鵜沢梢・第二歌集『シヌック・雪食う風』
カナダに渡り四十年、英語で短歌を考え、教える歌人

武富純一

三月の末だというのに寒い日が続く。いつもの年だともうコートなど無しで外出ができ、沈丁花の香が町のあちこちから漂ってくるはずなのに、今年はいつまでもやけに寒い。数日前には雪さえちらついた。さすがに陽光は日ごと柔らかくなってきているが、こんなに遅い春の訪れは私の記憶にはない。

しかしながら、この歌集を読んで私の気温感覚だけで簡単に寒いと言ってはいけないのだと感じ入ってしまった。冒頭にこんな歌が並んでいるのである。

 シヌックはSnow Eater雪食う風びゅるるんびゅるると雪巻き上げる

 シヌックの瞬間風速九十キロ激しきうなりひと晩続く

 風寒く吹き荒れる日は買物にも出かけず一人繭ごもり居る

 雪の道数分歩いただけなのにじんと痛みぬ左耳の底

 氷点下十五度までに昇りたる今日の気温に気持緩みくる

カナダの街レスブリッジの厳しい寒さを歌う。冒頭の歌は本歌集のタイトルである「シヌック」の意味を明かしてくれている。

五首め、読み違えてはいけない。氷点下十五度までに「下がりたる」ではなく「昇りたる」である。ということは、普段はもっと低い気温の日が続いているということだ。深夜に読んでいて、私は思わず「さぶ~ぅ!!」と大阪弁で叫んでしまった。

著者、鵜沢梢は東京生まれ。1971年カナダへ移住、アルバータ州のレスブリッジ大学の准教授として日本の言語や文化、詩歌を教え、現在は退職してバンクーバーに住んでいる。本歌集は1998年の第一歌集『カナダにて』に続く14年ぶりの第二歌集である。

ざっと計算して、鵜沢は40年以上もの年月をカナダで過ごしていることになる。当たり前のことなのだけれど40年という年月は、つまり生まれた赤ん坊が40歳になってしまうというとっても長い年月である。この間ずっと故国日本を離れて異国で暮らし続ける人生とは一体どういう感じなのだろうと、ずっと日本に住んでいる私は想像力の限界にくらくらとなってしまう。

 ふるさとはとおくにありておもうもの日本に行きて疲れて帰る

 わたくしは日本人だと思えども日本にて知るカナダ化の部分

 日本ではアウトサイダー、カナダではマイノリティーのわれの存在

鵜沢の立ち位置がよく解ると思えたので、第一歌集『カナダにて』より引いた。

鵜沢は短歌結社「心の花」の会員で、あとがきによれば、本書は長年にわたり「心の花」に発表してきた歌から好きなものを選出しテーマ別に再編成したのだという。

「シヌック」「日本語を教える」「レイシズム」「中国の留学生たち」「英語短歌」「引っ越し」「バンクーバーの日々」・・・目次から特徴的なタイトルを列記してみた。

これだけを見ても、遠くカナダへ渡り、外国人たちに日本語や日本文化をずっと教え続けてきた作者の人生ドラマが垣間見えるようではないか。
実際、私はこの歌集をまるで短編小説やエッセイを読むような感覚で一気に読んでしまった。暮らしや思考、そして時間軸の経緯が明確に解るのである。全体を通して口語の解りやすい歌が並び、解釈に深く迷うような歌が皆無だったのも一気に読めた一因であろう。

 学生が夏を先取り素足にて歩く足首白く痛々し

 カナダ雁の親鳥二羽に挟まれて小さき五羽の泳ぎの練習

 乾燥地レスブリッジに咲く花はチューリップさえ地に低く咲く

 四頭の鹿と出会いて立ち止まり見合いたるのち道ゆずられぬ

 稀にしか降らぬ雨ゆえいとおしみ傘を使いて遠回りする

カナダの気候や自然、動植物の歌を挙げた。冬の厳しさとは対照的に、からっとした明るい感じが伝わってくる。
一方、大学の授業では、学生たちに日本が受けた原爆の悲惨さを教えた体験を歌う。

 米国の原爆使用の是非を問うクラスの中に一人アメリカ人

 原爆の使用認める学生のレポート読めり腹が立てども

 原爆は戦争終結早めたと物知り顔に日本女性が

日本人として自国の原爆被害の惨さを伝えようとしてもダイレクトに伝わらないもどかしさと苦悩。でもこれが世界の現実なのだろう。学生からすれば遠い国の昔の出来事でしかないし、世代差もあるのだろう。でもそう思ってもやはり心は揺れ、あの惨劇を伝えたい思いは消えず、そして「原爆は戦争の終結を早めた」という日本女性の浅はかさに憤る。
学生たちに初めての日本語を教える歌もある。

 カタカナの名札作りて手渡せばクラスの皆がうれしがりたり

 アルファベット叩けば画面にひらがなの出てくることに驚くダニエル

 日本語が聞き取れなくて慌ており学生に借りし宇多田のCD

その昔、パソコンと出会った頃、日本人の私もローマ字入力変換には驚いたからダニエル君が驚くのも無理はない。宇多田ヒカルの歌は鵜沢には世代的に馴染みはないだろうし、これも慌てる気持ちはよくわかる。私は1980年代、サザンオールスターズが出た頃からどうも日本語がおかしくなったような気がしている。

さて、読み進むうちに大きなうねりを感じる章は「レイシズム」の章だ。日本語に訳せば「人種差別主義」である。私はこの章に、他の章にはない鵜沢の感情の激しい昂ぶりを感じた。

 白人と中国人の学生が混じることなく座る教室

 吾の行かぬ喫茶店ありコーヒーをネイティブには断るという店

 愛想よき陳さんなれど白人の客にはもっと愛想よくなる

 我のこと後回しにして白人の男性に向く郵便局員

 レスブリッジにてメイドの仕事して居りぬ元弁護士のルワンダ女性

 有色の人種はたいてい差別され白人の町レスブリッジ 今も

 我を見て挨拶もせずそっぽ向く隣家の主婦を我も無視する

 差別など感じたことはないという日本女性に苛立ちてくる

 引退のインド人教授われに言うこの大学の人種差別を

 私より経験浅きドイツ語の美人教授の昇進早し

 不当なる格下げ申し渡されて拷問のごとき一日終わる

 学長のひと声により吾が格下げ取り消されたり一年の後

辛い場面の連続である。露骨で辛辣な差別攻撃のなか、心を通わせる友もなく孤軍奮闘の日々・・・。
白人世界には「colored」と言う概念が頑として存在する。自分たち以外は黒人も黄色人種もつまり同じ「色つき」なのだ。世界にはこのような心と具体行動でもっての人種差別というものが依然として強く存在するのだと改めて思わされた。

ならば日本に戻ってくればいいのに・・・とはいささか見当違いの私情だけれど、思わずこうも言いたくなるような衝撃的な現実である。心を救われたのは最後の歌であるが、その一年間をひとりでよくも耐え抜いたものだとしみじみ思ってしまう。

次に興味深く読んだのは「英語短歌」であった。いうまでもなく短歌は我が国で独自に発展した文芸。定型の三十一文字の語感や韻律は日本語でこそ活き、他の言語にはまず置き換えられないだろう。私はずっとそう思っていた。

ところが鵜沢は、短歌を英語で考え英語で書き、そして英語に翻訳して教えているのだという。それを生涯プロジェクトのひとつにしているのである。

 日本語と英語のシラブル違うゆえ長々となる英語短歌は

 英語にて短歌書く時わたくしは英語の目にて桜見ている

 マリアンの短き歌を日本語に訳してみたり三十一文字に

 現代の短歌を選び英語へと翻訳するは無謀かもしれず

 敢えて吾は無謀と知りつつ英訳す河野裕子のオノマトペ短歌

 幸綱の使う「こんこん」どう訳す? こんこん眠れ雪やこんこん

 掛け詞、枕詞を英語へと置き換えるとき抜けゆく言霊

英語短歌が持つ問題、矛盾、困難性・・・当然ながら鵜沢はそんなの百も承知、他の誰よりも身にしみて解っている。でも決して諦めず、なんとかしてそこを飛び越えてやろうとする意思と情熱には頭が下がる思いがする。

また、鵜沢は「GUSTS」という英語短歌誌を主催・編集発行していて、その一冊がいま私の手元にある。実は鵜沢は「心の花インターネット歌会」のメンバーで、私も数年前に入会し、そこで鵜沢と知り合い、あるとき英語短歌のことでメールをしたら親切にもこの歌誌を送ってくださったのだ。

翻訳のプロが主催する歌誌の名を翻訳して大丈夫なのか気がひけるが、「GUSTS」を辞書であたると「突風、にわか雨、(感情などの)激発」とあった。

まぁこんな説明よりも「ガッツ」と書けばいっそ解りやすいと後で気づいた。短歌と外国を英語で繋ごうとする鵜沢の静かで激しいエネルギーや英語短歌を学ぼうとする人たちの情熱がこもっているタイトルだと思う。
では。どんな歌がどんな形式で載っているのか、ランダムに一例を挙げる。

reading


a silver ring
around the autumn moon
it may storm
but in our bed
he reads me love poems

Joyce S.Greene

holding my head
in my hands
as if somewhere
between the lines
an answer could be found

Paul Smith

こんな五行書きスタイルでA4大(正確にはアメリカンサイズ)1ページに十首が載っている。毎回、集まった詠草を7名の選者が選歌、鵜沢が集計しテーマごとに編集して歌を並べるのだという。

歌誌といえば日本語縦書きの一行表記と思い込んでいる私には、このレイアウトは新鮮だった。英語力のまるでない私だけれど、「これも短歌なのか・・・」としばらくじっと見入ってしまった。

また、鵜沢には『I'm a Traveler』という英語短歌の歌集もあり、下記のような歌が1ページ一首のレイアウトで展開されている。

racism...
when I murmur the word
heavy petals
of a blue flower
fall on my palm

 「レイシズム」つぶやけるとき群青の重き花びら手の平に落つ

it's hard
to prove racism―
something
dark and intangible
accumulating inside me

 我が中に積もる無形の暗きもの証明しがたしレイシズムとは

日本語は私のお粗末な直訳だが、当人にメールで確認し間違いをチェックしていただいたので意味は合っていると思う。
ただ、二首目、鵜沢は実は同じテーマで日本語で下記の歌を作っていたのだという。

 レイシズム証明するは難しく胸にたまれるくたくたしたもの

「くたくたしたもの」は英語になりにくかったので、翻訳せずにそのまま英語で考えたのだそうだ。

つまり、「くたくたしたもの」を英語で詩的に表現する際

something
dark and intangible

と変換させたわけである。これには敬服させられた。
英語、日本語、そして短歌、これらすべてに広く精通してないとできない芸当だろう。
同時に鵜沢のなかでレイシズムと向き合うことは最大のテーマであり、重く、暗く、そしてとてつもなく深淵なのだ。

2007年、鵜沢は現代短歌の英訳歌集『観覧車』でドナルド・キーン翻訳賞を受賞している。先日、この賞の名であるドナルド・キーンが日本在住40年近くを経て、晴れて日本国籍を取得したという新聞記事を読んだ。

片や鵜沢はキーンとは逆に日本人として海外に渡って在住40年。奇しくも二つの対照的な人生が日本と海外をまたぎ、そして日本文化を世界へ繋いでいる。

あとがきには、「ふり返ってみれば、日本語にせよ英語にせよ自己の内面を文字化できる「短歌」というものがあったからこそ、精神のバランスを崩さずにカナダで生きてこられたのではないか、と思います」とある。これは歌集の帯にもあったから、鵜沢の内面の正直な吐露なのであろう。

先に紹介した「GUSTS」の表紙には「No.13」とあった。鵜沢が日本から持ち込み広げた短歌は遠い異国の地で今も着実に号を重ねている。


鵜沢梢、ドナルド・キーン賞受賞の記事
http://vancouver.keizai.biz/headline/235/

鵜沢梢の短歌のページ
http://members.shaw.ca/uzawa/tanka.htm

『シヌック・雪食う風』
2012年3月3日発行
短歌研究社 2500円(税別)

2012-03-27


INDEX



Copyright(C) SunPlus All Rights Reserved. 企画制作・著作/武富純一
名前額本舗」「時代おくれ屋」はさんぷらすの商標です。商標登録 第4896776号 48966777号