中国の会社で働く1


北京へ研修旅行(香山頂上で)

Go down to the English part.

いま、中国の会社で働いています。会社の機密やその他に触れないように、さしつかえない範囲でどんな模様か、お話しします。一人でも多くの日本人が中国で働かれることを望みます。

日本人募集に応募

4月に日本人の友人が、ある会社で日本人を募集していると連絡をくれました。彼自身も応募したいくらいだと、仕事の内容や給料を募集者と煮詰めて、電子メールで彼の友人を中心に送ってくれました。5月中旬に履歴書を2ページ以内に日本語と英語でまとめて、電子メールで送り、しばらく待ちましたが、返事がない。その年の9月からの仕事は5月中には決めないといけないので、6月はじめに催促したところ、すぐ面接があり、日本語・中国語・英語を混ぜての面接で(私はなるべく中国語を使った)、社長から仕事の内容を聞き、経歴を確かめ、質問もして、翌日はOKと電話で返事があり、この会社が不動産会社の子会社だからでしょうか、決断は非常に早い感じでした。以前勤めていた大学には、9月からは他へ行くことを通知しました。

1週間ほどで雇用契約書の原稿をくれました。契約書は正文が政府が作った中国語・英語で、附件は中国語・日本語で作ってくれました。1つ、私自身が大きな譲歩をしたことがあります。それは私が夏休みが終ってから9月1日から働きたいといったのに対して、社長はそれでも構わないが、7月末と8月末にそれぞれ大連と東京で大きな会議を予定しているといったので、7月15日から働くことにしました。その代わりということでもないのですが、週に4日働く(私は水・土・日は休み、中国では土曜日にも働くところがまだある)、給料と住宅費補助は認めてもらえました。前に勤めていた中国の大学と日本の会社から「結業証」をもらってくれ(履歴書の確認と、前職が無事に終っていることの確認でしょうか)、また履歴書に間違いがあることが分かれば、契約を中止するという項目があるのは、多分中国の雇用契約では一般的なことでしょうが、私には新しいことでした。日本では「結業証」というのはないので、日本の会社からは何年何月何日から何日までこの会社に在職しましたというメモを書いてもらいました。

携帯電話を買う

1台目はHeier:入社の前の週の金曜日に、仕事上必要みたいなので、生れてはじめて携帯電話(中国語で「手機 ショウチー」)を買いました。中国では中国移動電話(China Mobile、中国電信 China Telecom の子会社、GSMをやっている)と聯通(中国聯合通信 China Unicom、独立系、GSMに次いでCDMAもはじめた)が携帯電話サービスをやっていて、大連にも大商携帯電話広場など大手の販売店で電話機を売っています。大体600元(9,000円)から4000元(60,000円)くらいで、日本のように電話会社がリベートを多量に出すので電話機はほとんどタダという異常状態ではないので、日本人の私には高い!という感じ。はじめフィンランドのノキア(諾基亜)の700元くらいのを買おうと思ったが(重量が107g)、たまたま在庫がなくて、中国の海爾(Haier)の「海運星3000」(1500元、71g)を買いました。薄くて、ワイシャツのポケットに入れて大丈夫ですが、軽すぎて、もう少し重いほうがいい気がします。機能はほぼいいのですが、2日に1度電池を代える時にすばやくやらないと日付がリセットされるので、これだけはカンベンという感じで(サポート電話で文句をいったら、そんなことは始めて知った、こういう文句は始めて聞いた、とネケヌケと回答した!)、次回は海外の会社のを買うつもりです。(もう1つの理由は、下で述べる方法でインターネットからひらがな・カタカナ混じり中国語のメッセージを送ると、このモデルでは文字が出ず、表示不能を意味する四角文字で出てきて、ノキアやモトローラの携帯電話のようにひらがな・カタカナを表示できない。また、繁体字の五筆入力・表示もできない。)入れ替え電池と充電器の抱き合わせ販売で(これがなかったら、300元くらい安い気がする)、マイカルと国泰百貨店(天百集団)の携帯電話広場へ行って安いのを買うよといったら、3社は協定しているから同じ販売価格よと販売員が堂々と言っていたから(海外ではこれは独占禁止法違反)、まだまだWTOへ加盟した国とは思えない。

中国移動電話通信・聨合通信のサービス: 頭をなやましたのは、どの会社の電話サービスを受けるかです。聯通でもよかったのですが、携帯電話機を買った大商には中国移動電話のデスクがあったので、下の3つのサービスのうち「神洲行」を契約し、100元のカードを買いセットしてもらいました(前払いになる)。(2002.07.19.)

サービス月額(相手番号通知
機能10元を含む)
1分当りショート・メッセー
ジ(短信)/彩信
コメント(1元=10毛、
1元=15日本円)
全球通50元4毛距離に無関係で毎通
1.5毛/彩信(50KB
以下の添付)はあて
先2つまでは各々9
毛で、3つ目は無料
市外へ出張が多い人に
本地通
 
 
本地通単向収費
30元
 
 
40元
2毛市内通話が多い人に。
遼寧省以外で使うと、月額
が+20元、送受1.3元/分
電話を受けるのはタダ
神洲行
吉祥カード
神洲行大衆カード
なし
月額5元
最低15元
6毛
4毛
6(9-11:00)または4毛
通話が極端に少ない人に
大衆カード/単向収費に変更可
電話を受けるのはタダ
ところが、アパートに電話が入るのが遅れに遅れていることも重なって、100元がすぐなくなってしまい、カードを買いに行くヒマがなく、近くの農業銀行で支払いをしようとしたら、神洲行だと銀行から送金できないということで、その後何回か300元から50元のカードを買い足したあと、5か月も経ってからやっと西安路の移動電話のオフィスへ行って、100元払って「本地通」に契約し直し、電話番号も変わりました。中国で日本と大きな違いは1つ、通話を受ける人にも同額の料金がかかることです。それで、他の地域へ旅行する時には、携帯電話を切ってしまうか、かかってきた電話の番号で発信地を判断して、遠距離だと出ないということをよくやられるという理解でいましたが(2002.12.14)、最近上の表の本地通単向収費と神洲行大衆カードのサービスができて、電話を掛ける人がすべての費用を払い、電話を受けるのはタダのものも出てきました(ただし、よく知られていない)。娘が大連へ来る予定で調べたもので、友人から使っていない携帯電話を借りたところ、中国聯通のCDMAの携帯で、まず100元でSIMカードを買って、サービスの値段表は次の通りで、如意133(133元)を契約しました。(2004.02.15.) :
サービス月額(相手番号通知
機能5元を含む)
1分当りショート・メッセー
ジ(短信息)
コメント(1元=10毛、
1元=13日本円)
五王通25元2毛距離に無関係で
毎通1.5毛
中国通信の本地通に相当
如意通
如意133
なし
40元
5.4毛
4毛
中国通信の神洲行に相当
2か月有効、電話を受けるのはタダ

中国での携帯の使い方: 携帯のアドレス帳(電話簿)には私は、「Feng馮正、Jameson T、Jin金明星、Mik三上吉彦」のように姓の各国語読みABC順に、中国語・英語・日本語のローマ字と中国漢字を入れて、日本人・中国人・欧米人を見やすく、探しやすくしています。中国にもショート・メッセージ(短消息)があり、友達の携帯に簡単な中国語(または英文)メッセージが送れ、大変便利です。( http://www.eusion.comでインターネットからひらがな・カタカナ混じり中国語のメッセージを送れる。)中国語の入力はピンイン(ローマ字)と五筆でできるようになっています。(ただし、私のHaierの携帯は中国語入力で「開」のすぐ後に「始」が出なくて、「一」のあとにも「起」が出てこなくて、中国語入力ソフトはひどく悪く、また英語の入力で「fam」まで入力したら「family」が先読みされるような機能もなくて、大変不便。)私のは、メッセージがインターネットへは送れず、中国移動電話のGPRSと聯通のCDMA 2000は代2.5世代で、インターネットも高速で使えるのが後で分かり、携帯の販売員も何も知らないので、残念ながら検討しませんでした --- 中国で携帯でインターネットを使っている人にまだ会ったことはありません。ジーメンス(西門子)の携帯電話のパンフレットを見ると、1118が通常の携帯、3508iが「WAP上網効能」(インターネット接続可能)、3118(1250元)が「GPRS、無線下載(ダウンロード)、無線Java」とあり、6か月後にでもインターネット携帯に買い換えたいな。(2002.09.30.) 前日に携帯のパスワードを操作していたら携帯のPINカードが壊れてしまい、上海路の中国移動電話へ行って15元で変えてもらい、その後にそこで聞いたところ、聯通では上網効能(インターネット機能)はサービスしてなくて、中国移動電話では次のサービスがありとのこと。(2002.11.23.) (2005.05.29.に更新)

Wap500分以下 毎月30元 (1元=15日本円)
Wap500分以上 毎月30元+毎分0.15元
GPRS自由套餐 毎月なし+1KB毎に0.03毛
GPRS大衆套餐 毎月5元(500KB)+1KB毎に0.01毛 (あとで追加)
GPRS経済套餐 毎月20元(1MB)+1KB毎に0.01毛
GPRS時尚套餐 毎月100元(20MB)+1KB毎に0.01毛
GPRS商務套餐 毎月200元(500MB)

中国携帯電話の周波数帯: 中国では「私は韓国で使っていた携帯を使っているので、漢字のショートメッセージは受けても見えないよ!」というような人がよくいますが、これは、中国は欧米や多くの国で使われているGSMという規格が主流になっているのからで、外国で使っている携帯を中国でも使えるという、日本では見かけない風景です。(日本は、FM放送なども、世界の国々とは違う波長を使っていて、本当に閉鎖的だよね!)きょう日曜日は、教会のカナダの友人カップルの手助けで、勝利広場の携帯電話売り場へ行き、カナダでも使えるモデルという指定で、モトローラの中古携帯を700元で買わせました。「三頻」(3チャンネル)という機能があれば、900兆(MHz)、1800兆、1900兆の電波が利用できて、最後のが米国・カナダで利用できるのだそうです(SIMカードはカナダの番号で買う)。また、オーストラリアの友人カップルは携帯にあずけてあるお金がなくなったので、調べてもらったら、プリペイドのお金がなくなって1か月経つと、携帯の番号が利用できなくなり、また100元払って、新しい番号をもらいました。携帯はほとんど利用しないらしいので、本地通を契約していたのを(毎月20元かかる)、神洲行に変えて(毎月料金はない)、利用できるようにしてやりました。153ブース、大連勝広電訊の老板、徐鵬さんの奥さん、辛抱強く対応していただいてありがとうございました。(2004.02.01)

中国で日本語ショートメッセージ: このごろ中国語のショートメールにも慣れて、できたら日本語Eメールも利用したいなと思っています。中国語、日本語、英語ができる携帯電話が日本のエービー(AB)ソフトにより開発され、HIRONET上海ヒロネット(021-5253-1138、http://www.sh-hiro.net/gsm/)から発売されたと日本語雑誌Walker China 2004年2月号に新商品ニュースがあり、波導(Bird)の既存機種を改造し、オムロンソフトがリリースした日本語入力辞書・変換プログラムを組み込んであるという。取り扱い説明書も日本語。これはどうでしょうか。同じ号のTISの記事のページに広告もあり、単体で2500元、青色と赤色のペアで4500元で、日本語メッセージはショートメールで、楽々メール新サービスを利用すれば日本とのメールがいっそう楽になるとある。(2004.02.12.) 雑誌「コンシエルジェ大連」の最近号にはHIRONETの広告で、青色の限定価格が1700元、対応規格はGSM 800/1800で(上に書いた、米国などで使われている1900はサポートしていない)、アメリカ・韓国・日本以外ならいろいろな国で使用可能、中国語も見えるとあるが、中国語も入力できないのだろうか。(2004.07.14.) 日中・中日翻訳を利用する希力方舟科技(シャフト・メディア・テクノロジー)のLandBridge携帯メールや、Javaアプリを日本側で利用するクロスワンコミュニケーションスの思念電郵メールもある。(2005.05.17.)

中国版PHS: 海外ではPASと呼ばれているサービス「小霊通」(シャオリントン)が大連でも始まった。これまで固定電話の中国電信(中国南部)と中国網通(中国北部)が各地で正式の許可なしに手がけてきたもので(携帯電話会社との確執に関しては、毎日新聞中国情報局の特集を見よ)、2003年5月17日の世界電信の日に中国政府から公に解禁され、大連では中国網通の大連通信がサービスを開始し、毎月20元、各通話は1分2角、その後1分で1角の通話料と安く、とりあえず市内4区、旅順、金州、開発区の限定サービスで、少しつながりにくいところがあるとか、移動するバスなどではうまく使えない(PHSの特徴ですよね)ことがあるようです。電話を掛ける側のみが料金を負担するのが特徴で(中国の携帯は、普通受ける側も通話料を半分支払う)、電話番号は7桁で、市外からは固定電話の市外電話番号(大連は 0411)をまわしてから7桁です。(注:これは2004年3月に、前に8を追加して、8桁になった。)ショートメッセージは、通常の携帯とは交わせない。(2003.06.25.) 昨年末ごろからテレビ報道で聞いてはいたが、小霊通から携帯へ、携帯から小霊通へショートメッセージが送れるようになった。新聞発表には詳しく書いてなくて、小霊通からは携帯の番号7桁そのまま、携帯から小霊通へは106を加えてそのあと市外電話番号からの番号で(例えば、106-0411-xxx-yyyy)送れることが分かるまで、いろいろな人に聞いたり、旧正月休みもあったりして、1と月もかかってしまった! (2005.01.21.)

日本の携帯にはない便利な英語入力機能: 我が社の属する集団が聨通と契約して、CDMAの各種携帯を売値の金額を聨通にあずけて、2年間毎月最低50元(値段が高いものは80、120元)を使うと、2年後はあずけた金額を返してくれるので携帯はタダになることになり、しかもVPAサービスを利用できて下4桁だけダイアルするとお互いに通話料が安く連絡することもでき、結局Motorola V688が預けるお金が1500元で安く、同僚4人くらいが契約して使い始めたが、V688はアドレス(電話簿)などをパソコン側へ移動して、そこで訂正してまた携帯側に送り返すことが、スケジュール(日程表)がこうしたことができないことが分かり、いっそのことカメラ付きの携帯電話ならこうしたことはできるし、インターネットも使いたいので3200〜2900元を投資して、聨通CDMAで普天Sanyo SCP-580/820や東芝T618を買うか(CDMAは大連では大商にしか売っていない)、いまの番号を変えずに移動電話の三菱電機M350/750、NEC N810などにするか(移動電話は大商だけでなく、マイカル・国美・天百などどこでも売っている)迷っています。(2004.09.07) Nokia、Sony Ericsson、Motorolaの値段が高い機種には、英語モードでPredicter機能(智能英語輸入法)と呼ばれるのがあり、例えば「school」を入力するには普通 s のあるキーを4回、c のあるキーを3回、h のあるキーを1回、o のあるキーを3回、しばらく置いてまた o のあるキーを3回、l のあるキーを3回押すが(合計17回)、Predicter機能があればそれぞれのキーを1回押してからスペースキーを押すと(合計7回)、「school」が自動的に出てくるようになっているもので、非常に便利。(Siemensや日本/韓国/中国の携帯電話会社の機種にはこの機能はない。)最近日本のauで見た東芝の携帯には英語の辞書が入っていて、「sch」まで入力して、ジョイスティックの真ん中のボタンを1回押して確定したあと、さらに1回押すと、「schedule」や「school」などの用語を辞書から表示してくれるので、自分で選べるが、これは少し不便と感じた。また、日本でSDカード入りの携帯電話を見かけるようになって、これは便利と思うが、中国でもそろそろ出るのでしょうか。これらを日本で発見した直前に休暇でハワイへいった時に見たのは、AT&T Wirelessで使えるMotorola V505(値段は300ドルのを200ドルで売っていた)が、Video Playback(動画の再生)機能がついているもので、面白そうだった。(2004.11.27.)

2台目はSony-Ericsson: 始めて中国で携帯電話、海爾(Haier)の「海運星3000」(白黒画面、1500元)を買ってから3年も経つので、いよいよ新しい携帯を買おうと思い、以下のように調べ始めたが、夏までに決めればいい。1)カラーの比較的大きな画面(2.3、2.1、1.8インチ)で、2)静止画・動画機能があり、3)智能英語輸入法(上に述べたPredictor機能)もあり、4)個人信息(日程表など)も充実していてパソコンから情報更新ができる、5)できたらメモリーを追加できるもの、6)電池が長く持つもの(「水貨」も視野に入れてあとで追加)と決めると、3)からモトローラ、ノキア、ソニー・エリクソンに絞られます。日本でも去年から出た2.3インチの240x320の大画面(パソコンのVGA画面の1/4=QVGA)のはモトローラE680(30万画素、動画はない、3600元)とソニーS700C(130万画素、4580元、密輸入ものは3500元)が去年から売っているが、値段が高いのと、私のパームコンピューターと同じくらいで大きすぎるのと、例えばモトローラのは手書き文字入力だけと問題がある。2.1インチで176x208画面のはノキアだけが6600/6670(30万画素、3150元くらい)を売っていて、1.8インチで176x208画面のはモトローラがE398(30万画素、動画はない、5.5MB + TransFlashカード32MB、2200元)と、ソニーがK700c(176x220、30万画素、41MB、2500元、パンフレットがしっかりしていて分かりやすい)とがあり、ノキアは3230(3500元)がこれらに相当するらしいが、カルフール・西安路の専門店・国美などどこの店へ行ってもパンフレッと販売員が悪くて、ノキアのははっきり分からない。(2005.05.16.) 会社の同僚が持っているモトローラE398で撮った写真を見たら、ビドイ品質で、30万画素の携帯またはカメラも作ってない会社(モトローラとノキア)のは絶対買わないぞと決心して、土曜日に西安路の羅斯福でブラブラ見ていたら、最近は上の3社以外でも智能英語輸入法を持っているものがあることが分かり、日本の会社では三菱電機のM760(スライド式=デザインが斬新、2.0インチ画面176X240 26万色、130万画素、15MB内臓、MP3、3450元)/M900(蓋式、200万画素、MiniSDカード、3980元)とNECのN830(蓋式=デザインが保守的でダサイ、2.2インチ画面320x240 QVGA 6.5万色、130万画素、動画はない、28MB内臓、3080元また生産停止なのでメールオーダーで6月末まで待って2000元)/N840(200万画素、MiniSDカード、5580元)を売っていて(松下などは100万画素のはまだ売っていない)、パソコンとの「同歩軟件」(同期ソフト)がどの程度か分からない。(2005.05.21.) 国美電器西安路店でM760/M900用のソフト「三菱手機伴侶 Mitsubishi Assistant 2.0」(交大銘泰(北京)信息技術有限公司製作、三菱電機の携帯を買う人に無料配布)を貸してくれたので、パソコンにインストールして調べてみたら、電話帳とEメールはパソコンと同期できるが、日程表の同期はサポートしていないのでボツ、またN840は2005年3月に発売したばかりで値段が下がるのはあと6か月くらいかかりそうなので(パソコンと同期用のケーブルもソフトも出ていなくて、カメラがCCDではなくてCMOSなので多分画質が劣るだろう)、ソニー・エリクソンS700cが2004年10月に5900元で発売したのが、今は大連の大商や国美電器(連鎖店)で4800元、北京のメールオーダー「鴻信通」で3900元、大連の勝利広場地下の手機広場の「行貨」(正規の輸入商品)は4100元、「水貨」(密輸品、多分電池などがニセモノ)で3200元になってきたから、もうこれからはデジタルカメラは買わないことにして、しばらくしてからこのソニーS700cを買おうと思う。(2005.05.26.) 聯通のCDMA用は、韓国全体がCDMAだそうで、LGや三星Samsungがいい電話機を発売していて、韓国内では携帯テレビとか700万画素のカメラ付きとか出しているのに、中国では100/200万画素のカメラ付きは出ているが、画面がQVGAはまだ出ておらず、日本勢では東芝は生産中止で、普天・三洋電機のみが多少頑張っている(30万画素のみ)。(2005.05.29.) 結局勝利広場の携帯電話広場でソニーS700cの行貨を3900元で買い(+予備電池50元)、画面がむき出しになるので布のバッグ(10元)も買い、移動電話の神洲行長途カード

サービス月額(相手番号通知
機能10元を含む)
1分当りショート・メッセー
ジ(短信)/彩信
コメント(1元=10毛、
1元=12日本円)
神洲行長途カードなし受信は1毛
発信は08:00-18:00が4毛
18:00-08:00が2毛
距離に無関係で毎通
1.5毛/彩信(50KB
以下の添付)はあて
先2つまでは各々9
毛で、3つ目は無料
長距離(省外)への発信は
08:00-18:00が4.0毛
18:00-08:00が1.5毛
省外での発信は1.5毛
のサービスが毎月の支払いが100元くらいの人に丁度適しているということで、このカードを勝利広場の地下の店で買い、新しい電話番号になり、GPRSもできるように設定してもらいましたが(月額なしで0.3毛/KB)、この携帯電話機にはいろいろと機能があり、使い方がまだよく分からない。(2005.05.31.) 6月初めに200元プリペイのため移動電話会社に行ったところ、この新しい電話番号は他人の名義になっているから、2か月後にプリペイした領収書を持ってきてくださいと言われたので、8月始めに旧電話番号の残りの金額を受け取りにいったついでに、新電話番号を私の名義に変えてもらいました。今年始めに友人の1人が携帯番号を変えたので理由を聞いたところ、町で買った携帯電話番号が他人名義で、その人が知らない内に電話番号を取り返してしまったので、泣き寝入りだといっていたので、私も危ないところでした。移動電話会社の人にパスワードも変えてもらい、毎月の使用料金レポートも来ていないのも1861へ電話して送ってもらうようにしました。(2005.08.03.) 神洲行長途カードへ変えてから1年以上経ちましたが、最近の毎月の使用料は50〜70元くらいで、以前の80〜100元に比べて、断然安くなりました。やはり、毎月の最低使用料金がないのは大変いいです。(2006.08.19.)

会社名義の携帯電話番号は中国の習慣に根ざした独特の問題があるので、注意した方がいい。私の友人の会社が我が社からサービスを受けていて、彼の携帯電話機も「本地通」の電話番号も我が社の名義のものを使っているが、1)毎月の使用料金の通知が来ない、2)上海・杭州など省外へ行った時に使えなかった(彼の同僚のSIMカードに代えたら使えた)、3)海外電話の発信が1年間ほど使えたが、その後半年ほど使えなくなっているという3つの問題をかかえていました。早速彼と上海路の中国移動電話の事務所へ行き、彼のパスポートと私の会社の社員証を見せて、1)は初期パスワード「123456」を変えてもらって、毎月の通知が来ていないというのを1861へ報告して、送ってもらうように頼んで終わり(多分今月から通知が来る)、2)は普通中国で会社名義の携帯電話番号は省外では使えなくしているので、これを今後もずっと省外で使えるように変えてもらってOK、3)は会社名義の携帯電話番号を国外へは使えなくしているが、申請すれば1年間は海外向けも使えるが、毎年更新しなければならないということで(今後もずっと使えるようにはできない)、ケリがつきました。(彼は我が社の名義を、もう彼の会社が支払い済みなので、すべて彼の会社または彼個人の名義にしたかったが、これは両社の公印がある書類を用意しなければならないと聞いて、その場ではあきらめました。)以上は、中国では平社員から会長まで、携帯電話は多少の例外を除いてすべて個人支払いなので、会社名義の携帯電話には上のような制限を付ける習慣で、会社名義の携帯の使用にこのような制限がないのに慣れている日本人にとっては、大変理解が難しいことでした。(2005.08.07.)

3台目はMotorola: 大連へ来てほぼ5年経ったきょう日曜日に大連駅前で2代目の電話を白昼堂々と強奪され、仕方なしに急遽中国移動電話の西安路事務所へ行って、前のSIMカードをキャンセルして、新しいのを発行してもらい(以前の番号・残金は継続して使える)、さっそく近くの蘇寧電器の黒石礁店で、1)スクリーンと文字が大ききく、2)まぁまぁのカメラ機能つき、3)個人情報のパソコンとの同期、4)手ごろな値段(2000元程度)を条件に探したら、日本企業の携帯はほとんど売ってなくて、Sony-Ericsson、Heier、Samsungにいいのがなかったので、Motorola(摩托羅拉)にしてみようと思い、はじめMotorola E2(スクリーンがQVGAで、2006年5月にデビュー、いまは2290元)を検討したが、文字が小さすぎたので、店員のすすめでMotorola RAZR V3i(100g,123万像素 8倍数碼変焦, 主スクリーン 2.2" 176x220, 外部スクリーン 1" 96x80分弁率, 26万色-6.5万色, 11MB+miniSD card 64MB, 外形98x53x13.9 mm , 72和弦, 2005年12月発表され別名「刀片手機」で当時は3,990元, 支持GSM 350/900/1800/1900, バッテリーは理論200-280時間、2500元)の渋い赤色のを、普段は1週間くらいかかるのに今回は1時間くらいでさっさと決めて、持って帰った。電話帳の名前が漢字で6文字までしか入らない(ローマ字だけだと14文字まで)という制限が気に食わない以外は、ほぼいい機能と思う。(2006.07.30.) 社内の会議で右隣りの女性が同じMotorolaの携帯電話でピンクのを持っていたので、私がおかしいと感じていた機能について「電話帳で名前を探すのにI、U、Vなどのキーがうまく機能しないのはなぜ」と聞いたら、漢字がこういう英文文字で始まらないためと分り、英文モードにすればいいことが分り、彼女は今年始めに3200元で買ったとのこと。その後、左となりの男性がやはり同じMotorolaの携帯で黒色のを持っていて、くすしくも同席の3人が同じモデルを持っていて、彼は去年末に3600元で買ったということで、さらに「そう、薄くていい形の携帯で、発表当時から買う時期をねらっていたそうで、我が社の社長も1年前に発表されると同時くらいに買って、バッテリー充電器が付属しているなど多少モデルが違うが、6000元以上払っている」といっていたので、ああこんなにポピュラーなモデルだったのかと思った。(2006.08.16.)

4台目はNokia: 大連へきて8年目が過ぎようとしたころ、諾基亜Nokia E71をできごころで買ってしまった。ノキアは世界でも一番売れている携帯電話とはよくいうが、ヨーロッパおよび開発途上国の話で、北アメリカではそうでもなく、日本ではしばらく売っていたと思ったら、今年もう営業停止をしてしまった。会社の中国人同僚がNokia E71を持っていて、縦にして下方に小さなキーボードが付いるもので、値段が2200元と手ごろで(Nokia N97だと横にして、キーボードがあるが値段が6000元弱して高い)、青泥窪橋の地下街で「水貨」(おもに香港など海外のもので、改造して中国でも使えるようにしたもの)を買えば、無線LANの使えるし(中国で通常売っているモデル(「漢物」という)は使えなくしてある)、「松茸」ソフト(昔懐かしい管理工学が開発)を入れて日本語の送受信ができるし、「GPRS」ソフトなども使える。OSはSymbian S60で、こうしていろいろなソフトを様々な人が開発して公開しているのが、Nokiaの携帯電話が人気ある秘密の一つだという。しかも、今年から正式に始まった3G(China UnicomのW-CDMA)にも対応していて、China Mobileの3GはTD-SCDMAで海外の3Gとは互換性がなく、このW-CDMAは日本などと互換性があり、近い将来この形態を日本でも使えそうだ。 ---続く--- (2009.07.07.)

付:日本の携帯電話 日本へ1〜2週間出張した時には、娘が日本で使っているauの携帯で家族割り引きの携帯を契約してもらっていて(私が使った月は+3〜400円くらいといっていた)、これまではそれを使っていました。この携帯が少し古くなったのと、娘も結婚してオヤジも娘から独立しないといけない!ので、また中国から出張した時はプリケー(プリペイド方式の携帯)でないと中国の会社では出張旅費として清算しにくいので(中国はすべてプリケーで、前月の使用料を翌月支払うという習慣がない)、普通の携帯の使用契約は月間最低でも2500円はするので、次回日本へ行った時にプリケーを買おうと思い、PuPuRuの携帯電話レンタルも高価なので、日本出張最後の日に少し調べてみました。日本のプリケーは最近いろいろな犯罪に利用されることも多いのでという理由で、今後は廃止の方向なのでしょうか、DoCoMoもauもVodafoneも1種類か2種類のプリケーしかなく、インターネットも使えず、期間が切れた時の新番号の発行などが不便(または不可能)などで、全然ダメ。唯一ツーカー(後にKDDI auに吸収された)が3種類のプリケーがあり(京セラのTK40が7,140円、TK31が31万画素カメラ付きで13,440円、東芝のTT32が最新の薄型で14,490円)、インターネットも使えて(Eメールは毎30秒を10円で使える、Webはなぜか限られた10種類のサイトくらいしか見れない)、3(5)千円のカードを買うと2(3)ヶ月間、通話は毎6秒を10円で使え、あと3ヶ月は送信はできないが受信はできて、そのあとは番号も失なうが、あとで新しい番号を1500円で作ってくれる。横浜西口のビックカメラへ行ったら、確かにプリケーはツーカーが1番便利で、どの機種でも1円のを選んで、2年間の契約をして、すぐ9千円のペナルティーを払って契約を破棄し、プリケー契約をすれば、京セラのTK22も使う方法もあると教えてくれたが、あまりにも高級テクニック!でよく理解できなかった。携帯の電話番号や写真などをパソコンから管理するソフトとしては、Jungleの携帯マスター、SourceNextの携快電話、SSI Tristarの携帯万能などが売られていて、前2者はツーカーのはTS41/TK41/TT32しかサポートしてなく(主にDoCoMo、au、Vodafoneをサポートしている)、SSIのはほぼツーカー全機種をサポートしているので、これを買おうと思う。値段は4千円くらいで、ただし接続ケーブルは別売(4千円くらい)で、ツーカーのにはEメールはサポートされてない。(2004.11.27.)
2005年末ごろ日本へ出張した初日に、ホテル近くの赤坂見附のVodafone(後のSoftbank)のショップへ行って、プリペイド携帯電話機Vodafone V401D (三菱電機製が2004年6月に発売したQVGA画面、100画素のカメラ機能付きで5MB共有メモリー、確か1万6千円くらい)と256MB SDカードを買って、翌日受け取った。Vodafoneは3000円と5000円のプリペイド・カードがあり、60日間有効で、電話番号はカードの有効期限が切れてから180日キープしてくれる。電話料金は全国で毎分60円(毎秒1円ということ)、Vodafone同士のメール(Sky Mail)は送信1通5円、インターネット・メール(Long Mail)は送受信1通15円(Eメール先xxx@x.vodafone.ne.jpは自分で簡単にセットアップできる)。 NTT Docomoau (Tuka)よりも、毎年春と秋に1回ずつ日本へ行き、インターネット・メールが必要で、毎回3000円のカードしか利用しないような私には最適だった。(2005.11.15) 中国の会社でもう1台買うことになり、調べだしたら、各社ともプリペイド携帯の利用料金が去年と比べて約2倍にもなっている(毎分100〜120円)のを発見した。(2006.11.10.)

アパート探しと引っ越し

月給の他に住宅費補助が出ることになったので、もっといいアパートを探して、引っ越すことになりました。大連へ来てから11か月間住んだ、森茂大厦の北側、周りはすべて中国人の、実験小学校の対面の7階建てアパートビルの6階、裕景商場にも大連駅にも近くて便利な、アカシアの並木が身近にある愛すべきアパートよ、さようなら!

新しいアパートは香都花園と五一広場近くの高層アパート(新型公寓)が候補にあがり、前者は1990年代前半には付家荘の別荘とならんで唯一の外人が住めるアパートだったそうですが、大き過ぎるのと、勝利路に面していて多少うるさいので、後者の25階で、タタミの部屋のある新しいアパートにしました。 アパートを決めるまであと2つを見ましたが、比較してみると

要素香都花園新型公寓a新型公寓b
場所勝利路&聯合路    五一広場、黄河街&大同街五一広場、黄河街&大同街
築、広さ9年、115m2新、95m2新、110m2
眺め(階)可(4階)良(25階、南東向き)優(25階、南向き)
騒音
勤務場所までの交通901路、40分26路、50分26路、50分
元/月3166元3000元4000元
冷蔵庫、空調有、有有、無有、無
管理
となり、新型公寓aにしました。(注:大連の不動産屋は、100元払うと、1か月間、いろいろなアパートを一緒に探してくれる。)

引っ越しでは、大失敗をするところでした。会社が引っ越し屋を雇ってくれて、私は段ボール箱をいつ持って来てくれるのか会社で聞いているうちに引っ越し日がきてしまい、当日持ってきてくるのかなと楽観視していたら、段ボールは自分で探してきて、自分ですべて荷物を包むのが中国流らしく、来たのは運送屋だけでした。直前におかしいなと多少気付き、たまたま寄った大家さんのところで2つ段ボールをもってきて、台所用品はまとめてありましたが、本はもうビニールの買い物袋20個くらいに詰め込んで、何とかしのぎましたが、中国での引っ越し準備にはくれぐれもご注意!何でも、中国の方はものがなくなったり、壊れたりする恐れがあるので、引っ越し屋に自分の大切なものを包んでもらうのはいやがるので、引っ越し屋というのは存在しないんだそうです。(2002.09.01.)

これは来連3年目を迎える直前の話です。五一広場のアパートは私の部屋へはついに都市ガスが入らずLPガスだったのと、まわりに自動車修理店が多くてみんな路上で修理をするのできたなくて、引っ越すことにしました。友人がカルフール近辺のアパートに居て、3か月を残して帰国するということで、日本企業の人達がよく借りるところも参考に見せてもらったあと、こんな比較をしてみて

要素科学家公寓
Scientists' Apartments
博愛大廈
Bo-ai Tasha Condos
曼哈頓大廈
Manhattan Tower
場所黄河路黄河路天津街
築、広さ6年、93m29年、95m2新、95m2
眺め(階)可(10階)可(19階)可(20階)
特徴守衛の居る中庭から入るように
なっている
近くにカルフール
住民が使えるクラブ(コーヒーショッ
プ、小さなジム、ゴルフ)がある
1Fに小型の日本商品スーパー
住民が使えるクラブ(コーヒーショッ
プ、ジム、テニスコート)がある
地下に本格的なスーパー
勤務場所までの交通26路、30分26路、30分901路、30分
毎月の家賃2200元超高額(17000元)高額(7500元)
空調、バスタブ無、浅い有、深い有、深い
管理
科学家公寓に決めました。(契約書については中国語で交渉してサインし、家賃は台所を新装してもらうので毎月200元積み増しました。)すべて日本語で済ませられる博愛大廈に似たアパートはシャングリラーホテル隣接の世紀大廈(Century Tower)、スイスホテル内の公寓などがあり、日本企業・組織はすごく家賃が高いところを借りているんだなぁ、とため息をつきました。マンハッタンは香港の資本が建てた物で、ほとんどは買い上げ用だが、賃貸はこれまでの日本人向けのものよりはるかに安い。(2003.06.30.) 大連での4年目は科学家公寓を2000元の家賃で借りたが、年度途中で、バス・トイレの天井から上のアパートの水漏れがして、家主が上の部屋の持ち主に一生懸命な押させようとするのですが、直らないので、年度が終ったら出ることにしました。(2005.04.01.)

大連の5年目についてですが、現在の大連はマンション・ブームで、市街地にも郊外にも新しい、いいアパートがたくさんできたので、科学家公寓からそう遠くないところの万達xxというところに、北向きだが冬の暖房は熱いくらいで、スーパーも北京華聨もカルフールもそう遠くない処に、18階の70平米で、北に黄河路と東北路を見下ろす景色のいいところに、家賃2500元で済むことにしました。7月末に引っ越して、この2年間にアパートが広いのでいい気になり、あらゆる物を買っていて、引越しはすべて自分の車でやったが、大変だった。すべて新しく、きれいで、いいのですが、午後3時を過ぎると北窓に太陽光が差し、夏は結構暑く、窓を開けたいのだが、黄河路と東北路の交通量が多く、ウルサイので、窓が開けられない。多少覚悟はしてきたのだが、来年は空調を入れるように交渉しないといけない。(2005.08.13.)

外国のテレビ受信

引っ越してから2か月、五一広場の環境にも慣れて、まわりに兄弟ラーメン、西安ラーメン苑、過橋米線(昆明市で始まったごま油ラーメン)などの店も発見して、いよいよ有線テレビの外国のテレビ受信を申し込むことになりました。中国人は外国テレビを見る自由はなく、また日本の衛星テレビを直接受けるには中国南部では2〜3mのパラボラアンテナでいいのに、北部では9mくらいのを建てないといけないということで。まず、外国人は大連テレビセンター(大連電視中心)の9F、広電中心(454-0000 x1035/1045、火・金の8:00〜11:00)へ自分で出向き申し込まねばなりません。ただし、9月はもうデコーダーがないので、10月から受け付けるといっています。(2002.09.23) 10月になって電話で聞いたら、これまでのアナログ・モデルからデジタル・モデルに変えたが、いま品質に問題があり調整中で、今は売ることはできませんということでした。(2002.10.10.)11月1日に待ちきれなくなって、大連テレビセンターへいったら申し込みを受け付けていて、申込書をその場で書いて、パスポート、居留証、アパートの賃貸契約書(房証)のコピーを提出しました(会社からの証明書(在職証明書)は不要だった)。2週間で許可が出ると聞いたが、12月4日になってやっと許可が下り、デコーダー(解碼器)1900元とICカード150元を払い、3Fの有線テレビ局出張所でこれらを受け取り、いま毎月12元払っているケーブルテレビ受信料金にさらに毎月の外国テレビ聴取料金30元を払ってアパートに帰ってきました。

週末にデコーダーを家のテレビに装着したら、意外と簡単に外国テレビが写ったが、米国のCNNなどはよく映るのに、日本のNHKと韓国のKBS1は途切れ途切れにしか写らない。それでまた大連テレビセンターへデコーダーを持っていってテストしたらそこではOK、あとでアパートに有線テレビの技術者に来てもらったらシグナルが弱いとのことで、その後待つこと5日、やっとシグナルを強くしてくれたのでしょうか(ビルにリピーターでも付けた?)、やっとNHKとKBS1もよく見れるようになり、3か月越しのプロジェクトは一応終りました。来月1月から毎月の外国テレビ聴取料が100元に値上げされるそうで、英語CNNと日本語NHKのために(NHKのはNHK World Premierという、NHKの東京地区用のCh. 1のプログラムを世界各地のケーブルTV用に配信しているもので、時々「放送権の都合によりご覧いただけません」(Due to copyright reasons, the visual images cannot be seen.)と出て肝心の画像が見えないし、民放は一切見れない)、しばらく月額の支払いはストップしようと思っています。(2002.12.17.)

入社第1日、業務用&個人用パソコン、社内システム

朝8時に行くとデスクが用意してあり、事務関係の人が文房具と机上のプラスチック製書類整理棚(これを組み立てる)、携帯電話サービスのパンフレット類などをもってきてくれ、しばらくすると社長さんと同僚が2階と1階各部署へ連れて行ってくれて、紹介してくれました。日本人としては、トイレに西洋式が1つあり、安心しました。

机上のパソコンは中国製本体でPentium III - 500M Hz、128MBメモリー、30Gハードディスク、1024x768グラフィックス、Samsongディスプレイ、中国製キーボード)、Windows 98日本語版が入っていて(その後ソフトが壊れたので、Windows 2000中国語版とWindows 98日本語版を入れてもらい、おもに前者を使っている)、プリンターはLAN上にHPの白黒のがある(脇に1度使った紙のトレーがあり、なるべくその裏に印刷する)。初日は自社のホームページもじっくり見たり、宣伝パンフレットを見たりしました。私はこのWindows 2000中国語版に日本語IME(入力方式)と韓国語IMEを入れて、中国語・韓国語も日本語も処理できるようにしています。E-mailは会社ではOutlook Express 5.5中国語版を使っていて(メールリストの日本語題名が文字化けするので、しばらくしたらNetscape 7.xに変えるつもり)、1日の終りに自分のノートパソコン(Windows Me日本語版)のNetscape 6.2にバックアップを取り、その段階でサーバーからダウンロード済みとするようにしています。(2002.10.15.) 社内システムについてはあまりここに書けませんが、広州市天安電脳技術研究所のISOMISというWindows 2000 Server上のシステムを使って、お客さんの訪問予定、会議室、昼食の手配、訪問接待の結果報告、次週の仕事予定などを管理していて、大変便利です。(2003.02.15.)

米国のソフトウェア会社は中国語版の作成に大分手を抜いている気がします。まず、Outlook Express 6.0中国語版では、右上窓の電子メールリストで日本語が文字化けをしています。(日本語版では、5.0のころからそういうことはありません。)Netscape 6.0は中国語版は出なかったし、7.0中国語版では電子メールリストの日本語はやはり文字化けしているし(日本語版では5.0の頃からOKでした)、ブラウザーは日本語を自動的に表示してくれなくて、手動で文字コードを日本語にしてやる必要があります。中国にもう少し慣れたら中国で自分のノートパソコンを買って、Windows中国語版を使おうかと思いましたが、他のソフトも大体このようではないかと思い、Windows中国語版を私用に使うのは止めました。(2002.10.18.)

私のように日本からIBM ThinkPadを持ってきた人には朗報があります。大連で藍色快車(Blue Express)という、メンテナンス・サービス拠点ができたことです。丁度日本IBMのPC Docのような組織のようで、一級、二級、三級代理店があり、まずハードディスクの交換などは私の会社の向かいの東軟信息技術学院のA408室(Tel. 476-0003 x8302)でやってくれて(この大学では学生は全部IBM ThinkPadを使っている)、LCDディスプレーの調整・交換など難しいものは中山広場から魯迅路で大連日報社の手前右側のところ(大連鉄路(魯迅路9号、昔の満州鉄道)の1つ手前のビル)Tel. 280-7730)でやってくれます。友人の牛島五郎さんの経験報告です。(2002.12.28.)大連体育場の近く、聯合路と交差する五四路にも藍色快車(280-7730)があります。(2003.03.16.) これにも落とし穴があり、2003年7月に私のThinkPadがパワーオンできなくなり、五四路の藍色快車に持っていたら、原因がわからず、メインボードの問題だろうということになり、これだと瀋陽のIBMサービスセンターへ送るので2千元(3万円)かかるということで、これを支払い、1週間後に「DCカードが壊れていたので替えた」といって返されましたが、しばらく使ってみると8月にキーボードの調子が悪く、また五四路の藍色快車で見てもらったが、日本語のキーボードは中国にないといわれ、その月に日本へ行った時に東京のIBMサービスセンターでキーボードを2万円で交換してもらった。やれやれ、ひどい話しでした!(2003.08.23.)

これは古い話しですが(昨年2月)、デジカメの写真を縁無し印刷するのが主な目的で、裕景電子城のC座にあるエプソン代理店(大連恒成)でプリンター(Epson Stylus Photo790, 2880x720dpi, 1730元)を買いWindows日本語版で使っていますが、インストールは英語モードが自動的に起動され、印刷時のメニューも英語になることに注意すれば(紙の縦長印刷はPortrait、横長印刷はLandscape、など)、すべてうまくいっています。また今年は、デジカメのCompact FlashカードをPCカードに入れるためのアダプターを、やはり裕景電子城G座の大連賽達科技というところで買ってきました。王霞莉さんがめんどうを見てくれる。日本のようにフラッシュカードを差す時にもボタンがある複雑なものではなく(9,000円くらいする)、簡単なもので、260元(4,000円くらい)でした。(2002.02.27.) 会社で使ったUSB Flash Disk(中国では憂盤といっている、Floppyが軟盤、HDが硬盤)が朗科Netacの32MB/64MBのもので、Windows 2000中国語版では調子がいいが、私用のWindows Me日本語版では調子が悪いので(多数の写真ファイルをコピーすると、オーバーランして、ノートパソコンがハングアップしてしまう)、また裕景電子城の大連賽達科技へいって、清華同方光盤のUSB Flash Disk 64MBをそこでテストして、定価260元を245元にまけてもらい(本当ですかね?)、買ってきました。32MBのは200元くらい、128MBのは400元もする。(2003.05.31.)

Freeware/sharewareは、日本では窓の杜あたりでみなさんダウンロードしていると思いますが、中国ではZD Net下載軟件全方位下載OnlineDown.Net病毒資訊網あたりでやっているようですね。(2003.02.25.)

通勤、遅刻、給与支払い

通勤はあさ7時に家を出て、10分くらい歩いて五一広場のバス停(東北路の大連電視中心のすぐ北側)で26路の始発のバスに座り、ほぼ終点近くの大工路(大連理工大学の北門近く)で降りて、2〜3分歩き、大体45分かかります。バスの乗車代金は1元で、普段は大連市商業銀行で作ってくれる「大連明珠公用カード」というICカードを使っていましたが(1元の乗車料金に対して8.5毛引かれる)、11月からは前月の後半から聯合售票室(五一路88−3号、解放広場から馬蘭河へ行く道の左側)で毎月の定期券を買って使っています(26路は毎月26元)。毎月の定期券だけで、日本の3か月定期券、6か月定期券に相当するものはありません。(2001.12.28.)

会社の始業時間8:00に遅れると5元くらいの罰金があるようで(名札で自動ドアをあけるようになっているので、そこでセンスする)、もう少し詳しく聞こうと思います。あさは8:00から会議をやっていて、最近の日本のようにフレックスタイムの考えはなくて、あさ9:30以前、午後4:30以降の会議は避けるということはやっていません。

給与は毎月xx日に、前月分の給与がyy銀行の口座に払い込まれます。日本のように、自分の好きな銀行に払込みという訳にはいきません。これとは別に昼食費が会社近くのzz銀行支店に払い込まれ、会社のビルのカフェテリアの食事代はこの銀行の口座からカード用金額を指定して、カードで引き落すこともできます。

日々の仕事、部門間の関係

私の仕事は、なるべく多くの日本のソフトウェア会社に大連でソフトウェア開発をしてもらうように働きかけ、日本人の訪問者を接待することです。

8月には大連市の情報産業の宣伝ビデオ録音に協力しました。すでに中国語のセリフと日本語の粗訳があるのを、前日にきれいな日本語に訳し、同僚にワープロで打ってもらい、学生アルバイトを探し、市内のある影視広告有限公司で、15分の中国語ナレーション付きビデオに3時間半かけて、日本語ナレーションを1パラグラフずつ吹き込む作業をしました。中国語の説明は日本語訳より短くなるので日本語訳を削ったり、学生にもっと「大連が好きです」という感情を出して録音するように指導したりで、苦労しました。

部門間の関係では、招商部・発展計画部・物業部・企画部・財務部・人事部・業政部・行程部(建設計画部)・IT事業部があり、発展計画部は日本の広報部で、日本の総務部に対して中国の会社では行政部と物業部というのがあるのが違います。行政部は日本の渉外部のような働きをし、共産党からの指示も実施し、物業部は出張のめんどうを見て、車やチケットの手配、会議室のお茶の注文などをしています。(私もまだよく分かっていないので、続く...)

会社の電子メールシステムは仕事のことばかりでなく、従業員の結婚、出産、季節の事柄(中秋の名月など)についてのお知らせや感想を送るのにも使われ、従業員の相互信頼感を高めています。以下は、詩が話題になったときに、私が作った詩です。

山へ登ろう、より高い所へ
  中国・大連、牛角山で。2002年初冬に
  三上吉彦

山へ登ろう、より高い所へ。 黄海が見える、山も谷も見える。 風は冷たいが、海が太陽に映えて、 暖かく光っている。

山へ登ろう、より静かな所へ。 目を閉じて、山の向こうの町と港を想う。 そこは戦争と植民地の歴史を持つ所、 今は北方の真珠。

山から下りよう、谷に向かって。 そこに新しい街を造ろう。 我々の新しい知恵と努力で、 新世紀の平和と友好の証しを築こう。

中国語訳へ

Let's Go Climb the Mountain, to a Higher Place
    At Ox's Horns Mountain, Dalian, China
    In Early Winter, 2002
    By Yoshi Mikami

Let's go climb the mountain, to a higher place, There, we will see the Yellow Sea, mountains and valleys. Though the wind blows cold, the sea reflects the sunshine, Glowing in warm colors.

Let's go climb the mountain, to a quieter place. Closing our eyes, we think beyond the mountains about the town and its port. It has a history of wars and colonies, But now it is the Pearl of the North.

Let's go down the mountain, to the valleys below. There, we will build a new town. Employing our newly-acquired knowledge and hard work, We will develop a testimony of peace and friendship of our new century.

「北方の真珠」というのは、中国でよく使われる大連市のニックネームです。この詩は中国語訳と共に、億達集団の社内紙「億達人」2002年12月28日号に載りました。(2003.01.13.) 大連日報の「特集:大連は古くなった工業を振興する 第4回:IT産業」でここ大連で活躍する外人を紹介するインタビューを受け、私はこの詩については言及しなかったのですが、会社の広報部が紹介したらしく、2003年12月3日(水曜日)付けの大連日報に載り(中国語)、この詩が広く知られるようになりました。(2003.12.03.) そのあと、教会のサンクスギビング・パーティーを取材にきた、大連でもしにせのインターネット・ニュース社、天健網英語版の記者、Caroline WangさんとFarah Songさんがインタビューに来て、Mr. Mikami's Software Dreamという記事になりました。(2003.12.15.)

それから、神様の新しい智恵を強調した詩に中国・東北地方の子守唄として有名な「月児明,風児静;樹葉挂窓[木霊];小宝宝,快睡覚;睡在那箇夢中.」(月は明るく、風は静か。木の葉が窓枠に掛かっている。可愛い子よ、すぐ眠ってね、あの夢を見ながら。)を少々変えて音楽を付け、「We Have Climbed the Mountain, to a Higher Place」という聖歌(賛美歌)としました。はじめ私の採譜が間違えたようなので、少し訂正して、2003年2月に亡くなられたもとの同僚、川島徹さん(茅ヶ崎同盟教会)と、中国に働いている方々すべてへ捧げます。(2003.02.19.)

昼休み

昼休みは11:30〜12:30で、同じビルの地下にあるカフェテリア(中国式ファスト・フードの「アカシア」が経営)で定食を食べ、みんなはほぼ1階の卓球室でピンポンまたは蹴鞠に毛建子(チェンツ jian4-zi、日本の蹴鞠に似た遊び)をする。私は外を散歩するか、ジョギングをするか、向かいの山(牛角山)へ登る。8月中旬から、火・木12:00〜12:25に「日本語コーナー」(日本語の練習に誰が寄ってもいい)もやり始め、秋から秋山千早子さんが初級のめんどうをみてくれ、私の方は上級というkとにしました。

社内ではお互いに何て呼ぶの?改姓

金xx総経理(社長)、李yy副総経理(副社長)、劉zz総経理助理(所長アシスタント)、張aa部長は、それぞれ金総(チン・ツォン)、李総(リー・ツォン)、劉助理(リュー・チューリー)、張部長(チャン・ブーチャン)と呼び、社員旅行の時などのように勤務時間外でもそう呼びます。社外の人もこのように呼んでいるようで、また親会社の孔bb董事長(会長)も孔総と呼びますから、呼びかけの言葉には会長と社長と副社長の区別がありません。私ですが、契約書によれば「三上部長」ですが、4文字でいいにくいのでしょうか、「ミカミサン」(三上さん)とか中国語で「サンシャン」とか呼ばれていますが、私は「老米」(ラオミー、大外の学生が使ったニックネーム)と呼ばれたいなぁ。(2002.10.10.) 入社して1年経った今、そろそろ中国名を付けたらと社長から話しがあり、いろいろ考えた末、すでに「ラオミー」が普及しているので、姓だけを「米」Mi3に変えて、米吉彦Mi3 Ji2yan2にしようと思います。米というのは辞書を引くと米蒂Mi3 Fei4という北宋の書道家が居て、外国語の「ミ」は大体「米」で(ミラノは米蘭、スペインの画家ミロは米羅、タイアのミシュランは米其林、ミッキーマウスは米奇)、姓としては回族の姓のようです。(2003.11.10.) (続く)

実用中国語、日本語、英語

中国語学校で習ってきた中国語と、社会で使っている中国語に差があるのに気付きました。例えば、学校では自分の奥さん、旦那さんは共に「愛人(アイレン)」と呼ぶと習いましたが、これはいま50才代以上の人たち(文化革命世代)が使う古い用語で、いまの30代後半、40代は、大体奥さんを「太太(タイタイ)」、「妻子」(チーツ)、旦那さんを「老公」(ラオコン)、「先生」(シェンション)と呼び、「愛人」は「情人(チンレン)」の意味を多少含んでいるので使わないようにと注意を受けました。つまりどうやら現代中国語が、戦後の新中国で使われてきた中性表現(「愛人」など)から、段々台湾などで使われている伝統的表現(「太太」、「老公」など)に回帰しつつあり、新中国後に準備された中国語学習テキストの現行用語への改訂が大幅に遅れているというのが現状のようです。いずれにしろ、西欧起源の言葉、英語などではhusband、wifeで十分なのに、中国語・韓国語・日本語はどうしてこうまで苦労して配偶者を呼ぶのでしょうね。

ところで、秋月久美子さんのサイトにに「日中パソコン辞書」、「中日パソコン辞書」、「日中現代語辞書」、「中日現代語辞書」、「中国ブランド名辞書」(外国会社の中国語名が載っている)などがあり、大変便利ですね。BitEx日中・中日辞書便利です。(2002.08.29.) 情報・通信辞典 e-Wordsも便利です。(2003.06.05)

中国の会社で私は、日本語の最終チェックもやっています。最近やった会社紹介パンフレットでは、

  1. 毎年大連市の大学卒業生は20000人に達し-->大連市の大学卒業生は毎年20,000人に達し(副詞句は、修飾する動詞の近くに)
  2. カタカナは半角は使わずに(貧乏くさい)、全角で書く
  3. お客さんを大切にする意味で、基本的に「です、ます調」を使い、「である調」は使わない
  4. 且つ、及び、或は、又は、...等-->かつ、および/と、あるいは、または、...など(助詞はなるべくひらがなで。中国の日本語教育では、漢字が分りやすいので使っている)
  5. 出来れば-->できれば(助詞・助動詞も、漢字の意味が内容と無関係ならひらがなで)
  6. 「ソフト」-->「ソフトウェア」(書き言葉ではかならず「ソフトウェア」、特に「大連ソフトウェアパーク」は正式名称なので。「大連ソフトパーク」とは言わない)
  7. 文章の中の「:、;、----」は、日本語ではあまり使われないので、使わない(「ソフトウェア輸出基地---大連軟件園」-->「ソフトウェア輸出基地である大連軟件園」に直した)
  8. 東芝梶ANEC梶A日立 -->東芝、NEC、日立製作所(日本人は会社の正式名称には敏感で、鰍ヘ前にあったり後ろにあったりで複雑で、NECは日本電気鰍ノなるので、簡単にするため、私は鰍削除した)
  9. 行う(おこなう)-->行なう(こうすると読みやすいので)
  10. 三ヶ所、三カ所 -->3か所(横書きのときは算用数字=アラビア数字を使い、例外は「私は...が一番好きです」。
以上の中で、助詞をひらがなで書くなどは、私が12〜5年前に本を書いたり、雑誌に記事を書いた時に、現代の新聞・雑誌の書き方として習いました。以上参考になれば幸いです。みなさんの経験はどうですか。

いま日本の会社では海外へ輸出するための技術書の英語翻訳を中国へ依頼するケースが増えています。友人の会社の技術書を日本語から英語への翻訳する仕事のめんどうも見ました。注意するように指導した点は、基本的なもの

技術的表現に注意すること などでした。結局、中国の理科系学生は英語の原文を読む機会がほとんどないので、外文書店(長江路141号、勝利橋の手前50m、263-7357)で「精読電脳、応急英語」(北京工業大学出版社、2002年)を求め、またNetscape 7.0のインストレーションの手引きを印刷して、見てもらいように努力した。

この内容はハードウェア・マニュアルが約35ページ、ソフトウェア・マニュアルが約120ページ、メッセージが約10ページを、まず中国の会社の人が1か月かけて中国語に直し(中国で販売予定もあるので必要だった)、これを4人の理工大学大学院生がさらに英語へ訳し、その内の2人がそれぞれの章を編集したものを(1人はよくて、1人はよくなかった)、さらに私が紙の上でそれぞれ20時間、60時間、6時間(合計86時間)かけて修正し、会社の人が最終編集したものを日本へ納めました。大学院生が分かりにくかったものは大変基本的なことで、

ハードウェア用語Hardware Termsソフトウェア用語(続き)Software Terms (Cont.)
仕様specifications【スケジュール】画面が表示される。The Schedule screen appears.
構成configuration【時刻】枠に時刻を入力する。Enter the time in the Time box.
システム要件system requirements上書き保存するOverwrite and save
規格、標準standard(s)...枠にチェックを入れて選択しないとする/選択するClick in the ... box to deselect / select it.
最高5台までつなげるUp to 5 units can be connected.(入力用)枠/選択枠(entry) box / list box
ノートPClaptop PC...ボタンを右クリックright-click the ... button
Note: (ディスクの)空き容量free (disk) space
メッガー(電気抵抗計測器)megger (impedance measurement device)【スケジュール】ボタンをクリックclick the Schedule button
定格5A、公称5Arated 5A, nominal 5Aコピーして貼り付けcopy and paste
4倍速のCD-ROM以上4X CD-ROM or faster上書きして保存overwite and save
ソフトウェア用語
Software Terms
有効・無効に設定できるcan be set as Enabled or Disabled
プロパティーproperties
メッセージ
Messages
状況statusメモリー領域が不足するMemory space has become insufficient.
種類types指定するspecify
入力するenter (inputではない)分割ウィンドウpartitioned window

などでした。ソフトウェア用語に関しては、日本の友人の小澤譲二さんにも聞きましたので、ここで感謝します。(2002.12.07.)

社員旅行、研修旅行

大連の会社では、夏には「上海」(シャンハイ)と呼ばれる従業員を1日、または1晩泊まりで海水浴に連れて行く行事があります。私のところは、8月の始め、金曜日の午後1時に社員全員が中型バスで出発、旅順南路の塔河灘浴場で水泳とビーチバレーの競技をして、その晩は系列会社が経営する別荘地(白銀山トンネルを出てすぐ左)へ泊まり、翌日は午前中にまた塔河灘浴場へ行き、そこで昼食を食べて、午後2時ころ大連の会社へ帰りました。バスの中では、社長さんがいろいろ話をしたり、クイズをしたりで、大活躍でしたから、中国の会社の社長さんは大変だなと思いました。

それから、この会社では研修旅行がたびたびアレンジされています。10/1国慶節休暇には家族同伴で(家族分は個人負担)、北京へ研修旅行に行きました。夜行列車で行き、夜行列車で帰る強行軍でしたが、研修部分は北京の最近の建築(崔ト Cui Kai 氏が設計した外研社、中関村数碼大廈、中国銀行本社、華彬国際大廈 Ruoy Chai Bldg. など)と北京中関村ソフトウェアパークを視察し、その他は香山、天安門、故宮、東来順・シャブシャブ店、全衆徳・北京ダック本店などへ行き、ホテルは国宏賓館(3つ星)、長城飯店(1Sheraton、5つ星)に泊まりました。10月末の土曜日は半日で、大連の鉄道学院ソフトウェア学院(馬蘭広場の西側、旅順中路にある)、鉄道学院培訓部&愛特国際学院(卒業するとオーストラリアの大学へ留学)、開発区の大連理工大学ソフトウェア学院の建設予定地(大連大学のすぐ手前)、双D港(DDポート)、金石灘の模特学校(モデル学校)を見ました。

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Working in Companies in China 1

A Study Trip to Beijing (at the top of Xian Shan)

Go up to the Japanese part.

I now work in a company in China. I want to describe below how it goes in China, treating it carefully so it does not violate my contract to keep my company's information confidential.

Job Application and Interview

Buying a Cell Phone

The First Day at Work

Looking for an Apartment, Moving and Looking at Foreign TV Stations

Commuting, Late Arrival and Salary Payment

Daily Work and Among the Departments

The e-mail system is used by the employees for our business, but sometime for just communication to enhance our comradeship. For the latter purpose, I wrote a poem which was later put in our Groups monthly newspaper:
Let's Go Climb the Mountain, to a Higher Place At Ox's Horns Mountain, Dalian, China In Early Winter, 2002 By Yoshi Mikami

Let's go climb the mountain, to a higher place, There, we will see the Yellow Sea, mountains and valleys. Though the wind blows cold, the sea reflects the sunshine, Glowing in warm colors.

Let's go climb the mountain, to a quieter place. Closing our eyes, we think beyond the mountains about the town and its port. It has a history of wars and colonies, But now it is the Pearl of the North.

Let's go down the mountain, to the valleys. There, we will build an IT town. Employing our newly-acquired knowledge and hard work, We will develop a testimony of peace and friendship of our new century.

Link to its Chinese translation

It was later modified and added with music, and made a hymn: "We Have Climbed the Mountain, to a Higher Place."

Lunch Time

How Do We Address Each Other?

Practical Chinese, Japanese and English

Employees' Outings

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Prepared by Yoshi MIKAMI on August 14, 2002. Last update: Feb. 19, 2003.