは機動車登記証書(別称:行駛証)を金三角の車両管理所(億達世紀城の対面)へ取りにいってきました。先日会社の地下駐車場への駐車を登録して(無料)、アパートのそばの駐車場は毎晩5元を徴収に来る人が居ます(公安に路上駐車を届けても月150元)。(2005.05.20.)

6) 新車を買ってほぼ2か月が過ぎて、さまざまなことがありましたが、初志とは違い通勤にも使っているのに(ただし週に2度は会社へ車を置いてバスで帰る)、事故も起こさずに、無事に運転しています。中国人の方は車線を守る概念が希薄なのと、バスとタクシーの運転が乱暴なのに注意してますが、特に注意しているのが路面の状態で、マンホールが路面と不ぞろいだったり、マンホールの蓋がなかったり(!)することです。燃費は街中と郊外の運転で100km当たり8.0Lくらいで(12.5km/L)、まあまあ満足で、このウィークエンドに瀋陽に急用ができた友人に車を貸したところ、燃費は100km当たり6.2L(16.1km/L)くらいで走り、常時120-140km/hで運転しても快適で(騒音は特にない)、瀋陽への高速道路代金が往復で280元で、往復900kmくらい走ったが、4人で合計500元で済んだといって喜んでました。私も早く瀋陽(片道400km)、長春(片道700km)、ハルビン(片道950km)へ行きたい!ホンダ・フィットはタイヤが14インチで他の15インチ・タイヤの車と較べて路面のでこぼこを拾いやすく、また中国のホンダ・フィット3ボックス車は前面ガラスの左右の支柱が太くて、頑丈にできていて、右折・左折の際に少し死角ができて、この点だけ運転しにくいです。全体的にほぼ満足ということでしょうか。(2005.08.03.) 近くの長生街にある紅[日成]汽車用品装飾部(8370-1672)で、亜麻布90%の前後座席カバーを少し高かったが、380元で付けてもらった。(2005.08.13.) 中国ではガソリン代に道路補修費が入ってなくて、養路費を別に納めることは知っていましたが、新車を買って3か月も経とうとしている時に同僚たちにホンダ販売所に聞いてもらい、私の住所のある区の養路費を納める所(五一路の浄水場バス停から西南路を北へいった所の最初の交差点の右側)へ機動車登記証・機動車行駛証・専家証(パスポートでもいい)のコピーを持って行って、私のクラスの乗用車は毎月96元で、年末までの養路費と滞納金(162元)を納めてきました。養路費は来年からガソリン代(いま無縁ガソリンが1リットル4元前後)が大幅に値上がりして、ガソリン代金に含まれるようになると聞いていますが、軍隊など養路費や高速料金が免除されている人たちがが反対しているのでどうなることやら。(2005.09.01.) 新車の3か月点検(保養)に行ってきました。先週販売店から電話があり、3か月を1日でも過ぎると無料でなくなると携帯電話へ通知を受け、予約は必要なくて、40分まてばできるということで、実際20分くらいで終り(3つくらい気になることを言っておいた)、急いでなければ車をきれいに洗ってくれるということで、その通りにしてもらい、全部で70分かかりました。(2005.09.07.) 新車を買ってもうそろそろ6か月、夏・秋は週1回、土曜日も朝に自分で水洗いをしました。冬になり、このウィークエンドは大連に遅い初雪が降り、土・日の夕方路上駐車の愛車の雪を払い(プラスチックの簡単な雪かきは日本で買ってきた)、きょうはあまりよくかいてない雪道を、ノロノロと運転して会社へ来ました。(2005.12.05.)

7) その後、12月に翌年の養路費を払い、翌年2月には1万キロのメンテナンス(保修)を受け(支払い228元)、1年経って走行距離が15,000kmになった6月中旬に2年目の自動車保険を掛け(今回は中国平安財産保険会社で第三者=任意保険10万元に下げて、全保・ガラス破損保険などは止めて、盗難保険だけにして、保険費用は2058元)、また大連城市交通信息網で自分で調べてみると過去3回信号無視をしていることが分かり(自覚症状あり!)、友好広場の南にある武漢街の青泥窪橋小学の斜め対面の大連市公安局警察支隊 電子監控取締交通違章 処罰站で200元x3=600元を払って、うち2件は最近の2年目のことなので現在12点のうち6点を引かれ、残り6点になったので、これ以上交通違反がないように注意して運転しないといけない。(2006.06.20.) 新車を買って1年2か月後、1年2万キロのメンテナンスを行った。買った所で、オイル・オイルフィルター・エアフィルターの交換など、工賃350元を入れて全部で1,169元だった。この時に気づいたが、中国ではFitセダンの後継車としてCityが発表され、Fitセダン(日本のフィット・アリア)は販売中止になっている。(2006.08.09.) 3年目の自動車保険を掛ける時に友人から問い合わせがあり、調べてみたら、中国では2006年7月から強制保険が施行されて、年間約1000元の保険料金が追加になっている。また、第三者=任意保険は会社の9人乗り乗用車は50万元、7人乗りは30万元掛けているそうで、中国では24万元までの保険支払いはそれ以下しか掛けていない人はその差額を自己負担することになっているという、会社の運転手の話しでした。それで、私のような車をワザワザ盗む人はいないだろうと盗難保険も止めて、車損・ガラス保険なども去年と同じように止めて、来月からの第3年目の保険は、ただ強制保険(保険費用1050元)と第三者保険20万元または30万元(推定1000元)にしようと思う。(2007.05.08.) 今週は2年・3万キロの定期点検をして(エンジンオイル代280元、ワイパー92元などで、合計453元支払った)、3年目の保険は強制保険6万元(保険料1050元)と第三者保険50万元(中国安邦財産保険で1510元、20/30/100万元との差額は-340/-220/+430元だけだった)で、合計保険料2560元だった。(2007.06.07.) アパートの近くに路上駐車していたところ、右前のタイヤにいたずらされたのだと思う、パンクしていたので、近くのタイヤショップへ行って、10元で修理した。(2007.10.27.) 車を買って2年4か月経ったころ(37,000km)、まる2年経った時の車検をやってないことに突然気付いた。さっそく沙河口区の凌水機動車検測站は旅順南路の海事大学を過ぎてすぐ右へ入るところにあるので、行くと、すぐお兄さんが100元でめんどうをみるよというのでまず彼に100元を払い、30分並んで、車検代金を150元払い(プラス遅延料金100元)、あと30分で検査ラインを通してくれて(排気ガス検査から前照灯の上向き・下向きの検査など4つくらいの検査)、案の定ハンドブレーキがよくないから不合格といわれたが、さっきのお兄さんのおかげかすぐ再検査場でハンドブレーキをしたまま発車できないのを確認してもらって(どうもグルになっているらしい)、めでたく合格。ところが車検証を発行する前に、これまで3回の信号無視をやっているのでこの罰金を払わないと出さないということになり、まず黄河路@紅凌路あたりの公安局交通警察大隊沙河口支隊へ行きスリップ(単子)をもらい(場所が分からずに2回行った)、長春路252号にある中国工商銀行石道街支店の2Fにある交通違反処理場へいって確認と銀行支払いスリップを3枚もらい(ここでは違反の状況を写真で見せてもらっと;またここの手続きで事務員がチョンボして同じ違反に2枚のスリップを書いてしまい再度行って訂正)、黒石礁の工商銀行へ3x200元を払い込んで(何でこんな苦労をするのだろうか?)、再度検測站へいって、2〜3週間ジタバタした結果やっと車検証(2年有効)をもらった。ヤレヤレ。(2007.11.15.) 前輪タイヤの溝が大分減ってきたので(これまでに38,000kmくらい走った)、これから冬に向い危ないと感じて、近くのタイヤショップ(大連日日達8367-2618)へ行き、前輪タイヤのいい方(パンク修理しなかった方)をスペアタイヤとしてトランクへ入れて、新しいブリジストンの同じ種類のタイヤ1つを320元で買い(中国の商習慣、まけて貰うのを忘れた)、これとトランクのスペアタイヤを前輪へ装着してもらった。タイヤの圧力計を持参して、買ったタイヤは圧力が3.5kg/cmもあったのを装着したので、前輪は2.2kg/cmにするんだと、またトランクに収納するタイヤはちゃんと水で洗うんだと、店員に教えた。スノータイヤ(防滑輪胎)を買うオプションもあったが(2つで500元くらいから)、友人は新潟県人会の人の店から買って雪の時はスイスイと行けるよといっていたが、大連は雪は少ないのであまり意味ないのと、使ってないタイヤを常にどこかに収納せねばならないのでめんどうだから、止めた。(2007.11.17.) 昨年末に養路費を払い忘れたら、遼寧省征稽局から電話があり、また携帯電話へショートメッセージもきて、年間1140元以外に、47元 (路費滞納 5%)と12元 (道口費8%)を払わさせられました。(2008.03.17.)

8) 中国で車を運転してまる4年が無事に過ぎようところ、2つのことがあった。1番目は、交通違反があったから、罰金を払えとDHLで連絡があった。どうやら3回も信号無視の写真を撮られていて(つまり黄色信号に変わるところで)、毎回200元の罰金で、私の持ち点12点はもうないので、他の人が違反したことにして、600元の罰金を納めて済んだ。2番目は、駐車中に誰かから簡単な傷をつけられて、それを保険で修理しようとその場へ保険会社を呼んで手続きを始めたら、運転免許証の他に身体検査票があるか聞かれた。60歳以上は毎年簡単な検査を受ける必要がある、という。(ついでに分かったのは、70歳以上は運転ができない。) 他の人が運転していたことにしてことなきを得て(翌週に保険金は支払われた)、さっそく長春路@南石道街にある大連市体検中心にいって検査を受けて(20元くらいで目・耳・体が健康かを診る)、沙河口区交通警察大隊へ届けに行ったら、私のデータがアクセスできないという。姚家の本部まで行く必要はないが、泉水の交通警察支所(この項目の一番上に述べた三道溝の車両管理所が引っ越したもの、新しい出入堺管理書の隣り)までいってくれという。保険代理店の人と一緒にタクシーでいったら、私の免許証は2年目に身体検査の届け出がなかった時点で取り消されていて、私は過去3年間無免許運転だったことが分った! もう一度運転免許を取る必要があると言われたが、保険屋さんが「この人は企業誘致をしていて大連市にとって重要な人だ。」とがんばってくれて、「それではリーダーと相談してみる。」となり、翌日保険屋さんへOKになったから、安全教育だけを受けてくれという連絡が入った。(保険屋さんがこれほどがんばってくれた理由は、あとで多少高額の保険を掛けさせられた/かけてあげたのです!) すぐに中南路@The Grand Mercure Hotelの向かいにある大連市交通安全教育中心へ行き、安全教育の申し込みにいったら、翌週の月〜金、08:00〜16:00のみっちりした教育で、翌々週は試験があるという。教育の初日に交通警察の警官と相談し、翌週の月曜日には試験を受けて合格、ここで2週間ロシア旅行の空白があったが、そのあと泉水の交通警察支所へ3回(リーダーのサイン)、女兆家(Yaojia)の交通警察本部へ4回行き(リーダーのサイン、記録の復活、旧免許証を新免許証へ切り替え)、この問題を発見してから実質1か月で無事に新運転免許証を入手した。この間、特別なお金は一切支払ってないのは、大連市(あるいは最近の中国)のいいところと感謝した。(2009.07.16.)新免許証をもらった日に、泉水の交通警察支所にある車両検測中心(以前の大連海事大学隣りから引っ越したもの)で、2年ごとの車検をやってきた。検査手続き料、100元。ついでに、広州本田の店へ寄って、4年・58,000kmの保養(定期点検)を受けて、バッテリー(320元)を新しくしたり、排気関係の洗浄をしたせいで、1200元程度の出費になってしまった。(2009.07.16.)

9) 私がこれまで持っていた車の記録が大部分出てきた:

  1. Toyota Corona, 1966-1968, Tokyo-Kobe
    中古、Metallic silver
  2. Toyota Corona, 1968-1969, Kobe
    中古、アローライン、Deep blue
  3. Ford Mustang 2x2, 1969-1971, Pittsburgh, PA
    中古(1964)
  4. Toyota Corona 1900 Hardtop, 1971-1973, Tokyo
    新車、Automatic, Bright blue
  5. Ford Maverick 2-dr. Sedan, 1973-75, Raleigh, NC
    新車
  6. Ford/Mercury Capri & Monarch, 1974-1975, Raleigh, NC
    リース
  7. GM/Chevrolet Impala V8, 1975-1977, Kingston, NY
    中古(1971)、White
  8. Audi Fox 2-dr Sedan, 1975-1977, Kingston, NY
    新車、Red
  9. Mitsubishi Colt Gallant 1500, 1977-1983, Tokyo
    新車、Persian gold
  1. Nissan Bluebird Van GL1500, 1982-1983, Fujisawa
    中古、White
  2. Ford/Mercury Zephyr Station Wagon, 1983-1985, Armonk, NY
    中古
  3. Nissan Stanza GL, 1983-1985, Armonk, NY
    新車、Red
  4. Mitsubishi Gallant Σ 2000 GSL, 1985-1989, Fujisawa
    中古(1979)
  5. Honda Civic 1500, 1990-1991, Taiwan
    中古、Blue
  6. Mitsubishi Σ 2000, 1991-1998, Fujisawa-Nagano
    中古、White
  7. Toyota Starlet 1900, 1997-2007, Fujisawa
    中古、Blue
  8. Honda Fit Sedan 1600, 2005- , Dalian, China
    新車、Light blue
  9. Honda Fit Aria 1600, 2007- , Fujisawa
    新車、Silver
(2008.11.11.)  

中国で映画を見る

大連へ来て3年半経ってから初めて映画館へ行きました。もともと日本でも映画は見ないのと、中国の映画は外国製のもすべて中国語に吹き変えてあるという印象だったので、大連の友好広場に有名な映画館が2つ(友好、前進電影院)あり、家の近くのカルフールの裏に紅星という映画館もあり、最近は奥納・華納・などができたのも知っていましたが、いい機会がありませんでした。(もっとも、去年の末に会社の会議室で中国映画「天下無賊」を見たが、これは面白かった。)最近会社の中で「電影迷倶楽部」(映画ファンクラブ)ができたので、奥納電影院でやっている米国映画「国家宝蔵」(National Treasure、日本語題名:「ナショナル・トレジャー」)の20元の入場券を15元で買って、金曜日の夕方6時半のに行きました。この映画は日本にも来たのでしょうか、探険片(冒険もの)で(ニコラス・ケージNicholas Cage主演)、アメリカ独立戦争の時に隠された宝物のありかを、アメリカの青年ベンが英国のイアンと戦いながら、まずNational Archivesから「独立宣言」を盗み出し、その中に隠されたなぞをフィラデルフィアのLiberty Bellへ行きほぼ解き明かし、最後にニューヨークのTrinity Churchの地下でものすごい財宝を発見して、世界の博物館へ寄贈するというもので、最近読み終わった米国の2003/2004年ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の続編のような感じでした。最近は中国語も少し進歩したので、中国製の映画も近々見たいと思います。(2005.04.22.)

ドイツから来たスーパーMetro

大連には外国のスーパーは日本のマイカル(中国人の手に渡っているMykal)、フランスのカルフール、アメリカのウォルマートがあり便利です。確かおととし、快軌の香炉礁駅の向こう側にドイツのMetroできたのは知ってましたが、カードを作らないといけなくて社用のお客さんを相手にしていると聞いていたので、行ったことはありませんでした。先週教会でパスポートを持って行けばすぐカードを作ってくれると教えてくれる人がいて、きょう行ってみました。入り口でパスポートを見せたら、居留証から勤め先などを写して申込書を作ってくれて、写真を撮って、簡単にカードを作ってくれました。 という感じで、フランスワインの安売りをやっていたので買ってきましたが、そんなに良くもなかった。(2005.04.23.)

日本語・日本文化についてのアドバイス

中国の会社に働いていると、急に日本語の直しや日本文化についてのアドバイスを求められます。今回も、建設部の2人が私を訪ねてきて、ある新しいビルの日本料理店の6つの座席(包間)の各々に暖簾(のれん)を掛けたいが、どういうものがいいか聞いてきました。例によって急いで今日午後までにというのを(どうしていつも締切日に聞いてくるのだろう?)、何とか翌日朝までにしてもらって、翌日次のような表を渡しました。
植物・動物系列(シリーズ)観光地系列地方と山川海系列日本の伝統系列
松(しょう、まつ)
竹(ちく、たけ)
梅(ばい、うめ)

つつじ(杜鵑花)
花菖蒲(はなしょうぶ)
欅(けやき)
蓮(はす)
カンナ(大花美人蕉)
石楠花(しゃくなげ)
アカシア(槐樹)

チューリップ(郁金香)
 
日本猿
月の輪熊
カモシカ(羚羊)
丹頂鶴
雷鳥(らいちょう)
山椒魚
札幌・時計台/雪祭り
仙台・七夕/*松島
東京・浅草/銀座
名古屋・名古屋城
京都・清水寺/*天橋立
大阪・通天閣/心斎橋
広島・原爆記念碑/*宮島
熊本・熊本城
沖縄県那覇・首里城
 
        *日本三景
北海道地方
 大雪山
 網走の流氷
東北地方
 北上川
 鳥海山
関東地方
 利根川/隅田川
中部地方
 富士山
 御嶽山(おんたけさん)
 木曽川
関西地方
 琵琶湖
 伊吹山
中国・四国地方
 大山(だいせん)
 剣山(つるぎさん)
 瀬戸内海
九州・沖縄地方
 阿蘇山
 沖縄海岸国立公園
相撲(すもう)
鵜飼(うかい)
羽根(はね)つき
雛人形(ひなにんぎょう)
鯉幟(こいのぼり)
七夕(たなばた)
花火
盆踊り
秋祭り
獅子舞い
浮世絵
版画
歌舞伎
雅楽
寺院・神社建築
これとは違った分野で同じようなことを頼まれている日本人も多いと思い、上に書いておきました。「これに決めたから、各々の写真かデザインはありませんか?」と聞いてきたらどうしよう?(2005.07.08.) 9号館のレストランが開業し、日本食レストランも始まりましたが、暖簾はどこにもないし、私のアドバイスはどこへ消えたのでしょうか?(2005.08.01.)

日本語については、会社で出版している雑誌や当社のパンフレット用に日本語レビューを時々していますが、私は次のようにレビューしていますと、同僚たちに告げました。

1)翻訳全般

2)日本語/外国語の会社名 3)日本語の慣用的間違い 4)日本語の句読点

以上は、私がIBM時代にソフトウェアの広報をやっていた時に本を書いたり、雑誌の編集に参加したりして自然と習ったものを、その後の経験も加味したもので、今でも新聞・雑誌ではこのようにやっています。

ぜひ気が付いたことは上のように箇条書きにして、みんなが分るようにしましょう!(2005.07.26.)

音楽プレーヤー(MP3とiPod)と私の音楽・映画遍歴

1) 去年中国製のMP3を買って(昴達 OndaのVX-505、256MB)、これまでコンピューターのフラッシュ・メモリーとしてだけ使っていましたが、先日私の大好きな英語の歌(John Denverの「Take Me Home, Country Roads」)のMP3ファイルをくれた人がいて、これがなかなかいい音なので、最近MP3に多少凝っています。いま昔好きだった歌をCDからMP3に変換したり、中国のサーチエンジン「百度 Baidu」、「新浪網 Sina.com」「捜狐音楽」でMP3をクリックして簡単に探して(すみません、これって法律違反ですよね、ただし2005.10.25.からダウンロードできなくなった)、いろいろと寄付してくれる友人もいたり、過去に好きだった歌や音楽を思い出しながら集めて、機会あるごとに聞いています。銀行の窓口で順番を待つ場合、バス停でバスを待つ場合、中国ではMP3が必携ですね、最近待つことが少しも苦にならなくなりました。このごろ中国の歌も一生懸命聞き出し、内モンゴルの名歌「熬-火Ao2包相会」(アォパォ・シャンホィ=パオでデート)や「口+夏Ga1達梅林」(ガダ・メーリン=戦前の内モンゴルの英雄、1936年に張作林の部隊につかまり、瀋陽の監獄へ入れられて、妻に救い出されたあと、張作林の部隊に殺された)を教えてくれる人もあり、カラオケで歌えるように練習中です。(2005.09.13.)

2) それで、私がこれまでどんな音楽や歌の遍歴をしてきたか思い出して、これからこれらの音楽や歌のMP3ファイルをシコシコ集めて(1曲3〜4MBがいいようだ)、聞こうと思います。まず、小学校時代に私は長野県の北部に家族で疎開していて、一軒家の持ち主に両親が頼んで1/3位を仕切って仮住まいをしていたので、夕食前に我々2家族の子供たちはお腹が空いたのを紛らわすために代わりばんこに大声で「夕焼け、小焼けの赤とんぼ」などの小学唱歌を仕切り越しに歌って過ごしました。美空ひばりが「りんご追分」を歌い、大人の間では「青い山脈」がはやったころです。ある晩、村の小学校の体操場で「帰れソレントへ」の白黒映画があり、大人はみんな泣いて、僕ら子供も貰い泣きしました。中学校は東京都中野区の区立中学校で、あとで聞いたのですが、ある都立高校から共産党員の先生方がドカッと移って来たようなところで、共産党シンパの父兄も沢山いたのでしょうか、その子供たちがクラス委員などをやっていて、自習時間になるとクラス委員のリードでみんなでロシア民謡の「カチューシャ」、「泉に水くみに来て」などをよく歌いました。当時、歌声運動が盛んだったんですね。中学時代に、家の裏に下宿していたいとこの医学生からドイツ語の基礎とドイツ語で「野バラ」の歌を習い、それ以来ずっと外国語に興味を持ってきました。僕らはNHKラジオで「三太物語」(神奈川県道志川あたりに住む三太の話)の主題歌「サン、サン、サンタは山の子だ」とか、「xxとyyの世界旅行」(番組の名前を忘れました)の歌「ミス、ミス、ミシシッピ」など聴いていた時代の話です。東京の自宅の隣りに堀内敬三さんという方が住んでおられて、日曜日の朝8:00から1時間、NHK第1ラジオで「音楽の泉」というクラシック音楽を解説して聞かせる番組の解説者で、この番組を家族でよく聞きました。また彼が亡くなられて、確か野呂信次郎という方が引き継いだのか、別の青少年向けの番組を持っていたかで、ビバルディVivaldiの「四季」とか、シューベルトの歌曲集「冬の旅」とかのクラシック音楽をよき聞きました。(2005.08.23.)

3) 高校は東京都杉並区の都立高校へ行き、音楽の先生が特殊な人で「コーリューブンゲン」(Choruebungen)という独唱・合唱の専門家が習う本で徹底的に仕込まれ、声楽が本当に面白いと思うようになりました。この頃いよいよ、ビル・ヘイリーの「Rock Around the Clock」でロックンロールが始まり、エルビス・プレスリーが出てきて「Love Me Tender」などを歌い(国語古文の教師が「形容詞が副詞に使われることもあり、英語でもプレスリが「Love Me Tender」って歌ってるだろう?」、などという始末!)、私は毎週水曜日午後1:30〜3:00に東京放送(または文化放送?)の番組「今週のヒット・パレード」のファンで(聴取者が葉書で投票する)、地学班(天文地学班)で天気地図を作るための天気予報録音用に借りたテープレコーダーに13:30になると目覚まし時計が鳴って、その勢いで目覚まし時計が机の上から落下し、テープレコーダーが録音を開始する装置を作り、昼休みにセットして録音し、放課後4:00からのNHK第2放送で天気予報から天気図を作るついでに、よく「今週のヒット・パレード」の録音を聞きました。ポール・アンカ Paul Anka の「Diana」とか、Pat Booneの「Love Letters in the Sand」、ビリー・ヴォーン楽団(Billy Vaughn and His Orchestra)の「Sail Along Silvery Moon」などがはやりました。(いま思いだしたのですが、高校時代の級友の1人がなぜかドイツ・ナチの歌とイタリア・ファシストの歌を教えてくれて、いまでも後者はよく歌えるくらい覚えていますが、彼はその後東大へ行き、JRへ入り、JRの私有化の過程で右寄りの辣腕を振るい、現在もJRの要職にあるのですが、当時からそうだったのかなと感じています。)そういえば、坂本九ちゃんが「上を向いて」を歌ったり、石原裕次郎が「さびたナイフ」の映画で歌ったりしていた。高校を卒業する時に「Love is a Many-Splendored Thing」という主題歌の「慕情」という題名の、香港を舞台にした映画を見たり、レッド・ニコルズに関する「5つの銅貨」を見たのを覚えています。(2005.08.23.)

4) 大学時代には、高校時代に買ったフルートで室内楽クラブに入り、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」など主に西欧のクラシック音楽の洗礼を受けました。西武池袋線の新宿駅前にあった歌声喫茶「ともしび」(出征兵士が故郷の恋人を想う「ともしび」(Ogonyok)という歌がある)にも何回か行ったことがあります。ハリー・ベラフォンテHarry Bellafonteのカリプソcalypso「Banana Boat Song」がはやったのもこの頃。大学で英語ができるようになったので、FENラジオで土曜日の午後4時からハワイのワイキキビーチにあるロイヤル・ハワイアン・ホテルから実況放送されていたハワイ音楽番組「Hawaii Calls」をよく聴いたり、Joan Baezが活躍し、加藤登紀子が「知床旅情」などを歌ったのはこのころでした。The Beatlesは卒業する年に日本公演があって、そういえば加山雄三が「君といつまでも」を歌ったのもこのころだったと思います。大学時代はソ連の「民族友好大学」かアメリカのどこかの大学へ留学しようと思っていて、ロシア語を勉強したり、ロシア民謡もLPレコードも買って覚えたり、ソ連赤軍合唱団の演奏会へ行ったりもしました。ただし、大学での第2外国語はフランス語だったので、シャンソンもエディット・ピアフ(Edith Piaff)からジョニー・アリデイ(Johnny Hallydayの「Pour moi la vie a commenc,ais」など)の洗礼も受けて、フランス語の教科書に出ていたプジョーかルノーの車を将来買いたいと思いました。毎週水曜日の11:00には賛美歌を歌うのが好きで、教会の礼拝に出席していた。そういえば、加山雄三が「君といつまでも」を歌っていて、それから、大学時代は新宿のアートシアターというマイナーな外国映画をやっているところへよく行き、ポーランド映画などを見ました。大学のダンスパーティーにはよく出ていて、ある時にツイストが突然はやりだし、「Twist & Shout!」をよく踊った覚えがある。会社へ入って、横浜営業所時代に始めて車(トヨタのコロナ)を買ったが、まだ車にステレオは装着されてなくて、確か神戸営業所にいったころからカセット・テープが装着され、また神戸の三宮(さんのみや)駅から神戸駅まで続いているセンター街(アーケード街)にカントリー&ウェスタンの実演付きコーヒーショップがあり、アメリカへ留学したかったせいもあってよく行き、淡路島の五色海岸へキャンプに行ったりの独身時代の気ままな生活をし、また封切りされたばかりの映画「卒業 The Graduate」(ダスティー・ホフマン/アン・バンクロフト主演)を見たり、この主題歌を歌ったサイモンとガーファンクルが好きになり、人類初めての月面着陸のテレビ実況を見たのは神戸滞在最後の月でした。1969年にアメリカへ留学した年にウッドストック音楽祭の悲劇があり、またピッツバーグ・オーケストラのシーズン・チケットを買い込んで、大学から歩いて行けるホールの後ろの桟敷席で楽しんだり(ソ連のロストロポービッチが丁度亡命して来てこのオーケストラに入っていた)、ニューヨーク市に出かけてカーネギーホールやRCAホールやメトロポリタン歌劇場へ行ったりもしました。Georges MoustakiとかNana MouskouriとかManos Hadjidakis(「日曜はダメよ Never on Sunday, I rest」)などのパリで活躍するギリシャ人の歌がはやっていて、ギリシャの民主化が進んだ時期の影響でしょうか。(2005.08.23.)

5) アメリカで働いていた1970年代、'80年代は、テレビでよく「Hee, Haw!」とかGrand Ole Opry(テネシー州ナッシュビルからの実況、後年1984/85年のころ実際に見に行きました!)とかのカントリー&ウェスタンの音楽番組を見たり、ノース・カロライナ州ラーレーのオーケストラ友の会のシーズンチケットで大学の体育館(バスケットボール用なので反響もすごく、近くの鉄道を長距離客車AmTrackが通るたびに汽笛が聞こえた)でクラシック音楽を聞いたり、ワシントンDCに行ってJFKオペラシアターを見たり、映画「ディア・ハンター」(ピッツバーグ近辺の鉄工所が舞台のベトナム戦争映画、主題歌:Frankie Valliが歌う「Can't Take My Eyes off You」)、John Denverのクリスマス・スペシャルのテレビ番組を見たのが印象的で、(家族でマサチューセッツ州ケープコッドへキャンプに行ったときだったと思う)ボストン交響楽団の夏の公演を聞いたり、タングルウッド(ボストン交響楽団の避暑地)を見に行ったり、ひまがあればSam Goodyとかのレコード店でいいLPレコードをあさったりしました。しかし、1980年代後半からCDとSony Walkmanが出たころから音楽から遠ざかってしまい(パソコンが出てこれで忙しくなったことも原因?)、それまで8ミリフィルムで子供たちの映画を撮っていたのをビデオテープが出たころ止めてしまい、少し変わったことは8年前にクリスチャンの洗礼を受けて聖歌/賛美歌、特にテゼのシンプルな歌を好きになったことでした。1990〜1991年に台湾に駐在した時に中国語の基礎を憶え、カラオケで「北国の春」(台湾では「榕樹(ガジュマル)の木の下で」)を歌えるようになった。ごく最近になって娘の結婚式もあってDVDビデオ撮影を開始して、これまでの8mm映画とLPレコードをどうしようか迷うと同時に、昔のLPレコードと最近のCDとインターネットからMP3で聞き出したところです。中国のカラオケは、自分では積極的に行かないが、他から誘われれば行き、「二人酒(うあらみっこなしで...)」、「津軽海峡雪景色」、「瀬戸の花嫁」、サイモンとガーファンクルの「El Condor Pasa」(コンドルが飛んで行く)、千昌夫「北国の春」、テレサ・テン Deng Lijun(鄭麗君)の「月亮代表我的心」(お月様が私の心を映す)などの古典曲を歌います。 まったく、以上はとんでもない音楽・映画遍歴でした。(2005.08.28.)

6) MP3機はハードディスクのようにフォルダーを作って分類して使うようになっているもので、私はChinese漢語(中国の歌と曲)、Classic古典(クラシック音楽)、English英語(英語の歌)、Japanese日語(日本の歌と曲)、Modern現代(Mantovani楽団などのモダン・ミュージック)、Other其他(さらにFrフランス、Deドイツ、Itイタリア、Ruロシアの歌/曲などの順に並べる)に分けて、すべて英語か中国語漢字で名称を付けて使っています。(2005.09.13.) 会社の同僚の1人がアップルのiPod shuttle(1万円くらいで、画面がないが、512KB)を持ってきて、使い方が分からないので教えてと、貸してくれました。MP3機のようにハードディスクのようにMP3ファイルを入れてやるのではなく、付属のiTunesをパソコンへインストールして、このソフトからパソコンとiPodを同期させてMP3ファイルを転送するもので、私はカテゴリーをChinese、Classic、English、Japanese、Modern、Other French、Other Hymnal、Other Indonesian、Other Italian、Other Russianなどのカテゴリーに分類して、カテゴリー順(とすると、その後アーティスト順になる)で編集していて、なかなかいいソフトなので、次回日本へ行った時にはiPod photoまたはiPod nano(2・3万円で、カラー画面があり、日程表もあり、多国語処理もできるみたい)を買いたいと思います。(2005.09.20.) 10/1休暇の前に会社のもう1人の同僚がApple iPod mini(白黒画面の4GB)を貸してくれて、Windows XP中国語簡体字版で外国語の処理を実験したところ(iTunes 6の曲名、Outlookのスケジュールで)、中国語文字と並んで日本語文字はひらがな・カタカナは中国語のひらがな・カタカナのフォントが表示できて、日本独特の峠、嶋などの漢字は小さな日本語フォントで表示されて、フランス語・ドイツ語特有の文字もうまく表示できて、(半角)ロシア語文字だけはすべて全角のロシア文字になることを発見しました。(Windows XP日本語版ではどうなるか分りません。)動画も処理でき、カラー画面が2.5インチQVGAの新しいiPodが最近発表されたので(中国・大連では30GBモデルが3440元(日本のApple Storeでは34,800円)、60GBモデルが4440元(日本では46,800円)する!)11月の日本出張の時にこれを買うか、デルDellのAximを買うか(HPのiPAQ Pocket PCはビジネス専門で、音楽はどうでもいいようだ)、どちらかにしてそろそろPalm/Sony Clieを卒業しようと思う。(2005.10.25.)

7) iPod 30GBを日本出張の際に買いました。Bic Camera横浜西口店で35,800円で買い、曲を演奏中に選択ボタンを押すと歌詞も見える、iTunes画面の右上のボタンを押すとジャンル別のエリアが画面情報に現われるなどのを教えてもらいました。写真やビデオをどのくらい使うか分からなかったのと、歌詞や住所録や予定表の日本語文字が小さくていいかげんなデザインなのでしばらくしたらこれを直したモデルが発売される気がして、値段が高い60GB(45,800円)は買いませんでした。日本では音楽プレーヤー市場でAppleが80%の市場占有率で、2位のSonyをはるかに引き離しているという新聞記事を見ました。(2005.11.21.) 中国へ帰ってiTunes 6英語版をWindows XP日本語版に入れてiPodを使ってますが、これだとロシア語の歌詞はWindows上だと全角だが、iPod上では半角の正常なロシア語文字になるので、まあまあです。iPodのソフトにバグがあり、私は全体で170曲くらいをChinese、Classical(クラシック音楽)、Contemporary(現代の音楽)、Latin、...、Russianなどのジャンルに分けているが、例えばLatinで10曲くらいにアーティストまたはアルバムが分かっているのが1つの場合は、Latin・アーティスト全部・アルバム全部と選んでも、その1つのアーティストまたはアルバムのタイトルしか表示されないので、アーティストまたはアルバムに2つ目を何でもいいから入れないとタイトル全部が表示されない。(2005.11.29.) 写真(Photos)の機能を使ってみようと、土・日に格闘して、1)My Pictureのディレクトリーを指定してやる方法、2)去年買ったAdobe Photoshop Album 2.0でコレクションを20050101 New Year Party、200500213-16 Skying in Urabandaiなどと指定してやる方法をテストし、後者を使うことにして、これから徐々にパソコンから写真を移そうと思う。これからビデオ(Videos)の機能も勉強しないといけない。(2005.12.05.) 旧正月休みは大連にいたので、大晦日・春節番組の再放送を繰り返し見て、「同一首歌、走進美国」に出てきた歌を集めたり、去年のクリスマスに日本からAsamix(本拠:福井県敦賀市)がAsamiとTaroが大連へ来て大連の歌を作ったのを思い出して、彼らの歌を入れました。(2006.02.04.) IBM T40を最近使い出して、My Documentをd:ディスクに指定して、そこのMy Musicへ全2500曲を移し、2週間くらい苦労してiTunes 7.6.1.9へ登録して使いだした。パソコンには2509曲、同期した後のiPodには2494曲で15曲が抜けていてなどで、iTunes日本語版はいい加減なソフトだ。(2008.04.06.)

8) LPレコードの録音: 11月に日本へ2週間の出張があり、いくつか面白い経験をしました。まず高校時代の友達でジャズ大好き人間に会い、ジャズのレコードをもらったり(自分でもいくつかBlue Noteなどのレコードを買って持ち帰った)、次に大学の友達がNHK衛星第2の「あなたが主役・音楽のある街」に出演したのを見て(バイオリンとチェロの仲を取り持つビオラは同時通訳ににているというような内容)、その前後にソプラニスタ岡本知高の歌・アコーディオニストcobaの演奏があり、これは知らない世界だったので、面白かった。また日本の自宅付近の図書館でCDを3枚まで借りれるのが分かり、毎日図書館通いをして、日本民謡からシャンソン・クラシック音楽まで、いろいろとiPodへ録音した。最後にこの2・3年一番気になっていた家に100枚くらいあるLPをどうやってMP3などのディジタル・ファイルにするかの実験をやり、まずBic Camera有楽町に売っていたソースネクストのソフトiPod アナログ録音(約2000円)を買って、ステレオ装置のアンプのラインアウトをノートパソコンのマイクのところへつなげてLPレコードを録音したら、まぁまぁ録音できて(ギターの弾き語りはいいが、無音のところではバックグランド・ノイズが入り、また合唱曲・交響曲はガーガー音でまったくダメ)、次に無料の♪超録の無料版をインターネットで入手して同じことをやったら、同程度にできたが、もうソフトだけではダメでハードを使おうと決心して、最近開店したBic Camera藤沢で昔懐かしいCreative Technologyの「Sound Blaster」(3種類の内の真ん中の値段6980円で、USBにつなげるSDBMUPX;オンキョーの12,000円のはレコードプレーヤーにも直接つなげられるのもよさそう)を買ってその小さなボックスをノートパソコンのUSBにつなげて(別電源は必要ない)、ステレオのラインアウトから録音したら(ソフトはMediaSourceで録音、Sound it! 3.0 Limited Editionは使い方が難しい)、ほぼ完璧な形でLPを録音できました。残る問題は100枚のLPレコードを録音する100時間をどうやって工面するか、しかもLPの音が飛んだり、キズが付いているのをどうやって最小にしてやるかということですね。みなさんはどうやっているのだろう?(2006.11.25.)

シャンパンよりスペイン産のスパークリング・ワインCavaがお勧め

6月の始め土曜日に、久しぶりに大連から1週間日本へ出張しました。月曜日にANC(Asia NetCom)主催の「大連アウトソーシング・ランチセミナー」がセルリアンタワー東急ホテルであり、1時間の講演をして、そのあとは毎日2・3社を訪問したものです。この週は丁度梅雨の真っ只中で、湿度が高くて、閉口しました。乾燥した大連に5年間住んで慣れてしまい、日本に梅雨があったなんて、忘れていました。また、我が社の日本支社の人が「大島」(おおじま)に住んでいますというので、聞いたことはないなと思ったら、地下鉄新宿線の向こう側(私が住んでいる神奈川県側から見て)ということが分かり、東京生まれ・東京育ちの私は東京周辺のJR・私鉄・地下鉄の駅名はすべて知っていると思ったのに、知らないところができてショックでした。横浜西口のホテル・シェラトンの裏あたりに珈琲問屋の店があり、ベトナム・コーヒーなどの材料を買えた。また日本へ行く飛行機の隣の席に座った方の手引きで、以前から話しに聞いていた、新橋駅烏森口の生涯教育センターでNPO日ロ交流協会「ロシア語で楽しむ会」に出席できて、「やなぎ1965 Ivushka」( G. ポノマレンコ作曲、日本では1965に歌声の会で初演)、「道Dorogi」(A. ノヴィコフ)、「月の照る夜Nich yaka misyachna」(ウクライナ民謡)、「心騒ぐ青春の歌」(パフマートヴァ)、「十二人の盗賊」(ロシア民謡)を大声で練習し、11月11日に「港区麻布区民センターふれあいまつり」で発表するそうで、数年前からまた新宿の歌声喫茶「ともしび」にも行ってましたが、大変楽しみました。

出張中、シャンパンやスパークリング・ワインについて学ぶ機会がありました。まずシャンパンというとモエ・シャンドンなど高価なものが中国でも多いが、私の日本にいるワイン通の友人によると、スペイン産のCavaと呼ばれるスパークリング・ワインがおいしくて、しかも安価だという。彼によるとシャンパン類はフルート(flute)と呼ばれる胴長のグラスで飲むのが常識。私の経験ではアメリカ東部では平たいグラスがシャンペングラスと呼ばれていて、往年の名女優グレタ・ガルボやマリリン・モンローなどが映画で飲むのも、おおむねこういった平たいシャンパン・グラス。 まず土曜日に中国・大連を出る時にBlue Nunの金箔入りスパークリング・ワインが名税店で売っていて(1本100元=1500円くらい)、2本買って日本へ運び、土曜日と翌週の土曜日にも、家族で飲みました。Blue Nunというのはアメリカ人好みのドイツ・ワインの名称で、あのスペートリゼの甘みがそのままあり、甘すぎて閉口しましたが、金箔入りということで、中国人好みというべきでしょうか。 大船のモノレール駅の酒屋にもSchwarze Katz(黒猫)というドイツ産のスパークリング・ワインが売っていたが、味は同様か?

水曜日に新宿三丁目のクレッソニエールで、我がワイン通友人の主催で(渋谷のコンコンブル同様彼のお気に入り)、スペイン産スパークリングワイン、Cavaの3種のみ比べがあり、甘味の、辛味の、ロゼなどが出て、4人で飲み比べしました。大変良かった。やはりCavaかな? 木曜日は大学時代の友人に40年ぶりに会って(@品川西口駅前のEnoteca)、そこにあったやはりCavaを飲み干し、さらにチリのMontesという大変芳醇な赤ワインも飲んで(MONTES 2004 (Cabernet Sauvignon 70% + Carmenere 30%), Apalta Vineyard, D.O. Colchagua Valley CHILE)、人生というのは本当に不可思議なものと、半ば感激しました。この友人と、フルートを使ってシャンパンを飲むのは、ヨーロッパの習慣ではないかなど議論したが、結論なし。 大連の琵琶珈琲屋(Pippas Coffee Shop)にもCavaのフレシネ(Freixinet)が買ってあるので、これらを近々友人たちと飲み干そうと思う。上記のワイン通さんの勧めで、大連メトロにシャンパングラスもあったが、フルート・グラスを4本買ってある。でも私は1980年代に米国東部で飲んだNew York State(ニューヨーク州北部産)というロゼ・スパークリング・ワインが忘れられないで、これをまた飲んでみたいなぁ。それにしても、大連酒城に売っている中国産スパークリングワインの大瓶、1瓶で30元(=450円)というのは何者だろうか? (2006.06.18.)

ノートパソコンのソフト入れ替え、PDAの選択

1) 去年秋はMP3だのiPodをいろいろいじって、音楽ファイルを集めて楽しんだが(上記)、今年の秋は手持ちのノートパソコンが2台とも(IBM ThinkPad X20とPanasonic Let's Note W2)調子が悪くなり、Windows XP Proを入れ替え、Microsoftサイトから最新版にアップデートし、苦労してその他のソフト(iTunes、Photoshop Albumなど)とデータも入れ替えた。いまはウィルス対策ソフト(Norton AntiVirusとMcAfee VisusScan)のどれがいいか、試用版でみている。いままでどんなノートパソコンを使ってきたかの記録が私のPDA(Sony Clie)にあった。次に機会があれば中国のノートパソコン(キーボードが米国英語に似ている)を買って、日本語OSと中国語OSの両方を使おうと思う。(2006.12.15.) 以下のように、米国仕様のT40を使い出した。(2006.11.07.作成; 2008.04.09.改定):

注:以下の3台が現有パソコン:
  • Jan, 2009 - IBM ThinkPad T42 日本製 2373-J7J L3-39M07 2005/09 1.6GHz 512MB HDD35GB、若松通商で39,800円、 C:40/D:88/E:22GB; 02,14. HDDをSamsung 160GB+リロード体制代金に420元+200元出してSys Reload + C:40.1/48.8 D:/87.8 E:3.14/12.3 GB = 148.8 GB。下のIBM T40を雨でぬらしたら、メインボード(主板)が壊れてしまい、急遽中古T42を買ったもの。下が修理できて、いまは実験・バックアップ用。02.28. Norton virus scan 111,000 files, 00h05m; 05.06. 下のT40が調子悪くなり、このT42を日常使いだした。; ;
注:以下の2台は、メモリーを追加したり、HDDを取り替えたりして、Windows Vistaに適したハードはまだ出てないと思い、また最近次世代DVD戦争もBlu-Rayの圧勝に終わり、来年からこれを使ったノートパソコンも2009年から出るだろうと、いまはこれら古いノートパソコンの延命策を執行中(2008.03.16.):
  • March, 2008 - IBM ThinkPad T40 (米国製 2373-75U, S/N不明 2004年製造と思われる) 友人が日本のオークションで入手したものを160GB HDD付きで3000元で買い、1GBメモリーを足して合計1280 MBに: Intel Pentium M 1.5 GHz, 14.1 inch TFT Active Matrix Display (XGA 1024x768), 256+128=384 ->256+1024 = 1280 MB (DDR SDRAM, Max 2.0GB), 40 -> 160GB HDD (Hitachi) IDE, Motherboard Bus Speed 400 MHz, CD-RW/DVD-ROM 24x (CD) / 8x (DVD) / Optical Drive Write Speed 16x (CD), Sound Card, Keyboard "Touchpad" Trackpoint, Ethernet "Fast Ethernet" Gigabit Ethernet IEEE 802.11b, Fax/Modem 56kbps (V.90), 5.5 Hours Lithium ion Battery, 6V 4.5A, W12.25 in./ D10.05 in./H1.22 in., Weight 4.85 lb. (2.200 kg), integrated IBM 11a/b Wi-Fi wireless, Cisco Aironet Wireless 802.11b , Warranty 3 Years, 1.5時間で充電・満タン後1.5放電 2009.03.17-18. Windows XP + Drivers + MS Office 2007/2003 + Kingsoft Internet Security 2007 + Update を入れて、C:の空き28/39GB;2008.04.09. 音楽・写真ファイルを入れた後D:の空きは64.5/87.8GB; 03.21. iPAQとのActiveSyncが調子悪いが、Eメールを使い出した; 05.27. 全然起動しない。大連電子城で修理:顕上+下故障、虚[火旱}han4、做BGA (Ball Grid Array,) 500元、才能解決、成功率80%以上。不成功、更換芯片750元、換主板1500元; 06.13.-20. Google Talk, Skype, Yahoo! Messanger 08/07 昨日カバンごと落してディスプレイの左根元を壊し修理200元; 08/29 Fanの騒音を修理,150元(3か月保証);.08.30. MS update SP3 68MB; 11.11.Kingsoft Internet Security U導入‐スキャン2.99万個1:03時間; 12.03. PC Cardの蓋が壊れて外した; ; 2009.01.30. 雨で濡れてメインボード(主板)が壊れたので、秋葉原QuickGarageで修理診断8,600円、主板の取替えは12万円すると宣告された; 02.14.主板の修理に出して420元の予想; 02.23. 主板を交換@劉哥@ 1000元; 02.27. Kingsoft virus scan 441,000 files, 1h06m; 05.06. 先月から調子がよくなく、あきらめて、この日から上のT42を日常使いだした。;

  • Nov. 2004 - Panasonic Let's note Light W2 (CF-W2EW6AXR) Super Multi Dr (DVD-RAM2倍速-4.7GB/ R&RW4/ROM8/CD24)内蔵 244,800円; Intel Centrino Pentium M 733 1.10 GHz 256MB XGA-12.1"TFT 1677万色 40GB-HDD Lithium Ion 7.5駆動時間 無線LAN 1.290 kg; Windows XP Pro; Microsoft Word 95 -> Office 2000 -> Office 2003 Pro; McAfee VirusScan (Security Center)試用版; あとでApple iTunes 6.0, Adobe Photoshop Album 2.0; Sept. 2006 - Windows XP Proを入れ直し; Apr. 2007 - Windows XP Proを入れ直し; Dec. 2007 - 日本出張中にMain Memory 512MB (19.800円)を買って付けてもらい合計768MBにして、80GB HDD (6,648円)も買って、これは中国へ帰って200元を払って付け替えてもらい、同日Windows XP Proからすべてを自分で入れ替え、以前から外付け40GB USB HDDを使っていたが、120GB USB HDDも買って使っている; Feb., 2008 - 日本で買った MS Office Standard 2007(\28,400)を入れてみて、重いが、Outlook の予定表の週間表示などはなかなかよくて、PDFファイル変換が簡単にできるのもいい。;

注:下は長年使ったが、上のIBM T40を友人から買った時に、彼に譲った:
  • Jan. 2004 - IBM ThinkPad X40 (2371-4WJ, S/N KV-03711 03/12 172,300円) Windows XP Pro, Super Low Voltage Pentium M Proc 1GHz, 256MB, 20GB HDD, 12.1" TFT, 1024 x 768, 1.46kg, V90 modem, Ethernet LAN, Wireless LAN, 3.5 hrs, 別売でUltrabase X4 15,900円, CD-RW/DVD Drive FRU 92P6581 31,900円; Microsoft Word 95 -> Office 2000 -> Office 2003 Pro; ; Norton AntiVirus 2003試用版; ...続く
    Sept. 2006 - Windows XP Proを入れ直し ; Dec. 2007 - Main Memory 1GBを追加して、合計1.256GBメモリーとした; Feb., 2008 - 秋葉原でIBM用の1.8" HDD 40/60/80 GBを探したが、日立では生産停止だそうで、見つからなかった。日本で買ったWindows Vista Basic Home Edition(\14,490)と Office Standard 2007(\28,400)を入れてみたが、システム・バックアップを除いた残りHDD 15 GB のうち、2 GB しか空きがなくて、困っている。 March, 2008 - 大連のLenovo中国専売店で補修パーツとして、1.8" 60GB HDDが1450元(23,200円)で手に入ることが分かったので、当面HDDを増やしてこの場をしのごうかな。電池も新しくしなければ(400元=6,000円)。 (2008.03.03); 友人に譲ったら、無線カードが壊れていたので160元で、Ultrabase(底座)のUSB3個も壊れていたので、中後Ultrabseを250元(DVD Driveは自前)で買った。(2008.03.31.);
注:以下の2台は、以前インターネットはモデムを通して電話線で使っていて、最近は全然使っていなかったが、先月からLANカードを付けてインターネットをADSLから使えるようにして、メモリーを増加して、Windows XP Home Editionに変更してWindowsも時間をかけて更新したら、少し遅いがまぁまぁ使えたので、友人に貸したりしていたが(2008.01.11.)、その後同僚・友人へ譲った:
  • July 2001 - IBM ThinkPad X20 (iSeries 1620) (2662-2NJ, S/N FX-A8825 01/04) Windows ME, Low Voltage Mobile Celeron 500MHz, 64+128MB, 10 GB HDD, 12.1" TFT, 1024 x 768, 1.46kg, V90 modem, 3 hrs, Ultrabase (P/N 08N1180) w/ FDD, CD-ROM Drive, 99,800円 あとで2004 CD-RW/DVD Drive 26,046円; Microsoft Word 95 -> Office 2000 -> Office 2003 Pro; 2008.02.20. Windows XP Home Editionに代えて、Ultrabase DVD Drive付きで、同僚に譲った;

  • Feb 17 2001 - IBM ThinkPad i 1124 (2609-93J, S/N BA-YBYGT 01/02) Windows ME, Low Voltage Mobile Pentium III 500MHz Speedstep Tech, 64MB, 20 GB, 10.4" TFT, 1024x768, 1.46kg, V90 modem, 5 hrs, with USB Portable CD-ROM Drive Part # 00N8239/FRU 00N8244, 194,670円; Microsoft Word 95 -> Office 2000 ; 2008.03.04. Windows XP Home Editionに代えて、Corega LAN Card付きで、友人に譲った;

注:以下は、勤務先から貸与されて使っていた:

  • Jan 2000 - IBM ThinkPad 570 w/Windows 98, 2644-BAJ 97-388R7, Mobile Celeron 400 MHz, 128KB 2nd cash, 64MB + 128MB, NeoMagic 256AV, 13.3"TFT 1280x768, Lucent Win Modem 56K
  • June 1999 - IBM ThinkPad 560Z w/US English Kbd + Windows 98, 800x600, Megahertz/USR XJ5560J 56K
  • Aug 1998 - IBM ThinkPad 385XD w/Windows98, 2635-9FJ 97-21B3G, MMX-Pentium 233, 64MB, 12.1" 800x600 TFT, TDK Modem DF5600 K56flex
  • May 1998 - IBM ThinkPad 380XD w/Windows95, 2645-9AJ 97-148RW, MMX-Pentium 233, 32MB + 512KB cash, 12.1" 800 x600TFT, IBM PCMCIA 28.8 kbps Int'l Data/Fax modem 7万円で3年保証

注:以下も、PC JuniorとJXを除いて、会社で支給されたもの:

  • 1996 - IBM ThinkPad 530CS w/OS/2 -> Win95 20MB 640x480
  • 1994 - IBM ThinkPad 230CS w/OS/2-Win3.1 12MB 640x480
  • 199x - DOS & Win 3.1
  • Jan 1990 - IBM 5499 On-Line Note A4, Intel 80C186 @8MHz, 640KB, LCD 640x400, External 3.5" Dkt, Integ 2400bps modem, JDOS 3.2, PE 1.0, YNComm 1.0
  • 1987 - IBM JX DOS
  • 198x - IBM 555x JDOS (会社)
  • 1984-5 - IBM PC & PC Junior (米国で) DOS

2) PDAは下記のように2000年から使い始めて、いまは4代目:
  • Dec. 2006 - HP Pocket PC iPAQ rx1950
  • Jan. 2004 - Sony Clie PEG-TJ25青色 @横浜西口ビッグピーカン 320x320 3.0" DRAM16MB/ ROM16MB 18,300円 6万色 140g Palm OS5.2 デクマ手書き 75.3-110.1x11.9 ARM系200MHz (i.IHXL App Proc), パソコン側のPalmDesktop 4.1とHotSyncしてスケジュール・電話帳・ノートの定期的バックアップ, 英和・和英辞書付き
    別売のDocuments To Go 6, 無料のCrsMeDoc 3.2.3.で聖書(新共同訳)など & Online Bible Reader 3.40b, Sony Memory Stick 128MB ; March 2004 - CJKOS V4.6 for Palm OS 5の中文簡体字 ; Sept. 2006 - 以前買ったPumatech Intellisynch 5.2J by SSI Tristar 6,480円でOutlookへデータを移動開始、;
  • Feb. 2002 - Palm m505 160x160, 65000色, Dragonball VZ 400MHz, Palm OS 4.01, 8M RAM/4M Flash Memory T-Zoneで34,800円購入(+16Mメモリー+ Documents To Go 4付き);学習研究社の辞スパ簡易版WaeiT+EiwaT, CrsMeDoc 3.2.3.で聖書(新共同訳)など & Online Bible Reader 3.40b, Album ToGo

  • Jan. 2000 - Palm/IBM WorkPad \39,000--> 25,000x1.05 =26,250, 162g 2MB flash + 4MB DRAM 02/99発表 ; 8MB DRAM@ Master 3526-5090 \8,400;

3) 4代目のPDAは以下のような選択とインストール経験: 実はいまPDAを変えようと思って、今までのデータをノートパソコンのOutlookへ移し終わり、次のPDAを真剣に評価している:
  • Dell PDA Axim X51/X51v WM5.0 Intel PXA270 /624MHz 64MB-SDRAM 128/256MB 3.5QVGA/3.7"VGA 167/175g 119x73x16.7mm 無線LAN 3.8(256)/4.6万;

  • 携帯電話Sharp / Willcom W-ZERO3 2005.12月発売 3年間契約で44-47,000 3.7"VGA ASV液晶 70x130x26 220g PXA270 416MHz 2006.06月WS004SH発表 256/197MB Flush + Dic

  • 携帯電話Softbank X01HT (台湾HTC社製) 2006.10月発売HSDPA対応 3万円58x12.5x21.95mm QVGA 2.8"TFT ;
次に日本へ帰るときに、HP Packet PC iPAQ 2490b、Willcom W-Zero3あたりを買おうと思うが、日本語も中国語も使えるようにしたい。(2006.10.31.) 11月に2週間ほど日本へ出張した折に、Bic Cameraなどの東京・横浜の店を見たら、PDAはどこでもほとんど売ってなくて(最近人気がないようですね!)、結局インターネット販売でHP Pocket PC iPAQ hx2490bを買い、Bic Camera有楽町店で翻訳Walker j北京V4をオーダーして買って、大連へ帰って早速インストールして、Outlookからのデータ移動を試みました。ほぼうまくいっていて、メモ機能はPalm/ClieからOutlookへ移した「分類項目」は「フォルダー」方式で使えて、アドレス(連絡先)機能は悪戦苦闘のすえ、iPAQの連絡帳の画面右下にあるメニュー・フィルター・分類項目があるのを発見して、不便だが使えている。(Palm/ClieのPalm OS 5.2に較べてWindows Mobile 5.0のスピードが遅く、iPAQには高速のいい検索機能がないせいもあり全体的に不便だが、Palm/Clieは生産中止しているので、PDAはこのiPAQを使うしかないし、将来はもうPDAは止めてパソコンのOutlookですべてを処理した方がいいのかも知れない。)。翻訳Walker j北京を入れて、iPAQにKF-GB P Minchoなどの中文フォントが入り、パソコン側で中文のWordファイルを作り、iPAQにファイルを移動して、始めはゴチャゴチャの文字に手動でこれらの中文フォントを指定してやると、中国語Wordファイル(漢詩など)がうまく見えたのだが、しばらくして中文手書き入力・PinYin入力がないとのメッセージが出て使えなくなり、CDからプログラムを入れ直して(30分かかった)インストールをやり直すとOKになり、しかもインターネットWebにはありWindows XP下のWord 2003では使えている新華辞典(2003年修訂版)の第1類漢字(通用7000字)の1部が出てこないが(たとえば、王維 (唐)「謂城曲」 の書き出し「謂城朝雨 潤軽塵」の「潤」は中文では「シ邑 Yi4」(サンズイの右に邑)が出てこないのをWord Mobileのメニューで書式指定から簡体字フォントKF-GB P Minchoなどを選択してしのいでいる)、第2類漢字(現代漢字623字)や、詩経の「桃之夭夭」の2節目「桃之夭夭 有[廾+賁]其実 之子于帰(ゆきとつがば) 宜(よろしからん)其家室」の「[廾+賁] Fen1」(草カンムリに賁)のような第3類文字(古代漢字2261字)も文字が出ないので、これらの文字のみを繁体字フォント(KF-B5 P Minchoなど)で指定すると何とか格好はつくが、高電社へ問い合わせたい。これからDicLand英和・和英・国語辞典(三省堂)、上記のViewPageかTextViewer 3.3a (3026)とMeDocファイル(日本語聖書)、音楽・写真ファイルなどをiPAQに入れて、いじってみたい。(2006.12.09.) 2か月前くらいから、iPAQの調子が悪くて、新しい情報は全てノートパソコンに入れていて、非常に不便だ。接続時に「動機エラー このデバイスを同期するには、デスクトップ・コンピューターにActiveSync 4.0以上をインストールしてください。」というメッセージが出て、接続されない。ActiveSyncの情報を見ると、「ActiveSync Version 4.1.0. (ビルド 4841)」とあり問題はないはず。iPAQ側の問題か(よく電池が切れて、日付がリセットされてしまう)、ノートパソコン側のActiveSyncの問題か、多分前者だと思ってiPAQをハードリセットをしたりしたが、10日後にMicrosoft ActiveSynch 4.2が出ているのに気付き、インストールしても同じく「4.0でないのでダメ」と出て、さらにActiveSynch 4.5にしたらOKで、万々歳!!!(2007.11.21.)

4) Windows入れ替え手続き 上の1)にも書いたが、このごろ6か月に1回、Windowsの入れ替えをやっている。2007年4月になって、出たばかりのInternet Explorer 7.0を出来心でPanasonicに入れたところ、これが大変なNGで、以前の6.0とユーザーインターフェースがまるで違うし(お気に入りのところ)、またウィルスにも弱いらしく、友人の家で中国網通CNCのADSLに接続直後だったと思う起動時のブランクページに中国語の「...匈」とかいうウィルスもどきの窓が居座り、そこから他のウィルスもどんどん入ってくるらしくなどで、そのうちにOutlookでEメールも発信できなくなった。 それで、5月連休直前にまず外付けハードディスク40GBにすべてをバックアップで取り、IBMの方にEメールを移し使い始めて、連休中にPanasonicの方のWindows XPを入れ替えて使い出したが、これをMixiの日記に書いたところ、いろいろ教えてくれる人があり、以下のような手続きを次回のためにも、完成した。Kazabanaさんに感謝!(2007.05.07.)。

A) まず、データをバックアップ用外付けハードディスク(40/120GB)に移す準備をする
  • Outlookの中の最近のEメール、スケジュール、連絡先、メモなどをエクスポート
  • IME浮動ツールバーのツールで辞書ツールを見て、ツールを選び、一覧の出力で、これまでやってきた単語/用例の登録を一覧の出力で、output1.txtファイルなどに入れておく
  • 音楽ファイル(iPod用)、写真ファイル(やはりiPod用)とiTunes、Photoshop Albumのファイルも準備
  • あとは下の手続きを見て、もっとさらに準備することをやる(Internet Explorerのお気に入りのエクスポート、全てのCDなど)
  • 日頃やりたくてもできなかったこと、例えば、音楽ファイルでアルバム・ジャンル名などが修正できないファイルの整理、写真ファイルの日付のずれの整理、などをこの機会にやる

B) それから、Windows、他のソフト、データをインストール

  • ハードディスクの区割りを決めて(Panasonic/IBM 80/160GB HDDではc:40/40GB,d:40/10GB,e:0/20GB)、Windows XPをリカバリーCDからインストールし、インターネットでWindows XP Service Pack 2(SP2)などをダウンローインストール。Windowsデスクトップの壁紙を適当に選び、エクスプローラーのツール、フォルダー・オプションででファイルの拡張子を見れるようにして、コントロールパネルで中国語(ピンインで入力)を追加、などを変更
  • MS Window 98 -> Office 2000 -> Office 2003 -> Office 2007 Update (この逆をやるとOffice 2007/2003 が入るが、UpdateしたあとでOutlook 2007がregister値が問題で開けなかった)。Office 2007 Service Pack 1(SP1)もダウンロードし
  • 会社のLAN(TCP/IPのアドレスを正しく入れる)、家のADSL、コーヒーショップの無線LANでインターネットにアクセスできるかテスト ド/
  • Office 2003の中のOutlookへ、Eメール、スケジュール、連絡先、メモなどをインポート(3または6か月ごとにエクスポートしてバックアップを取っていたもの、プラス上記の最近のもの)
  • IME浮動ツールバーのツールで辞書ツールを見て、ツールを選び、テキストファイルからの登録で、以前の単語/用例の登録を、上で用意したoutput1.txtファイルなどから取り入れる
  • My Documentsを右クリックし、プロパティーを選び、ターゲット・タブの移動で、D:を選び、My DocumentsをD:に変更する。(あとでD:のMy MusicにiPod用音楽ファイル、My PcturesにPhotoshop/Photpshop Album用写真ファイルを入れる)
  • Adobe Photoshop Elements 2.0(画像処理用)& Photoshop Album 2.0をまずインストールして、Canonのスキャナーの付属CDを入れてスキャナーを接続するとドライバーソフトをインストールしくれので、このあとPhotoshop Elementsからスキャナーを使ってみる
  • iTunes 7をインストールし、音楽ファイルの分類などを整理する (あとで、iTunesからPhotpshop Albumを通して、音楽も写真もiPodにうまく入るかをテスト)
  • HPのポケットPC(iPAQ)用のMS ActiveSynch 4.1をインストールして、「ActiveSync 4.0以上でないので接続されない」というメッセージが出るのでさらに4.2と4.5へupgradeし、ノートパソコンとiPAQとを通信させ、お互いにデータをupdate
  • パソコンにバンドルされているウィルス対策ソフトの試用版(PanasonicではMcAfee VirusScan 7.2、IBMではSymantec Norton AntiVirus)をインストールし、インターネット上で修正ファイルをダウンロードして、実行。あと試用期間3か月内に、最新の比較結果なども参考にして、以前買ったNorton Internet Security 2004を使うか(最近の問題に対処できていないのでこれは止めた方がよさそう)、新しくインターネットでNorton Internat Security 2007またはNorton 360Justsystemも出しているKaspersky Internet Security 6.0などを買うか、どのウィルス対策ソフトを使用するかを決める。(2007.05.07.追加)

    注:このあとMcAfeeが出すべきメールをあて先の様式が悪いから出さなかったという事件が2回あり(あて先の様式は正しい)止めて、Norton 2007が軽くなったということで15日間試用版を入れてテストしたがやはり重くてしかも同様な問題があり、次に中国のKingsoft (金山軟件)のKingsoft Internet Security 2007(中国の「金山毒覇」の日本語版)の6か月試用無料(そのあとは毎年980円)が7月に出たのでこれを使い始めた。(2007.08.11.追加) Kingsoft Internet Security 2007無料版ができたので、これを使い始めた。(2007.12.15.追加)Kingsoftの無料版に広告が入り始めたので、友人